台風一過
いつも手作りお菓子は、整体師のNさんから頂きます。彼の住まわれる岐阜市では、21号台風での停電がかなりあったようです。よく聞くと、わが町以外は殆ど停電で、苦労されていることを今頃知りました。中には信号機も止まった所もあったらしく外出時も困難だったようです。台風も過ぎ去っても電気は来ず、スマホに充電しようと、彼は車で温泉に向かいました。ところが入浴していたらそこも突然停電。暗闇の温泉は不気味だったようです。お菓子の食材を貯めておられるので、冷蔵庫が使えないのは、困られたようです。ありがたいことに当町は、25年間停電がありません。中部電力に感謝。関西にいた25年間も殆どなかったです。これは関西電力に感謝です。
我が家では、暢気に台風通過時は録画していた映画を見ていました。台風通過後、雨戸を開けると、倒木が4本。エゴノキなどはのこぎりで切らねばなりません。チェンソーがないので・・・廃車にしたので、広くなったガレージには小枝が散乱。木の葉も細かくちぎれ飛んでいます。風が激しくつむじを巻いたため葉が切れたのだそうです。
6日の老人会神社清掃で出た、大量のゴミも会長であるため我が家が引き取りました。いつもの年の5倍で5袋あります。台風の残したゴミは半端ではありません。でも山崩れの下に残されている北海道の人を思えば、これくらいのことで文句は言えません。地震の死者は18人、行方不明19人となりました。
友人の話では、岐阜は風速39mだったそうです。道理で道筋の家では瓦が飛んでいたり、塀が壊れていました。岐阜は進路の右側に位置していたことで強風が吹き荒れました。樹齢1500年の薄墨桜も大きい枝が4本も折れて、樹木医が断面を整え、防腐処置をします。伊勢湾台風以来の被害でした。
手作りお菓子11として、記事を書き始めたのですが、内容は災害のことになりましたので、テーマを変更しました。
ザクザクCOCOロック くるみのブラウニー マンゴーチーズプリン (向こうから左回りに)
巨大台風が去った翌日の昨日、午前3時すぎ、北海道厚真町に震度7という地震が発生。日本列島は祟られているのでしょうか。信じられないことが起こるものですね。昨日は地元老人会の奉仕作業で神社清掃の日。メンバーの中に札幌に嫁いでいる娘さんがおられるので、聞くと、「停電なのであわてて子供たちにアイスクリームを食べさせて、冷凍肉は解凍して、朝から焼肉にした」ということでした。深刻でない話にほっとしました。次第に被害が明らかにされ、死者8人、心肺停止6人、行方不明26人。山肌は大きく削られ、大規模な土砂崩れが起こっています。道内295万戸が停電。平成30年北海道胆振東部地震と命名されました。
昭和新山や有珠山に近いので、火山性地震かと思ったら、断層地震ということでした。山崩れの下に埋まっている人は早く救出されますように・・・被害に遇われた方にはお見舞い申し上げます。
地震などの災害時、総理が野党では全くダメで、阪神淡路大震災の時の村山さんとか、東日本大震災のときの菅さんは、いづれもまずい対応でした。今度は自民ですから適応能力があり、スムースに対応されていますので、救いがあります。
ルコウソウ
昨日は、伊勢湾台風時の猛威を思い出すような21号台風が日本を横断しました。岐阜に25年前に帰郷し、はじめての猛烈な台風でしたので恐怖を覚えました。死者こそ9人と少なかったのですが、関西空港は閉鎖となり、3000人もの人が動けなくなったり、損害額はかなりな額に上ったことと思います。被害に遇われた方にはお見舞い申し上げます。我が家の被害は、4本の倒木だけでした。
伊勢湾台風は、昭和34年ですから相当過去ですが、神戸のOさんのことを思い出します。彼は、都市ガスのガス漏れ検査で定期的に訪問する人でしたが、決まって伊勢湾台風で子供を亡くした話をするのです。台風で小学生だった二人のご子息を亡くし、以来、名古屋にいられなくなり、神戸にやってきたと言うのです。思い出すのも辛くて、郷里を捨てられたのです。神戸にいた昭和42年には、もう台風のことは過去形になっていた私は、まだ十字架を背負っている人がいるのかと驚きました。死者は6000人という前代未聞の台風でしたから、トラウマを生涯背負う人もあるのです。
昨年9月に続いて今年も、長良川スポーツプラザで、生き方セミナーが9/1と9/2にありましたが、地元親睦会に出たので2日目しか出られませんでした。レストランのオーナーは、明治初期に描かれた金華山の浮世絵を見せながら、150年前の説明をしてくれました。長良橋はまだ木製でした。前日は金華山を案内し、岐阜ははじめての講師M先生にとりよい思い出となったと思います。なおこの会場では、昨年大相撲信長場所が開催。幕内力士のサインと手形もあります。6階レストラン北の窓より斎藤道三の墓近くの鷺山が見えます。
会場北の窓より見える鷺山 150年前の金華山浮世絵 長良橋は木製
御嶽海の写真とサインと手形 右は高安のサインと手形
何気なく、you tubeを渉猟していたら、外国人が日本の地震とかの災害の予言をしているサイトを発見。詳しく見ることにしました。この人は東日本大震災を的中させた実績があるので、捨ててはおけません。
まず、6月に東海地震があり、7月には富士山噴火があり、今の形すら変わってしまうそうです。そして、8月には東京から40km西の地点で大震災があると言うのです。どこかははっきりしないのですが、計算では八王子あたりが該当します。果たして起こるのでしょうか?起こらないとしても心の準備は必要です。
起こっても動じないようにしなければなりませんね。
別の情報ですが、村井俊治東大名誉教授もネットで地震の予知情報を発表しておられます。予言ではなく実測によります。日本中各地点の高低差とひずみを計測。上下が5cm以下変動したら大丈夫ですが、7cm以上変動する地点は危ないそうです。その方法で東日本大震災を予言できたのに、自信がなくて公表しなかったら、本当に起こってしまった。これは人のために発表すべきと考えられ、近年の地震予知情報をネットに書かれています。的中率は高いようです。
写真は瓦工事中の我が家。ひと月かかって終了しました。最初瓦屋さんがやってきて、水漏れがあると言われ、ビデオ撮影で分かり、見積もりをしてもらいました。本当に水でダメになった部分があるのは前から気になっていたのです。築20年ですから。当時と漆喰の組成が今は進歩していて、しばらくは、いいようです。さらに離座敷には、ハクビシンかアライグマの入れそうな穴があり、ビデオを見てびっくり。修理を頼んだ次第です。地震の被害も軽減されるとよいのですが・・・
久しぶりにYさんから絵手紙が届きました。4年前のインド旅行で知り合った岐阜市の御夫婦。前にも同じ花の作品を頂きましたが、とても腕をあげられていました。パソコン画です。いつもとても緻密に描かれています。ほぼ2年ぶり。
毎月作品をネットに発表される他に、金華山登頂記録を日々更新しておられます。もう3263回。途方もない数字です。私は足では1回しか登っていません。それはまだロープウエイもない頃のことでした。
葉書表面の下には、いつも近況報告。ある日金華山に登っていると、高齢の女性がスマホを落としたと言われるので、山道を戻り、探してあげられました。そしたら見つかり何度もお礼を言われたということでした。Yさんらしいお話です。人のことは放っておけない方なのです。
洪水警報
当町に洪水警戒警報が出たのは、昭和51年9月の台風17号による豪雨以来ではないでしょうか。安八豪雨と言われ、木曽川が決壊し多くの家が浸水。この頃神戸にいたのですが、全国ニュースで報道されました。昨日は台風3号の影響で当町にも警報が出ました。しかし、我が地区だけ堤防沿いあるため町全体が浸水しても影響はありません。昨日はテレビのテロップに避難警告が流れたため、友人からスマホに見舞いの言葉が届きました。友人にはお礼の言葉とともに、昭和51年の話をしました。この時は隣の地区が浸水。炊き出しをしたと聞いています。
昨日の警報は境川の増水。境川は岐阜に因縁のある川。安土桃山時代の天正14年(1586年)の洪水まではこの川が県境でした。このころまで我が家は愛知県側。当町は岐阜と愛知の境界の中。大洪水のため木曽川の流れが変わってしまいました。今の境川がかつては木曽川の本流だったのです。
岐阜に帰郷した25年前、全町民にアンケートがありました。昭和51年にどういう被害に遭ったか、という内容で、調査したのは群馬大学。なぜ群馬? その謎は、後日テレビで分かりました。2012.12.2-3に書いていますが、「釜石の奇跡」に関係があります。釜石を救った片田先生が群馬大学に在籍されていました。写真は、昨日頂いた橿原神宮のハンカチと初生りのスイカ。ハンカチは、和紙30%木綿70%で交織されています。写真に写っているテーブルセンターは、餞別に友人から頂いた戸塚刺繍。26年前のもの。白い布に白い糸で刺繍されています。橿原神宮へは35年くらい前に参詣。とても格式高い神宮でした。
和紙を織り込んたハンカチ
昨日は、町老人クラブ主催の健康安全教室が食事付きで、一日開かれました。何度も参加しているのですが、油断大敵です。まず健康について。当町には100歳以上が9人おられるようです。寝たきりでなくて健康寿命の大切さを言われました。心がけたいです。
午後からは警部補から交通事故防止についての話。今年成人式を終えた各務原市の若者が当町内の国道で事故を起こし、全国ニュースとなりました。ワンボックスカーに乗っていた8人の若者の内、後部座席の1人が死亡。運転者は無傷でした。安全ベルトがどんなに大切かを力説されました。フロントガラスは破片が飛ばないのですが、側面は車衝突と同時にガラスは割れて拡散し、無くなります。その窓から車道に投げ出され、最後列の女性が即死。若い命がいとも簡単に消えてしまい、いたましいことでした。当町は国道21号と22号が交差しています。県内の交通事故死者は昨年は90名。町内では9名。そのうち6名は高齢者でした。夜間の歩行者が最も危険らしいです。明るい色の服装で、出来たら夜光のグッズを身に付けるよう心がけてほしいことも・・・
次は、町防災ボランティアの人の話。これも東海地震が間近にせまる私たちには必要な情報です。住む家が耐震基準に満たないかを査定してもらい、必要なら補強工事を頼むこと。特に昭和58年以前に建築された建物は注意。窓ガラスが飛散しないよう透明のテープを貼るのもよいようです。非常袋に入れるべきものについて。家具の転倒防止対策。これは実行しています。水道が止まった時の簡易トイレの作り方。これには猫の排泄用の砂が便利であること。(可燃物として捨てられる) とっさの時の行動は、まず逃げるドアの位置の確保。スーパーで地震に遭った時は店の買い物カゴを頭にかぶることなど・・・有益なお話でした。 昨日の話を聞き、非常袋にビニールの大きな袋を追加しました。火事の時、これを膨らませ、頭にかぶり煙の中を壁伝いに脱出します。参加者にはアルミ温熱シートと、懐中電灯が配布されました。
保健師の話
警部補の話
昨夜は節分 いつものように知り合いの店に注文