月のひびき (徳正寺だより)

“いま”出遇えた一瞬をパチリ
それは仏さまとの日暮らし…

たんぽぽ綿毛のはなし

2012年04月11日 16時07分50秒 | ふうわりふわり(坊守日記)
たんぽぽ綿毛の兄弟がが飛び立つ準備をしています

あぁ、でも今日は雨降りになりそう…

こんな日は旅立ちは順延かな?

おかあさんの頭にしがみついて

「ねえ、もう1日…いいでしょう?」

「そうね、この雨雲が通り過ぎるまでね」

そんな会話が聞こえるようです


雨があがりました

明るく温かな陽と、そよ吹く風が濡れた綿毛を乾かします


今夜みんなで眠って…

明日、晴れたら
明後日、風が吹いたら

綿毛の兄弟は順に飛び立つでしょう


「お先に~」

「行ってきま~す」

「待ってよ~」

「まだ…行きたくないけど…」


「はい、行ってらっしゃい!」

おかあさんたんぽぽは風に揺られて、いつまでも青空に手を振っているでしょう

本当之私

2012年04月10日 20時46分59秒 | 仏々相念(住職日記)

私は本当は私じゃない・・・

 

今日の愛媛新聞「四季録」は、ズバリ言い当てて下さっていて気持ちよかった。

丹下健太とおっしゃる作家さんが執筆なされていました。

 

「先週の四季録において私は嘘をついた」とおっしゃるのです。

その嘘とは・・・「私は本当の私じゃない。本当の私は私じゃなく俺なのです。」

お分かりでしょうか・・・

私と書いているのは新聞という公の場だからであり、普段何かを考える時には「俺」という一人称で考えるということなのです。

「俺」が「私」になることで使う言葉も変わってくるのです。

「私」なら丁寧、堅い口調。

「俺」なら親しげな口調。

 

作者は、これを書く為に2つの方法をおっしゃいます。

1つは、「俺」を使って考えたことを私に変換、翻訳する。

2つは、「俺」が「私」を演じて書く。

変換、翻訳には誤訳やニュアンスの違いが生じる。

演じるとは・・・嘘をつくこと。

それらを使いながら書いている。

 

本音と建前。

私と公。

 

なるほど。

 

私もそうです。

この様なつまらないモノでもどこのどなたが読んで下さるか分からないので、「きれいな言葉できれいな内容で・・・」って一様は思うのです。

何回も何回も変換を繰り返し翻訳を試みるのです。

でも正直、書いていてつまらないのです。

書いていてつまらないモノを読んで面白い筈がありません。

だから・・・最近では遠慮なく、「オレ」「コイツ」で素直に書いています。

嫌悪感を持たれるかもしれないと思いつつ、正直に外面住職を書くことです。

 

御門徒の前で外面飾るコイツ。

演じています、どこまでも「いい住職」を・・・

腹の中にはもの凄く恐ろしく汚いモノを抱えつつ・・・

「生きる」ということのために、どこまでもどこまでも・・・

 

すいません・・・

そして、有難うございます。

 

コレどこまでも徳正寺住職の有様であります。


進級之時

2012年04月09日 20時27分32秒 | 仏々相念(住職日記)

新たな扉が・・・

 

今日は高校でも入学式が執り行われたそうです。

それぞれがそれぞれに門を潜りながら何を思ったのでしょう。

「お~!とうとう来たぜ~」

「これからもガンバろう!」

「こんな筈じゃなかったのに・・・」

いろんなことを思ったでしょう・・・

爽やかに最高な学生生活にして欲しいですね。

 

私の場合、不安ばかり抱えていたように思います。

「よっしゃ!やったるで~!」なんて思ったこともありません。

これからどうなるんだろう・・・

どう進めていったらいいんだろう・・・

どうしよう・・・どうしよう・・・どうしよう・・・

そんなスタートばっかりでした。

勿論、そんな日常は変わることなく「どうしよう・・・」で暮れていくのですが・・・

面白い訳がありません。

 

幾つもの扉を開けてきました、これでも・・・

でも、自分で開けたいと思い空けた扉は無く、親に言われるがままに・・・

私の人生でありながら人の人生を歩んでるような気もします。

これは弱き男の逃げ口上なのでしょうか・・・

 

自分の子どもたちにはこんな思いはさせたくありません。

自分の好きな道、「よっしゃ~!」って感じで歩んでほしいのです。

苦しいんだろうけど・・・でも、一人にはしないから、オレ、ず~っと支えるから!

 

今日、歯の検診に行って来ました。

「変わった症状はありませんか?」って尋ねられるので、

「これといって変わりありません」

「分かりました、調べていきますね!」

右上奥歯で先生の動きが止まります。

その瞬間、「あっ、そうやった!この辺り少し疼いたことがあったよな~」って思い出します。

「少し欠けていますね、レントゲン取らせて下さい」

結果、見事に虫歯になっていました。

それに連なりもう一つ手前の歯も・・・

「この際、お願いします」

 

被せていたモノはかなり以前のモノらしく接着剤もかなり雑だったとか・・・

神経までは抜かなくてもよかったようで、念入りに処置をして下さったことです。

私は、歯の治療というより長く口を開けていると直ぐにエヅクのでそれが辛いのです。

涙が出ます・・・

そんな時にやっぱり先生は分かって下さるんでしょうね、「あと、一分半程ですからね~、ガンバってくださいね~」

こんなに言っていただけると、「あと、一分半か!」って思いますもんね。

分かって下さるということは有難いことです。

でも、やっぱり身体ガチガチにして身構えているんですから・・・

 

そうこうしていると次の患者さんが隣の椅子に座ります。

どうやら一才くらいの子どもさんだと思われるのですが、私も自分のことで精一杯で隣りの子がどんな子だか知る由もありません。

「はい、うがいしてくださ~い」

口の中の違和感を少しでも無くしたいと軽快に水を口に含むも右上は麻酔がかかっており感覚がありません。

「ぴゅーっ」って飛び出るのを防ぎつつひと時の休息を得ます。

 

横ではその子が大泣きしています。

あ~、怖いんだろうな~

でも、私が小さな頃は本当に痛かった!

今、身体ガチガチにするのはその時の痛さを身体が覚えているからなのでしょうか・・・

今の技術は進歩しているんでしょうね、痛みなんて全くないのですから・・・

先生も看護師さんも優しく説明しつつ励ましてくれながら進めて下さる。

これがまた、有難い!

「よ~し、終わったぞ!偉かったね、ガチャガチャして帰るか?」って声にもう怖さもすっかり消え失せて駆けて行きます。

 

どのようなことでも新たに扉を開けるのは不安が付きまといます。

そんな時に寄り添ってくれるようなはたらきがあると歩めるような気がします。

 

「しんどかったね、お疲れさん・・・はよ、お休みよ!」


子どものつどい~スプリング・キッズサンガ~のはなし

2012年04月08日 19時59分41秒 | ふうわりふわり(坊守日記)


今日は《とくしょうじ・子どものつどい》を開きました

8人の子どもたちがお参りしてくれました

はじめに、『らいはいのうた』のおつとめをして阿弥陀様にお参りをしました

今日は《花まつり》、お釈迦様のお誕生日です

みんな尊いいのちをいただきましたね
自分をたいせつに、家族をたいせつに、お友だちをたいせつにして、新学期もがんばりましょう!
とお話をさせていただきました


さて、次はゲーム大会!
紙風船で遊んだり、こま回しをしたり、ボートレースをして本堂を走ったり、にぎやかでした





そろそろおやつの時間…

お釈迦様の誕生会とみんなの進級お祝い会のパーティーの始まりです

昨日、ご門徒のKさんとYさんに手伝っていただいてシフォンケーキを焼きました



今日はその飾りつけをみんなでしました

いちご、バナナ、パイナップルは子どもたちがカットしました





あとは各自自由に飾りつけます

生クリーム、チョコソース、ストロベリーソース、はちみつ、チョコスプレー、粉砂糖…



それぞれにデコレーション……

このあたりからだんだん個性が現れてきますよ~

クリームたっぷりの子、あっさりフルーティーな子、いちごをきれいに並べる子、楽しいんですよ~







さあ、「いただきま~す!」
「おいしいね~」



さよならの前に、じゃんけんチャンピオンを決めて、おさがりのお菓子を贈呈しました

心優しいチャンピオンさんは、独り占めせずにみんなに分けてあげましたよ!

もう一度、阿弥陀様にお参りをして

♪さよなら~ さよなら~ またこんどの ときまで~♪


「せんせ~い、夏休みはそうめん流しした~い!」

また夏休みにね~
お楽しみに!

深山之桜

2012年04月08日 19時47分11秒 | 仏々相念(住職日記)

暖かい日中・・・

 

宇和島の桜も散り始めました。

咲き始めたかと思えばあれあれという間に満開となった今年の桜。

精神的な疲れを癒してくれる・・・そんなひと時をいただいたことです。

 

お参りさせていただいたところでこんな話になりました。

「死ぬ時は死ぬんだから・・・」

確かにそうです、私もそう思います。

どんなに身体に気を付けていようとも思わぬ事故で亡くなることもあるでしょう・・・

あまり身体に気を付けていなくても長生きすることもある・・・

死ぬ時に死ぬんであります。

 

でも、続いておっしゃるのです・・・

「できればポックリ死にたいな~」って。

切実な問題です。

生きてはいたいけど、寝付いてしまうと自分もしんどいが周りの者に迷惑を掛けてしまう。

これもまた頷けてしまいます。

 

自分の事として考える時、自分が寝付くと絶対周りの人に辛く当ってしまうことは明らかであります。

大切な人であろうと・・・

愛する人であろうと・・・

自分を愛することの深きが故に他の人々を傷付けることになるのでありましょう。

その時に「ありがとう!」って言えればいいのですが・・・

そうありたいと思うのですが・・・

恐ろしき言葉が出ている自分が見えてしょうがありません。

 

だから・・・だから・・・

身体的にも精神的にもちょっと余裕があるのであれば、今、「ありがとう!」言いましょう。

そんなことをお話ししたことです。

 

「深山隠れの桜木は、眺むる人は無けれども、花は春ごとに開くぞかし・・・」

祖父がこの季節に好んで申していた御讃題。

桜の花は、人に見られるために咲くのではありません。

自然の大きな大きな恵みをいただいているからこそ、「ありがとう!」いっぱいの輝きを咲かせるのです。

何とその輝きの美しいこと・・・

その美しさが山の美しさとなる。

一つ一つの輝きで山の色となる。

 

自分一人で生きているのではありません。

横柄になっていませんか・・・

偉くなっていませんか・・・

「あなたがいてよかった」そう思う人あれば「ありがとう!」を伝えましょう!

 

今のうちに・・・

 

その一言で、お浄土の色となる。