「つねさんぽ」は不定期更新 Since 2009

TSUNEAKI THE ADVENTURE Since 2009

つねさんぽ #26 TST経過報告

2009年06月16日 | インポート

東京スカイツリー(TST)の工事現場より

070
相変わらずあまり変化なしです。

077

押上の駅入り口です。定期便異常なし。

085

中心らしき所です。

082

しいて言えば、線路側の所に遮音壁みたいなのができていました。前からあったかな?違うか!?

去年7月から建設が始まりもうすぐ1年。なんかあっという間に組み立てられるのでは・・・。という楽観的な考えをよそに、プロの方々は真剣に、かつ現実的に建設は進んでるようです。あまり変らぬ景色に、ちょっとなかだるみです。

◎僕が撮りたいのは、三丁目の夕日のエンディングに出てくる、半分出来かけのTSTなんだよねぇ・・・。っていってもそう簡単には出来ない東京スカイツリーは2012年春オープン予定。TST(T-つね S-さんぽは T-定期的に更新!?)


つねさんぽ #25 船堀の日枝神社

2009年06月14日 | つねさんぽ

マスオさんとノリスケさん、どちらとお酒を飲みたいですか?と聞かれたらマスオさんと答える「つねさんぽ」。(ノリスケさんは、お金払ってくれなさそうだから)今回は江戸川区は船堀にある日枝神社を訪ねる「つねさんぽ」です。

自宅から一之江境川親水公園をてくてくと歩くと船堀の日枝神社に到着します。

042

親水公園はボランティアの皆さんによってきれいにされています。

048

カモの親子がいました。親水公園は自然がいっぱいです。

なぜ日枝神社へ行ったかというと、ここには乾海苔創業記念碑というのがあるのをある本で読みました。この江戸川区は、昔は「葛西海苔」という名称の乾燥海苔が名産だったそうで、今は葛西沖の開発に伴いつくってはいませんが、「白子のり」の本社が今も葛西にあります。

乾海苔をつくるに苦労した過程が碑に刻まれているというのでどんな苦労があったのか碑を見てみたくなりました。が・・・。

054

漢字だらけで読めやしねぇ。というか解読する気力なし。なんか四角くするのに苦労した話とか、しょう油を混ぜたら味付け海苔になりゃしねぇか、とかの試行錯誤が書き綴られているかな、なんて安易な気持ちで挑んだ僕が悪かったです。

もう一つ、この神社には、富士塚というのがあります。

051

富士山信仰の団体である富士講というものがあって、この富士塚を登れば富士山に登ったのと同じ霊験が得られるという信仰であります。高さ2mで溶岩石でできているそうです。なるほど昔の人は富士山へはなかなか行くことができないので、こうして富士山を模した山に登ることで信仰を深めていたのですな。

◎東に大利根の清流をそそぎ~、西に霊峰富士をば仰ぐ~、今は無きぃ日大節の一節を~思い出すぅ「つねさんぽ」は不定期ぃ更新~。えっさぁこりゃこりゃこのお~れは~、あ、どしたどした~・・・。


つねゴルフ

2009年06月10日 | スポーツ

昨日は、所属している法人会の親会のゴルフコンペに参加しました。参加というよりお手伝いなのですが・・・。

Rimg0056

コースの案内が電車のマークって言うのですか?エンブレムって言うのかわかりませんが、それっぽくて、いい感じです。

スコアは・・・。

Rimg00531

私にしてみたら良くもなく、悪くもなく、持てる力を出したというか・・・。結構ハンディがつきました。順位は・・・。

Rimg00662

200人中です。良くもなく・・・。悪くもなく・・・。賞品もなく・・・。

前半は、最近得意だったドライバーが火を噴かず、アイアンも当たらず、尺取虫のようなゴルフに徹し、なんとか60台は防ぎました。(去年この大会でドラコン賞を獲ったんですよ)後半はお昼にビールとレモンハイを飲んで、良い感じにフラフラした所、ドライバーが炸裂!!後半の終わり2ホールは、ちょっと欲が出たのとアルコールが切れたのが重なり、失速・・・。それでも毎回の一つの目標であるハーフの50打を切るという目標には達したので良しとしましょう。

最近思うことなのですが、ゴルフに行ってハーフあがると、アルコールをいただくのですが、飲むとちょっと気持ちが大きくなり後半のが成績が良いんですよね。これってメンタル面に弱点丸出しですよね。飲むと調子がよくなるなんて「お前は今井雄太郎か!」って思います。(わからないでしょ今井。わからんだろうなぁ・・・。)


つねさんぽ#24 足立区 金子さんち

2009年06月07日 | つねさんぽ

 幕末は倒幕派ですか?佐幕派ですか?と聞かれたら、佐幕派ですと答える「つねさんぽ」。今回は、足立区にある金子家を訪ねる「つねさんぽ」です。

 

Rimg0037_2

さて、この金子家とは何ぞや、というと、時は幕末、鳥羽伏見の戦いで敗れた旧幕府軍が北へ東へと戦線を移している最中、新撰組も近藤勇は大名扱いとされ甲府に向かいました。甲府をものにできたら、甲府は近藤のものになるからです。甲陽鎮撫隊と名を改め甲府を拠点とせんと向かったはいいものの、すでに甲府は新政府軍の勢力下となっていました。敗れ追い出され追われる新撰組は、この足立の地へと流れついたわけです。

 流れついたは良いものの、迷惑なのは金子さんなわけで、最初「さる屋敷の姫君が宿を求めている」ということだったらしいのですが、いざ迎い入れたら近藤勇と土方歳三with新撰組。しかも20日も居座られ、軍事演習はするわ、村の人々総出で炊き出ししなきゃならないわで、てんてこ舞い。やっと出て行ったと思ったら、もらったのはわずかのお金と、近藤勇の写真(プロマイド?)「おまえは、剛田武か!!」と思ったのもつかの間、近藤勇はその先の流山で捕まりのちに処刑。金子さんは新撰組を匿ったということで厳しい取り調べをうけたそうな。そんな金子家なのであります。

Rimg0038

金子さん多し

Rimg0046

この地を開拓した金子五兵衛さんの名がついた「五兵衛新橋」綾瀬川にかかっております。

Rimg0045

五兵衛新橋から東京拘置所をのぞむ。すぐそこは葛飾区です。

◎金子さんちに勇さんの友達が「シンゴー、シンゴー」って泥酔して訪ねてきたかは、定かではない「つねさんぽ」は不定期更新。


野球に憑かれた男に捧ぐ

2009年06月06日 | スポーツ

 ヤクルトの館山投手が、球団新記録の13連勝を挙げた。新聞には、そのことが記事なっていたが、記事の最後に日大・鈴木博識監督が日大野球部を退任したと書いてあった。

 館山はいわゆる「松坂世代」といわれる1981年生まれの選手で、日大時代は鈴木監督の指揮の下、村田(横浜)、堤内(現横浜B.P)、大野(現ソフトバンク球団職員)とともに東都大学1部優勝をした時のメンバーでした。鈴木監督が日大藤沢の監督を経て監督就任したのは、日大が東都で2部低迷期を過ごしていた96年。僕は当時大学4年生の頃である。なので僕の学生時代の東都の思い出はほとんどなく、学校自体も2部に低迷している野球部には触れたくないらしく、あまりニュースにもなっていませんでした。

 報知新聞社刊 岡邦行 著 「野球に憑かれた男」をずいぶん前に読みました。

Yakyuu

 本によると2部リーグで低迷していた頃の野球部は、上級生が下級生をこき使い、素質ある下級生部員がなかなか台頭できない環境であったらしい。また部員達も負け癖というか、2部暮らしが染み付いていて、野球に対する向上心が欠けていたそうだ。だから、作戦をたてるというより、各々の才能での行き当たり場当たりの野球でしかなかった。それでもこの時期の出身選手でも、清水(ロッテ)、北川(阪神-オリックス)など、いい選手もいたのも事実だが・・・。

 そこを鈴木監督の努力で体質を変えつつ選手のスカウト活動に力を入れつつ、駒沢行きが決定的だった加藤康介(ロッテ-オリックス-横浜)を日大入れたりしながら、俊足、尾形佳紀(広島)や、吉野誠(オリックス)をエースとして2部を戦い見事1部リーグへ2年にして昇格するんだったかな・・・。確か。

 それでもってですねぇ、怒涛の松坂世代1部優勝編、那須野の完全優勝編、などまだまだあるのですが、ちょうど時間となりました~。これはまた今度。

 とにもかくにも、鈴木監督の功績は日大野球部にとって多大なるものなんです。だけど監督業ってのは大変なものです。少し休養していただいてゆっくり休んでいただきたいものです。ま、ちょっと「野球に疲れちゃった」のでしょうな。お後がよろしいようで・・・。