時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

信長と茶の湯

2007年10月13日 11時43分00秒 | 学術・教育
昨夜はTBSの『ダウトをさがせ!』という番組を見た。なんでも13年ぶりの復活らしい。色々な物からマチガイを見つける内容で、復活の背景には昨今の脳トレやAHA体験ブームなどがあるのだろう。
問題のひとつに、歴史上の人物の肖像画で本人と違う物を探すのがあった。西郷隆盛と聖徳太子がマチガイなのは知ってた。なんでも上野の西郷像の序幕の際には彼の未亡人がまだ健在で、銅像を見て「全然似てない」と言ったエピソードを知ってたし、聖徳太子(厩戸皇子)の数々の逸話が最近の研究では多くの疑問が出ているのも聞いていた。そもそも10人の話を聞き分けたなんて史実というより神話っぽい(笑)。
しかし、それ以外の人物については全く知らず、有名な頼朝像や尊氏像も別人説があるのを初めて知った。親愛なる信長像が本物らしいのは良かった(笑)。
番組を見た後で「でも、本物って何だろう?」と思う。信長像を出したついでに信長の話をする。

織田信長は多彩な趣味人と伝わる。舞楽・謡曲・美術などを好んで保護した。とりわけ熱心だったのは茶の湯で、千利休を保護して茶道を大成させた。信長所有の茶器の多くは本能寺の変で焼けてしまったが、現存する物は国宝などになっている。
だが、これは単なる趣味だったのか?と、筆者は考える。織田信長という人物は卓越した政治センスの持主だった。信長に匹敵するほどの政治センスの持主は、それほど思い当たらない。
信長が茶の湯を愛したことで、織田家臣団では爆発的茶道ブームが起きた。細川藤孝(細川護熙のご先祖様)や明智光秀みたいな文化的素養があった武将だけでなく、木下藤吉郎みたいな貧農の倅までが茶道に傾倒した。名器とされる茶器は武将たちの羨望の品となり、国ひとつの価値があるとまで言われた。事実、滝川一益という家臣は手柄の褒美に領地を一国与えると言われたが、国よりも茶器が欲しいと信長に懇願している。
思う壺かな? 信長の狙いはこれではなかったのか? と思う。
当時、武士への恩賞は土地だった。だが当然だが土地には限りがある。与え続ければやがて枯渇する。しかし茶器はいくらでも造れる。千利休が名器とお墨付きを与えれば、国ひとつを造成したのと同じだ。信長は単に酔狂で茶の湯を楽しんでいたのではなく、土地に代わる恩賞のプレミアム化として茶道を大成させたのではないか?

のちに豊臣秀吉が朝鮮出兵という暴挙を起こすが、この原因のひとつに恩賞として与える土地不足を指摘する意見がある。天下統一を果たしてしまえば、新たに奪える土地が国内にはもうない。しかし家臣に求心力を保つためには恩賞を与え続ける必要がある。そのため、新たな領土獲得を目指して朝鮮へ出兵したという。信長ならこんな愚は冒さなかっただろう。そういえば利休を切腹させたのも秀吉だった。


UFOは存在するのか?

2007年10月05日 22時31分00秒 | 学術・教育
色々と事情があって最近ブログ更新できません。申し訳ありません。
病気や怪我などでは無いので御心配は無用です。

10月4日の『木スペ』(NTV系)で「UFOVS世界の科学者100人」という番組が放送されました。
冒頭テロップで提供スポンサーが「ペヤングソースやきそば」と出てまず爆笑。
UFOだろ(笑)? まあ、そこまで計算してたら、この目論見は成功だな。こうしてブログに書いてる奴もいる訳だし……。

ところで「UFOって信じる?」と聞かれても答えようがない。そもそもUFOとは「Unidentified Flying Object」、日本語に訳せば「未確認飛行物体」である。つまりは「何か解らないモノ」だから、信じるとか信じないとかいう話ではない。安直にUFO=空飛ぶ円盤とはならない。さらに言えば「物体」と断定するのも疑問で、生物かもしれないし自然現象かもしれない。「未確認飛行対象」とでも言うべきか?
それが宇宙人の乗り物というのは飛躍でしかない。
科学が全てを解明した訳ではない現代において、まだまだ未知なる領域はいっぱいあって、その意味でUFO(意味通りの何だか解らないもの)は有って当然だが、それを円盤とか宇宙人に直結するのがミスリードと感じる。

空飛ぶ円盤が宇宙人の乗り物説を唱える人々が決まっていうのは、この広い宇宙に知的生命体が存在するのは地球だけである筈がない――という話。まさしく、そう思う。宇宙に存在する知的生命体が地球の人類だけであるほうがおかしい。しかし、だから宇宙人が地球にやって来て不思議はない――という話は、三次元の思考で、「時間」という物を考慮していないように感じる。
地球の歴史を1年に例える。地球誕生を1月1日の午前0時としよう。すると人類が地球に現れるのは12月31日の午後11時42分ころとなる。知的生命体が存在する地球よりも、知的生命体が存在しない地球のほうが圧倒的に長いのだ。このタイムスケジュールは他の知的生命体が存在しているかもしれない天体においても同様だろうと感じる。
つまり空間だけを考えれば他の天体に知的生命体が存在する確率は十分だが、それに時間を加味して考えれば、他の知的生命体と「未知との遭遇」する確率は、宝くじで300円当たるのと3億円当たる以上の大きな開きがある。

とまあ、そんな事を考えながら楽しく観ていたのだが、番組後半で「なぜ人々はUFOを見るのか?」という社会学や心理学、また大脳生理学みたいな話は大いに参考になった。
例えば「人間は無意味な物に意味付けする」という話。
(^_^)とか(ToT)なんていうのは単なる記号の羅列でしかない。しかし人間は、これを顔みたいに見ることができる能力があるんだね。そう言えば、むかし『特命リサーチ200X』でも「なぜ幽霊を見るか?」で同じような脳のメカニズムの話をしていた。
また「同調性バイアス」の話では、「みんながAと言えば、自分はBに見えていてもAに見えてしまう」という話。これUFOだけに限定した話じゃないよな。例えば裁判員制度。この同調性バイアスが働いたら大変ですよね。そうそう、沖縄の集団自決問題が取り沙汰されてますが……おっと、いかんいかん。今回はハードな話を書く気力が無いんでUFO話にしたのに……(笑)。

いや~、今は大相撲のリンチ事件とか、ミャンマーの射殺事件とか、沖縄の教科書とかを書く気力が無いんです。「あそこは絶対に取り上げてるだろう」とTB予定してたブロガーの皆様、真にすみません。
まだ当分はたまにしか書けないかもしれませんが、閉鎖する気はありませんので末永いお付き合いを宜しくお願いしますね。



ドラえもん症候群?

2007年06月27日 14時40分00秒 | 学術・教育
山口母子殺害事件の差し戻し控訴審で元少年の被告から、また驚くような発言が飛び出した。
「四次元ポケットのようにドラえもんが何とかしてくれると思った」
時代を象徴する名言かもしれない。というのも、こうした意識を持っているのは、この元少年だけではない印象を受けるからだ。

たとえば大量のニート。「働かなくて、どうするの?」と問いかけると「なんとかなんじゃない?」と答えが返ってくる。
今や年金保険料など納めるのも抵抗あるが、かつて不払い者多数で問題化したときに「年金に加入しないで、老後をどうするの?」という問いに、やはり「なんとかなんじゃない?」という答えが多かった。

ドラえもんのストーリーは解説不要かもしれないが、のび太が困ってドラえもんに泣き付くと四次元ポケットから便利な道具を取り出して解決してくれる。
「なんとかなんじゃない?」は、まさしくドラえもんに泣き付くのび太そのものだ。この国には被告の元少年だけでなく、実に大量ののび太が生活してることになる。まさしくドラえもん症候群といえよう。

だが残念ながら「なんとかなる」という気持ちでは絶対に何ともならないと思う。「なんとかする」という気持ちを持たないうちは、何をやっても何にもならないだろう。


中2生いじめ自殺――生徒不処分

2007年06月19日 06時03分00秒 | 学術・教育
中2生いじめ自殺――生徒不処分。

納得できない方も多いだろう。
しかし法律は平等に適用しなければならない。

たとえば空き巣が忍び込み、百万円を盗んだとしよう。ある被害者は大して影響を受けなかったが、別の被害者はそのため生活苦に陥り、結果として一家心中してしまった。もしも、その結果を予見して犯行に及べば話は別だが、悲惨な結果になったからといって刑罰に差を付けるのは適当ではない(※)。
もしも、この3人の生徒を処罰するならば、全国の何千人、何万人という同じような行為をしたことがある生徒たちも処分しなければ公平ではない。

かといって、この生徒たちが不処分だから悪くなかったということではない。こういう行為を無くするのは裁判所の仕事ではなく、教育の仕事だろう。今後このような痛ましい出来事が二度と起こらないように、教育現場の奮起を望む。


※同じ行為でも刑罰が変わるケースもあります。例えば相手を殴った場合、怪我しただけなら傷害罪ですが当たり所が悪くて死亡してしまうと傷害致死罪という重罪になります。

【補記】現行法では犯罪被害者が自殺したとき、そこまでの責任を被告に問うようにはなっていません。このため被害者遺族は遣り切れない思いをするケースも多々あります。たとえば強姦された女性が自殺すれば遺族にとっては強姦魔に殺されたも同然です。
けれども自殺の責任まで問うと新たに色々な問題が生じてきます。まず犯罪と自殺の因果関係の証明。たとえ遺書にハッキリ書かれていたとしても自殺の原因を特定するのは難しい。ふたつめは自殺者が増える危惧。犯人に復讐するために自殺する人間が増えるケースも考えられます。みっつめは巻き添え自殺。本当は自分の都合で自殺するにも関わらず、この際だから憎らしい人間を道連れにしようと虚偽の遺書などを書くことも有り得ます。こうした事を考えると、現行の、たとえ被害者が自殺してしまっても原則的に被告にその責任を問わないという制度はやむを得ないと思います。



冥王星、二度めの降格

2007年06月16日 23時09分00秒 | 学術・教育
昨年の国際天文学連合(IAU)総会で太陽系第9惑星から「準惑星」に降格された冥王星。太陽系の惑星が増えるとか減るとか、ブログに書いた記憶が残っている。
惑星から準惑星に降格されたものの、準惑星では最大の天体とされていたが、この程、米カリフォルニア工科大のマイケル・ブラウン教授らによって、準惑星「エリス」よりも小さいとの研究結果が明らかにされた。準惑星最大という座も追われてしまった(涙)。

ただし記事をよく読むと「質量」を測定して比較してる訳で、質量比較を大きさにあてはめる根拠として「冥王星とエリスは氷と岩からできてるらしい」という推測を適用してるんだよな?微妙な比率とか、岩石の種類とかによって「確定」にはなんないんじゃないか?
まあ冥王星にしてみれば「お前らが勝手に定義付けてるだけで、俺には全く関係ない」という感じかもしれないが……。でも、それなら何で、他にもっと大きな天体があるのに冥王星が先に発見されたんだろ?
まあ、色々な条件が重なってんだろうけどサ。


♪都の西北……

2007年06月05日 04時28分14秒 | 学術・教育
――って校歌、流れまくってるね。
ついつい「早稲田のトナリ」と歌ってしまうのだが(爆)。

斉藤投手の挨拶、おもしろかった。
「自分は一年生ですし、イメージも壊せないので、今日は真面目に挨拶します」なかなかユーモアがある。好感度アップ。

ただリーグ優勝したのに祝杯を上げられないのは気の毒。三・四年生は法的には問題ないが、おそらく全面禁止のオフレが出されていることだろう。写真週刊誌がぴったりマークしてるだろうから。

未成年飲酒問題のエントリーで、「大学のコンパで酒を飲むのは当たり前」と書いた。教授などが参加したコンパでも、堂々と一年生から飲んでた。当然、黙認である。
国民投票法案も満18歳以上だし、少年法の罰則も強化されている。もう民法を改正して18歳成人で良いと思う。優勝した大学生が堂々と祝杯を上げても構わないのではないか?――というのは、単に呑兵衛の戯言なのかな?


大学ではしか大流行

2007年05月22日 07時34分00秒 | 学術・教育
はしかが大流行。早稲田大学も授業が休講とか。マスコミは「ゆうちゃんは? 早慶戦は?」と盛り上がってる。ニュースによると早大は、運動部員には健康診断を受けさせて、感染の心配がない部員には部活を認める方針とか?
大学は、どうやら授業よりも部活の方が重要らしい(笑)。
野球特待生で揉めてるのと対照的なニュースだ。
まあ、どっちでも良い感じだが……。



実母の生首にはどんな意味があるのだろう?

2007年05月17日 19時03分00秒 | 学術・教育
会津若松市の母親殺害事件。情報が出る度に「追記」を重ねてきたが、長くなってきたので新エントリーにする。ていうか今回はニュースについてではなく、筆者の精神論が主だが。

よく日本人は宗教心が希薄といわれる。確かに知人の米国人が毎週日曜日には台風が来ようが大雪が降ろうが休むことなく教会へ行っている様子を見ると、全く違うと感じる。そもそも教義に基づいて戦争までするのが信じられない。
だが今回の事件は、日本人の多くが特有の信仰・崇拝を持っていることを証明したかと感じる。日本人の多くは既成の宗教を信仰していないだけで、古来から持ちあせている独特の宗教観は持ち続けている。

宗教と宗教団体は違う――というのは靖国問題で何度か書いた。「無宗教の追悼施設なんか存在しない」とも書いた。「追悼」は「宗教的行為」以外の何物でもない。(正しくは「特定の宗派に属さない追悼施設」とするべきなのだ)。

前置きが長くなったが、今回の事件である。大多数の人間が「母親の首を切り落としてバッグに詰めて持参」という行為に驚愕した。もちろん筆者もその1人だ。では、なぜ驚愕したのか冷静に考えてみる。すると、そこには死者に対する畏崇の念や追悼の感情などが込められているからだと感じる。もしも、そういう感情が完全になかったらどうかと考えてみる。すると、母親の首を持って自首という行為は、たとえばスーパーでサーロインステーキ300gのパックを万引きした犯人が、商品を持って自首するのと全く同じ行為ではないか? 単なる肉塊という見地で見れば、母親の生首とサーロインステーキ300gはなんか変わる物ではない。母親の生首が異様と感じてしまうのは、そこに死者に対する特別な(もちろん大多数にとっては自然な)感情が入り込むからだと思う。もちろん、さらに「母親」という部分で肉親の情も加味される。


さて日本の歴史上で神や仏を信じなかった人物と言えば、筆者は織田信長を思い出す。信長ブームで彼の行動は多くの人々が知ることだろう。彼が神仏を信じなかった象徴的行動として比叡山焼き討ちが挙げられる。聖域とされた比叡山に火を放ち、多くの伽藍や仏像を焼き払い、数万の僧侶を虐殺した行為。ただし、この行為は当時はともかく、現代の歴史好きにとってはそれほど理解できない物ではない。当時の仏教は一大政治勢力として大名のような存在となり、本願寺の顕如などは一向一揆を指揮して戦国大名のように信長と戦っていた。信長が延暦寺を攻撃したのは、姉川の合戦で浅井・朝倉を討ったり、長篠の合戦で武田を討ったのと同じ様に天下盗りの抵抗勢力の排除として理解できる。また信長は城を築く際に、工期短縮のため石垣に石仏を壊させて利用した。これも当時は神仏を恐れぬ魔王の所業とされたが、現代人は理解できる範囲ではないか?
ならば次のエピソードはどうか? 浅井・朝倉氏を滅ぼした信長は、新年の祝賀に訪れた武将達に祝い酒をふるまった。しかし、その盃が奇妙な形をしている。それもそのはず、その盃とは討ち取った浅井親子と朝倉氏の頭蓋骨で作られた物だった。おそらく現代人でも、この行動を理解できる人間は少数派ではあるまいか?現代でも人間の頭蓋骨で酒を飲むのは異常で猟奇的な行動である。
しかし筆者は信長の上記のエピソードは一貫していると感じる。彼は宗教団体や教義を信じないだけでなく、信仰や崇拝すら持ちあせていなかったのだろう。死体も生命が失われてしまえばただの「物」であり、つまりは人間の生首もサーロインステーキも同じ「物」に過ぎない感覚ではなかろうか?

高校生が母親の右腕も切断し、それを白色に塗装したうえで植木鉢に差した行為について、あれこれ分析されている。それは悪魔崇拝の様な儀式だと言う評論家もいるし、生贄に意味ではないかと推測する向きもある。いずれにしても強い宗教的観念が働いてという物だ。しかし、全く逆の考え方はできないか? 全く宗教的観念が欠落していたから、そのような行為をしたとも考えられる。生命への畏怖も、死者への哀悼も、まったく感じられなければ、そういう行為には何の抵抗も意味もない。なんらかの原因で、そういう感情が完全に欠落してしまったために、このような行動が引き起こされたと考えることも可能ではないか? そう考えると、少年が未だに母親について何も語っていないという行動もなんとなく理解できる。


「八つ」――小1の半数読めず

2007年05月08日 03時26分00秒 | 学術・教育
「八つ」――小1の半数読めず。

今の子供(いや若者もか)って、なんでも「1個・2個……」って数えるからなあ。エンピツ1個とか(笑)。
――なんて偉そうに言ってるけど、実は筆者も序数が苦手だった。ていうか、今も(その割には言葉の本当の意味とか五月蝿い奴だが)。「六日間」と「六日後」の違いに一瞬、戸惑ったり(笑)。「六日間レンタルできます」と「返却は六日後になります」って借りられる長さが1日違うんだよな(やや自信無さげ)。そういう意味でレンタルビデオ屋の「六泊七日」って表記は画期的な言葉の発明と感心する。ともかく子供を笑ってらんないと少し身につまされるトピックスかな?


ゲーマー医師は手術得意?

2007年02月25日 06時36分07秒 | 学術・教育
ゲーマー医師は手術得意
腹腔鏡の課題で47%ミス少ない


米アイオワ州立大とハーバード大ベス・イスラエル医療センターの研究者が「ゲーマー医師は腹腔鏡手術が得意」との研究成果を発表した。CNNテレビなどが23日、報じた。
腹腔鏡手術はカメラ付きの直径1センチ程度の腹腔鏡を腹部に開けた小さな穴から体内に入れ、モニターを見ながらマジックハンド状の手術器具で行う手術。研究では、少なくとも週3時間テレビゲームで遊んでいた医師は遊んだことのない医師より37%ミスが少なく、27%作業が早かったという。
研究には同センターの外科医33人が参加、峡谷を猛スピードで走る「スターウォーズ レーサーリベンジ」、サルの入った球をコースから落ちないように走らせる「スーパーモンキーボール2」、ライフル射撃ゲームの「サイレントスコープ」の高得点者は腹腔鏡の課題でも47%ミスが少なく、39%早かったという。
しかし、米国の子供は週平均9時間ゲームをするとの研究もあり、研究者らは「ゲームのやり過ぎは運動不足による肥満や、さまざまな問題を引き起こす」と指摘。「ゲームがうまくても、医学部に入れるわけではない」と注意している。

(25日・日刊スポーツ)



「なにが言いたい研究なんだろ?」と思う。
テレビゲームをしているとコントローラ操作で指先が訓練されるから、こういうオペがうまくなる――と思わせたいのだろうか?
しかし、このデータだけでは、何も解らない。たとえば被験者の年齢が公開されていない。推測すれば、ゲーム好きは若者が多く、ゲームをしない人間は年配が多いのかもしれない。それを加味すれば「若い医師のほうが、年配の医師よりも指先が器用」というニュースにならない研究結果になってしまうかもしれない。

筆者は、そもそも、こういう「Aである者は、Bであることが多い」という傾向比較調査みたいな物は、全般的に眉唾だ。たとえば少年犯罪が起きた時に、すぐ「ゲームやアニメの影響が大きい」などと指摘する識者と称される人種がいる。犯罪少年の部屋を見れば、ゲームやDVDが散乱してたりする。しかし、今の子供の多数はゲームに興じアニメを見ているのである。犯罪を起こさない大多数の子供にも該当する事例を持ち出すのは、つまりは「犯罪を起こす少年はカレーライスやハンバーグが好き」というような物だ。
結論として、こういう傾向比較調査みたいな物は、発信者の意図によって、どうにでも自由に操れる物だ。『発掘!あるある――』の事例を見るまでもない。そして、そういう物が、ゲームやダイエットなどの他愛も無い物に留まらず、時には「ユダヤ人は冷酷で金に汚い人間が多いから、善良なゲルマン民族が苦しめられている」というような国家的陰謀にまで利用されて大衆を扇動する道具にも利用される点も見落としてはならない。


教育格差問題

2007年02月11日 18時58分22秒 | 学術・教育
「真相報道バンキシャ! 」(NTV系)で、お受験を取り上げていた。すっかり季節の風物詩になった感がある。

出演していた政治評論家の三宅ポン助氏(←親しみを込めて呼んでます)が「裕福な家庭の子はいいが、所得格差が教育格差に繋がっているのは何とかしなければいけない」と発言なさっていた。異論なく同感。だが所得格差=教育格差という問題は既に多く出されている。

もうひとつの問題は、地域格差も教育格差に繋がっている点ではないか? 東京などの大都会に住んでいるとなかなか実感できないが……。

大都会で小金を持っていれば、お受験させて私立に放り込めば良い。しかし地方では、なかなかそういう訳にはいかない。たとえ地方で小金を貯めていても放り込める学校が無いのである。とんでもない金持ちは、妻子を東京で賃貸マンションに住ませ、逆単身赴任状態としている家庭もあるそうだが、稀有なケースだろう。

こうした問題を根本的に解決するには、やはり公教育の建て直ししかない。安倍政府の柱のひとつは、教育改革だそうだが、本腰を入れて取り組んで欲しい。日本の将来が掛かっている。

……でも、最後はまた批判になっちゃうけど、このところの安倍総理の記者談話――問題閣僚に対して「職務を責任もって続けて欲しい」っていうテープレコーダーみたいな言葉、あれって教育現場で問題が起きた時に、校長や教育委員会の役人が言う弁明と極めて似通って聞こえてしまうんだよな(汗)。


もうひとつの"めい王星"問題

2006年08月26日 08時45分45秒 | 学術・教育
下のエントリーで書いたように、冥王星が惑星から除外された。一番、影響を受けるのが、ちょうど今が来年の締め切り時期に当たる教科書らしい。テレビでは、こぞって教科書を取り上げて報じていた。
その教科書を見ると、全部が「天王星・海王星・めい王星」と書いてある。
「めい王星」――この書き方が、筆者は大嫌いだ。
新聞でも良く見かける。「情報漏えい」、「名誉き損」など。「情報漏洩」、「名誉毀損」と書くべきだろう。

こんな事を書くと、現役の学生からは「おっさん、余計な事を言うな」と迫られそうだ。もしも教科書に「冥王星」と記載されてしまえば、テストでは「冥王星」と書かなければ正解にされない。「めい王星」では不正解か、三角(減点)にされる。

現在の漢字教育は、「読み・書き同時」が基本となっている。読める漢字は書けなければならない。だから書けない漢字はひらがなにする。
「憂鬱」なんて漢字は書ける必要ないと思う。「なんだか、ゆううつだなあ」でいい。「檸檬」も書ける必要はない。「レモン買ってきて」でいい。日常生活で「憂鬱」や「檸檬」なんて漢字は書ける必要ないと筆者は考える。
しかし、佐藤春夫著『田園のゆううつ』はおかしいだろ?
梶井基次郎著『レモン』じゃ、トレンディ小説に間違われる。

「憂鬱」や「檸檬」という漢字を書ける必要はない。しかし読めるべきだと思う。「冥王星」も読めて当然の漢字だと思う。でも試験の答案では、別に「めい王星」で構わないと思う。

漢字なんて五百も書ければ御の字だと思う。でも千以上は読めたほうが良い。「読み・書き数一致」という漢字教育は改めるべきだと筆者は思う。新聞も「情報漏洩」、「名誉毀損」と書くべきだ。もちろん普通の人は、正しく読めれば書けなくて良い。「情報ろうえい」、「めいよきそん」で構わないと思う。



おまけ。誰でも書けるけど、なかなか読めない漢字もある。
【問題】なんて読む?
1.具に
2.希う
3.与し
4.蔑ろ
5.厳か


【答え】
1.つぶさ(に)――つぶさにイメージ(体)が湧くから「具体的」です。
2.こいねが(う)――こいねがって、のぞむのが「希望」。「恋願う」はロマンチックだけど×。
3.くみ(し)――「与しやすい」とか言いますね。動詞の「与する」は味方する。
4.ないがし(ろ)――まるでいないように扱うから「蔑ろ」。
5.おごそ(か)――ただし福岡県では「きびしか」で正解になるとか(大嘘)。

太陽系の惑星数は8個

2006年08月25日 06時51分16秒 | 学術・教育
チェコの首都プラハで開幕したIAU(国際天文学連合)の総会から、色々と面白い話題が伝わってくる。

まずは15日のライブドア・ニュースから。

冥王星が惑星でなくなる?
天文学者が議論しているらしい。

世界で一番小さな大陸はオーストラリア大陸で、世界で一番大きな島はグリーンランドである。なぜか?
それは「オーストラリア大陸以上の面積を持つ陸地を、大陸と呼ぶ」と決められているからだ(笑)。いじわるクイズだな。

惑星の定義を調べてみると、「太陽を周り、ある程度の大きさを持ち、軌道を占有している天体(Wikipedia)」と書かれている。「ある程度の大きさ」って(笑)。
ゼナは冥王星よりでかいらしい。というか冥王星が当初、予測されていたよりも遥かに小さいらしい。小惑星帯には冥王星よりもでかい天体がたくさんあるが「軌道を占有している」という部分が引っ掛かり(”帯”なので占有していない)、かろうじて冥王星の立場は守られたそうだ。しかし冥王星も軌道を占有していないという学説もある。ちなみに小惑星帯の最初の1個が見つかった時は、一時的に「新惑星」と考えられたそうだ。のちにぼこぼこ発見されたので「小惑星帯」に変更された。
別に冥王星が惑星だろうがそれ以外の天体だろうが、どっちでも良い。天文学者以外で困るのは、SF作家と占星術師くらいだろう。




あらら、冥王星が外されて8個に減るの? と思っていたら、翌16日の毎日新聞は「3個ふえて12個になる案が浮上」という報道が。
増やすにしても、減らすにしても、結局匙加減ひとつなんですね。
でも名前はどうなんのかなぁ。火星や天王星という日本名と、カロン・セレスなんていう英語名の混在はしっくり来ないなあ。やっぱり○○星って付けて欲しいのだが。



なんて思っていたら、テレビのニュースによると「12個案が採用されると、新たに惑星に認定される可能性がある天体は合計24個になるかも」という報道が。
24個?
とても「水・金・地・火・木……」なんて簡単に暗記できる数じゃなくなるな……。
そのうち「水素・ヘリウム・リチウム・ベリリウム……」っていう規模になるかもしれない。
天文学者や占星術師だけでなく、全国の受験生に影響を与えることになりそうだ。



なんてうまくまとめたつもりでいたら、また冥王星削減8個案になりそうとか?
なんだか、すごく楽しそうなんですけど……。
天文学者になればよかったby.さだまさし


結論→8個案が採択されました。冥王星にはなんの恨みも無いが、何でも思い通りになると思っているアメリカが、今回は思い通りの結果にならなかったのは、ちょっとだけ小気味いい(笑)。

坂東真砂子「子猫殺し」へ。その3

2006年08月25日 02時22分22秒 | 学術・教育
ソース・資料はこちら→


その1で「生物の『生』の意義は、子孫を残すこと」と書きました。そして「それは自然(野生)の摂理であり、野生でない動物には当てはならない」と述べ、「すべての人間は『生きる』価値がある」と言いました。
この辺りを大幅にはしょった感じがするので、詳しく述べます。

「死」を考える動物は人間だけです。他の動物は、なにかの死体を見ても、それが死体だと認識はするかもしれませんが、さらに「自分も、いずれはあのように死に至る」とは考えないでしょう。
しかし、人間は「死」の意味を知ってしまった。祖父が死に、祖母が死に、父が死に、母が死ぬ……そういう姿を見ているうちに「いずれは自分も、あのように『生』が終わる」という事実を知ってしまいました。
そして「生」への執着が生まれた。
「子孫を残すという自然界での役割は果たしたから、もう死んでも構わない」とは思えなくなった。「少しでも、長く生きたい」と望むようになった。
そのため「生物の『生』とは、子孫を残すこと」という自然の摂理以外に、別の「生の価値観」を作り出さなければならなくなりました。
それが「自分自身の『生』を大切にすること」です。
自分自身の生を大切にしなければならないから、自殺してはいけないのです。他人の「生」を断つ「殺人」はいけないのです。
また過激な事をあえて書きますが、「子孫を残す『生』の意義」では、仲間を殺すのは悪いことではありません。むしろ理に適った行動です。発情期に牡が牝を奪い合って激しい争いを繰り広げるのは珍しいことではありません。中には殺し合いまで発展することもあります。あれは、より力が強い遺伝子を持った子孫を残すためです。勝ち残った力の強い牡の遺伝子を子孫に継承して、個体をより強力にしていくためです。

しかし、現在の人間社会では、他人を殺すことは認められません。つまり「子孫を残す」という自然界の摂理よりも「自分自身の生をまっとうする」という人間社会の倫理のほうが上回っているからです。

だから「すべての人間には生きる価値がある」のです。さらには、人間が関わった動物たちにも「自己が持つ『生』の価値を認めるべき」だと思うのです。

坂東氏の主張に「納得できる部分が感じられる」という人が多くいます。当たり前です。自然の真理を下敷きにして述べているのですから。
しかし、もうひとつの価値観である「人間社会における『生』の意義」を曖昧にしたまま、あのような論理展開をしているから、あんなおかしな主張になっている訳です。
同氏は、わざわざ「獣の牝は」と書いています。そう書かなければ、容易に人間に論理が転化されて、これまで筆者が述べてきたような様々な矛盾が噴出してしまうからです。

自然の摂理は真理です。しかし、実際に人間が「生」を支配、管理しはじめた現在においては、それだけが正しい価値観ではなくなっているのです。それが不満ならば、人間も含めて、すべての「自分自身が生きる価値」を否定するべきです。それができないならば、他の「生」を認めるしかありません。
筆者は自分自身の「生の価値」を否定されたくないので、他人の生の価値を奪いません。また、不必要に他の動物の生も奪いたくありません。



いつまでも長々と、この問題ばかり取り上げてても仕方ないので、筆者なりの結論を書きます。
自然の摂理は、突き詰めれば「弱肉強食」になると思います。弱い物が強い物に滅ぼされるのは仕方ないんですね。
でも、人間は「それはやめよう」と考えた。「弱い人間も、生きる権利は認めよう」と合意した。
だから殺人犯とか強姦犯とか、獣のような生き方をする人は裁かれる。

野生動物が自然の摂理で弱肉強食で生きるのは仕方がない。ライオンがシマウマを殺して食うのは止められません。
でも、ペットには、その価値観を与えるのは止めた。
セントバーナードを飼う人が、チワワを飼う人にけしかけて、噛み殺させたら犯罪になります。野生動物が野生動物を襲って殺すのは犯罪にならないが、ペットがペットを襲って殺せば犯罪になる。野生動物とペットは違うルールの世界で生きている。

元々、そういう相反するふたつの価値観が有る訳です。そもそも矛盾しているのです。坂東真砂子氏が、そういう価値観をペットに認めないならば、人間社会で生活するのは止めるべきです。文筆業で生計を立てるのもお辞めになれば良い。タヒチなんて場所で暮らさずに、人間がいない未開の地で、弱肉強食の原理で生きればいい。坂東氏より弱い動物をいくら殺しても自由です。しかし自分より強い動物に襲われて殺されても自己責任です。そうやって、本来の「生」を尊重してお生きあそばせ――と申し上げます。

※「弱い物にも生存権を認める」ことは、生物としての「人間」の種族力を弱める面は確かに有ると思います。しかし、人間は医学などの科学を発達させることによって、そのマイナス面をカバーして生きる道を選んでいると思います。ですから、この考え方は間違っていないと思っています。



【おことわり】
「なぜ動物を殺してはいけないのか?」という議論は、ディルレヴァンガー事件前から2ちゃんねるのムツ板あたりで延々と行われ、未だに続いております。結局、極論の応酬で水掛け論になるしかないんですよね。時間の浪費はしたくないので、当コメント欄で、その議論をするつもりはありません。違うお考えをお持ちの方は、このエントリーを無視してください。

惑星の数が変わる?

2006年08月24日 18時54分00秒 | 学術・教育
チェコの首都プラハで開幕したIAU(国際天文学連合)の総会から、色々と面白い話題が伝わってくる。まずは15日のライブドア・ニュースから。

冥王星が惑星でなくなる?
天文学者が議論しているらしい。

世界で一番小さな大陸はオーストラリア大陸で、世界で一番大きな島はグリーンランドである。なぜか?
それは「オーストラリア大陸以上の面積を持つ陸地を、大陸と呼ぶ」と決められているからだ(笑)。いじわるクイズだな。

惑星の定義を調べてみると、「太陽を周り、ある程度の大きさを持ち、軌道を占有している天体(Wikipedia)」と書かれている。「ある程度の大きさ」って(笑)。
ゼナは冥王星よりでかいらしい。というか冥王星が当初、予測されていたよりも遥かに小さいらしい。小惑星帯には冥王星よりもでかい天体がたくさんあるが「軌道を占有している」という部分が引っ掛かり(”帯”なので占有していない)、かろうじて冥王星の立場は守られたそうだ。しかし冥王星も軌道を占有していないという学説もある。ちなみに小惑星帯の最初の1個が見つかった時は、一時的に「新惑星」と考えられたそうだ。のちにぼこぼこ発見されたので「小惑星帯」に変更された。
別に冥王星が惑星だろうがそれ以外の天体だろうが、どっちでも良い。天文学者以外で困るのは、SF作家と占星術師くらいだろう。



あらら、冥王星が外されて8個に減るの? と思っていたら、翌16日の毎日新聞は「3個ふえて12個になる案が浮上」という報道が。
増やすにしても、減らすにしても、結局匙加減ひとつなんですね。
でも名前はどうなんのかなぁ。火星や天王星という日本名と、カロン・セレスなんていう英語名の混在はしっくり来ないなあ。やっぱり○○星って付けて欲しいのだが。

なんて思っていたら、テレビのニュースによると「12個案が採用されると、新たに惑星に認定される可能性がある天体は合計24個になるかも」という報道が。
24個?
とても「水・金・地・火・木……」なんて簡単に暗記できる数じゃなくなるな……。
そのうち「水素・ヘリウム・リチウム・ベリリウム……」っていう規模になるかもしれない。
天文学者や占星術師だけでなく、全国の受験生に影響を与えることになりそうだ。

【ブログ移転のお知らせ】
トラックバック文字化け問題が長期に渡って解決されないので、この度Goo-Blogへ移転することにしました。なにかとお手間を取らせますが、引き続き宜しくご愛読のほどをお願いいたします。