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太蔵ブログ盗用疑惑で記事削除

2006年05月23日 14時16分00秒 | 政治
杉村太蔵ブログの記事が代ゼミ講師の自伝と酷似していることが指摘され、該当部分を削除したそうだ。本人は講師の自伝を読んだことを認め、軽率で誤解を与えたと反省しているらしい。さしずめ「インスパイヤした」という程度の軽い気持ちだったのだろう(笑)。
この手の行為は、ほぼ100%、発覚する。なぜかと言うと、自分が見られた(読めた)という事は、別の人間も、それを見られる(読める)ことができるからだ。プロの漫画家が他人の作品の構図をトレースして問題になったり、マスコミの人間が他人のコラムを盗用して問題になったりしているが、前述の様に「発覚して当然」という常識がなぜ欠落してしまうのか、不思議でならない。それだけ「書けない(描けない)」という問題が重く圧し掛かってしまったのだろうが……(笑)。
こうした職種の連中が一番苦しむのは、やはり、この「書けない(描けない)」という問題だろう。とにかく、どんなに頭脳を振り絞っても、まったく何も出てこない、でも創らなければならないという苦悩は想像を絶するものがある。昔から創作に行き詰まって自殺にまで至った創造家は枚挙に暇がない。

この「なにも生み出せない」という苦しみは、ちょうど溺れて息ができないような苦しみに似ている。しかし、それでも自力で岸まで泳ぎ着かなければならないのが、プロのクリエイターという仕事なのだ。でも、中には苦し紛れに盗用という藁を掴んでしまう人間がいる。だが藁は所詮、藁で、絶対に浮力は得られない。余計に自分の息を詰まらせる結果になる。プロのクリエイターを目指している人がいたら「どっかのおかしな親父が、前にブログに書いてたナ」程度に、脳の片隅に記憶しといてくれれば損は無い。

プロが苦しむのは、そういう職種を選んでしまったのだから自己責任だろうが、それに比べて、個人のブログなんて物は自由に書ける遊びであり、「書かなければならない」という類の物ではない。なんで盗用してまで書いてしまったのか(笑)?人気ブログになったというおかしなプレッシャーでも出てきちゃったんでしょうかね?
なにも書けない時は更新サボれよな、太蔵クン(決して更新頻度が落ちて来た自己弁護じゃないんだ~www)。

コメント
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