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司法も誤ることがある――か?

2006年08月07日 14時45分00秒 | 社会・経済
ちょこっと死刑廃止論でも考えてみようかなと思います(軽いなあ……)。

死刑廃止の論点は2つかな?と思います。
ひとつは人道論。いかなる場合においても、他者が生命を奪うことは許されるべきではない――ですね。
しかし死刑囚というのは外患誘致など一部の例外を除いて他者の生命を奪ってます。それも「カッとなって殴り殺した」程度では死刑にはなりませんから、死刑とされるのは計画的に殺したとか、残虐な方法で殺したとか、複数の人間を殺したとか、極めて悪質です。ほとんど苦痛を与えない方法で生命を奪ってあげるという現行の死刑執行法などむしろ生ぬるいと感じることもしばしばあります。磔獄門復活と言う気はありませんがww

もうひとつは冤罪問題でしょう。冤罪だった場合は、生命を奪ってしまったら取り返しが付かない。冤罪が絶対に起きない保証は無いのだから、死刑は不適当だ――という考え方です。ご尤もです。
現在、死刑という刑罰が行われている大前提に「司法は正しい」があると思います。
もしも「冤罪の可能性があるから、死刑は不適当だ」とするならば、「司法は正しい」という大前提を改めるべきでしょう。
即ち「司法も誤ることがある」という前提にしなければいけません。そうすれば、死刑だけでなく、他の様々なことも改めなければならなくなると思います。
たとえば現行では無罪が確定した罪状については、再び起訴してはならないと定められています。でも、これも再起訴を認めるべきでしょう。なぜならば「司法も誤ることがある」からです。
或いは、司法判断に対して、「それは正しいとは思わない」と従わない人間に対して、どう対処するかという問題も生じてくるでしょう。こういう場合だけ「司法は正しい」として強制的に従わせることはできないと思います。
ある時は「司法は正しい」で、別のある時は「司法も誤ることがある」という二重の立場で法を治めることはできないでしょう。
そのような問題をどう解決していくのか?
現在の法治国家・日本を、「司法も誤ることがある」という前提で治めることに改めるのが賛成多数であれば、死刑廃止には反対しません。

【追記】
考えてみれば判決というのは、必ずどっちかが「不満だ~~~っ@ゾクシードール」と成る訳ですから、「裁判所の判断が絶対に正しくは無い」としてしまうと、誰も判決に従わなくなりますね(笑)。
解決法としては、最高裁の上に国民審判制度でも設けましょうか?
最高裁判決に不満だったら、さらに国民審判に上告できる。でもって、2ヶ月に一度くらい、まとめて国民審判(国民投票)をする。投票率が50%未満だったら、最高裁判決で確定。
大抵の国民は「いちいち付き合ってられるか」と行かないでしょうから、ほとんどの事案は最高裁判決で確定するでしょう。しかし重大犯罪や行政裁判などの一部は、最高裁判決が逆転ということも起こり得るかもしれません。
なんか、この方が良い世の中に思えてきた(笑)。
それと、死刑を廃止するなら終身刑の新設も不可避でしょうね。現在の無期懲役は終身刑じゃありませんから。


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