西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

阪急石橋駅

2008年05月12日 18時38分00秒 | ステンショから
 阪急宝塚本線「石橋(いしばし)」駅。

 大学の同級生「今春」さんが女将を務める「和食巧房ちりとてちん」の最寄り駅。
 プチ同窓会で、一昨年から既に3度……、妻とも1度行った。

 実は昨日も、この駅を利用。
 「今春」さんや「かかし」さんら、同じ大学の落研OBメンバーによる落語会『元祖 落語工房 ちりとてちんの会』が、池田市立青年の家で開催されたのを、観にいってきたのである。

 NHKの朝ドラ『ちりとてちん』に触発されて実現に至ったという、この落語会。玄人裸足の芸を存分に楽しませてもらったと同時に、私自身も、何か触発されてしまった。まさか私が落語に挑戦出来る訳もないが、私は私のジャンルで頑張りたい。負けてはいられない、とも思った。


「元祖 落語工房 ちりとてちんの会」、早や第2回も楽しみである。

スラッとしていた頃

2008年05月12日 10時28分00秒 | 31人の河村宏正
 そしてもう1枚の写真は、10数年前、高松のコミュニティFMで、パーソナリティを務めていた頃のもの。
 この頃の体重は、60kg台はあったはずだが……? それでもスラッと細いよなぁ……。


 今……? 74kgぐらいかな? 「柔道とかラグビーでもやってらしたんですか?」って、よく聞かれるけど……。有り得ませんよ!

UMAさんと呼ばれていた頃

2008年05月12日 10時25分00秒 | 31人の河村宏正
 数年前、この写真が実家の母によって発見された時、母はしばらくその事実を隠していた。あまりの人相の悪さに、この写真を私本人に見せたくなかったのだと言う。

 この写真は、枠に記されている数字からも分かるように、1984(昭和59)年、正に就職活動の最中に撮影された1枚である。

 確かこの当時の体重は、50kg余り。頬は痩け、ぎょろりとした目の鋭さが目立ち、なるほどお世辞にも良い人相とは言えない顔をしている。
 これじゃ、なかなか就職試験には受かるまい……。


 また学生時代「UMA(ウマ)さん」というニックネームで呼ばれていた頃があったのを、十分にご理解いただける写真でもあろう。

謎のオッサンUMA

2008年05月12日 02時41分00秒 | テレビ
 先日、某氏のブログのコメントに「肉眼で確認」という言葉を書き込んで思い出した。
 その言葉は、1970年代初頭にテレビで放映されていた、SF特撮ドラマ『謎の円盤UFO』で、よく使われていた台詞であった。

 『謎の円盤UFO』は、あの『サンダーバード』と同じイギリスのプロダクション製作の実写ドラマ。
 「UFO」も、日本ではまだ「ユーフォー」という読み方はされておらず、この番組でも「ユー・エフ・オー」と発音されていた。

 主役であるストレイカー最高司令官の吹き替えは、あの故・広川太一郎氏だったことは、最近知った。
 そのストレイカーが乗っていた車のミニカー(確かゼンマイで動く)を持っていたはずなのだが、今はどこへやってしまったのやら……?

「1980年、既に人類は、地球防衛組織シャドウを結成していた……」

 この番組冒頭の台詞からも分かるように、当時としては10年後の近未来が描かれていて、それがまたやけに真実味があって、毎週ワクワク楽しみに見ていた思い出があるが……。


 話変わって、1980年と言えば、丁度私が大学に入学した年。「UMA(ウマ)さん」というニックネームで呼ばれ始めたのも、実はこの年だった。
 学生時代からの友人だけは、未だに私のことを「UMAさん」と呼んでくれる。そう呼ばれる度、実はこの『謎の円盤UFO』をほんの少し思い出してしまって、何か独り密かにカッコイイ気分に浸っている私なのである。
 ハハハ……、こじ付けにも程があるよな……?


 そう言えば、UMAって、未確認生命体(Unidentified Mysterious Animals)のことなんだってね……。


謎の円盤UFO