阪急京都本線「南茨木(みなみいばらき)」駅。
この駅から、一度だけ乗ったことがある。
今から40年前の1970(昭和45)年5月11日……。
確か前日の日曜に、小学校が父親参観日で、次の月曜が振替休日になったので、その日を利用して、母が私を万国博覧会に連れていってくれたと、記憶している。
万博の入場券は、数か月前に近所の公設市場の抽選の1等賞で私が当てたもの。それが大人用1枚のみだったので、私の分だけ当日券を買って入場した。
あの日は小雨が降っていて、生まれて初めて乗った動く歩道も足を滑らせてしまいそうで、ちょっと不安ではあった。
一方場内マップは、事前に学研の学習雑誌の付録で予習してあって、それを頭に叩きこんでいた為、ほとんど迷うことなく見て回れた。
万博はこの時を含め、開催期間中4回訪れたが、10歳の私がいつも家族のガイド役であった。
そしてパビリオンは、長く並ばなくても入れるような所ばかり選んだ。
私にとって万博1回目のこの日は、自動車館や国際共同館等を回ってスタンプを集めたり、イタリア館ではフェラーリ512Sのシャシーをベースに作られた未来車「モデューロ」を見ることも出来たし、お巡りさんにサインも貰った。
Ferrari 512 Modulo - back to the future
夕方、どこの出口だか詳しくは憶えていないが、とにかく会場から出てすぐ、タクシーで「一番近い駅」を目指した。そしてタクシーの運転手が連れてきてくれたのが、まだ開設されて間もない臨時駅、阪急南茨木駅であった。
現在は高層マンションが立ち並ぶ駅界隈であるが、当時は広大で殺風景な空き地の中にポツンと佇む、真新しくもこじんまりとしたこの駅の雰囲気が、今でも懐かしく思い出に残っている。
この駅から、一度だけ乗ったことがある。
今から40年前の1970(昭和45)年5月11日……。
確か前日の日曜に、小学校が父親参観日で、次の月曜が振替休日になったので、その日を利用して、母が私を万国博覧会に連れていってくれたと、記憶している。
万博の入場券は、数か月前に近所の公設市場の抽選の1等賞で私が当てたもの。それが大人用1枚のみだったので、私の分だけ当日券を買って入場した。
あの日は小雨が降っていて、生まれて初めて乗った動く歩道も足を滑らせてしまいそうで、ちょっと不安ではあった。
一方場内マップは、事前に学研の学習雑誌の付録で予習してあって、それを頭に叩きこんでいた為、ほとんど迷うことなく見て回れた。
万博はこの時を含め、開催期間中4回訪れたが、10歳の私がいつも家族のガイド役であった。
そしてパビリオンは、長く並ばなくても入れるような所ばかり選んだ。
私にとって万博1回目のこの日は、自動車館や国際共同館等を回ってスタンプを集めたり、イタリア館ではフェラーリ512Sのシャシーをベースに作られた未来車「モデューロ」を見ることも出来たし、お巡りさんにサインも貰った。
Ferrari 512 Modulo - back to the future
夕方、どこの出口だか詳しくは憶えていないが、とにかく会場から出てすぐ、タクシーで「一番近い駅」を目指した。そしてタクシーの運転手が連れてきてくれたのが、まだ開設されて間もない臨時駅、阪急南茨木駅であった。
現在は高層マンションが立ち並ぶ駅界隈であるが、当時は広大で殺風景な空き地の中にポツンと佇む、真新しくもこじんまりとしたこの駅の雰囲気が、今でも懐かしく思い出に残っている。