二学期も二週目に入り、それまでの午前中四時限だけの短縮授業から、平常通り、六時限の授業となった。しかし浩人は午後からの授業を受けることなく、しばらくは昼までで早退していた。もし大宅の与えてくれた机がなかったら、早退はおろか、一学期と同じように欠席を重ねてしまっていたかも知れない。欠席をすれば机が無駄になる。大宅の好意を無にすることになる。そんなことをして、まさか大宅に化けて出てこられても困る。そういう幼く単純な恐怖心も、浩人の登校を後押ししていた。
まだ誰とも言葉を交わしていなかった。まず何よりの課題は、クラスメイト達といかにして話をするか、つまりはどのようにして友達を作るか、ということにあった。そして浩人は、クラスメイトの顔と名前を、一人一人憶えることから始めた。登校するだけで多大な気力を費やし、その上、記憶力をフルに発揮させる。午前中だけでも、充分ヘトヘトに疲れた。ひ弱な浩人には、午後からの授業に使う体力など、ほとんど残っていなかった。早退の理由は、そこにあったとも言える。
浩人は、自覚はしていなかったが、記憶力に長けていた。だから五十人ほどのクラスメイト全員の顔と名前を、十日も経たない内に完璧に憶えた。最初は苦労したが、案外たやすく憶えられた。神経質な性格が、一人一人を細かくチェックするのに役立った。ある意味では後の時代に登場する、シミュレーションのテレビゲームの感覚だったかもしれない。浩人には、これが意外に楽しかった。しかしまだ誰とも口は利いていない。そうして、間もなく十月を迎えようとしていた。
全くの余談ではあるが、浩人はこの頃、ひとつの悪戯(いたずら)をした。朝一番に登校して、教室に独りの時、教室の前の出入り口に近い、黒板の右下の壁に、赤い色のチョークで鳥居を描いた。まさかそんなところで立ち小便をする奴はいない。ちょっとした洒落(しゃれ)のつもりの落書きだった。軽い悪戯のつもりで描かれた鳥居は、すぐに誰かが気付いて、消してしまうであろうと思っていた。しかし鳥居は、浩人の予想に反して、卒業式の前日まで消されることはなかった。どうやら早い時期に白川先生がそれを見付け、「誰がやったか?」と皆に厳しく問いただし、犯人に自主的に消すようにと、命じていたらしい。浩人はその時早退していて、先生の命令を聞いていなかった。結局卒業式の前日に白川先生自らが消すまで、壁に描かれた赤い鳥居は健在だった。犯人はとうとう、判らず終いであった。
話を本題に戻す。
(続く)
まだ誰とも言葉を交わしていなかった。まず何よりの課題は、クラスメイト達といかにして話をするか、つまりはどのようにして友達を作るか、ということにあった。そして浩人は、クラスメイトの顔と名前を、一人一人憶えることから始めた。登校するだけで多大な気力を費やし、その上、記憶力をフルに発揮させる。午前中だけでも、充分ヘトヘトに疲れた。ひ弱な浩人には、午後からの授業に使う体力など、ほとんど残っていなかった。早退の理由は、そこにあったとも言える。
浩人は、自覚はしていなかったが、記憶力に長けていた。だから五十人ほどのクラスメイト全員の顔と名前を、十日も経たない内に完璧に憶えた。最初は苦労したが、案外たやすく憶えられた。神経質な性格が、一人一人を細かくチェックするのに役立った。ある意味では後の時代に登場する、シミュレーションのテレビゲームの感覚だったかもしれない。浩人には、これが意外に楽しかった。しかしまだ誰とも口は利いていない。そうして、間もなく十月を迎えようとしていた。
全くの余談ではあるが、浩人はこの頃、ひとつの悪戯(いたずら)をした。朝一番に登校して、教室に独りの時、教室の前の出入り口に近い、黒板の右下の壁に、赤い色のチョークで鳥居を描いた。まさかそんなところで立ち小便をする奴はいない。ちょっとした洒落(しゃれ)のつもりの落書きだった。軽い悪戯のつもりで描かれた鳥居は、すぐに誰かが気付いて、消してしまうであろうと思っていた。しかし鳥居は、浩人の予想に反して、卒業式の前日まで消されることはなかった。どうやら早い時期に白川先生がそれを見付け、「誰がやったか?」と皆に厳しく問いただし、犯人に自主的に消すようにと、命じていたらしい。浩人はその時早退していて、先生の命令を聞いていなかった。結局卒業式の前日に白川先生自らが消すまで、壁に描かれた赤い鳥居は健在だった。犯人はとうとう、判らず終いであった。
話を本題に戻す。
(続く)