西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

北校舎 12

2006年01月26日 23時41分02秒 | 小説
 大宅の告別式は、その翌日に行われた、が、浩人は参列しなかった。それは、一言の言葉も交わすことのなかった、大宅や三年二組のクラスメイト達に対して、決して無関係を決め込んでいたからではない。その時まで無関係を決め込んでいた自分が、こんな時だけ、同じ三年二組の一員らしく振る舞って、のこのこと出て行ける資格はないと思ったから。それに、あの時机も椅子も無くて困っていた自分に、不言実行で席を用意してくれたあんないい奴を見送らなければならないなんて、そんな悲しいことが、浩人にはできなかったのであった。
 浩人は、若くしてその将来を絶たれることになった大宅の無念さと、その彼の死に直面したクラスメイト達のことを思いながら、まだひと月余り残されたその年の夏休みの過ごし方と、その後に控える二学期という正念場の迎え方を、ここしばらくの内に考えねばならなかった。

 正念場正念場と思えども、二学期に対する具体的な対策が何も浮かんでこなくて悩んでいた浩人に、一枚の葉書が届いた。浩人が前の年に在籍していた三年八組の、クラス会への招待状だった。確かに去年、信州・富士・箱根の修学旅行へも一緒に行った懐かしい仲間達に、久しぶりに会ってみたい気もした。でもまだ一人だけ卒業もしていない自分が、今更そんなクラス会に出席しても、いい恥さらしになるのがオチかも知れないし……。いろいろ考えてみた浩人であったが、留年は浩人の個人的な理由による希望留年であるわけで、別に悪いことをして、彼らに会わせる顔がない、というような後ろめたいことがあるわけではなし、それにどうせ暇なのだから……。そう思って尻ごみなんかせずに堂々と行ってみることにした。
 八月初めの、やはり暑い日。浩人は学校に向かって歩いていた。普段はあんなに行きたくない学校へ行くにしては、足取りが軽く感じられた。それが夏休み中の午後であったからか、いつもの学生服を着ていないということからか、その理由は浩人自身にも分からなかった。葉書に書かれていた午後一時三十分という、クラス会の開始時間よりだいぶ早めに学校に着いた浩人は、一学期中の喧騒から解放されて眠っているような学校の、閉ざされた正門のすぐ脇にある小さな通用門を潜った。校内の静寂は、生徒会長という主を突然に亡くしてしまった学校の、悼み悲しみの表情にも思えた。

(続く)


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