西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

池田市のフタ

2008年05月13日 16時29分00秒 | マンホール
 大阪府池田市(いけだし)のマンホール。

 亀甲模様の真ん中に、市章。本来の市章は「下水」の文字部分に、糸巻きが描かれている。

 市章は、弥生時代の頃、大陸からこの地に渡ってきた二人の織り姫が、織物の染色の技術を伝えたという伝説を基に、織り姫たちが糸を染める為に水汲みをした井戸(染殿井)の井桁と、糸巻きを表している。機織り技術伝来の地、池田を象徴。(池田市オフィシャルサイト参照)。


 2008年5月11日、同市天神にて撮影。

阪急石橋駅

2008年05月12日 18時38分00秒 | ステンショから
 阪急宝塚本線「石橋(いしばし)」駅。

 大学の同級生「今春」さんが女将を務める「和食巧房ちりとてちん」の最寄り駅。
 プチ同窓会で、一昨年から既に3度……、妻とも1度行った。

 実は昨日も、この駅を利用。
 「今春」さんや「かかし」さんら、同じ大学の落研OBメンバーによる落語会『元祖 落語工房 ちりとてちんの会』が、池田市立青年の家で開催されたのを、観にいってきたのである。

 NHKの朝ドラ『ちりとてちん』に触発されて実現に至ったという、この落語会。玄人裸足の芸を存分に楽しませてもらったと同時に、私自身も、何か触発されてしまった。まさか私が落語に挑戦出来る訳もないが、私は私のジャンルで頑張りたい。負けてはいられない、とも思った。


「元祖 落語工房 ちりとてちんの会」、早や第2回も楽しみである。

スラッとしていた頃

2008年05月12日 10時28分00秒 | 31人の河村宏正
 そしてもう1枚の写真は、10数年前、高松のコミュニティFMで、パーソナリティを務めていた頃のもの。
 この頃の体重は、60kg台はあったはずだが……? それでもスラッと細いよなぁ……。


 今……? 74kgぐらいかな? 「柔道とかラグビーでもやってらしたんですか?」って、よく聞かれるけど……。有り得ませんよ!

UMAさんと呼ばれていた頃

2008年05月12日 10時25分00秒 | 31人の河村宏正
 数年前、この写真が実家の母によって発見された時、母はしばらくその事実を隠していた。あまりの人相の悪さに、この写真を私本人に見せたくなかったのだと言う。

 この写真は、枠に記されている数字からも分かるように、1984(昭和59)年、正に就職活動の最中に撮影された1枚である。

 確かこの当時の体重は、50kg余り。頬は痩け、ぎょろりとした目の鋭さが目立ち、なるほどお世辞にも良い人相とは言えない顔をしている。
 これじゃ、なかなか就職試験には受かるまい……。


 また学生時代「UMA(ウマ)さん」というニックネームで呼ばれていた頃があったのを、十分にご理解いただける写真でもあろう。

謎のオッサンUMA

2008年05月12日 02時41分00秒 | テレビ
 先日、某氏のブログのコメントに「肉眼で確認」という言葉を書き込んで思い出した。
 その言葉は、1970年代初頭にテレビで放映されていた、SF特撮ドラマ『謎の円盤UFO』で、よく使われていた台詞であった。

 『謎の円盤UFO』は、あの『サンダーバード』と同じイギリスのプロダクション製作の実写ドラマ。
 「UFO」も、日本ではまだ「ユーフォー」という読み方はされておらず、この番組でも「ユー・エフ・オー」と発音されていた。

 主役であるストレイカー最高司令官の吹き替えは、あの故・広川太一郎氏だったことは、最近知った。
 そのストレイカーが乗っていた車のミニカー(確かゼンマイで動く)を持っていたはずなのだが、今はどこへやってしまったのやら……?

「1980年、既に人類は、地球防衛組織シャドウを結成していた……」

 この番組冒頭の台詞からも分かるように、当時としては10年後の近未来が描かれていて、それがまたやけに真実味があって、毎週ワクワク楽しみに見ていた思い出があるが……。


 話変わって、1980年と言えば、丁度私が大学に入学した年。「UMA(ウマ)さん」というニックネームで呼ばれ始めたのも、実はこの年だった。
 学生時代からの友人だけは、未だに私のことを「UMAさん」と呼んでくれる。そう呼ばれる度、実はこの『謎の円盤UFO』をほんの少し思い出してしまって、何か独り密かにカッコイイ気分に浸っている私なのである。
 ハハハ……、こじ付けにも程があるよな……?


 そう言えば、UMAって、未確認生命体(Unidentified Mysterious Animals)のことなんだってね……。


謎の円盤UFO

ラーメンを遊牧民の如く

2008年05月10日 15時49分00秒 | グルメ
 羽曳野に、ちょっと変わったラーメン屋がある。

 それが「羽曳野ほんてんラーメン」。

 4年前に開通した南阪奈道路の羽曳野ICから、側道を東へ。石川に架かる羽曳野大橋を渡っていると、右前方に大きな白いテント(モンゴルの遊牧民が住まいとして使うゲル)が見えてくる。このテントを目指し、橋の西詰めの交差点を右折して、すぐにまた左折した所が店。

 一瞬、ここが店かと首を傾げたくなるような景観。一見殺風景な広場に、銀色のバスとテントと、あとはビーチパラソル付きのテーブルと椅子があるだけ。でも、間違いなくそこが店なのだ。

 まず、銀色のバスの前に立て掛けてあるメニューを見ながら注文。このバス、実は厨房になっている。そしてお客はテント内へ……。中には木のテーブルが大小4~5つ。そこで待つこと10分程度……(待ち時間がやや長い気もしたが、その辺が割とアバウトらしい)。私が注文した「河内鴨ラーメン」と「ご飯」が運ばれてくる。

 シコシコした地鴨が、なかなかの美味。野菜もこの店の敷地内にある菜園で作られた、旬の物がいっぱい。ご飯も炭火で炊かれた物とか(日によって多少味が違うという噂もあるが、その辺もまたアバウトらしい)。

 これからの季節、自然を感じながら、ちょっと遊牧民気分を味わいつつ食べるラーメンってのも、結構オツではないだろうか……?


 けど……、今日みたいな雨の日はお休みだとか(これまたアバウト也!)。

羽曳野市のフタ

2008年05月10日 00時15分00秒 | マンホール
 大阪府羽曳野市(はびきのし)のマンホールのフタ。

 亀の子模様の真ん中に市章。

 市章は、羽曳野の「羽」の文字を抽象的に図案化。鳥の羽ばたきの如く、雄飛と発展性を示している。
 1959(昭和34)年1月15日制定。(羽曳野市ウェブサイト参照)。


 2008(平成20)年4月、同市広瀬で撮影。

近鉄古市駅

2008年05月09日 16時52分00秒 | ステンショから
 近鉄南大阪線&長野線「古市(ふるいち)」駅。

 羽曳野市役所の最寄り駅ということで、私が羽曳野市民だった20数年間は、主に役所に用がある時に利用する駅であった。
 昨年、婚姻届を提出した際も、この駅から行った。

 阿部野橋駅から、河内長野行きの最終電車が23:34発。同じく富田林行き最終が23:49発なので、それを逃すと、仕方なく0:02発の古市行きに乗り、後は駅前からタクシーで帰宅する、というパターンが多かった。
 近年では最終でなくとも、この古市で電車を降り、タクシーを利用することも多くなってきていた。贅沢な気もしたが、物騒な世の中故、飽くまで護身の為であった。
 
 また私の最寄り駅である喜志駅は、阿部野橋方面行きの始発が、5:29と遅く、早朝に京都や神戸方面などへ出かける場合、間に合わないケースもあり、その場合前日からタクシーを予約して、古市駅へ向かい、30分程早い始発に乗らなければならない。

 まあそういう観点からすれば、私に取っては「第二の最寄り駅」と言えるかもしれない。


 余談だが……。
 たまに「こし」と読む人がいるが、「ふるいち」の誤読である。
 また「古本市場」の通称と勘違いする人もいるが、「古市」は羽曳野市の地名であり、近鉄電車の駅名である。

松葉杖が欲しい!?

2008年05月08日 14時56分00秒 | テレビ
 昨夜、テレビをザッピングで見ていたところ、たまたまMBSの「明日使える心理学!テッパンノート」に目が留まった。面白そうな心理テストをやっていたのである。

 思いつくままに16個の形容詞を、8個ずつ2段に書き出し、まず上下2つの言葉から連想される言葉をそれぞれ書いていく。そうして丁度トーナメント戦のように、最後のひとつの言葉に至るまで、それを繰り返す。

 そして……、私の場合、最後に残った言葉というのが……。

 「松葉杖」!


 身も心もボロボロで、支えがなければ立っていられない程、病んでいるのだろうか……、私は……?(苦笑)