憂国の花束

右でも左でも無く、上でも下でも無く。

祖国日本よ! 誇り高くあれ。

101歳、三笠宮崇仁親王妃殿下百合子さま ご逝去 

2024-11-15 08:37:07 | 三笠宮
謹んでご冥福をお祈りいたします。



三笠宮妃の百合子さまご逝去 101歳 宮内庁関係者
2024年11月15日 7時46分 皇室
宮内庁の関係者によりますと、三笠宮妃の百合子さまが亡くなられました。皇室で最高齢の101歳でした。
百合子さまは、脳梗塞や誤えん性肺炎のため、ことし3月3日に東京・中央区の聖路加国際病院に入院されました。

右の手足の動かしづらさがかなり回復し、肺炎の症状も落ち着いたことなどから、10日あまりで集中治療室から一般の病室に移り、療養を続けられました。

さらに、軽い肺炎の症状がみられたことから、8月中旬から9月上旬にかけて3週間あまりにわたって再び集中治療室で治療を受けたあと、一般の病室に移って療養を続けられていましたが、今月8日に宮内庁が全身の機能が低下していると発表していました。

宮内庁の関係者によりますと、その後、容体が悪化して亡くなられたということです。

百合子さまは、昭和天皇の弟で平成28年に亡くなった三笠宮さまと75年にわたって連れ添い、6月4日には明治以降の皇室で最高齢となる101歳の誕生日を迎えられていました。

※読売新聞報ずるところによれば、15日午前、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)でご逝去されたとのことです。

😐 さて、これで、、、、以下、自粛。
おそらく皆さま同じことを考えていらっしゃるでしょう。


8日 彬子さま急遽英国から帰国

2024-11-08 21:06:36 | 三笠宮
三笠宮崇仁親王妃百合子さまの容体悪化を受けて彬子さまが帰国された。
百合子さまのご容体は容易ならぬものと拝察。

三笠宮妃百合子さま、容体悪化 孫の彬子さま急きょ帰国へ
11/8(金) 18:12 朝日新聞デジタル

百合子さま 101歳のお誕生日映像

宮内庁は8日、英国訪問中の三笠宮家の彬子さまが15日までの予定を途中で切り上げ、9日朝に羽田空港に帰国すると発表した。東京都中央区の聖路加国際病院に入院中の祖母、三笠宮妃百合子さまの容体が悪化しているためだという。

 宮内庁によると、百合子さまは7日の検査で心臓や腎臓など全身の機能低下が進んでいることが判明。意識はあり、一般病棟で休んでいるが、容体悪化の連絡を受け、彬子さまは急きょ帰国する判断をしたという。 

百合子さまは昭和天皇の末弟三笠宮崇仁さま(2016年に逝去)の妻。今年3月に脳梗塞(こうそく)と誤嚥(ごえん)性肺炎と診断され、入院して療養を続けてきた。車いすに座るなどのリハビリに取り組み、6月4日には明治以降の皇族では最高齢となる101歳の誕生日を同病院で迎えた。 

彬子さまは三笠宮さまと百合子さまの長男、寛仁さま(2012年に逝去)の長女で、近年は三笠宮家の行事を高齢の百合子さまに代わって取り仕切ってきた。英国のセインズベリー日本芸術研究所の創立25周年を記念した国際会議などのために7日朝に英国に向けて出発。当初の予定では、フランスにも滞在するなどした後、15日に帰国する予定だった。(中田絢子)

彬子さまもご覚悟されてのご帰国でしょう。
慌ただしい動きの中、今は言葉を慎みたいと思います。


『蛇にピアス』・・三笠宮のプリンセスたち(1)

2024-11-02 23:03:58 | 三笠宮

左瑤子さま 右彬子さま


映画試写会にお出ましになった寛仁親王ご夫妻とご姉妹。
左遥子さま 右彬子さま
信子さまに縋り付くこんな時も有ったのに… 
ちなみにこの年頃の眞子さま佳子さまは痛々しいほどの行儀の良さでいらっしゃいました。

成年会見の瑤子さま 可愛らしいと思います。
彬子さまはお父様そっくりですが、遥子さまはお父様とお母様のお顔がミックスしたお顔というべきか。




2014年10月国賓として来日したオランダのウィレム・アレキサンダー国王とマキシマ王妃に挨拶する彬子さまと瑤子さま。
 ※英語でカーテシー、コーテシー(courtesy)という言葉の意味は、「礼儀正しさ」もしくは「礼儀」そのもののことであり、コーツィ、カーツィ(curtsy、またはcurtsey)の語の方が「挨拶、お辞儀の方法のひとつ」を指す単語としては正しい。

、、、身体改造。私には瑤子さまの軟骨ピアスは「スプリット・タン」より衝撃的でした。

ピアスホールが4つ?
今年、7月には既にこのような記事が出ていたのを見逃していたようです。

「なかなかファンキー」瑶子さま モーターレースで見せられた茶髪&軟骨ピアス姿にネット感激
記事投稿日:2024/07/25 06:00 最終更新日:2024/07/25 10:10 女性自身
<抜粋>
・・・モータースポーツへの愛を語られた瑶子さまだが、同日はファッションにも注目が集まった。鮮やかな赤色のセットアップをお召しになられ、明るい茶色に染められたロングヘアをポニーテールに結ばれていた。さらに両耳にはゴールドのピアスが揺れており、左耳の軟骨にも小さなピアスが光っていたのだ。

😰 軟骨ピアスに驚きましたが、感激はしていません。
容貌が徐々にマイケルジャクソン化して行かれる瑤子さまを痛ましく思っております。まさか、舌にピアスはされていないと思いますが、もしされていたとしても、もう驚かないでしょう。


全日本スーパーフォーミュラ選手権 第4戦富士大会「瑶子女王杯」としての開催が決定 2024.06.22
全日本スーパーフォーミュラ公式HP「第一回瑤子女王杯」開催を知らせるページに掲載された瑤子さまの写真。(誰?このひと。本当にご本人ですか?)

そして「瑤子女王杯」レース開催当日の瑤子さま。
全日本スーパーフォーミュラ公式HPの写真を見て期待してレース場に来られた方が、当日「詐欺だ!」と言ったかどうかは定かではありません😭


2024年10月30日、秋の園遊会の瑤子さまを『女性自身』は激賞してしていますが、ネットでは評判が良くないようです。



2024年6月8日  宜仁親王十年式年祭

<抜粋>
その中でも一際目を引く存在だったのが、三笠宮家の瑶子さまだ。明るい金髪をまとめ、両サイドに入れたピンク色のメッシュがアクセントになっていた。お召しになっていた着物は薄緑色の品。髪色と調和する華やかなコーディネートだった。

😅 確かに、ブルーがかった黄緑色の着物にはこのくらいの髪色のほうが 合っているかもしれませんが、、、
遠目にはピンクのメッシュとは見えず、ヘアカラーが褪めかかっているように見えるのに加えひっつめ髪。生活に追われている庶民のおばさんのようで、齢より老けて見えます。
近所のおばさんにしては身なりが良すぎますが。

個人的には、身体改造をなさる前の瑤子さまのほうが良かった。
過去の会見では、結婚願望も口にされていましたので、結婚されないままに41歳を迎えたことは不本意ではなかったのか、不本意な生き方を強いられた鬱屈が身体改造に向かったのか、とか、つい瑤子さまには失礼な想像をしてしまいます。
41歳、まだお若い。強い姉君に引きずられて公務を頑張って褒め者になられるより、良きかたとご縁を得て降嫁されるのが本来の瑤子さまらしい生き方のように思われるのですが、、、


9日 彬子さま和歌山「エルトゥールル号追悼式典」ご出席

2024-06-12 22:46:55 | 三笠宮
6月9日(日)~10日(月)
彬子さま 和歌山県訪問(「エルトゥールル号追悼式典」出席など)

エルトゥールル号が串本沖で遭難したのは明治23年(1890年)9月16日 の夜 でした。このため、追悼式典は毎年9月16日に欠かさず行われて来ました。昨年も9月16日に行われ日本・トルコ協会総裁の彬子さまが出席されていました。

今年、追悼式は何故6月9日に行われたのか。
報道各社の記事にはその理由が書かれていません。中には「134年前に遭難」とのみ書いて、遭難の年月日さえ書いていないところも散見されます。

報道記事のうち、一番詳しいNHKの記事。
500人余犠牲のエルトゥールル号追悼式典 串本町
06月10日 19時19分 NHK




串本町の沖合で134年前に沈没したトルコの軍艦「エルトゥールル号」の犠牲者をしのぶ式典が行われ、日本とトルコの関係者らが祈りをささげました。

トルコの軍艦「エルトゥ−ルル号」は、134年前の明治23年9月、串本町の沖合で遭難して乗組員500人以上が亡くなりましたが、地元の住民が69人を救助し、日本とトルコの友好のきっかけになったとされています。
式典は、事故現場の海が見える丘にある「エルトゥールル号」の慰霊碑の前で行われ、日本・トルコ協会の総裁を務める三笠宮彬子さまや、トルコの関係者などおよそ130人が献花や黙とうを行いました。
式典に出席したトルコの関係者の多くは、日本との国交樹立から、ことしで100年となるのを記念して来日した軍艦「クナルアダ」に乗って訪れたということです。

駐日トルコ大使館のコルクット・ギュンゲン特命全権大使は「串本町はトルコにとって特別な場所なので、日本で最初にこの軍艦が寄港したのが串本でうれしく思う。トルコと日本が今後も、手を差し伸べあう関係でいられるようにしたい」と話していました。

また、串本町の田嶋勝正 町長は「これまでの100年の友好の歴史を、今後もともにつないでいけるよう頑張りたい」と話していました。
トルコの軍艦「クナルアダ」は、11日、串本を離れ、東京と広島に寄港する予定です。

😐 一番詳しいNHKの記事にも、遭難事故以来昨年まで9月16日に行われて来た追悼式典を今年は6月9日に行うのかは、書かれていません。

が、理由らしきものが解る記事がありました。

トルコ軍艦が寄港し、追悼式典 彬子さま参列、和歌山・串本町
2024年6月10日 18時42分 (共同通信)
和歌山県串本町にトルコ海軍の新鋭軍艦クナルアダが寄港し、1890年に沈没したオスマン帝国(現トルコ)軍艦「エルトゥールル号」慰霊碑前で10日、クナルアダの乗組員らが参列して追悼式典が開かれた。日本・トルコ協会総裁で、故寛仁親王の長女彬子さまも参列された。

 彬子さまは式典のあいさつで「多くの先人が築いた友好の歴史が今後も末永く続くことを祈る」と述べた。

 クナルアダは4月にトルコを出航し、8月中旬までに20カ国を訪問する。

 エルトゥールル号は、台風のため串本町沖で沈没し、乗組員500人以上が死亡した。地元住民が69人を救助したことから両国の友好関係のきっかけになったとされる。


😊 クナルアダ号の日程に合わせて、9月16日の追悼式を6月9日に前倒しして行ったのでしょう。

となると、次に気になるのは、クナルアダ号は日本・トルコ友好100年を祝うのを主目的にトルコを出航したのでしょうか。
8月中旬までに、20か国を訪問、、、日本を出国した後にも何か国かを訪問するようです。日本はトルコ側から見れば20か国の中の一つの国、なのか、20か国の中の主要国なのか。
メディアは、トルコが日本に抱く親愛の情ばかりを強調するが、「英王室と皇室は親戚同様、チャールズ国王と今上は兄弟同様」という報道の例もあることですしね。
日本の名も無き人々が、命の危険も顧みず外国の人々を助けたことで、もし、今もメディアの報道のように日本に好感をもっていてくださるのなら、感謝したいのは日本人です。少なくとも私は有難く思います。

動画:
和歌山・串本町 エルトゥールル号追悼式典開かれる (2024/06/11 06:08)
 


 

19日 彬子さま明治神宮参拝 【速報】愛子さま園遊会出席

2024-04-20 23:42:11 | 三笠宮
(三笠宮家ご予定より)
4月15日(月)~18日(木)
彬子さま 青森県(「SIA八甲田山岳スキーツアー研修2024」出席)

18日まで青森県へ行かれていた彬子さまが19日に明治神宮を参拝。
9日から始まった昭憲皇太后百十年祭における皇室の方々の参拝は19日、彬子さまの参拝をもって全て終了です。


😀 彬子女王殿下のご到着を待つ方々。車の姿が見えたか見えないかのころからこのように、礼をされているのですね。勉強になりました。


😀 ご到着





😊 誇り高く昂然と顔を上げた彬子女王殿下を私は嫌いではない。
どんなに”母”信子さまを否定されても、どことなく信子さまに似ていらっしゃる。







お美しい。

ネフェルティティ、、、褒め過ぎか?


マリーアントワネット、、、


😯 参道でギャラリーに手を振るようなかたでは無かったはずですが、、、

叔母様の影響?



😊 お帰りのご挨拶 
才女でいらっしゃるし、一本気なご性格も好ましい。ですが、43歳、不惑も越えられたのですから、そろそろお母さまを一人の人間として理解して差し上げたらと思うのですが…。
今は「三笠宮」の名を残すことで頭がいっぱい?


彬子さま淡いグリーンのロングドレス姿で明治神宮を参拝 昭憲皇太后110年祭の節目にあたり
2024年4月19日 金曜 午後4:25  FNNプライムオンライン
三笠宮家の彬子さまは明治天皇の后・昭憲皇太后の110年祭にあたり、明治神宮を参拝された。

18日午後、彬子さまは東京・渋谷区の明治神宮に到着された。

淡いグリーンのロングドレス姿の彬子さまは、石畳をゆっくりと進まれた。

明治天皇と昭憲皇太后が祀られている明治神宮は皇室にとってゆかりの深い場所で、節目に参拝する慣例がある。

昭憲皇太后が亡くなって110年にあたる今月は、天皇皇后両陛下や上皇ご夫妻、愛子さまを始め、皇族方が参拝されている。

彬子さまは本殿に向かって玉串を捧げ、深く拝礼し、集まった人たちに笑顔で手を振り、明治神宮を後にされた。



😮 彬子さまが明治神宮を参拝された19日午後、愛子さまの園遊会ご出席が【速報】で報じられた。


【速報】愛子さま、園遊会に初めて出席へ 宮内庁発表
2024年4月19日 15:13 日テレNEWS
天皇皇后両陛下主催の「春の園遊会」に長女の愛子さまが初めて出席されることが発表されました。

宮内庁は、天皇皇后両陛下の長女、愛子さまが今月23日に行われる園遊会に出席されると発表しました。

愛子さまが園遊会に臨まれるのは、初めてです。

両陛下主催の園遊会は、春と秋の年に2回、赤坂御苑で開かれ、令和になってからの開催は3回目となります。

今回は、文化功労者に選ばれた俳優の北大路欣也さんやJリーグ創設などに尽力し文化勲章を受章した元日本サッカー協会会長の川淵三郎さんなど、去年より500人程度多いおよそ1700人が招かれています。

今月日本赤十字社に就職した愛子さまは毎日出勤していて、今後、仕事と皇族としての活動を両立されていくということです。

😁 元日本サッカー協会会長の川淵三郎さん、ね。お二人がお若い頃、週刊誌が艶っぽい話を書き立てた事もありましたが、今思えば久子さまのサ―ビス精神が過剰なだけだったのでしょう。そのようにして作りあげたサッカー人脈、久子さまを取り巻くサッカー人脈の層は厚い。今更園遊会に招かれなくても高円宮邸はもちろん、御所へも確か出入りされていたはずですが、、、園遊会に招かれるというのはまた格別のものなのでしょうか。

1700人招かれても、お声掛けを賜るのは30人程度です。
愛子さまの緊張をほぐすためにすっかり顔なじみの川淵氏を並べたのかもしれませんね。

😐 愛子さまの出勤の様子を八幡和郎氏が4月17日付け『プレジデント』で伝えている。

<抜粋>
関係者によると、愛子さまの場合は厳重警備のため、最初の1週間、通用門の一部閉鎖、夜間の裏口の閉鎖、宅配業者などの立ち入り禁止、勤務されている部署への一般人立ち入り禁止などが実施され、現場では戸惑いがあるようだ。その後、宅配便の扱いなどは少し緩和されたようだが、いまのままの状態は続けられず、バランスをどこで取るか苦慮しそうだ。

😐 「そんなに毎日来られても困る」というのが正直なところではないのだろうか。

日を置かず、次々と【速報】が出る愛子さまの動向。
愛子さまのすべった転んだを【速報】で報じるくらいなら、宮内庁インスタグラムに「今日の愛子さま」というコーナーを設けて毎日愛子さまのご様子をアップしたらよいと思うのだが、それが出来ないから速報で報じさせるのか?

どういう思惑でこんなに愛子さま関連の速報がでるのかは、分からないが報道における”【速報】”の重みが日増しに無くなつて行く事だけは確かでしょう。 

今上ご一家、取り分け愛子さまの速報を乱発する言い訳のように皇嗣殿下の速報をチョロッと出すところもいやらしい。