昨日、23日宮皇居・皇霊殿、神殿では秋季皇霊祭儀、秋季神殿祭儀が行われました。雅子さまは遙拝・お慎みでした。漏れ聞くところに拠れば儀式そのものは15分程度で終るそうです。
高森 明勅氏は神道学者、皇室研究家というが、その思想的背景はなんだろう?論説の進め方が学者にしては我田引水過ぎる。この人、国民をミスリードしようとしている?
>同国としては久しぶりに「女系」の君主が即位されることになった。新国王のチャールズ3世だ。
ミスリードです。
そもそもイギリス王室には、日本の天皇のような「天皇の正統性は男系男子継承にある。」という考え方は無い。
一応継承順位らしきものあっても、あって無きがごとく、状況次第で、どうにかしようとすれば、どうにかなったようだ。
ミスリーダー高森に惑わされないように、少しだけお復習い。
*「イギリス」は日本語、正確には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国( United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)略してUK
国名からもイングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、北アイルランド人がこの島の覇権を争った歴史が 浮かび上がって来る。
*イギリスの王室に始まりは、諸説あるがノルマン朝 1066年ノルマン人のウィリアム一世即位をもってイギリスの王室の始まりとする説が有力。これ以後一人の王による国内統治が続いたため。
(実在と言われる天皇より600年くらい後だわ。しかもノルマン人ウィリアムは即位してもフランス王の臣下だった。)
*最初の女王 メアリー一世
ヘンリー八世 キャサリンーメアリー一世 (1553~1558)病死
アン・ブーリンーエリザベス一世(1558~1603)病死
ジェーン・シーモアーエドワード六世(1547~1553)病死
ヘンリー8世が1543年に制定した法律では、継承順位はエドワード、メアリー(後のメアリー1世)、エリザベス(後のエリザベス1世)であったが、1553年5月21日、ジョーン・ダドリーは自分の六男ギルフォードをエドワードの従姉フランセス・ブランドンの娘ジェーン・グレイと結婚させ、本来は継承順位が低いジェーンを後継として指名する遺言を崩御の床にあるエドワードに迫った。結局エドワードはそれを了承し、7月6日に15歳で崩御した。その4日後、ジョン・ダドリーはジェーン・グレイが女王になると宣言し、ジェーンは戴冠式に備えるためロンドン塔に入った。ダドリー一派の目論見を危険視した政府は、急遽王女メアリー(メアリー1世)をロンドンへ呼び戻し、7月19日、民衆の熱烈な支持を受けながらメアリーは法に基づく正統の女王としてロンドンに帰還した。ジョンとギルフォードのダドリー親子、ジェーン・グレイは反逆罪で斬首刑となった。
(wikiより)
ヘンリー八世が自分の血筋に拘ったチューダー朝は、5代エリザベス一世で終わり。エリザベス一世は生涯のライバルだったスコットラ女王の息子ジェームズを後継に指名。
他に幾人かの王位継承権者がいたが、権力の移管は円滑に進められた。ジェームズの王位継承はヘンリー8世の第三王位継承法とヘンリーの妹メアリー・テューダーの系統が優先されるヘンリーの遺言を無視していた。これを調整するために議会は1603年王位継承法を可決した。議会が法令によって王位継承を統制できるか否かは17世紀を通じての議論となっている。(wiki)
自分達に都合の良い国王を立てるためなら、さっさと法を改正。
ジェイムズ一世を祖とするステュアート朝。チャールズ一世、チャールズ二世、の名がある。この二人のイメージが良くないので、チャールズ三世はチャールズ三世になりたくなかったそうだ。
ジェームズ一世の長男、チャールズ一世の子孫はアン女王で終わり、ステュアート朝も終る。アン女王には異母弟がいたがカトリックであったために、1701年議会は王位継承法を制定、王位はチャールズ一世の姉の娘ゾフィーの長男ゲオルグ(ジョージのドイツ語読み)へ。(このころドイツという国はまだ存在していない。300以上の領邦に分裂していた。)
またしても議会が新しい王位継承法を制定して、継承順位反古。
ミスリーダー高森が狙っているのは皇室典範改正による「愛子天皇」だろう。
1714年ジョージ一世即位、ハノーバー朝の祖。現イギリス王室のはじまり。
家名の改名 ハノーバー朝、ゴータ朝、ウィンザー朝
1901年のヴィクトリア女王の崩御後は、夫(王配)であったアルバートの家名を取って、サクス=コバーグ=ゴータ朝と称される。
その後、第一次世界大戦中に、ジョージ5世が敵国ドイツ帝国の領邦の名が冠されている家名を避け、1917年に王宮の所在地ウィンザーにちなみウィンザー家と家名を改称した。
>英国で女系の国王が即位したのは、ヴィクトリア女王の後に即位したエドワード7世(在位期間は1901年~1910年)以来のことになる。
ミスリードです。
スチュアート朝の祖ジェームズ一世も現王室の祖、ハノーバー朝の祖ジョージ一世も女系の国王です。
>ところで日本国内では、「女系」による皇位継承は、王朝の断絶・交替を招き、皇位の正統性が失われ、国民の分断を惹ひき起こして、日本はもはや日本ではなくなる……などという穏やかならざる主張が一部でなされている。
果たして、このたび「女系」の新国王が即位した英国でそのような事態が起きただろうか。
ミスリードです。
見て来たように、日本の皇位継承と英国の王位継承は意味が違う。
男系男子による継承に正統性を見て続けて来たのですから、そこを変えたら天皇ではなくなる。皇統とは種の継承です。男は種、女は大地。古代日本人の農耕民族らしい素朴な信仰がもとになっていることを忘れてはいけない。
英国の王位継承は王権の相続、すなわち、地上の権力の相続。まったく違いますね。
王権は男でも女でも手にすることができるでしょうが、種はそうは行きません。
そんなこと神道学者の高森が知らない筈が無い。
知っててミスリードするからイヤですね。
本当にそうです。この方は何屋さんなのでしょうか。
もしダイアナ元妃が離婚せずにいたら、初めてのイングランド出身の王妃となるはずでした。それまで、代々の王妃は外国から迎えていたのです。ということで、現在のウィンザー家には様々な国の血筋がまじりあっています。英国人はウィンザー家はドイツの家系だからとはっきり言っていますが、それでも、英国の利益のために尽くしてくれているのだから、そんなことは大きな問題ではないのです。
しかし、英王室に嫁ぐ、又は英王室と縁を結ぶにあたって、たった一つ制約があります。それは相手はプロテスタントでなければならないということ。英国国教会の精神的長でもありますから。
日本でも、カトリック教徒やおせんべい信者と結婚してはならないという決まりを作ってもいいのでは。
海外の王室を例にしていますが、女王より男王を望まれるのは現在でも変わりません。オランダでは3代女王が続き、久方ぶりの男王ウィレム即位ということで国民は大いに沸いたそうです。
国民の感覚として王位継承=領地相続です。国土防衛のため王自ら軍を率いて争ってきた歴史から、男王が望まれました。
中世フランク王国では、サリカ法が定められ女王は認められませんでした。
A国女王がB国の王子と結婚し、婚姻後その王子がB王位を相続したとき、A国はB国の干渉を受けることは必至。こういう事態を避けるためです。
たとえ王朝が変わっても、男王により国を守ったのです。現在でも男子優先長子相続制の国は多いです。
天皇は祭祀を担い五穀豊穣と国民の安寧を祈ってきたからこそ、尊ばれてきました。
時の権力者さえも天皇を誅し自ら王となることはしませんでした。国民が許さないからです。他国の王家とは歴史が違います。
よく言われることですが、ローマ教皇が男性のみであることと同義です。他宗教においても指導者はほとんど男性です。天皇は神道の祭祀王です。
祭祀は過酷です。冷暖房のない所で真冬の深夜に行うものもあります。天皇としての公務も分刻みのスケジュール。一般に体力のある男性が望まれるのは当然です。
過酷な業務は現代でも一般に男性が多く行いますね。軍隊、製鉄所での労働、土建業、農林漁業、警察、消防など。男女差別でしょうか?平等と公平は違いますよ。
この高森氏の論説通りに憲法を改正しなくても典範を改正するだけで女性天皇実現となるのでしょうか?
かつてスウェーデンでは、改正によって王太子が地位を下ろされ長女が王位継承者になった例があります。
なので秋篠宮様のお立場も盤石とは言えないかもしれませんが、このままお引きこもりされていらっしゃる状態で成年後の務めを殆どされていないのに、それでも愛子天皇派は愛子様が天皇に相応しい~と叫ぶのでしょうかね。
それと、男系男子に限るとなったのは明治以降であってそれまでは女性天皇も認められていた。決して女性を排除していなかった。 と力説していますが、現在の天皇家の祖である光格天皇の皇后は先代のたった一人の欣子内親王なのに女帝とはならなかった事実をどう解釈しているのでしょうね?
男子に限るからこそ天皇の血筋を辿って閑院宮家から迎えたことをスルーするとは卑怯です。
ジョイフルさん言及のダイアナ妃以前は外国人、とありますが、エリザベス皇太后はスコットランド出身なので、イングランド出身でないけれど外国人とは言えないですね。
エリザベス女王の在位が長く敬愛されていた事もあり持ち上げられていますが、かっての王様は好きな女性と一緒になりたいが為に妃を処刑したり、宗教も変えたりとなかなかに血なまぐさいですよね。高森氏はどのような背景の方なのでしょうね。大騒ぎの英国行きでしたが、各国の王族との交流といわれましても、レセプションにボッチで向かう今上の横をオランダのマクシマ王妃がサササッと走り抜けて行ったシーンが目に焼き付いています。その後は…話しかけたそうにキョロキョロとしている今上。なにか、言いたげなオランダのおっかさまでございました。私には、このシーンが各国王族方の中での今上夫妻を如実に現しているように思えます。
高森氏の背景、興味深いですね。
彼の思想・宗教などの背景は分かりませんが、研究論文を調べると、彼の関心の歴史は分かるかなと思いました。
以下、査読論文のタイトルのみ(1986年~1995年)。
大祀と大嘗祭について
延喜四時祭式大中小祀条の成立
神祇令践祚条の成立
神祇令即位条の成立
天皇号と日本国号の成立年代
神器相承と昇壇即位--古代皇位継承儀礼における連続性と非連続性
創世神話の展開--6・7世紀を中心として
ご本人のプロフィールでは、「皇位継承儀礼の研究から出発し、古代史上の重要テーマや古典研究に取り組みつつ、日本史全体に対して関心を持ち、現代の問題にも積極的に発言する。」となってますね。
初めは、皇位継承の儀式に関心があって学術研究を行っていたが、その後は研究は辞めて(学術誌への投稿はこの辺りででストップ。以降、大学や研究機関に所属せず、査読を経ない雑誌や紀要への寄稿ばかり)、神道学者と名のり皇位継承に関する意見を述べる人になったのでしょう。
彼の最近書いたものを読むと、一番大切なのは天皇と呼ぶ人とその人をサポートする皇族を安定的に調達することと考えているように思います。そこから天皇の血筋の人はみんな皇族でいいんじゃない?と言っていますね。
ただ、安定的な皇族数(及び皇位継承者)確保のためには旧皇族の復籍も選択肢としてありうるわけですが、そこはなぜかあっさり否定している。論拠としているのが、日本国憲法まで改正しなければならないというのですが、そこは私が頭が悪いのか意味が分かりません。
皇位継承には正統性が伴わなければ、どこかで争いの火種になるということに、気付いていないのか、気付いていて無視しているのか。。。?
いずれにせよ、学者を名乗る人が論拠を示さず自説を展開することはいただけません。でも、納得する人がたくさんいるのでしょうね。。。残念です。
長くなってすみません。
なんとか愛子さんを皇室に残したいのなら、結婚させずにおいて、親がいなくなっても皇族費が貰えるようにする程度の配慮で十分ではないでしょうか?寛仁親王家、高円宮家の女王方にも共通する問題ですので、行き届いた配慮を皇嗣家はなさるでしょう。皆さま、楽しくご研究や趣味を生かした公務に励んで、華やかな人生をお過ごしになれば良いと思いますよ。