赤カブ不動産屋の独り言

 赤かぶを作り、漬けて30余年。今年は焼畑は止めて漬けるだけ。
 不動産や広告で起業して10年になります。助けられて。

領土問題を考える(再掲)

2012-09-21 16:20:07 | 日記
 米国住宅視察に出発する前、9月8日のブログに領土問題を書きました。
 米国滞在中の9月15,16日に中国で反日デモと暴動、略奪が。

 被害に遭われた企業には申し訳ないですが、そんな国と知りながら進出しているのですから仕方 ありませんね。
 むしろ中国、中国と猫も杓子も進出するのですからね。
 万一の対策も持たないのは、想定外だと言い訳をするつもりだったのでしょうか。
 これからが中国の無法の報復が待っているでしょう。

 2年前、赤カブ不動産屋は相談を受けたんです。
 低価格の分譲住宅の設計を月に数百棟もやっている会社社長から。
 「現在、中国の大連にCADセンターをおいてますが、今後の人件費高騰などのリスクを軽減す るためにベトナムにCADセンターを置く事を検討したいと」

 ベトナム、ホーチミンで現地CADセンターを4社ご紹介しました。
 中には可能性のある会社もありましたが、結局先送りになりました。
 目の前が上手く行っているのですから。

 今回の反日デモは官制のデモと言われていますが、反日の教育をしているのですから仕方ありま せんね。
 何が起こるか分からないからこそリスク管理があるのでしょう。
 でも何度も過去に起こっているのですが。

 前にも書きましたが、海外進出は行くは易し、帰るは難しですからね
 中国への投資は全て人質に取られていますからね。

 赤カブ不動産屋はベトナムやカンボジアも対象にして欲しかったのですが。
 それでもリスクは無くなる事はありませんが。

 これから起こる中国との摩擦は拡大し、落ち着く事はあっても、危険な国と周知されましたから 前には戻れませんね。
 そして領土問題は解決しません。

 それでは9月8日のブログを再掲致します。
そもそも領土問題はなぜ残ったのか
2012-09-08 12:43:34 | 日記 今日は1951年講和条約が締結され、占領から独立した事になった日。
 「独立した事になった」と書きましたが、その日に旧安保条約が締結され、行政協定が結ばれた 日なんですね。
 表では独立を果たした日。裏ではアメリカが占領を続けると決めた日でもありますが。
 連合軍48カ国とサンフランシスコで条約を締結する事になりましたが、ソ連は参加すれど調印 を拒み、中国は招待もされていないんですね。インドは拒否。
 
 1945年8月15日は連合国のポツダム宣言を受諾し、一方的に戦争を止めると宣言した日で はありますが、戦争が終わった日ではありません。
 局地的には戦争が継続されていたのです。
 1945年9月2日東京湾で戦艦ミズーリ号上で署名された降伏文書。
 そこには日本軍の無条件全面降伏とポツダム宣言の誠実な履行そして連合国総司令官に全て従う との事が。
 

 1951年9月8日この日は日本がアメリカの占領から解き放たれた日ともも言えるのですが、 実態はあまり 変わりませんでしたね。新安保条約は良いとしても、行政協定は名を変え日米地 位協定は残り真 の独立国とは言い難いですが。

 赤カブ不動産屋は思うのです。
 アメリカの占領又は強い影響下の中なのに、何故領土問題が残ったのか疑問に思っているので  す。
 ポツダム宣言では本州、北海道、九州及び四国ならび連合国の決定する諸小 島に日本国の主権を 認めると。 北方領土と呼ばれる4島のうち歯舞、色丹島は北海 道の一部であるとの共通認識で問題が無かっ たのです。しかし、国後、択捉島は終戦前にアメ リカがソ連に参戦を促し、2島をソ連に引き渡 すと明言しているのです。
 後の日ソ共同宣言(鳩山一郎、鳩山由紀夫の祖父で2島先行返還)の後アメリカは国後、択捉も ソ連に返すなと言い始めたのです。
 解決不能の紛争の種を残したのです。

 竹島にしても尖閣諸島にしてもポツダム宣言受諾後、サンフランシスコの講和条約までの間もそ の後もアメリカの影響力で解決出来た内容だったと思われるのです。

 歴史には「もし」はありませんが、考えられる事は
 日ソ、日韓、日中で解決不能の領土問題が残り、各国との関係が険悪になる 事を望む国があった のです。 これが当時アメリカの国益だったのだと赤カブ不動産 屋は妄想するのですが。

 解決を難しくして、長く紛争地域にする手法は植民地時代に使われていたんですね。
 イギリスによるインドカシミール地域の紛争、アラブ首長国連邦の飛び地による部族長の牽制な ど。パキスタンとバングラデシュ等。

 ともあれ、ポツダム宣言受諾や講和条約締結(旧安保条約、行政協定も)はどちらも9月に行わ れたのです。
 領土問題として現在も残る紛争の火種はそこにあり、そこから続く事になるのです。

 そして今でもこれからも続くのです。
 
 転載終了
 今日も応援頂きありがとうございました。
 
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