昨日夕方登録された番号の携帯から。
奥様からでした。
「主人が27日に亡くなり、身内だけで密葬をしました」と。
今月、奥様から電話がありお見舞いに行ってきたのですが。
厳しいと分かっていましたが、元気づけに。
その男は一人で逝ってしまいました。
少年時代は父親の仕事関係で朝鮮、満州へと。
終戦になり、少年は父親が居ない中幼い兄弟と母親の面倒を見ながら。
食べるものも事欠く中を。
生前なかにし礼の自伝小説「赤い月」に書かれている以上の過酷さだったと言ってましたが。
大陸からの引き上げとはなんと過酷なのだと。
20代の頃北千住のイトーヨカドーの創成期にお手伝いをし。
奥さんともその頃知り合ったのだと。
ヨーカドーの社員だったのです。
その男は業界紙の記者、編集らしきものをやっていたのです。
奥さんが出産し、産婦人科に行って支払いをし、親子を引き取らなければならない時が。
しかし、その男はお金の工面が出来なく、社長にお願いをしたのです。
社長の周りにお客さんが何人かいたので、言い出せなかったのですが。
社長が「なんだ、なんだと」問い詰めるので。
その男は「実はこれこれでお金が必要なのです」と。
社長は「なんだ!そんな金もないのか!・・・・・・・・・・・」
その男は自分の不甲斐なさと信じていた社長の罵倒で、そこにいたたまれず飛び出したのです。
頼む当てもないまま、彷徨うように。
その時、走って後を追いかけて来る男がいたのです。
男はその男のポケットにお金をねじ込んだのです。
「困っているときはお互い様だ」
「何かあったら言って来い」
その男は無事に産婦人科から親子を引き取ることが出来たのです。
その男は金をねじ込んでくれた男、K氏のところで働くことになりました。
K氏は元警視庁出身で大物総会屋だったのです。
その男はお金の額でなく、あの時の助けてくれた恩義でK氏の下で働きました。
昭和の30年、40年代の企業を取り巻く環境は今とは違います。
株主総会対策は経営陣に取ってみれば一大事だったのです。
総会屋や暴力団などは経営陣、会社のスキャンダルで企業に挑んでくるのですから。
その男はその企業を守る与党の総会屋として活躍したのです。
勿論相手は金が目的ですから、脅迫で企業から金を巻き上げていたのです。
そんな輩と交渉することで、総会をシャンシャンと終わらせるのです。
生前その男に聞いたのです。
一番恐ろしかったのはと。
その男は「大阪で暴力団に取り囲まれ、口にピストルの銃口を咥えさせられたときかな」
「恐ろしくはなかったが、危なかったかな」と。
更に聞きますと。
「総会屋時代は企業を攻める暴力団や右翼などに金を渡すのは日常茶飯事だったが」
「警察や政治家にも金は配ってたし、事務所にセビリにも来たものだ」
その男は昭和56年の商法改正で警視庁に引退届を。
総会屋が生きる時代ではないと。
その後は仲良くなった暴力団も右翼とも没交渉になったのだと。
その男は「警視庁に引退届を出したのは俺くらいだ」と自慢していましたが。
その男は総会屋でしたから、ビジネスに通じていたわけでなく。
バブル崩壊で破たんの憂き目にも会うのですが、昔の仲間と仕事をすることは一度もない。
どんなに貧乏してもその一本の道は変えなかったのです。
その男は話していても、身についた総会屋や暴力団の理論そのものでしたが。。
仕事は違えども修羅場を潜り抜けた人特有の迫力はありました。
昨年までは歳を重ねても元気で迫力はありましたが、病気には勝てなく。
その男は5月27日一人で逝ってしまったのです。
その男とは敵対し、争いにもなりましたが。
最後まで逃げない対応をしたことで、この10年親しくお付き合いしたのです。
家族ぐるみの。
人のご縁とは不可思議なもの。
生きていくということは、そのご縁を大切にする事、そう思うのです。
その男のご冥福を祈るとともに「ありがとう」と言いたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
奥様からでした。
「主人が27日に亡くなり、身内だけで密葬をしました」と。
今月、奥様から電話がありお見舞いに行ってきたのですが。
厳しいと分かっていましたが、元気づけに。
その男は一人で逝ってしまいました。
少年時代は父親の仕事関係で朝鮮、満州へと。
終戦になり、少年は父親が居ない中幼い兄弟と母親の面倒を見ながら。
食べるものも事欠く中を。
生前なかにし礼の自伝小説「赤い月」に書かれている以上の過酷さだったと言ってましたが。
大陸からの引き上げとはなんと過酷なのだと。
20代の頃北千住のイトーヨカドーの創成期にお手伝いをし。
奥さんともその頃知り合ったのだと。
ヨーカドーの社員だったのです。
その男は業界紙の記者、編集らしきものをやっていたのです。
奥さんが出産し、産婦人科に行って支払いをし、親子を引き取らなければならない時が。
しかし、その男はお金の工面が出来なく、社長にお願いをしたのです。
社長の周りにお客さんが何人かいたので、言い出せなかったのですが。
社長が「なんだ、なんだと」問い詰めるので。
その男は「実はこれこれでお金が必要なのです」と。
社長は「なんだ!そんな金もないのか!・・・・・・・・・・・」
その男は自分の不甲斐なさと信じていた社長の罵倒で、そこにいたたまれず飛び出したのです。
頼む当てもないまま、彷徨うように。
その時、走って後を追いかけて来る男がいたのです。
男はその男のポケットにお金をねじ込んだのです。
「困っているときはお互い様だ」
「何かあったら言って来い」
その男は無事に産婦人科から親子を引き取ることが出来たのです。
その男は金をねじ込んでくれた男、K氏のところで働くことになりました。
K氏は元警視庁出身で大物総会屋だったのです。
その男はお金の額でなく、あの時の助けてくれた恩義でK氏の下で働きました。
昭和の30年、40年代の企業を取り巻く環境は今とは違います。
株主総会対策は経営陣に取ってみれば一大事だったのです。
総会屋や暴力団などは経営陣、会社のスキャンダルで企業に挑んでくるのですから。
その男はその企業を守る与党の総会屋として活躍したのです。
勿論相手は金が目的ですから、脅迫で企業から金を巻き上げていたのです。
そんな輩と交渉することで、総会をシャンシャンと終わらせるのです。
生前その男に聞いたのです。
一番恐ろしかったのはと。
その男は「大阪で暴力団に取り囲まれ、口にピストルの銃口を咥えさせられたときかな」
「恐ろしくはなかったが、危なかったかな」と。
更に聞きますと。
「総会屋時代は企業を攻める暴力団や右翼などに金を渡すのは日常茶飯事だったが」
「警察や政治家にも金は配ってたし、事務所にセビリにも来たものだ」
その男は昭和56年の商法改正で警視庁に引退届を。
総会屋が生きる時代ではないと。
その後は仲良くなった暴力団も右翼とも没交渉になったのだと。
その男は「警視庁に引退届を出したのは俺くらいだ」と自慢していましたが。
その男は総会屋でしたから、ビジネスに通じていたわけでなく。
バブル崩壊で破たんの憂き目にも会うのですが、昔の仲間と仕事をすることは一度もない。
どんなに貧乏してもその一本の道は変えなかったのです。
その男は話していても、身についた総会屋や暴力団の理論そのものでしたが。。
仕事は違えども修羅場を潜り抜けた人特有の迫力はありました。
昨年までは歳を重ねても元気で迫力はありましたが、病気には勝てなく。
その男は5月27日一人で逝ってしまったのです。
その男とは敵対し、争いにもなりましたが。
最後まで逃げない対応をしたことで、この10年親しくお付き合いしたのです。
家族ぐるみの。
人のご縁とは不可思議なもの。
生きていくということは、そのご縁を大切にする事、そう思うのです。
その男のご冥福を祈るとともに「ありがとう」と言いたい。
最後まで読んでいただきありがとうございました。