ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

言い訳

2007-04-10 12:51:14 | カッチイ’s ジャーナル

2月以来、ブログは、ご無沙汰してしまった。2月の東京出張以降は、梅田・大丸ミュージアムでの「ピカソ展」に、ショップ・ダンケの出品の準備に追われたのだ。

スペインの生んだ巨匠、ピカソ展が、何でショップ・ダンケに、お声がかかったのかというと、この度の作品は、ケルンのルードウィッヒ美術館のピカソ・コレクションであったことから、関連商品ということで、お呼びいただいたのだ。ありがたいことである。

最初の梅田の大丸・ミュージアムの展覧会(3月1日から3月25日)の反応は、売れ筋を予想するためにも大切だった。開催中、つどつど様子を見に行って、手伝った。この展覧会は、11月末まで、地方の公立美術館を、巡回するのである。現在は、浜松市立美術館 で、開催されているが、搬入時には、追加商品も、もって行った。

もちろん毎日のメール、問い合わせ、注文の処理もあるし、ドイツ語レッスンもある。ゴールデンウィークの東京国際フォーラムで、開催されるラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭 の準備も重なった。ドイツへの発注は、時差を計算して、電話とメールのやりとりで、話を詰めていった。

おかげで、3月遊びに行ったのは、11日の東大寺の「お水取り」だけ。ドラマ「華麗なる一族」も、「東京タワー」も見るのをリタイアした。世の中、気になる事件は、たくさん起きていた。

旅行業界に関連してきた私には、JR尼崎の脱線事故の意見聴取会、吹田のスキーバスの事故は、強い関心を持ってニュースを見ていた。特に、毎日新聞が、熱心に検証記事を書いていたスキーバスの事故は、規制緩和のもと、過重労働の結末といえる痛ましい事故だった。現場が想像ができるだけに、人ごとと思えなかった。

日本航空の失墜は、辞めた観光系専門学校の学生募集にも、大いに響いているらしい。(東洋経済4/7号の世界トップエアラインランキングで、日本航空は、12位、全日空空輸は、10位、ルフトハンザ・ドイツ航空は、2位、ちなみに1位は、堂々シンガポール航空である)

松坂屋と大丸が、経営統合、阪急阪神ホールディングス(HD)は、百貨店だけでなく旅行業も再編するという。サッポロが、米投資ファンドに買収提案を受け、業界再編は進む一方。

日興コーディアル証券は、利益水増しが明らかになったのに、上場維持された。まもなく米金融大手のシティグループが、日興コーディアルグループの子会社化に乗り出した。日本の三大証券の1つが、外資の傘下に収まることになり、日本の金融の勢力図が、激変した。外資が、手ぐすね引いていたと思うと、不愉快だ。

三洋電機は、社長交代し、世襲経営に終止符を打った。当然だと手をたたきたい。三洋電機の場合は、世襲制批判を交わすために、キャスターの野中ともよ氏を、会長兼CEOに起用するという奇策に出たことからして、そのセンスが疑われる。経営悪化をたどり、多くの従業員の不満と無念が、うずまいていることでしょうね。創業家が、牛耳れるような規模の企業ではないのだ。

ライブドア事件で、実刑判決を受けた堀江被告は、TV番組に出演して、経営者として自覚のなさを、改めて露呈した。彼の言葉以上に、その姿、表情から、TVって、ライブで、その人の中身を伝えてしまうところもある。関西TVの捏造問題と裏腹に、皮肉なメディアである。巨大なパワーを持っているから、厄介だ。

柳沢厚生労働相が、「女性は子供を生む機械」と、時代錯誤もはなはだしいバカなことを言ったのを筆頭に(本音が出ちゃったのね)に、安部内閣の閣僚は、ぼろぼろ失言を繰り返す。中央政治が、いわゆる「勝ち組」の人たちで占められる一方、地方都市は、夕張市の財政破綻に代表されるように、経済の地盤沈下にあえぐ。

こんな状態だから、生駒市の選挙と知事選挙には、一票を投じに行ったけど、私が投票した無党派の人は、すべったなあ。

どうして、東京都民は、またまた石原氏を選んじゃったのだろう?こんなゴーマンなオトコ。漫才師を大阪府知事に選んだこともある関西人には、解せません。

週刊文春BUSINESS(臨時増刊4月4日号)は、永ちゃんこと矢沢永吉が、モノクロームの表紙で、穏やかな笑顔を向けていて、かっちょいい!この特集号は、書き手も、期するところありという意欲にあふれていて、心から共感できる記事が多かった。

テーマは、すべての働く男女に捧げる「反(アンチ)セレブ宣言」

心理カウンセラーである海原純子氏は、勝ち組の精神分析「こころのセレブは、誰か」で、こう述べている。

「勝ち組」は、自分のもつ権力に無自覚である。自分の実力だと信じている「力」のなかに、自分の成育環境や、先祖代々受け継いできた資質、あるいは親の収入などの恵まれた条件、すなわち「透明な上げ底」が、含まれていることに気づかない。

「透明な上げ底」とは、言い得て妙だ。透明な上げ底の靴を履いた人間の欲望は、尽きることはない。お金や地位や外的条件を追いもとめる限り、満たされるものは、本来の幸福とは違う。しょせん、ガラスの上げ底の靴を履いた人間は、前のめりになって、つまづいて、転んでしまう。

「自分のベクトルを、外的条件ではなく心のうちに向けるには、メディテーションが必要だと私は、考えている。無心になり、自分と向き合うということである。」と、海原純子氏は、言う。

このメディテーションに、ストイックに明け暮れた哲学者が、先ほど46才で、腎臓癌で逝った。池田晶子氏である。生きて在るということは、どういうことか?果てしない思索を、自分の人生の中心に置いた人だった。「知ることより、考えることである。」と言い、数学で言えば、普遍な数式を、追い求め、哲学する人であり続けたいと願った人だ。

最後の遺作となった「14歳の君へ どう考えどう生きるか」の「はじめに」で、彼女は、「君が、幸福な人生を生きたいと願うなら、遅かれ早かれ、死への恐怖と対面し、これを克服しなくてはならない、これは人生の一番大変な課題なんだ」と説き、「だって、君は、幸福な人生を生きなくちゃいけないからだ」と励ます。

「幸福」の章で、「幸福であるとは、心が幸福であるということ以外ありえない。・・・中略・・・幸福な心を手にいれるためには、幸福な心になればいい。人は、幸福な心になりさえすれば、誰も必ず幸福になれるんだ。心が、幸福でないままに、外に幸福を求めようとするから、幸福になるのが、難しくなっているだけなんだ。」

池田晶子氏は、「14歳からの哲学」より、より平易な言葉で、青少年に、人生の教科書として「14歳の君へ どう考えどう生きるか」を、最後に残した。

この本は、読み継がれ、永遠を生きる美しき古典の仲間入りをすることだろう。言葉は命であると訴え続けた哲学者にとって、これ以上の本望はあろうか?

携帯電話も持たず、インターネットもメールも使わず、年金、生命保険も要らないと言い切る池田晶子氏のようには、私はなれないが、自分を知り、幸福になりたいと思う。

商売人なんで、利益を賭けて自己主張するときは、気が立って、心が波立つこともある。インターネットから来る仕事量を、自分でコントロールできず、一杯一杯になる。3月は、肩こりに悩まされた。

ブログの更新が滞った「言い訳」から、長い文章になってしまった。時間を取り、記事を書くことで、私も、自分自身に向き合うのかもしれない。


W杯観戦ツアー中止

2006-06-06 00:16:55 | カッチイ’s ジャーナル

記事を書きかけてると、ばっと画面が変わり、保存できなかった(ブログ人は、時々そういうことがある)ので、JATA(日本旅行業協会)の重要事項のリンクだけ張っておいたが、後日、書き足し。言いたいことは、W杯のチケット手配した旅行会社の責任だ。

フランス大会では、現地に旅行者が行ってから、チケット手配できないことが判明し、大騒動になり、日韓共催のときは、なぜかチケットがあまり、会場に席がガラガラという事態を招いたり、W杯のチケットには、問題が多すぎる。今回、ドイツ大会では、国際サッカー連盟は、代理店を通した販売をやめ、大会組織委員会によるネットの直接販売と、各国のサッカー協会への割り当て販売とした。

厳しくチケットをコントロールされたので、正直一般のヒトは、宝くじに当たるくらいの確率でしか、チケット入手ができなかったと思う。

旅行会社は、よっぽどのコネクションを持っていないところ以外は、「W杯観戦ツアー」を銘打たなかった。「マックスエアサービス」は、「中国国際体育旅遊公司」という名称の旅行社に、チケットを受け取る前に、約8000万円先払いしたという。社長は、「中国の会社にだまされた」と会見したが、アホかと言いたい。

申し込んだお客様に、きちんと返金できるのか?信用がた落ち、旅行業者として、今後はきわめて厳しいでしょう。

W杯のように観戦ツアーというのは、期待度も大きく旅行代金も高い。申し込む方も、事件に巻き込まれないためには、注意と配慮が必要です。

旅行業者が、チケットの入手しているのかなど、担当者と何度も電話で話しして、確かめてください。インターネット販売をしている場合は、下記の社団法人日本旅行業協会の公式サイトの「電子旅行取引」の項を、クリアしているのかチェックしてください。

社団法人日本旅行業協会の公式サイトの「電子旅行取引」の項は、以下です。

http://www.jata-net.or.jp/jatainfo/etbtsystem/

以下、重要項目

「インターネットを利用した旅行取引に関するガイドライン」

http://www.jata-net.or.jp/jatainfo/etbtsystem/7.htm

HP表示項目」

http://www.jata-net.or.jp/jatainfo/etbtsystem/pdf/e.pdf

HP掲載参考資料」

http://www.jata-net.or.jp/jatainfo/etbtsystem/8.htm

が、記載されていないインターネット販売のツアーには、参加されないことです。


マネーゲームの餌食

2006-06-03 01:16:00 | カッチイ’s ジャーナル

に、阪神電鉄が、なってほしくないと思っていた関西人は、多かった。村上氏のインサイダー取引の疑いが明るみになり、「やったね!」と快哉を叫んだのは、カッチイだけじゃないはず。やっぱり神様っているものよね(笑)

1月のライブドアショックに続き、今年2回目の株式市場を震撼させる波が来た。村上氏は、阪神株を、手放すだろうが、阪神と阪急は、本当に合併するのだろうか?

阪神タイガースという、愛すべき球団を抱える阪神電鉄という企業は、一般に持たれている庶民的なイメージとは、裏腹に、西梅田一帯に、多く不動産を持ち、関西ベストホテルのリッツカールトンを擁し、村上ファンドが目をつけるだけのことはある資産価値の高い企業なのだ。

阪急は、阪急百貨店に、阪急インターナショナルホテルと、確かに系列は、華やかなイメージはあるが、宝塚ファミリーランドもつぶしていることだしね。内情は、いかがなりや?

カッチイが、接した部分では、添乗員時代、阪急交通社の北海道、沖縄のツアーの添乗には、泣かされました。

海外旅行も、とにかくキツイスケジュールを組み、安売りで名をはせる阪急交通社の「トラピックス」に対し、阪神航空の「フレンドツアー」は、無理のない行程で、評判のよいホテルで連泊し、そこそこの価格設定で、良心的なヨーロッパ・ツアーを売ってきた。カッチイが、ハービス大阪で、ドイツ語講師をさせてもらっているものだから、どうしても、阪神さんの肩を持ってしまうのだが(笑)、私の接した阪神の社員の方は、皆おっとりとして、紳士的だ(誉めとかなくっちゃね!)

関西の私鉄というのは阪急、阪神、南海、近鉄、京阪といったところが、起点も方向もバラバラに存在していて、それぞれが、地域性と結びついて、強烈なカラーがある。

近鉄奈良線、大阪環状線、阪急神戸線に乗り継いで、大学に通っていたが、まあ、見事に、雰囲気が違う(笑)

水と油くらい違う阪急と阪神が、経営統合なんて、にわかに信じられないけど、路線が違うわけだし、統合しても、首の挿げ替えが、トップのほうであるだけで、シモジモの大多数の方には、あんまり変りはないのではないかしらん。


移民漂流 NHKスペシャル

2006-02-03 02:35:40 | カッチイ’s ジャーナル

リアルタイムの放送から、また微妙にずれたが、最近のドキュメンタリーのヒットはコレ。「NHKスペシャル 移民漂流」 こういう見ごたえのある番組を作ってくれるなら、NHKに、受信料お支払いしましょうという気になる。

世界の3カ所にカメラを据え、同時進行で1つの動きを追うドキュメンタリー。今回はエチオピア、イスラエル、ドイツで、仕事を求めてさすらう移民の姿を追う。

エチオピアの山間の町では、豊かさを求めてイスラエルに移住しようとする人々がバスに群がっている。アラブ人の人口急増に危機感を抱き、古代ユダヤ人の末裔を世界中で探しだして、大量の移民を受け入れることを国家政策としているイスラエルには、恐れ入る。しかし、非ユダヤ教徒と婚姻のある者は、はねてしまう。そのため、番組では、娘さん一家は、父と一緒に、イスラエルには行けなかった。受け入れ側のよくわからない基準により、選民されてしまうのだ。

その一方で、テロの不安から、イスラエルのある若者が、パレスチナに対する抑圧者として、自己認識し、イスラエルにいることに耐えられない閉塞感を感じてしまい、かつてのホロコーストの地、ドイツへ脱出しようとする。このナイーブさに、いたたまれない気がする。

「私たちが、後ろ指さされないようにいられる場所として、どんな思いで、イスラエルを作ってきたと思うの。ユダヤ人にとっての安住の地は、イスラエルしかないのよ」と涙ながらに、母は、息子を引き止めようとする。母親の心情から一歩退いて、ドイツで、外国人として暮らしたカッチイの目からみても、この息子が、ドイツでヘブライ教師になるくらいの展望しか抱いていないのだから、苦労することは目に見えている。

当のドイツは戦後最高水準の失業率に苦しみ、冷戦後、押し寄せる移民を怨嗟する気運が高まっている。戦後の復興期に、ドイツに「ガストアルバイター」としてやってきた移民たちは、もう第二世代を迎える。番組は、ベルリンの中年のトルコ人が、ドイツ育ちの息子を抱え、失業し苦悩する姿をレポートする。

EU諸国内では、人の動きをたやすくしているので、年に15万人ものドイツ人が、他国へ移住する事態まで起きている。

番組では、ヨーロッパだけでなく、カナダの投資移民向けPRビデオも紹介する。「我が国は優秀で金持ちな人間を確保したいのだ」とする主張は、臆面もなく堂々としたものだ。

「移民漂流」は、この現象を、国家の「人口問題」をキーワードに、問題を際立たせてみせる。あれほど移民のテロが激化しているフランスでさえ、移民を受け入れる方向に、法律を改正している。このままの「少子化」が進めば、国を支えていけないからだ。

国連のレポートで、先進国で、最も移民受け入れが要請されている国は、日本だと名指しされている。年間640万人もの移民を受け入れることが期待されているという。その数字を聞いてのけぞった。

しかし日本ほど移民を受け入れる条件が厳しい国はない。危険を犯して日本に違法入国しようとする人たちのニュースを伝えるが、一般に深刻に受け止められていない。町では、3kと言われる仕事に従事するのが、外国人が多いというのに、気がつかないわけではないのに。

これで、半島の北の国に崩壊でも起こったらどうなるのか?南の国だって、中国だって、流れ来る難民を受け入れる用意はない。しかし、いったん壁が取り除けられれば、それが平和的方法にのっとっても、思った以上の混乱を生むものだということを、ドイツは身をもって示している。川が決壊すれば、思いがけない方向に水はあふれていくものだ。日本もその潮流の水をかぶることは、明らかだ。

国家は、生産人口を維持し、経済発展を志向する政策をとる。しかし、自分と家族の幸せを考えて、国を捨てて漂流する個人が出現してきた。それぞれの思惑がぶつかり、混沌を生む。この流れは止められない。ドイツは、日本よりは、グローバリズムに慣れている国だと思う。悩みながらも、移民を受け入れ、ヨーロッパの中央に位置する国として模索を続けるだろう。ナイーブな日本は、この混沌を受け止められるであろうか?ナイーブというのは、誉め言葉としてここでは使っていない。


博士の愛した数式 ルート先生

2006-01-24 17:12:00 | カッチイ’s ジャーナル

「博士の愛した数式」については、昨日の23日のブログで、その作品を語ったが、ここでは、ルート先生について語りたい。
                  
カッチイも、教壇に立つ経験があるので、先生サイドの視点から、このルート先生を見てしまったところがある。授業を進めるルート先生は、「教師のあらまほしき姿」の理想である。
                  
映画を見た観客から、「ルート先生に習えば、数学が好きになったのに。」とか「ルート先生に教えてもらいたい」という感想が、公式サイトや映画関係のサイトの書き込みとして、圧倒的に寄せらてれいる。
                  
この授業のシーンは、小泉監督によると(キネマ旬報 2月上旬号)リハーサルを念入りにしたところであるという。「授業で扱う数式などマテリアルを研究し、生徒役をオーディションで決めて、助監督に先生をやってもらって授業の進め方を吉岡さんに見てもらう。それから吉岡さんに入ってもらって、生徒と一緒に何度かリハーサルをするというやり方をした」ということだ。
                  
ピンとはねた寝癖がかわいい吉岡ルートは、実年齢より、うんと若く見える。博士と母と過ごした話を語りながら、きっちり今日教えようと思っている数式の説明の段取りは、頭のなかにピシッと入っている。
                  
黒板に書く事項を、「板書」と言うが、授業で伝えたいエッセンスでないといけない。教師としては板書している間は、説明もできず、学生は、書いたしりから、写そうとするから、板書は、できるだけ簡潔なものでなくてはいけない。学生の頭のなかに素通りで、学生が、板書を単に「写しているだけ」の授業になることは、最も避けねばならない。
ルート先生が、数式を書く場所、順番、内容は、計算しつくされている。書き進めながら、授業が終わったとき、緑の黒板に、提示したい世界が残っているという具合だ。
                  
彼の声、トーン、学生に投げかける視線とその動きは、プレゼンテーションをする者は、見習うべきだろう。どうすれば、学生に、自分の伝えたいことが、伝わるのかを、熟知している。
                  
映像は、学生の姿は、後姿しか写さないのだが、学生の先生の説明に、無邪気に反応する声が響く。ルート先生が上手いのは、その学生の反応を受け止める時で、カッチイ自身が、一番うなったところだ。
                  
実は、教壇に立つものは、学生から質問や、反応が飛びかうとき、内心、一番オタオタする(笑) 突然投げかけられたボールを、しっかりキャッチして、返さねばならない瞬間だ。一方的に、こちらが言いたいことを聞かせようとしているならば、そういう瞬間は、狼狽するしかない。
                  
学生の反応に、感謝して、ボールを投げ返し、そのボールが、学生のグローブに受け止められる音を確認できるのが、理想の教師だ。だいたい、それは、学生の目が、どれだけ輝いているかでわかる。ルート先生は、手ごたえを確かめながら、ユーモアを持って、生き生きと授業を進行させていく。
                  
オイラーの公式は、指数関数と三角関数を結びつける数式だそうだが、ルート先生は、今日のところはと大事な結論だけと、授業で刈り取るべきところもさりげない。

10を知っていても、1しかあえて、言わないことも大切なのだ。これができる教師は、案外少ない。往々にして、はりきって、学生の受け止める容量を越えて、延々と説明してしまう。それは学生に、混乱と不安を与えてしまうだけなのだ。今の段階で、相手が、どれだけ受け止められるかを考え、10のうち1を伝えるか、2まで伝えるか、冷静な判断がなくてはならない。が、もちろん、質問されて請われれば、10まで説明できる力は、持っていなくてはいけない。

そして、学生には伝えないといけない重要なひとつは、先生が、楽しげに授業をしている姿勢自体だ。
ルート先生が、どれだけ数学を面白いと思っているか、博士がどれだけ好きなのかということを、学生には、しっかりと届いた。だから、「先生、ありがとう」という言葉が、学生から投げかけられるのだ。
                  
これには、じーんと来た。でも、本音を言えば、現場の教壇に立っている者として、無力感にもさいなまれた。既存の学校組織と、私自身の度量に、欠落しているものを感じずにはいられなかった。
                  
ルート先生の吉岡秀隆のパートは、映画製作の初めの部分で撮影されたという。吉岡秀隆自身は、博士の演技を見ているわけではなかったが、寺尾聰が博士を演じることを念頭において、作品全体がよくなるために、自分のパートを演じた。小泉監督にとって、この部分の撮影が無事終わり、この映画は、うまくゆくという安心感を持ったという。
                  
博士と成長したルート先生が、一緒に登場するのは、唯一、最後の博士とのキャッチボールのシーンだ。昨日のブログにも書いたが、あのとき、ルート先生が、その前に、頭をたれて、お辞儀をする姿には、感動した。あの時点の博士は、ますます記憶障害が進み、病院に入院しているのを、ルート母子が、博士を訪ねていくという設定のところだ。
                
はっきりと描いていないが、子供のときと同じように、ルートの頭をくしゃくしゃにしてなでる博士には、成長したルートを、どれだけ認識できているのか、わからない状態だったのだろうと思う。しかし、ルートがしたことは、お辞儀だった。ドイツ人だったら、目を見て、握手するところだろうが、日本人の美しい所作に、不覚にも涙がこぼれた。教えられた者が 尽くせることは、感謝にほかならない。
                  
William Blake ウィリアムブレイク(1757-1827)の詩が、小泉監督の訳で、掲げられる。 映画で、この詩を出すのは、ちょっと蛇足かなと思ったが、小泉監督の審美眼には、この詩は、この映画の世界観を、如実にあらわしているのだろう。最初のところだけ、カッチイも試訳しておこう。
                  
Auguries of Innocence 無垢のまえぶれ

To see a World in a Grain of Sand

And a Heaven in a Wild Flower,

Hold Infinity in the palm of your hand

And Eternity in an hour
                  
一粒の砂にも世界を
一輪の野の花にも、天国を見る。

君の手のひらに無限を
ひと時の中に、永遠を握ってごらん。