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四日間の奇蹟6

2005-06-06 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

あと、加羽沢 美濃の映画音楽は、本当に、映像の邪魔にならず、俳優の気持ちに寄り添うような音楽で、耳に心地よい。主題歌の平原綾香の「Etenally」も、歌詞もよかったし、いつもより高い中音で歌われるサビが、何ともドラマチックだ。

それと、この「四日間の奇蹟」の舞台となった山口県の角島というところは、本当に、ユートピアのような美しい島で、ここだからこの奇蹟が起きたことが、信じられる。最後のエンドロールで、この島をゆっくりカメラが追っていき、全景を映して行ったのは、印象的。教会のセットが、まだ残っているというが、観光客が詰めかけるだろうな。

作品自体は、俳優のリアルな演技を積み重ねた演出で、ファンタジーでありながら、絵空事でない重みを感じさせ、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』といった既成のラブファンタジーとは一線を画す作品になっていると思う。

死を目前に、今まで生前に交流のあった人に、感謝するというちょっと気恥ずかしい、でもそうしたいと誰しも思う生き方の理想を、正攻法で、丁寧に作り上げている。今流行の派手な超大作とは、真逆のささやかな物語であるが、そこが、佐々部監督の真骨頂である。

助監督を長くつとめた佐々部監督は、40代になって、破竹の勢いで作品を撮っている。去年アカデミー賞作品賞を獲得した「半落ち」のあとの本作で、6月4日の封切り以降、これからどのような評価を得るのだろうか。見守っていきたいと思う。


四日間の奇蹟5

2005-06-05 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

千織が、14歳という中途半端な年齢であることが、このファンタジーな物語を成立させている重要な要素だと、映画を見終えて思う。

吉岡秀隆が敬輔を演じることを念頭に入れて、映画をスタートさせたという佐々部監督だが、吉岡秀隆だと元々持っている居ずまいとか存在感で、原作の前半の過去の説明をしなくても、リアリティを示せるからだとビジュアル・ストーリーや、クランクアップのインタビューで発言している。

彼の清潔感のある立ち居振舞いが土台にないと、千織と並んだときに、妙な色気が出てきてしまうということらしい。

妙齢の千織では、敬輔が引き取るという関係が成立せず、愛憎する感情を持ちながら、彼女のピアノの才能を育てるという設定にはならない。

そして14歳の千織に、真理子が入ることで、敬輔に、恋愛感情や、無償の愛を注ぐ父性を含めた豊かな人間性が引き出される。

敬輔を演じた吉岡秀隆は、映画パンフレットで、「敬輔と千織は、結婚するのかもしれないな」と言うのだが、うーん、そこまでいくんだと思ったが、そうだろうなと納得した。しかし、それで、二人に子供が生まれるのか?とまで考えるのは、またまたリアリティに捉えられ過ぎるというものだろう。

ただ、真理子が、実際あれほど子供を切望し、敬輔と真理子の真中に千織がいて、3人が家族のように手をつなぐショットが出てくるところを見ていると、母性は、子供を欲しいと思うものだと説得させられる気もする。子供をもてなかった女性には、少しツライところである。

愛し合うカップルに子供が生まれ、家族になり、それが、社会の最小の単位になるというのが、理想だから当然か。

しかし家族が欲しかったのに、それが得られなかった真理子だからこそ、よりその母性の強さを、客観的に認め、賛美したのかもしれない。

真理子を演じた石田ゆり子が、快活でありながら、ふんわりした優しい雰囲気も漂わせ、とてもよかった。原作の饒舌すぎる真理子よりも、独特の透明感があって魅力的だと思った。去年の「解夏」よりずっといい。彼女の代表作になるんじゃないかな。

アカデミー賞の新人賞は、尾高杏奈ちゃんでキマリかなと思う(笑)

吉岡秀隆の「受け」に徹した静かな演技は、見る眼のないひとには、地味に映るかもしれないが、玄人には高く評価されるだろう。特に、俳優には嫉妬されるのではないだろうか。


四日間の奇蹟4

2005-06-04 16:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

真理子は、ここで異性としての愛だけでなく、敬輔に対し、深い母性を示す。彼をピアノに座らせ、「ほら、弾けるでしょう。私のために、そしてあなたたちのために」と勇気づける。

吉岡秀隆のベートーベンの「月光」は、映画の聞かせどころになっている。ピアノが全く弾けなかったのに、4ヶ月ほどの猛特訓で、吹き替え無しで、吉岡秀隆自身が、弾いているのだ。吉岡秀隆は、完成作を見て、随分カットされていることに、笑って憤慨していた。

私は、ピアノに詳しいと言えないのだが、ピアノの運指は、どうしてもプロとアマとは歴然とした差が出るので、吉岡秀隆の美しい手をあえて多く写さなかったのかもしれないと思った。しかし彼の祈るように心をこめてゆったり奏でる「月光」は、素直で暖かな響きである。俳優というのは、やることなすこと、その人間性が投影されてしまうものなのだと痛感させられる。

真理子の憑依がとけて、千織は、戻ってきた。自分を責める千織に、「僕も真理子も、おまえを守ったことに少しも後悔はしていない、むしろ誇りに思う」と言って抱きしめる。そのときの敬輔には、今までになかった「父性」が現れていたのを見てとれた。

真理子は、自分は死んでしまうけれど、ただひとつだけ自分の想いを千織に渡すと言った。
敬輔のもとに、帰ってきた千織が、
「千織ね、パパが好き。だけど、少し、変、違う」
「え?」
「わかんない、知らない気持ち」

前より、少したどたどしくなく、そう言う。
真理子が、千織に託したものを、千織らしく表現したのが、愛らしかった。

4月16日の日記「四日間の奇蹟への期待」のところで、映画を見ていない段階で、映画の最後に出てくる千織と敬輔と真理子が、3人が、手をつないで歩く後ろ姿が、公式ページにあって、「子供を持つことを切望していた真理子だが、千織ちゃんは、敬輔とのふたりの子供をイメージさせるには、大きすぎる。」と自分で書いた。

この時点では、現実にありえるかどうかという視点で、3人を親子関係と見ていたのだが、私はリアリティの世界の視点に引っ張られていたようだ。


四日間の奇蹟3

2005-06-04 15:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

k原作は、ピアニスト生命を絶たれた敬輔の挫折と再生の物語であったが、映画は、真理子により、スポットが当たっている。

映画のテーマとして、原作のどこを削り、どこを膨らませ、フォーカスを当てたのか映像を見てよくわかる。

真理子は、母性愛の強い女性で、その誠実で暖かな彼女の人間性が、作品全体を貫き、支えている。子供を産み、家族を持つことを切望しながら、それがかなわず、それを理由に離縁される。今の時代、そんなことがと憤ることは簡単だが、日本の地方都市や封建的な家庭では、全くありえないことではないと思う。

生まれたばかりのひよこを見たあとに、生卵を溶いて食べる無神経な嫁ぎ先の朝食の風景がトラウマになって、真理子は、卵が食べられなくなってしまうのだが、「命」の象徴である卵がうまく使われていた。

石田さん自身が、インタビューで語られていたのだけれど、真理子が、「女性はどこまで初恋の相手を思い続けることができるのか?」と疑問を感じたと言われているのだが、これは、女性としてとても共感する。

Yahoo!ムービー 「四日間の奇蹟 石田ゆり子 独占インタビュー」
http://movies.yahoo.co.jp/interview/200505/interview_20050531001.html

不運が続き、孤独をかかえつつ一生懸命、誠実に生きてきた真理子に、最後に、ごほうびのように、初恋の人と過ごす4日間が与えられたと解釈したほうが自然ではないだろうか。石田ゆり子さんが、監督に提示した12年ぶりに再会して、改めて、そして新たに敬輔を好きになっていくとする演技プランが採用されたのは、正解だったと思う。彼女は、この4日間を支えてくれた敬輔に感謝する。

この映画のタイトル画になっている敬輔に、真理子がおんぶされて、背中で甘えるように顔を埋め「やっぱり、私あなたが好き」と告白するシーンは、映画のプロモーション映像では、盛んに流れたが、実際の本作では、このシーンは、告白寸前のところで、真理子に言いとどまらせている。

ある意味、ピアノ一筋にきている敬輔より、真理子のほうが、人生の辛酸をなめているといえる。命の最後を間近にして、真理子は、敬輔を教会へ誘う。

一人の女性としての真理子への愛が高まる敬輔に対し、真理子は、この最後の教会のシーンで、燐としてはっきりと敬輔への愛を言葉にし、敬輔のキスを受ける。真理子の幸せを祝福したいと、心から思った。


四日間の奇蹟2

2005-06-04 14:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

佐々部監督自身が、「実は、もっとも大変なのはその相手役である吉岡君(吉岡秀隆)だったのかもしれない。なにしろ、まったく別の人間、しかもまったく年齢の違う女性を相手に、同じ人と会話しているようなリアクションをしなければならない」と吉岡秀隆の苦労を察している。

クリエイターズ・ステーション
http://www.creators-station.jp/interview1/index.html

敬輔を演じる吉岡秀隆は、真理子の劇的な変化に対して、その瞬間の驚きや戸惑い、感情の揺れを、極力少ない動きとセリフで、繊細に細やかに演じている。面白いことに、敬輔が、真理子の変化に戸惑いを覚えている当初は、尾高杏奈が演じる真理子の演技も、不安定な感じがするのだ。

理不尽な死を迎えなければならない真理子の悔しさが、激情としてほとばしり、手当たりしだいにモノを投げつけ敬輔にあたるところから、真理子のICUの装置を引き抜こうとするシーンへつながるところは、緊迫感とボルテージが一気に上がる。敬輔は、千織ではなく、「真理子」と叫んで、千織を止め、抱きしめる。

この一件を境に、敬輔は、真理子が移った千織を、真理子として受け入れ接することに、ためらいが抜けたようである。

この敬輔の吉岡秀隆の演技で、以降の尾高杏奈の真理子の演技も安定して見える。そして観客の私たちにも、この物語が、その信憑性を超えて、胸に迫ってくる。

なぜなら、千織をかばったせいで、自分のピアニスト生命を奪われた呪詛を、敬輔が、吐露するシーンが次にあるからである。敬輔は、憎しみながら、千織のために、できるだけのことをしたいと思う心情も、決してうそではないと語る。

ここは、吉岡秀隆が、全編を通じて、最も、アグレッシブに感情の高まりを見せるところなのだが、敬輔の心に隠していた屈折した心情を、ありのままに見せることに成功し、それを、真理子に言えたことは、敬輔の心の闇に、かすかな光の窓を開けるきっかけにもなったことをも伝えている。

涙をいっぱいためて、敬輔の言葉を聞く尾高杏奈は、本当に石田ゆり子の真理子のように見えた。