ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

Drコトー診療所2006 第11話 最終回

2006-12-28 02:56:09 | 映画&ドラマにハマル!

21日の最終回は、クリスマスマーケットが佳境だったが、リアルタイムで、しっかり見た。

その後も、ずううと、余韻に浸って、ビデオをリピートしてる。ああ、終わっちゃったんだという、脱力感。木曜日まで、わくわくしてた3ヶ月の日々よ。さようなら、ありがとう!

では、締まりませんよね。もうちょっと、書かなくっちゃ(笑)

最終回は、彩佳さんのオペが、どうなるのかが、焦点であった。コトーは、彩佳を前に、一度は、動揺するが、「目の前の患者が、星野彩佳であることを忘れろ!」と鳴海に一喝され、我を取り戻し、オペを成功させる。しかし、ドラマは、それをクライマックスにするのでなく、「医師とは何か」という問題を掘り下げて見せたところに、意味があった。

最愛の家族のオペに失敗した鳴海だからこそ出たコトーへの厳しい批判、彼が言い放った結論は、「医者は、患者と家族になれない、なってはいけない」

ショックを受けて、彩佳の病室にも、顔を出せないコトー先生が、求めたのは、コトー先生自身の家族、母だった。こんなお母様に育てられたのかと納得するような品のある穏やかな母から、恩師が、離島医師の道を選んだ自分の生き方をうらやむように言っていたことを聞いて、コトーは、嗚咽した。コトーが、こんなにも、気持ちのままに泣きじゃくったことはない。あの涙のむせびの中で、「それでいいんだよ」と自分を肯定してもらえたと感じたのではないだろうか?

ようやく彩佳の病室に行った時には、もう医師としての顔を取り戻していた。彩佳の手を、お守りをはさんで両手で握ってコトーは、優しく微笑んだ。珍しく、男コトーの濃度が高かった(笑)手を握るのに、3年かなどど、思っちゃいけない(笑)人間同士の信頼がベースにある彼らならではの美しいラブシーンだった。

あきおじが亡くなったときも、あれだけ泣いたコトーだった。島の人を、「家族」として受け止めるのであれば、これから先、どれだけのつらい別れをしなくてはいけないだろう。和田さんが心配するように、コトーは、それに耐えることができるだろうか?

医師であることを、悩み続けることが、医師の使命といえるのだろう。答えを出すことが重要なのではない。コトーが、三上先生に、自分の決意を語ったとき、三上先生は、思わず、コトーに、頭を下げる。コトーも、彩佳の手術後、鳴海に、礼を言い頭を下げた。この謙虚さが、医師に求められる資質であることは、間違いない。

「人はいかにあるべきか その道をまっとうするために 大志を抱け」という言葉が迫る。タケヒロに宛てた手紙は、ドラマのテーマを貫くものだ。

小林薫さんが、TV情報誌で、「志木那島は、島全体が1つの家族だよね。家族だから誰かが病気になったらみんなで心配するし、タケトシが困っていると知れば、みんなで助けようとする。ただ、コトー先生は、ちょっと違う。精神的な支えにもなってくれる牧師的な存在なんですよね」

この「牧師」という指摘には、うんうんと頷いた。今回コトーは、ミナさんに対しては、上司として、島の子供たちには、命の大切さを説いたりする師としての役目も果たしていた。タケトシが、内心を打ち明けたのも、コトーにだった。

ラスト20分は、吉岡ファンへのサービスショットかと(笑)思うほど、島で往診して回るコトー先生の姿が映し出された。与那国でロケしている強みが、うんと画面に出ている。このコトー先生の自転車姿に、私たちは、島の人たちと同様、癒され安心するのだ。

そして、コトー先生自身、診療することで、また生きる勇気をもらっているという。こんな言葉が聞けて嬉しい。コトー先生は、やはり誰よりも、幸福な医者なのだろう。

吉岡さんは、また新境地を開拓した。今回のコトー先生の重要なシーンは、ほとんどセリフに頼らない。目線やしぐさ、たたずまいで、コトー先生の内面を豊かに表現する。この人のバックショットは、哀愁がある。回を追うごとの苦悩の表情が、最後には、島の医師として生きる決意に、顔がひきしまっていくのが、見事だった。

今回の連ドラで、「Drコトー診療所」で描きたいことは、中江監督は、描ききったとも言えるので、私自身は、これで完結してもいいかという気になっている。連ドラでは、島民を次々病気にしてしまわざるを得ないし、ちょっと難しいかとも思う。2-3年おきのスペシャルではありかな?「北の国から」化は、始まっているのかもしれない。


ミニ・クリスマスマーケット

2006-12-20 09:17:37 | ショップ ダンケ

No1_2「 ショップ・ダンケ」と、「カッチイのドイツ旅行案内」で告知しているが、ハービスOSAKA3Fで、恒例となったミニ・クリスマスマーケットを開催している。

何度か開催すると、飾りつけも、要領がわかってきた。今年は、ちゃんとプライスリストや、POPも作って、見やすいように工夫した。クリスマスのオーナメント、蜜蝋のキャンドルアクセサリー、ステンレス・ギフト雑貨、文房具、キッチン雑貨を、所狭しと並べている。

お客様が、足を止めてくださると、わくわく、「かわいい!」という声が聞こえると、店主は、内心、飛び上がって喜んどります。もうクリスマス・セールだから、「ショップ・ダンケ」の商品を軒なみ、お値打ち価格で、提供させていただいています。

No5

暮らしを彩る機能的で、キュートなドイツ雑貨。愛着の湧く商品を、セレクトしています。お気に入りのものが、手元にあると、ちょっと幸せ気分になれる。

オンラインショップを運営していると、対面販売のできる機会は、本当にお客様の反応がダイレクトにわかって、勉強になる。

12月25日までやっています。AM11:00~PM8:00まで。ぜひお立ち寄りくださいまし!


Drコトー診療所2006 第10話

2006-12-16 02:25:58 | 映画&ドラマにハマル!

わーん、いやがうえにも最終回盛り上がる仕掛けを一杯作っちゃった10話だった。

コトー先生が、皆に背中を押されて、彩佳のために、東京に行くまでを、じっくり描いてくれた回だった。主要登場人物に、それぞれに、ここぞという見せ場を用意してコトーに関わり、ドラマが、クライマックスに向けて、集積されていく。

娘の乳がんを知って、東京に駆けつける正一と、彩佳の親子喧嘩。これも、お互いを思いやるこの親子ならでは。

彩佳の精一杯気丈に振舞う電話は、切なかったなあ。元気に働く看護士の彩佳のシーンを、効果的にはさんで、「私ひとりのために、コトー先生に来てもらうわけにはいきません。志木那島の診療所の元・看護士として、それはできません。」元・看護士だなんて、彩佳さん、言わないで。電話を切って、泣き崩れる彩佳に、こちらももらい泣き。

昌代さんが、正一と一緒にやってきて「ごめんなさい。つらかったね。せんせい」って、さすがだわ。わかってる。この人の言葉に、コトー先生は、救われたに違いない。彩佳の乳がんを隠されて、一度は、コトーとも亀裂の入った正一も、一緒に頭を下げた。きっと昌代さんに叱られたのかもね。クールにデータで、彩佳の病気の診断をする鳴海先生に会ったことで、逆に、コトー先生への失われた信頼を、取り戻したのだろう。

「彩佳さんには、専門医がついている。もし、僕が行ったとしても、医師として何もできない。そばにいることくらいしか。」と嘆くコトー先生に、和田さんは、ここぞのタメ口で、

「だから、いくんじゃないのか 先生」こういう時、年上の男性として、力強いサポートを、いつもしてくれる和田さん、サンクス!

さて、3年前、東京へコトー先生を迎えに行ったタケトシが、今度は、コトー先生を、「剛宝丸」で送る。ずっと、彩佳を一人で東京に行かせたことを悔いていたコトー先生だが、「もう、後悔しません」

遠ざかっていく志木那島を見て、「きれいですね。僕は、こんな美しい島に住んでいたんですね。」と自然に対する言葉が出てきたのは、象徴的。8話で、自分の無力にうちひしがれていた時も、大海原が、コトー先生を慰めてくれたものね。

それで、病院に到着したら、大きな荷物を抱えてうろうろ。彩佳を見つけて、コトー先生、36歳にして出た言葉が、「来ちゃった」

うーん、かわゆすぎる!この言葉に「来ちゃった」視聴者は、雨あられだろう。こんなお茶目で、天然なコトー先生は、吉岡コトーしか出来ません。(きっぱり!)

「もし、再発したとしても、僕が、何度でも、何度でも治します。僕は、彩佳さんのそばに、ずっといますから。彩佳さん、僕にオペさせてください。」

これは、コトー流、究極のプロポーズだよね。名セリフです。脚本家の吉田紀子さんに乾杯!

もともと男女のことには、超うといコトー先生は、彩佳が口走った恋愛感情には、乳がんの告白のショックもあり、戸惑いのほうが大きかっただろう。自分の感情より、大変なものを背負わされたという気持ちのほうが強かったのかもしれない。

しかし離れてみて、島での診療をもくもくと行う日常のなかで、彩佳の存在の大きさに気づき、彼女のことを想う気持ちが蓄積され、悩んだ。そのうえで、彼女に寄り添うこと以上に、Drコトーならではの決断をした。つまり彩佳のオペをすることまで、踏み込んだ。プロポーズの重みが、そんじゃそこらの人とは違う。だって、「あなたの命を、僕に預けてください」と彩佳に言ったのだから。

こくんと頷く彩佳。化粧っけのない顔、抜けた髪を隠すキャップをしている彩佳の流す涙には、人間としての生身の感情に溢れていたねえ。男女の間を超えたものなんだ、この二人はと、つくづく納得させられた。

告白の間、コトー先生は、前髪で顔半分隠れていた。中江監督の演出だろう。コトーは、彩佳を見て、髪をかきあげて、はにかんで笑顔をのぞかせた。この無邪気な笑顔が、いい、抜群にいい!

この人は、年をとっても、ずっとこんな笑顔をするのだろう。老成しているようにも見え、少年のようにも見え、何よりヒューマンな素敵な笑顔だった。

鳴海医師に任せていたのに、医師としてオペに加わりたいというのは、越権行為でもあると思うし、彼との対決してでも、次回、コトー先生は、人生最大の戦いに挑みます!

コトー・サンタが、お見舞いに持ってきた小道具、たとえば、和田さんの特別カレンダーなんかは、最終回、絶対使われると見た!


Drコトー診療所2006 第9話

2006-12-08 21:53:52 | 映画&ドラマにハマル!

看護士のミナちゃんの秘密が明かされた回。乳がん治療のため、島を離れた彩佳の代わりに、レギュラー陣として起用された新米看護婦ミナちゃんは、彩佳と比較されるから、プレッシャーがあったと思うけど、「Drコトーの世界」に、見事溶け込んだと思う。蒼井優ちゃん、私は、好きだなあ。バレーを踊るシーンが、印象的だった「花とアリス」くらいしか彼女の出演作品って知らなかったのだけど、映画育ちなのね。

彩佳とコトー先生に、和田さんだと、もうテキパキと診療所でのやりとりが進んでしまうけれど、頼りないミナちゃんを投入することで、スタッフを育てていくコトー先生というのもを見ることができたし、成長していくキャラクターを、見ていくことは、楽しかった。

何か訳ありのところがあることは、今までの回にも、匂わせてきたけれど、まさかDV夫から逃げてきたとはね。ただ、ドメスティックバイオレンスという言葉は、番組中使われなかったけれど、それを体現しないといけない夫役の知明を演じた忍成修吾くんは、イマイチだったかな。ちょっと無表情で、普段は穏やかでも、ばっと豹変する狂気を表現するには、役不足。和田さんが、絶妙のタイミングで、割り込んできたということもあるか(笑)

今回は、レギュラー陣の演技力に頼って、話を進め、セリフで語らせたところがあったと思う。彼が、胸を押さえて倒れこみ、心停止してしまい、コトーとともに、ミナちゃんが助けるところは、「おいおい」という流れで、このドラマに今までにないちょっと無理やり感があった。

予告で流れてた「その先の人生は、自分の力で、切り開くべきです」は、ミナちゃんに言うのかと思ってたけど、知明に対してだったんだね。「そう思うなら、あなたは、やはりこの島を出て行くべきです。」ときっぱり。

コトー先生が、知明を諭すところは、シビレタ!タケトシに対しては、静かに聞くだけで、差し出がましいことは、一切言わなかったのに。

「治そうという強い意志があれば、病はきっと良くなります。体の病だけでなく心の病も。でも、それは、医者が治すのでも、周囲の人間が治すのでもない。その人自身が、病に立ち向かおうという気持ちがあって、初めて僕らは手助けできる」

ゆかりさんの生命力をまのあたりにして、コトー先生は、たくましくなった。彩佳の病に対しても、関わっていく伏線をひいたメッセージだと思った。

今回のもうひとりの立役者は、なんといっても和田さん。今までも、陰に日向に、ミナちゃんを励まし続けてきた和田さんだけど、今回は、びしっと男っ気のあるところ見せてくれました。舞台出身の筧さんは、セリフの入るタイミングが、絶妙なんだよね。ミナちゃんに、女心にしみる言葉をかけてくれる。

予告には、振り回されちゃう。
鳴海先生が、「だから、私は、執刀をする」と言う声を、「だから私は、嫉妬をする」と聞こえちゃった私。鳴海先生って、患者を、家族のように接するコトー先生に、嫉妬してるところって、あるんじゃないかなあ。

ミナちゃんが、きちんと夫にも、言うべきことをいい、コトー先生と、和田さんに、最後話すところは、立派だった。自分の言葉で、自分を語れるまでに成長したミナちゃんの演技には、感動して泣いちゃった。

さて、残すところあと2回。コトー先生、彩佳さんを助けてあげてね。


Drコトー診療所2006 第8話 補足

2006-12-03 12:18:16 | 映画&ドラマにハマル!

Drコトー診療所の第8話は、波紋を広げているようだ。見る人により、それぞれの感想があり、それこそが、中江監督のねらったことだと思う。

ゆかりさんが助からない
では、あきおじの時と同じで、視聴者は、なーんだになっちゃう。

ゆかりさんが助かる
それが、コトー先生の手術によってであれば、スーパードクターぶりが、鼻についちゃう。

でも、ゆかりさんが助かるというハッピーエンドは、皆が望んでいるし、何とかそれを可能にするのに、ありえない「奇跡」によってという選択を、ドラマは選択した。ある種、禁じ手を使ったともいえる。

万波医師の問題は、医者自ら、神様の領域に踏み込んで、「命」を取り扱う危険さを、私たちに示唆したが、逆に、神様のほうで、奇跡を起こしたという方法を取ったのが、今回のコトー診療所の第8回だった。

しかし、ゆかりさんの生命力や、生きたいという精神力が、「奇跡」を起こしたと説得したいわけではないと思う。

この奇跡を、リアリティのあるものにしたのは、コトー先生の反応だと、先日のブログに書いたが、今回のテーマは、、この奇跡が、どうして起こったのかとか、その可否より、むしろずっと見せたいのは、コトー先生の反応だったんではないかと、見返してみれば見るほど、思うのだ。

ゆかりさんの癌の数値がどんどん良くなっていく頃からして、コトー先生は、もう、自分の拠って立つ医学的常識や、知識が覆される思いだったに違いない。
それを、開腹して、自分の目で、癌の転移が消えていたところを見たときは、驚愕だった。

医師としての拠って立つ根幹が揺るがせられたのだし、アイデンティティーの危機だ。「あきおじ」の時は、コトー先生は「命」に逆らわない選択をした。しかし、ゆかりさんに対しては、命の期限の宣告をしたのは、他ならない自分だ。しかし、命のほうで、医師としての自分の力をよそに、立ち直ってしまった。

この「命」を前に、コトー先生は、怖れ、おののき、混乱する。ここが一番、中江監督が、私たちに見せたかったことなのではないかと思う。医師と何か?は、医師の限界や、無力さを、医師が認識することから、始まるのだと思うから。揺るぎのない鳴海医師のほうが危険なのだ。(ホントは、鳴海医師にも、紆余屈折があるようなのだけど)

ゆかりさんに感謝されても、コトー先生としては、いたたまれない思いだったに違いない。でも、ゆかりさんの言葉は、マリア様のようだった。桜井さんは、優しさに満ち溢れていたなあ。コトー先生は、泣いた。

大海原を見て、まぶしそうにまばたきをするコトー先生。生命の神秘の源泉である自然を持ってきたのは、グッドショットだった。

次回は、島にやってきた看護士のミナちゃんが、メインになるのだけど、予告で「その先の人生は、自分の力で切り開くべきです」という、コトー先生の力強い言葉が流れた。

人に対しても、ここまで踏み込んだことを言うコトー先生は、初めて。自分にひるがえって、コトー先生も、一歩を踏み出していくに違いないね。