21日の最終回は、クリスマスマーケットが佳境だったが、リアルタイムで、しっかり見た。
その後も、ずううと、余韻に浸って、ビデオをリピートしてる。ああ、終わっちゃったんだという、脱力感。木曜日まで、わくわくしてた3ヶ月の日々よ。さようなら、ありがとう!
では、締まりませんよね。もうちょっと、書かなくっちゃ(笑)
最終回は、彩佳さんのオペが、どうなるのかが、焦点であった。コトーは、彩佳を前に、一度は、動揺するが、「目の前の患者が、星野彩佳であることを忘れろ!」と鳴海に一喝され、我を取り戻し、オペを成功させる。しかし、ドラマは、それをクライマックスにするのでなく、「医師とは何か」という問題を掘り下げて見せたところに、意味があった。
最愛の家族のオペに失敗した鳴海だからこそ出たコトーへの厳しい批判、彼が言い放った結論は、「医者は、患者と家族になれない、なってはいけない」
ショックを受けて、彩佳の病室にも、顔を出せないコトー先生が、求めたのは、コトー先生自身の家族、母だった。こんなお母様に育てられたのかと納得するような品のある穏やかな母から、恩師が、離島医師の道を選んだ自分の生き方をうらやむように言っていたことを聞いて、コトーは、嗚咽した。コトーが、こんなにも、気持ちのままに泣きじゃくったことはない。あの涙のむせびの中で、「それでいいんだよ」と自分を肯定してもらえたと感じたのではないだろうか?
ようやく彩佳の病室に行った時には、もう医師としての顔を取り戻していた。彩佳の手を、お守りをはさんで両手で握ってコトーは、優しく微笑んだ。珍しく、男コトーの濃度が高かった(笑)手を握るのに、3年かなどど、思っちゃいけない(笑)人間同士の信頼がベースにある彼らならではの美しいラブシーンだった。
あきおじが亡くなったときも、あれだけ泣いたコトーだった。島の人を、「家族」として受け止めるのであれば、これから先、どれだけのつらい別れをしなくてはいけないだろう。和田さんが心配するように、コトーは、それに耐えることができるだろうか?
医師であることを、悩み続けることが、医師の使命といえるのだろう。答えを出すことが重要なのではない。コトーが、三上先生に、自分の決意を語ったとき、三上先生は、思わず、コトーに、頭を下げる。コトーも、彩佳の手術後、鳴海に、礼を言い頭を下げた。この謙虚さが、医師に求められる資質であることは、間違いない。
「人はいかにあるべきか その道をまっとうするために 大志を抱け」という言葉が迫る。タケヒロに宛てた手紙は、ドラマのテーマを貫くものだ。
小林薫さんが、TV情報誌で、「志木那島は、島全体が1つの家族だよね。家族だから誰かが病気になったらみんなで心配するし、タケトシが困っていると知れば、みんなで助けようとする。ただ、コトー先生は、ちょっと違う。精神的な支えにもなってくれる牧師的な存在なんですよね」
この「牧師」という指摘には、うんうんと頷いた。今回コトーは、ミナさんに対しては、上司として、島の子供たちには、命の大切さを説いたりする師としての役目も果たしていた。タケトシが、内心を打ち明けたのも、コトーにだった。
ラスト20分は、吉岡ファンへのサービスショットかと(笑)思うほど、島で往診して回るコトー先生の姿が映し出された。与那国でロケしている強みが、うんと画面に出ている。このコトー先生の自転車姿に、私たちは、島の人たちと同様、癒され安心するのだ。
そして、コトー先生自身、診療することで、また生きる勇気をもらっているという。こんな言葉が聞けて嬉しい。コトー先生は、やはり誰よりも、幸福な医者なのだろう。
吉岡さんは、また新境地を開拓した。今回のコトー先生の重要なシーンは、ほとんどセリフに頼らない。目線やしぐさ、たたずまいで、コトー先生の内面を豊かに表現する。この人のバックショットは、哀愁がある。回を追うごとの苦悩の表情が、最後には、島の医師として生きる決意に、顔がひきしまっていくのが、見事だった。
今回の連ドラで、「Drコトー診療所」で描きたいことは、中江監督は、描ききったとも言えるので、私自身は、これで完結してもいいかという気になっている。連ドラでは、島民を次々病気にしてしまわざるを得ないし、ちょっと難しいかとも思う。2-3年おきのスペシャルではありかな?「北の国から」化は、始まっているのかもしれない。