ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

3月も終わり

2003-03-31 00:00:00 | インポート
この間の土曜日は、S&G関係のオフ会があった。アート・ガーファンクルの日本語サイトでは、ダントツのヒット数を誇る「I Only Have Eyes For You」
http://www.ne.jp/asahi/art/garfunkel/ の管理人Chieちゃんの卒業祝い&歓送会を奈良のカッチイの行きつけのお店「花ゆすら」で催したのだ。

彼女とは、もう5年くらいのお付き合いになる。高校生くらいからアーティに夢中になったようだが、大学に入って、またたくまにこのファンサイトを作って、アーティのおととしの日本コンサートツアーには、7回も足を運んだというツワモノだ。「I Only Have Eyes For You」は、アーティの経歴を詳細に伝え、コンテンツの緻密なデータつくりには信頼度が高い。BBSも賑わい、ここは、日本でのアーティ仲間の良きコミニュティの場となっている。こういうことを、ひょいとできてしまうのだから、若い優秀な人はすごいね。カッチイは、このサイトのみずみずしい感性がすごく好き。うーん、なんたってアーティへの愛があるものね。これからも、サイトを運営に頑張ってね。

勉強好きな彼女が選んだ道は、アメリカ留学。大学院からの正規留学を果たす努力は、他人がうかがい知れない大変なものがあったと推察される。カッチイが、講師を勤める専門学校も、アメリカへの大学の予備校みたいな学科が、えらく人気だ。日本の大学が、そんなに魅力のないものに、若いヒトに映るのかと思う。オフ会に行く電車のなかでも、20代くらいの女性が「海外で働く」というアルクの雑誌を熱心に読んでいるのを偶然見た。外国が輝いて見える気持ちは、そうね、わかる。若いときは、カッチイもそうだったから。

「花ゆすら」のゴハンは、美味しいし、少人数で、ゆったりと話せて、寛げた。途中、美的センスのある「花ゆすら」のご主人に、カッチイの写真の撮り方に酷評(いやアドバイス)されたのが個人的には良かったわ。
写真は、最近興味は、持つようになったけど、いかんせん、ド素人。
どこから手をつけていいかわからなくて、具体的に、ここをこうしたほうがいいって言ってもらって、眼からウロコが落ちる思いだった。

ドイツから帰ってきて、気持ちが、ドヨンとしてたのが、外に出ていい気分転換になった。もう3月も終わりね。やっと暖かさが実感できるようになった。


イラク攻撃

2003-03-23 00:00:00 | インポート
ついに、アメリカ主導によるイラク攻撃が始まってしまった。世界は、この戦争の行方を固唾を呑んで見守っている。3月20日に、フセイン大統領への最後通告が切れてまもなく、アメリカは、本格的に空爆を開始した。自分の国の空に、爆弾が降ってくる。その恐ろしさは、イラクの人たちしかわからないだろう。地上戦に入って、緑が全くない砂漠地帯を、戦車を進めるアメリカ軍の兵士にしても、緊張感は、極限であろう。

アメリカは、今回の戦争は、イラクへの侵略でなくて解放であるという。イラク側は、解放でなくて侵略だという。何のために戦うのかという大義を、双方が掲げる。投降するイラク兵士は、何を思うだろう。フセイン大統領への忠誠を裏切って命乞いをすることに、罪悪感を感じているだろうか。私達にうかがいしれない敗北感、挫折感をかみしめていることだろう。

私は、この連休、かねてから決まっていた家族旅行に出かけた。温泉につかり、宿のテレビを見て、戦況を知る。不謹慎ながら温泉につかってふやけた頭で「映画のようだ」なんて思ってしまっていたら、「これは、映画なんかじゃありません!本物の戦争なんです!」と従軍したジャーナリストが悲鳴のような声で実況してくれた。胸が痛む。デモに参加するべきだったろうか。
「デモに参加したからといって、この戦争を止められるわけではないけれど、家にいてじっとしてるよりと思ってここに来ました」という誠実そうな中年の男性が、テレビのインタビューに答えていた。

和歌山県の那智勝浦の滝は、天気がよかったせいか、今日も清々しく133mの谷底に流れていた。「見晴台」からは、山々のうねが見え、正面には、半月のような湾が臨む。「地形図」が、立体感をもって迫ってくる。この緑の地の地平線の向こうで、戦いが行われているのだ。そこでは、誰かが、確実に傷を負ったり死んでいく。


タイムリミット

2003-03-19 00:00:00 | インポート
とうとうブッシュ大統領は、最後通告をつきつけた。会戦の可能性は、99.99パーセントだわね。「やるぜー」と嬉々とした表情だった。ウンザリ。小泉首相は、この期に及んで「アメリカ全面支持」を掲げたが、パウエル国務長官は、どこの国と話し合ったかというと、フランスやドイツの外相の名前は出したが、最後まで日本の名前は、クチにしなかった。いざとなれば、全然頼りにされてないのよね。

全く国連も無力だわね。何のための国際機関なのか。アナン事務総長は、きわめて影が薄かった。「筑紫哲也のニュース23」で各国の若者が、この戦争についてどう思うかのレポがあったのだけど、ドイツ、アメリカ編は、それぞれに興味深かった。ドイツの16歳のギムナジウムの学生は、イラク攻撃反対のデモに、ガールフレンドと参加し、家族との夕食の団欒で、このことを話題にし、若者の意見もとりあげるというヨーロッパ議会の公聴会にひょいと出かけたりする。そんなことを日常生活のなかで何でもなくやってのける。アメリカと友好関係を築いてきた自国の歴史はよく知っている。しかし今回、はっきりNOというシュレーダー首相を支持するという。

アメリカは、ワシントン大学に通うオレゴン出身の学生が登場。アメリカの正義をまくしたてる。アメリカの軍事攻撃により、フセインを追い出し、民主主義をイラクに打ち立てられると早口でまくしたてる。よく言えば、純粋で無邪気。でもあまりに一方的で、傲慢がある。

日本はというと、ともかくも良くも悪くも、平和ぼけ。ロシアが消滅し冷戦終結。自国がダイナミックに移り変わる東欧・ソ連などの激変は人ごとだった。湾岸戦争も遠い中東で起こっていて人ごと。ぼーとしている間に、縁のある朝鮮半島の北側の国は、独裁者の支配する奇怪な国になっていた。

アメリカの今回の強引な立ち回りを見ると、自国の利益にならなければ、極東の同盟国などあっけなく見捨てしまうのはないだろうかと思わせる。北朝鮮からテポドンが飛んできても、私達はボーゼンとするしかないのだろうか?自国の意見を、国際社会にきちんと表明できないでは、全く情けない。そのしっぺ返しは、いつかきっと来る。不良債権も同じ。ツケはいつか必ずやってくる。何事も、先送りをする日本の姿勢は、どこで止まるだろうか?(やっぱり、先送りできる体質を許す国民性、経済の体力があるからだろうね。)


ぼーーとしてる

2003-03-15 00:00:00 | インポート
ドイツから帰ってきて、卒業式のあとも、和歌山の温泉に取材とかが入って勢いのある日々が続いていた。数時間以上、熟睡するというのがなかったのだが、10日すぎてようやく一段落したら、ぐうううと疲れが出た。今回は、上手く時差ぼけがとれたと思ったのもつかのま、今週は、こてんこてんと寝てしまう。年々、帰国してからの調整に手間取るようになっている。だいたい10日前後つかいものになりませんわ。

今回ハイデルベルクで偶然昔の添乗員仲間に会ったが、彼女もニュージーランドでの海外生活を経て、また添乗員に復帰していてがんばっていた。うーん、カッチイは、もうとても添乗員はできないわ。帰国して即、清算・報告して、次の打ち合わせをして1週間以内にまた添乗に飛ぶなんて芸当は、逆立ちしてもできません。でも旅行業界も、イラク戦争の影響は、じわじわ出ている。平和であるから成り立つ産業だものね。

ドイツのカッチイの滞在先および友人宅では、テレビがない。集中力散漫になるとか、思考力が落ちるとか、家族の団欒が保てないとか、友人にも散々テレビの悪用をお説教された。ドイツにいくと、朝起きると、あるいはウチに帰ってくると、まず最初にテレビのスイッチをひねる日本でのカッチイの生活が一転するのだ。いつも最初、あまりの静けさに慣れないのだが、徐々に静かな生活の良さもわかってくる。

ところが、やっぱり帰ってくるとダメだなあ。意味のなくテレビをつけておくのはやめようと誓ったはずなのだが、やっぱり、つけてぼーーと見てしまうのよね。このあいだ書いたように、ドイツに行って、ドイツの空間になじんでいく時間は、ちょっと不思議でスリリングなのだけど、母国の日本に戻るというのは、なんともあっけなくカンタンだ。あたりまえか。

今回、ドイツで愛用のノートぱそこが、突然壊れてしまったのだが、修理の診断をしてもらうと思いがけなく重症ということが判明した。
液化もれとかでマザーーボードとキーボードの取替えが必要で、うっとくる修理費用の見積もりがきた。新しいのを買いなおしたらという意見もあった。でもハードディスクには、問題がないみたいなので、修理したらそのまま使えるそうだから、涙をのんで、修理してもらうことに。落としたとか、水気のものにさらしたとか全く記憶がないんだけど。ええん。Lavieちゃんよ。ちゃんと直って帰ってくるのだよ。


日本へ帰国!

2003-03-09 00:00:00 | インポート
日本へ帰ってきた。あわただしい2週間足らずのドイツ滞在だった。今回も、実りある楽しい旅行だったことが嬉しい。何より今回のテーマは、アートガーファンクルのドイツ公演の追っかけだったからね。このことに関しては、あまりに書きたいことが多すぎて、まだまとまらない感じ。「S&Gの友の会?」のメンバーに言いふらしたいことが多すぎる。うふふ。オフ会でぶちまけよう。

ドイツに行くと、いつもデジャブ(既視感)というのだろうか?不思議な感覚に襲われる。ドイツに溶け込んでいく過程は、時間軸に沿って進む。小さな日常の物語のなかに入っていくのだ。
巨大なフランクフルト空港に降り立つ。わかりやすい表示に従って、空港を出てハイデルベルク行きのルフトハンザ行きのバスに乗る。なだらかな丘陵地を背に、美しい町並みが見えてくると、なつかしいようなほっとした気になる。待っているひとがいるというのは、幸せなことだ。再会の抱擁を交わし、ハイデルベルクの街歩きに誘われる。石畳の道を行く人々の雑踏にまぎれ、ドイツ語が聞こえてくると、少しづづドイツ語の感覚が戻ってくる。

お気に入りの店でソーセージの立ち食いをする。じゅわっとしみる肉汁と歯ごたえに、そうよ、これなのよと独り言が思わず出る。付け合せのザウワークラウトは、ドイツにいるとき、その酢の強さが好きじゃなかったのに、どうしてこんなに美味しいのだろうと思う。ビールを飲みながら、街を行く人を見れば、自分が異邦人であると同時に、私だけでない。外国人も多いことに改めて実感する。日本にいるときより少し緊張感を持って、意志的な目をして歩こう。

古い橋まで行き着き、ハイデルベルク城を見上げなくても、ハウプトシュトラーセを一本外れた通称プレックを歩くだけで気分が少しづつ高揚する。私は、どんなにこの街を愛しているのだろう。そこへ、私の30年来のあこがれの人、アート・ガーファンクルがふらりと現れても不思議じゃない。ボン公演の楽屋で会ったアート本人は、そんな印象を与える本当にナチュラルな人だった。アメリカ人でありながら、徒歩で世界を旅することをこよなく愛する彼は、コスモポリタンだ。あのもじゃもじゃの髪を隠す野球帽をかぶって、ジーパンで歩く彼に、ハイデルベルクの街中ですれ違うことを夢想する。幸せな瞬間だ。