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姪に、池田晶子さんの「14歳からの哲学」を借りて、読んだら、めっぽう面白く、彼女に返してから、自分の本として、また本屋で購入し、女史の本を、いろいろ買ってはまっている。
「専門用語による「哲学」についてでなく、哲学するとはどういうことかを、日常の言葉を用いて示し、多くの読者を得る」と、どの本にも、あとがきにある。彼女自身が、それが身上として、そう紹介されることを了解しているのだろう。 「あたりまえのことばかり」の帯に、「言葉は命である」とある。うーん、しびれるねえ。不肖、カッチイもそう思っているから。 「思考する」ということは、どういうことか?彼女に手ほどきしてもらいながら、知の扉を開くのは、楽しい。 |
そうすると、大好きな佐藤浩市さんも出演しているテレビドラマ「サプリ」も、見損ねても平気。最近、テレビは、騒々しく思い、遠ざけて、池田さんのように、ニュースくらいしか見なくなってしまった。これは、カッチイの場合は、一時的なことだろう。吉岡秀隆さんが、コトー先生を演じる秋には、TVにかじりついているだろう(笑)
死を恐れず、ひたすら哲学する日々を送っている池田女史の生き方は、ラジカルで、ちょっと、フツーの人には、真似ができないが、彼女は、自分の言葉が、響く人には、深く響くことを確信を持って書いていて、その覚悟は、半端じゃない。
やさしく書いてあっても、流れる論理性に、ついていかないと、読み損ねてしまう。池田さんが語る「宗教」や「死」や「存在の謎」についての項より、現在の私が、一番惹かれるのは、彼女が、しつこく「精神」の重要性を、語ってやまないところである。私と全く世界観が同じと膝をたたく嬉しさがあった。
「41歳からの哲学」「勝っても負けても」は、私世代のジェネレーションに向けて書かれたものであり、うなずくことも多かったが、彼女が、まったくレベルを下げて書いたわけでないと力説する「14歳からの哲学」が、最初に読んだこともあり、印象深く、これが、広く教科書などに取り上げられたというのもなるほどと思う。若い人に読んでもらいたい名著だと断言する。
「感情は感じるもので、精神は考えるものだ。移ろい変る感じや思いについて、動かずに観察、分析して、そのことがどういうことなのか考えて知るのが、精神というものの働きだ」(「心は、どこにある」より)
「人間には命より、なお大事なものがある。それが精神だ。精神の正しさ、美しさ、その高さだ。命が大事なものであり得るのは、精神が大事なものであると自覚して生きるからでしかあり得ない。」(「品格と名誉より)
こういう文章を、読むと、カッチイの精神も、高揚する(笑)精神の豊かさのみが、人生の豊かさを決定すると思っている持論を、池田さんの本は、力強い「論理」で、肉付けしてくれる気がする。
しかし、彼女のようには怖れなく、捉われることなく、思い込みから解放されているとは、言い難い「自分」を心もとなく思うとき、ドイツの友人の理知的なたたずまいを思い出す。
ネッカー川や、森を散歩する時、私の中に、風が吹き抜ける瞬間を感じたものだ。日本よりも、退屈で、刺激のないと思っていたドイツの日常だが、あそこは、静かに、ものを考えるには、適している場所でないかと思う。
もうすぐ、そこへ帰る。待っている人もいる。ドイツの夏休みは、もうすぐ。
そして、しまいにはある種宗教がかってくるのも面白い。科学にもそういう面がありますし、数学もしかりです。人間の体の中の細胞は、すべて高等数学の公式がピタッと当てはまるのも興味深く、どこまでも、どこまでも突き詰めると「神」の領域にまで行ってしまう。
僕も、アンガージュマンとか何だとか言葉だけは知ってますが、葉ハッキリ言えば「わからん!」というのが本音です(笑)
高校の時、倫社の若い先生が、一生懸命、ソクラテスを語っていて、その熱心さにほだされて、聞いてあげようと思ったけど、いつもまにやら、眠りの海に、、、という感じだったわ(笑)