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Drコトー診療所2006 第8話 補足

2006-12-03 12:18:16 | 映画&ドラマにハマル!

Drコトー診療所の第8話は、波紋を広げているようだ。見る人により、それぞれの感想があり、それこそが、中江監督のねらったことだと思う。

ゆかりさんが助からない
では、あきおじの時と同じで、視聴者は、なーんだになっちゃう。

ゆかりさんが助かる
それが、コトー先生の手術によってであれば、スーパードクターぶりが、鼻についちゃう。

でも、ゆかりさんが助かるというハッピーエンドは、皆が望んでいるし、何とかそれを可能にするのに、ありえない「奇跡」によってという選択を、ドラマは選択した。ある種、禁じ手を使ったともいえる。

万波医師の問題は、医者自ら、神様の領域に踏み込んで、「命」を取り扱う危険さを、私たちに示唆したが、逆に、神様のほうで、奇跡を起こしたという方法を取ったのが、今回のコトー診療所の第8回だった。

しかし、ゆかりさんの生命力や、生きたいという精神力が、「奇跡」を起こしたと説得したいわけではないと思う。

この奇跡を、リアリティのあるものにしたのは、コトー先生の反応だと、先日のブログに書いたが、今回のテーマは、、この奇跡が、どうして起こったのかとか、その可否より、むしろずっと見せたいのは、コトー先生の反応だったんではないかと、見返してみれば見るほど、思うのだ。

ゆかりさんの癌の数値がどんどん良くなっていく頃からして、コトー先生は、もう、自分の拠って立つ医学的常識や、知識が覆される思いだったに違いない。
それを、開腹して、自分の目で、癌の転移が消えていたところを見たときは、驚愕だった。

医師としての拠って立つ根幹が揺るがせられたのだし、アイデンティティーの危機だ。「あきおじ」の時は、コトー先生は「命」に逆らわない選択をした。しかし、ゆかりさんに対しては、命の期限の宣告をしたのは、他ならない自分だ。しかし、命のほうで、医師としての自分の力をよそに、立ち直ってしまった。

この「命」を前に、コトー先生は、怖れ、おののき、混乱する。ここが一番、中江監督が、私たちに見せたかったことなのではないかと思う。医師と何か?は、医師の限界や、無力さを、医師が認識することから、始まるのだと思うから。揺るぎのない鳴海医師のほうが危険なのだ。(ホントは、鳴海医師にも、紆余屈折があるようなのだけど)

ゆかりさんに感謝されても、コトー先生としては、いたたまれない思いだったに違いない。でも、ゆかりさんの言葉は、マリア様のようだった。桜井さんは、優しさに満ち溢れていたなあ。コトー先生は、泣いた。

大海原を見て、まぶしそうにまばたきをするコトー先生。生命の神秘の源泉である自然を持ってきたのは、グッドショットだった。

次回は、島にやってきた看護士のミナちゃんが、メインになるのだけど、予告で「その先の人生は、自分の力で切り開くべきです」という、コトー先生の力強い言葉が流れた。

人に対しても、ここまで踏み込んだことを言うコトー先生は、初めて。自分にひるがえって、コトー先生も、一歩を踏み出していくに違いないね。

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