ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

ディファイルド2

2004-12-04 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

パソコン検索の不便さとか画一化は、誰でも認めることだろう。ハリーのこだわりは、わからないでもない。しかし、現代のテクノロジー社会の前では、彼の主張は、些少なこととして押しやられてしまう。それを、子供のように抵抗する姿は、痛々しいのだけど、こっけいでもある。精神のバランスに破綻さえきたしていた彼には、自分の前に登場したブライアンは、救いであったはずだ。人は、どこまでも、理解してもらいたいという欲求を持つものだから。

ブライアンは、自分のプライベートをさらけだした必死の説得を試み、それは成功するかに見えた。カード目録をブライアン宅のガレージに保管するという提案に応じて、ハリーは投降することに同意したのだ。ところがハリーが土壇場で気が変わる。ブライアンを蹴飛ばして、図書館に戻ってきてしまう。

このラスト5分が息つまる展開になるのだけど、演劇初心者のカッチイには、何がなんだかかわからないことに(笑)

ネタバレバレの演劇評ですが、ええとハリーは、爆破スイッチを押してしまう、いやその前に一発誰かから撃たれたんだよね。そして大爆発。でエンド。

カード目録というのは、保管するだけじゃ意味を失ってしまう。新刊が入るたびに追加・改訂などのケアを続けていかないとだめなのだ。
それは、コンピュータで作るデータベースも同じこと。インターネットのWebページの生命力の希薄さに驚くことがある。2年も経たないうちに、リンク切れが続出する。むしろ、ネット社会になったからこそ、頻繁に、メンテナンスを行っていかなくちゃいけない。コミニュケーションは、こういうテクノロジーの発達した時代になったからこそ、丁寧に紡いでいかなければならないのだ。ハリーは、ブライアンとのコミニュケーションのなかにこそ、それをたぐったようなのだけど、それを引っ張っていく恐ろしさに絶望したのか?

自分をわかってほしいという欲求から、相手をわかりたい。そして、わかりあいたというプロセスには、ステップがある。その階段を登っていくには、愛と理性と根気がいるのだろう。

舞台は、臨場感がある。役者さんとの距離が、何メートルなんだし、なんたってライブだもん。でも、ちと難解だなあ。


ディファイルド1

2004-12-03 00:00:00 | 映画&ドラマにハマル!

観劇のお誘いを受け、生・大沢たかおくんを、「シアタードラマーシティ」で見る機会を得た。

といっても、本物の舞台を見た経験は、ほとんどなかったカッチイには、2時間たっぷりの翻訳劇の二人芝居は、ちょっと上級編という感じだったな。音楽もなく、場面の変化もなく、とにかく、2人のやりとりの膨大なセリフを追うのは、かなり疲れた。

図書館司書ハリー(大沢たかお)が図書館の目録カードが廃棄されコンピュータ化されることに反対して、図書館にろう城する。そこに単身ベテラン刑事ブライアン(長塚京三)がやって来て、男の説得を試みる。

こんなことがお芝居のストーリーなっちゃうの?なんて思っちゃったら、芝居の世界には浸れません(笑)話じたいのリアリティより、緊迫した空気のなかの2人のやりとりに醍醐味があるのだから。2人の会話は、駆け引き以上にぶつかりあいながら、時には友人のように、父子のようにさえ感じる関係がたちあがってくる。その糸口が見えては、もつれる。ハリーは、苛立ち、唯一の道具立ての机にかけのぼったりする。その姿が、かっちょいい!大沢くんは、実に舞台映えのする役者さんだ。なだめるブライアンの長塚京三さんは、余裕のある飄々とした芝居で受け止める。60歳を目前に迎えようというのに、足がうんと長くて、渋い。

学生のころ、卒論を書くため、中ノ島図書館に通った。手書きのカード目録を見て、人の手によって本が分類されていることを感じた。書き足しや書き直しがあると、その本が大事に保存されてきたことがわかった。

古い紙のにおいが立ち込める図書館自体が、カッチイも好きだった。高いドーム状の天井や、階段の手すりを今でも覚えている。