みなさん 今晩は
ご紹介戴きました バンブー竹です。
名前は 盛窪を名乗って
私で三代目です。
祖父は玉盛といいます。
玉盛の父が盛窪でその父が玉恵窪、
またその父が初代盛窪です。
与論の由緒ある家系では先祖の名前を継ぐのが通例となっておりまして、
現代では 珍しい・・・、
盛窪の名前に感謝しつつ今を生きています。
一般の人に苗字がつけられたのが
明治の8年でした。
屋号というのが・・あるのですが
土地の形状が
凸凹した屋敷に住んでいたので、
盛窪と呼ばれていたようです。
近くに竹やぶがあったので 戸籍係りの方が
お前の苗字は竹にしなさいと・・・・言ったとか・・・。
手元のプロフイールには色々肩書きがあるように見えますが
とんでもない
私の田舎、与論島では変人扱いをされております。
パーマカルチャーとか言って、
先祖から戴いた立派な田や畑に 雑草や観葉植物を栽培しているので
お前は パー・・・・か、カルチャーとは・・・、
馬鹿者・・・、
いいえ いいえ、竹家は由緒ある家系に使えた者であります。
源平合戦
あの壇ノ浦の戦いで破れた源氏の落人
鎮西八郎為朝の子孫とも言われる、
琉球の初代の王様
舜天王の血筋の者で、
昔、与論島を統治した
按司根津栄様の馬引きであるとつたえられています。
その真偽を確かめるため
氏子集団のなりたちを調べていたところに
関西大学の高橋先生とであったのが運のつきで
「与論島」琉球の原風景が残る島 が世にでてしまいました。
じゅじゃじゃーん・・、じゃーぷんじゃー、運命が変わりました。
歴史と民族のことに頭を突っ込んでしまった
しまったしまったの 現在の暮らしです。
本業は農業とは名ばかりの熱帯果樹栽培で主にマンゴーを栽培しております。
今のところ 無農薬、化学肥料未使用の有機栽培を続けています。
農業だけでは島の経済が成り立っていかないので
何とかできないものかとツアーガイドなどあれこれ試みておりましたところ
エコセンと出会い、
広瀬先生の思想に共感し
ますますパーマカルチャーの実践を目指しています。
これから 私の相棒が与論島の田舎で体験したことに基づいて
感じたことを話します。
どうぞよろしくお願いいたします。