2007/10/19
唐牛健太郎の穴
神無月の与論島で、これ以上は望めないと思わせてくれる
ガイド、盛窪さんが案内してくれたなかでも、
唐牛健太郎が住んだという洞窟は印象的だった。
洞窟の中は岩場だけでなく砂地もあり広く、
住んだということが信じられた。
そしてそこは、格別の場所だった。
これは、洞窟の奥に腰を下ろして眺めた入口の景色だ。
洞窟のなかといっても柔らかな砂地で、
赤崎の波の音も聞えてくるので、
まるで夜の浜辺に座っているみたいに、
気持ちが鎮まっていった。
七つ道具だけ持って一週間ここで過ごしてみたいですね、
大人のロマンです、と盛窪さんはおっしゃったが、
まさにそんな気分に引き込まれそうだった。
ところで、手前に見える明るい点は、
陽がそこだけ当っていたのだ。
Light1
見上げれば、裂け目から陽射しが差し込み、
Light2
丸く砂地を照らしていた。
スポットライト。
闇を照らす一条の光が貴く思えて、
おお、と盛窪さんと二人、声をあげた。
唐牛は、唐牛もまた、このスポットライトを見つめただろうか。
見つめたに違いない。
彼はそこに何を感じただろう。
孤独になるには最適だ。
しかしそれは孤立ではなく、
自然に抱かれた孤独だ。
結局、最果ての地も、
メディアの力と無縁ではなく、
唐牛の滞在は長くなかったという。
沖縄の復帰前、ぼくは茶花小学校に入学して
「奄美潮路の」と歌っていた頃だ。
○ ○ ○
唐牛健太郎のような、ある隠遁を抱えた人物たちを
南の島は受け容れてきた。
島人にしてみれば、
島に住み始めたヒッピーの一人というだけだったかもしれない。
しかし、いつものあの島人の笑顔には、
無限の包容力があり、隠遁の人に優しい。
それは、この洞窟とともに、
唐牛の骨太なひきこもりを支えたに違いない。
与論島は、その時代その時代の唐牛健太郎を受け容れる
懐を失わずにいてほしい。
それは、与論島の魅力のひとつだから。
2007/10/19 10.自然の懐 | 固定リンク
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コメント
クオリアさん
このサイトには ご迷惑ばかりですが…
唐牛健太郎は 辺境のつもりではなく 心
休める場所を求めて与論島にきたはずです
やむなく 与論の地を去ってから 堀江
さん(ヨットの)の支援をされていたよう
ですね
与論小唄 4番目の与論「ラッパ節」は
その時代と時代を魁た若者と島の中で生ま
れているのです
「与論小唄(ラッパ節)」が「十九の春」
と呼ばれ、沖縄俗謡だと流布されてもかま
わないと思っています。与論の島で生まれた
曲であり、作品であったという事実だけは、
明らかにするつもりでいます
与論「ラッパ節」の経緯は、解明できた
つもりですが、今となっては資料が不足で
あることも否めない状況です
だからこそ、できるだけ早いうちにその
経緯を遺すつもりで 何とかしています
その節は、よろしくお願いします
投稿: サッちゃん | 2007/10/19 23:46
ヒロ坊さん、おはようございます。
「十九の春」はNHK報道だけで止めていたらよかったのにと思うところです。
F雄おじさんの 蛇皮線の、あの哀調メロディーが忘れられません。
さぞや 満州も さむかろう・・・。
やっと、 ミーニシがやってきました。
ウマンカをなくしたので、練習してませんが
そろそろはじます。
十九の春から 弾いてみます。
いつかはF雄おじさんを超えたいと思っていますが、
無理でしょうけど、目標です。
お会いしたいですね。
投稿: awamorikubo | 2007/10/20 02:05
盛窪さん
F雄おじさんのこと 心に刻まれています
サンシヌを枕元に置いて寝ていたというほど
ユンヌの島唄を愛していた方でしたよね
F雄節を ぜひ 遺しておきたいと思った
ものです
三線を始めるなら 籠の鳥から せめて
十九の春ではなく 与論小唄からでしょうね
今は まだ F雄おじさんを超えるなどとは
考えず せめて与論小唄を・ チンダミのこと
が分かるようになるだけでも 話がもっと弾む
ことでしょう
チヌマンダイを名乗るならば ユンヌの島の
名曲の「シヌマンダイ」の意味を知ることと、
弾き唄いができるようにならなければ…と思い
ますよ
うまく捩っているくらいの方が いいのかも
しれませんね
いつでも お出かけ下さい 待っています
心待ちにしています
投稿: ヒロ坊 | 2007/10/20 10:00
ヒロ坊さん
唐牛健太郎、晩年は徳田虎雄の支援をしたこともありますよね?
写真週刊誌で見たような記憶があります。
与論「ラッパ節」の経緯の話は、
制作途中でも、わたしにできることあれば、
お申し付けください。お手伝いいたします。
投稿: 喜山 | 2007/10/20 17:04
盛窪さん
近々に、ヒロ坊さんとお会いできるといいですね。
ぼくも楽しみです。
投稿: 喜山 | 2007/10/20 17:08
唐牛健太郎の穴
神無月の与論島で、これ以上は望めないと思わせてくれる
ガイド、盛窪さんが案内してくれたなかでも、
唐牛健太郎が住んだという洞窟は印象的だった。
洞窟の中は岩場だけでなく砂地もあり広く、
住んだということが信じられた。
そしてそこは、格別の場所だった。
これは、洞窟の奥に腰を下ろして眺めた入口の景色だ。
洞窟のなかといっても柔らかな砂地で、
赤崎の波の音も聞えてくるので、
まるで夜の浜辺に座っているみたいに、
気持ちが鎮まっていった。
七つ道具だけ持って一週間ここで過ごしてみたいですね、
大人のロマンです、と盛窪さんはおっしゃったが、
まさにそんな気分に引き込まれそうだった。
ところで、手前に見える明るい点は、
陽がそこだけ当っていたのだ。
Light1
見上げれば、裂け目から陽射しが差し込み、
Light2
丸く砂地を照らしていた。
スポットライト。
闇を照らす一条の光が貴く思えて、
おお、と盛窪さんと二人、声をあげた。
唐牛は、唐牛もまた、このスポットライトを見つめただろうか。
見つめたに違いない。
彼はそこに何を感じただろう。
孤独になるには最適だ。
しかしそれは孤立ではなく、
自然に抱かれた孤独だ。
結局、最果ての地も、
メディアの力と無縁ではなく、
唐牛の滞在は長くなかったという。
沖縄の復帰前、ぼくは茶花小学校に入学して
「奄美潮路の」と歌っていた頃だ。
○ ○ ○
唐牛健太郎のような、ある隠遁を抱えた人物たちを
南の島は受け容れてきた。
島人にしてみれば、
島に住み始めたヒッピーの一人というだけだったかもしれない。
しかし、いつものあの島人の笑顔には、
無限の包容力があり、隠遁の人に優しい。
それは、この洞窟とともに、
唐牛の骨太なひきこもりを支えたに違いない。
与論島は、その時代その時代の唐牛健太郎を受け容れる
懐を失わずにいてほしい。
それは、与論島の魅力のひとつだから。
2007/10/19 10.自然の懐 | 固定リンク
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コメント
クオリアさん
このサイトには ご迷惑ばかりですが…
唐牛健太郎は 辺境のつもりではなく 心
休める場所を求めて与論島にきたはずです
やむなく 与論の地を去ってから 堀江
さん(ヨットの)の支援をされていたよう
ですね
与論小唄 4番目の与論「ラッパ節」は
その時代と時代を魁た若者と島の中で生ま
れているのです
「与論小唄(ラッパ節)」が「十九の春」
と呼ばれ、沖縄俗謡だと流布されてもかま
わないと思っています。与論の島で生まれた
曲であり、作品であったという事実だけは、
明らかにするつもりでいます
与論「ラッパ節」の経緯は、解明できた
つもりですが、今となっては資料が不足で
あることも否めない状況です
だからこそ、できるだけ早いうちにその
経緯を遺すつもりで 何とかしています
その節は、よろしくお願いします
投稿: サッちゃん | 2007/10/19 23:46
ヒロ坊さん、おはようございます。
「十九の春」はNHK報道だけで止めていたらよかったのにと思うところです。
F雄おじさんの 蛇皮線の、あの哀調メロディーが忘れられません。
さぞや 満州も さむかろう・・・。
やっと、 ミーニシがやってきました。
ウマンカをなくしたので、練習してませんが
そろそろはじます。
十九の春から 弾いてみます。
いつかはF雄おじさんを超えたいと思っていますが、
無理でしょうけど、目標です。
お会いしたいですね。
投稿: awamorikubo | 2007/10/20 02:05
盛窪さん
F雄おじさんのこと 心に刻まれています
サンシヌを枕元に置いて寝ていたというほど
ユンヌの島唄を愛していた方でしたよね
F雄節を ぜひ 遺しておきたいと思った
ものです
三線を始めるなら 籠の鳥から せめて
十九の春ではなく 与論小唄からでしょうね
今は まだ F雄おじさんを超えるなどとは
考えず せめて与論小唄を・ チンダミのこと
が分かるようになるだけでも 話がもっと弾む
ことでしょう
チヌマンダイを名乗るならば ユンヌの島の
名曲の「シヌマンダイ」の意味を知ることと、
弾き唄いができるようにならなければ…と思い
ますよ
うまく捩っているくらいの方が いいのかも
しれませんね
いつでも お出かけ下さい 待っています
心待ちにしています
投稿: ヒロ坊 | 2007/10/20 10:00
ヒロ坊さん
唐牛健太郎、晩年は徳田虎雄の支援をしたこともありますよね?
写真週刊誌で見たような記憶があります。
与論「ラッパ節」の経緯の話は、
制作途中でも、わたしにできることあれば、
お申し付けください。お手伝いいたします。
投稿: 喜山 | 2007/10/20 17:04
盛窪さん
近々に、ヒロ坊さんとお会いできるといいですね。
ぼくも楽しみです。
投稿: 喜山 | 2007/10/20 17:08