モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

七回忌と挙母祭り

2018-12-30 19:07:06 | 今日を旅する
七回忌と祭り

 10月に母の七回忌があるため、九月の末に一時帰国しました。
 この法事を最後にするということで、昨年から姉が企画していたものでしたが、当の姉は、昨年来患い、病院がよいをしていた持病の喘息のため入院しており、参加できないことになりました。久しぶりに五人兄弟全員集まることを期待していましたが、それはなりませんでした。

 前日、神戸からやってきた兄と私は、姉が入院しているため、留守宅となっていた実家に泊まり、七回忌の朝を迎えることになりました。
 法事の始まる10時には、兄弟全員が集まり、安楽寺の和尚がきて、法事が始まりました。





 兄弟全員、古希をすぎており、いわば高齢者の集いのようでしたが、一人、真ん中の姉さんの長女の夫が参加しており、その彼と和尚が、我々よりも若い年代なので、高齢者のみの集いとはならずにすみました。
 法事の後、行きつけの近くの料亭で、法事の懐石をみんなで囲み、楽しいランチとなりました。この会を企画した当人がいないのが、心残りとなりましたが。皆、姉の早い回復を祈るばかりでした。





 法事の後、夕方に名古屋へ帰る途中、兄と一緒に見舞いのため、姉が入院している市大病院へ、立ち寄ることになりました。兄と姉は、最近疎遠になっていましたが、この見舞いに姉も喜んでいたようでした。
 病院は私の家からそんなに遠くではないので、度々様子をみに立ち寄っていました。
 姉は最上階の、名古屋市内が一望できる12階特別室に入院しており、一階にはスターバックス やコンビニもあるため、それほど不便はしていないようでしたが、その後、ほぼ一ヶ月の入院期間となり、ようやく退院できた時には、大変喜んでいました。


 退院後、豊田の祭りがあるというので、姉二人と見学に行くことになりました。
 その祭りは、毎年10月に行われ、挙母祭りと呼ばれ、350年ほど前から続いている挙母神社の由緒ある祭りです。5台ほどの山車が繰り出され、市内を巡行する勇壮な祭りでもあります。

 豊田市は昔は挙母市といい、小さいながらもお城をもつ城下町でもありました。
 しかしながら、私が中学生の頃、トヨタ自動車の発展とともに、名を豊田と改名し、企業都市となったものです。私は昔からの由緒ある挙母市の名の方が好きでしたが。
 そのような時代の流れか、この祭りも大分様変わりをしてきたようです。工場で働く若者なのかどうかわかりませんが、髪を茶髪に染めた若者が、山車の屋根に登り、旗を振り回す光景は、どことなく暴走族を連想してしまいます。






 また、市内巡行の際には、紙吹雪が舞い、それはそれで祭りの楽しさを増し、子供達は喜んでいますが、伝統的な祭りの性格、宗教色が薄れ、エンターテイメントとして色合いの濃いものとなっています。
 こういった祭りは、全国各地でありますが、どこも同じような傾向なのかと、ふと考えてしまいました。
 その点、私が写真を撮るためによく行く、京都の祇園祭は、昔からの伝統を今も継承している数少ない祭りだと感じていました。









 本来、疫病を追い払う祈りから始まった祭りが、紙吹雪で育った世代になった時に、どのような祭りとして、引き継がれるのか、少し心配になったものでした。
 帰りがけに、姉の行きつけの美容院によると、そこの女主人が、祭りの料理を一杯だして、歓待してくれました。彼女は、私と同世代とのことで、話も弾み、楽しい祭りの時間を過ごすことができました。
 また、美味しい料理をいただいていると、先ほどの心配もどこかへ飛んでしまいました。
 そして、その日は、祭りに興じる子供達の笑い顔にも、大いに癒された日となりました。







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