アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の四拾壱 ○庄八への判決文

2013年10月11日 | 近世の歴史の裏側

 

一、庄八儀、妹まちを村内名主小弥太(註、前文には幸弥太

 とあり)方え養女に差遺し候後、同国国定村友蔵兄にて、

 帳外相成候忠次郎と密通の上同人に被貰受、友蔵方に罷在

 り、忠次郎妾同様に相成居候趣追て承り、小弥太儀無沙汰

 に右体に取計候段難心得含居候砌、同人不法申聞不取合由

 を以て忠次郎と手切為致、まち身分可取戻と、同人え異見

 差加候得共、不承受収はば、地頭へ申立取計方可有之の処

 忠次郎強勢もの、私儀強而前不承知申聞候趣承り込候はば、

 憤りを含み、何様の仇可致も難計存候迚其儘に打過罷在候

 始末不埓に付、過料銭三貫文被仰付候。

                      つづく