「真説 国定忠治 其の参拾四」と内容は殆ど同じで有るが
この判決書は、関係者に申渡されたものを請取った請証文である。
したがって、字句も丁寧になっている。
一、忠次郎儀、無宿之身分にて長脇差を帯、又は合口等を所
持、博徒共を数多子分に致し、上州田部井村たつ宅其外最
寄国々所々野田・山林等、又は宇右衛門申合、溜井浚に、
事寄横行し、小屋場取立、同類多人数手合いたし、筒取貸
元に成り、賽博奕相催、居村内清五郎無宿安五郎等え代貸
元をも為致、其節はてら口之子、或は上ケ銭と名付け金銭
受取、其上博奕渡世頭取或は差配と唱へ、此者え無沙汰に
博徒共寄合博奕相催候節は長脇差を帯踏込、其場に有合金
銭を奪取、安五郎えは右差配差免、所持こま札一卜通り呉
遣、又は無宿佐与松儀子目博奕いたし、村々百姓共を欺き
多分の金銭を掠取候趣承及び、博奕渡世風儀を犯し候杯申
聞、首代と名付金子為差出、
上記に、溜井浚に、事寄横行し村々百姓共を欺きとあるので、
所謂、忠治が溜井浚を自ら行い飢饉の百姓達を救った美談が覆る
事になるし、逆に百姓達を相手にして博奕で、金銭を巻き上げた
事になる。
続く
小屋(博奕)場について
表から見ると、ワラ葺きの普通の小屋で、農産物を収穫
して一時保管しておくような粗末な建物であったという。
土壁は無く、ただムシロを垂らしておいてだけだった。
丁度、歌舞伎の舞台のように、柱だけでの構造であった。
外側には、養蚕で豊富に有ったクワデ(桑手)とよばれる
上州独特の桑葉を、とった後の枝を束ねた物をムシロの
外側にグルリと立て掛けて置いておいた。
中で賭揚を開いている所へ、召捕方が来ると、囲りの
ムシロを捲り、外側の、クワデを倒して追走したのだ、
クワデは、柔軟で弾力が有り召捕方は、足を取られて、
被疑者はその間に逃げてしまう、実に巧妙でかつ、
簡単な方法であったと言われている。
勿論、見張りが居たから殆どは召捕れる者はなかった。
私が子供の頃は、クワデで、弓、篠竹で矢を作り遊んで
いましたが、今では補導の対象でしょう。
又、クワデは、燃料としても長時間安定して燃えて特に、根は、
長時間とろ火で燃焼したので風呂の保温に貴重でしたし、
掘り上げるのに、根が深く手作業の為に数日掛りました。