アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

真説 国定忠治 其の四拾参、判決書の中

2013年10月21日 | 近世の歴史の裏側

 

 

殊に子分之内、無宿文蔵儀、

博奕睹銭取引之由に付、無宿伊三郎と口論の上打擲に遭ひ

残念之由を咄聞候を承り、子分の者右様打擲受候を打捨置

候はば、伊三郎の強気に臆し候様(杯カ)、他之嘲を受候

も口惜義と心得、右憤を可為晴と文蔵え助力に及び、同国

境町地内に於て倶に伊三郎を及殺害、豹真有文蔵儀関東御

取締御出役衆に披召捕候節は文蔵を可取戻と多多人数申合、

得物等を携へ、右御出役旅宿同国木埼宿近辺三ツ木山迄打

参り、又は右田部井村又は宅借受、同類共外呼集博奕相催

候砌、兼兼而忠次郎兄弟之契約いたし置候無宿浅五郎並に

同人子分之者共不相越不審之儀と存折り候折柄、御取締御

出役為御召捕方御立越有之候趣右宇右衛門為知越候より、

驚逃去候得共、共節浅次郎伯父同国八寸村勘助儀右御出役

道御案内成し罷越候由追而承込、右は浅次郎及変心、勘助

え内通致し候より、同人差口にで右体御手配相成候儀と相

疑ひ、浅次郎を呼寄、右次第を以て相咎め、其分に難差置



伊三郎への、闇討ちと、召捕られて文蔵を取り戻そうと画策した

様子が克明に記載されており、いかに忠次郎に対して注目し監視していた

様子が判る

                                下に 続く