いよいよ、10月19日に、森村カルテットのジャズライブ
江戸時代の蔵を、ライブハウスに改装した素敵な会場です。
森村さんの、楽器だけでも観る価値があります。
それに、蔵内部の雰囲気も素晴らしい。
それが、ドリンク付きで、2,000円とは、
0が、一つ足りないのでは?
大人の音楽を、東毛地区では、最高の会場とメンバーですよ。
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一、庄八儀、妹まちを村内名主小弥太(註、前文には幸弥太
とあり)方え養女に差遺し候後、同国国定村友蔵兄にて、
帳外相成候忠次郎と密通の上同人に被貰受、友蔵方に罷在
り、忠次郎妾同様に相成居候趣追て承り、小弥太儀無沙汰
に右体に取計候段難心得含居候砌、同人不法申聞不取合由
を以て忠次郎と手切為致、まち身分可取戻と、同人え異見
差加候得共、不承受収はば、地頭へ申立取計方可有之の処
忠次郎強勢もの、私儀強而前不承知申聞候趣承り込候はば、
憤りを含み、何様の仇可致も難計存候迚其儘に打過罷在候
始末不埓に付、過料銭三貫文被仰付候。
つづく
一、又兵衛、助兵衛、勇右衛門、和吉義、村内友蔵方に居候
まちは、右友蔵兄にて其以前村方帳外に相成候忠次郎儀、
まち養父同国田部井村幸弥太より貰受妾同様に致し、友藏
厄介積にて、同人方人別に差加候段は、先役の者共取計候
義にて晏則之始末は不存院とも、銘々役侃相成院後、右次
第被承、忠次郎は強勢もの、まち身分糺方等いたし候趣承
込候はば何様の仇可致も難計存候迚其儘に打過、猶追而忠
次郎病気に付候節村内清五郎等打寄世話致し、同人方え連
来り、其外村方山林え小屋掛致し養生為致置候とも不存罷
在候姶末不埓に行、又兵衛は過料銭五貫文、助兵衛他二人
は三貫文づゝ披仰付候。
つづく
一、左三郎、馬太郎儀、左三郎方ぇ同国世良田村半助罷越、
無宿忠次郎より差贈度趣にて私共其外同国太田町苫吉エ金
三両づゝ幸助え届方取計候為挨拶、外に一両相添え追越候
間、右世話料は私共より関東御取締役出役之者へ中立差出
呉候様申聞、右金子不残相渡候上、忠次郎兼而厳敷御探索
有之、銘々右御出役道案内に罷出候故、御手配方御見逃可
貫含を以て右様贈金いたし候儀と心附候はば、其筋へ可訴
出之処、左三郎は金子手支候折柄融通相用候儀は元より、
内々にて差送候へば可及露顕筋有之間敷、万一相顕候とも
右を手掛りに致し、行衛探索之上申立候心得にて預り置候
趣に申成候はば仔細有之間敷、被而は右世話料之分幸助え
相渡置候次第、銘々相預り居候趣の一証にも可相成と同人え
品能申含置、馬太郎申請、苦吉は追而申含候也にて夫々分捕、
馬太郎は右次第如何之儀と被存、猶は左三郎は笘吉え可相渡分をも
追々入用に差追、同人え咄明け咄聞候儀も相成兼候迚、笘吉えは
金一両づゝ差越候趣に申聞相渡し、殊に追て同人儀右金子持参
村役人共え申聞、御取姉御出役
御廻村先え申立候趣承り、私共申合金子取揃、猶ほ品能申成し、
同様御廻村先え申出候段、左三郎別而之義、右始末
両人共不届に付、左三郎は軽追放、馬太郎は江戸十里四方
追放被付候。
但御構場所へ徘徊いたす間敷候段被仰付候。
いずれも、関係者には、刑としては軽い様ですね。
つづく
○年譜 其の四
9月26日 忠次郎奪回を企む上植木村小屋番の伜万蔵(29)、玉村宿で捕まる。万蔵所持の
長脇差は刃長2尺6寸6分、銘兼貞の業物、太刀拵えいたと伝えられる。
9月28日 忠次郎、唐丸駕篭に乗せられて雨の中、木崎宿から玉村宿に向かう。
9月29日 忠次郎一行、玉村宿にて関東取締出役の取り調べを受ける。
梁田宿の上総屋源七、山名村の大黒屋三右衛門、玉村宿に来る。
10月1日前橋の福田屋栄次郎、玉村宿に来る。
10月15日 忠次郎一行、玉村宿を出立。
10月19日 忠次郎、江戸伝馬町の牢に入れられる。
10月30日 江戸青山に潜伏中の高野長英(47)、幕吏に囲まれ自害。
12月15日 忠次郎、勘定奉行池田播磨守より、死刑の判決。
12月21日 忠次郎、午前11時、大戸関所にて処刑される。
関所村の村民が警備人足などに動員される。
忠次郎の助命嘆願のため、菩提寺養寿寺の貞然法印を初め
、国定村の名主、15ケ村の人々130名の他に越後、常陸、下野の
者も助命運動をし、嘆願が百を越えた。
12月26日 木崎宿の岡っ引左三郎と馬太郎、勘定奉行より追放と判決される。
嘉永6年(1853年)
ペール来航
田部井村名主宇右衛門‥忠次郎と博奕を相催し不当の利を稼ぎ
忠次郎を匿った罪、不届きに付き死罪(牢の庭にて打首)
国定村の子分清五郎‥‥‥不届きに付き遠島。
田部井村の子分庄八‥‥‥不埒に付き罰金3貫文。
お徳とお町‥‥‥不埒に付き押込み(家で謹慎)。
国定村の子分次郎右衛門と八寸村の子分七兵衛‥不届きに付き追放。
世良田村の名主幸助‥忠次郎より金を受け取り手助けせし罪(贈賄)、
不埒に付き罰金5貫文となる。
国定村の名主又兵衛と村役‥不埒に付き罰金5貫文と3貫文。
宇右衛門妻と伜‥‥‥不埒に付きお叱り。
田部井村村役たち‥‥‥不埒に付きお叱り。
国定村の子分喜代松‥‥‥牢死。
忠次郎の首が養寿寺の貞然のもとに届く。
貞然は忠次郎に『長岡院法誉花楽居士』の戒名を贈る。
同4年(1851)
羽倉簡堂『赤城録』を著す。
田崎草雲、忠次郎の画像を描く。
一、幸助儀、無宿忠次郎は品々悪事相聞、関東御取締御出役
より御召捕方御手配有之候ものに心得乍ら、同人儀御取締
御出役道案内等相心得候同国木崎宿左三郎外二人方に送金
取継方頼聞候は如何義と被存、長脇差等を帯居、及断候は
ば何様の変事出来可致候も難計存候迚、頼之趣承受、追而
国定村次郎右衛門罷越、忠次郎より頼置候品の由にて、左
三郎え送金九両、外に私に向ひ右世話料として一両添差越
候趣之書状相渡候を左三郎方え持参、右体忠次郎え面会い
たし候次第顕はに咄聞候はば、平常懇意致し候様疑惑を可
受と、次郎右衛門より頼受候趣に申成し、右金子相渡、猶
ほ其砌左三郎儀右世話料は御取締郷出役え申立、否や可及
挨拶候間、其儘預り置候様中聞、左三郎心得居候上は仔細
有之間敷と有世話料金預り置候始末不埓に付、右金御取上
げ、過料銭五貫文披抑付候。
つづく
金銭のやり取りを詳細に記述し、関係者の具体的行動までをも
記載している事に、現代以上に状況証拠を基に判決を言い渡したかが、
判るし、いかに当時の治安当局が綿密に調査していたかが伺える。
一、とく儀、無宿忠次郎品々悪事致し、風聞不宜段乍弁、夫千代松悪事いたし
候者に候迚、同人病死後、忠次郎罷越候を其儘に致し置候て、同人の任申、
密通に及び、度々村内山林等え披連行密会いたし候段、後家之身分不慎之至、
又は忠次郎病気に附居、所々え差支申趣を以、同人弟同国、国定村友藏に
忠次郎を荷ひ参り候を、右は友蔵方え罷在候差図之由承り、同人忠次郎の
妾同様に成り、恩義積居候身分にて看病も不致、私方見送越候は不実の致方に付、
早々友蔵方見連戻り、まちえ可引渡旨申聞、忠次郎を差返し候後
同人儀急速快癒之義似覚束、右体之節御召捕御手配有之候而者逃るべき様無之、
御探索方御見逃貰度旨恵次江中沢山を以て御取締御出役道案内者えの送り金才覚の儀、
国定村清五郎より談事を請け候節、如何之沢に被存所候はば、不実之筋に可相成と
金子貸渡、猶ほ忠次郎、田部井村宇右衛門方に於て養生致し居政節も罷越、
看病いたし遣候始末不埓に付押込被仰付候。‘
つづく
菜園主同様、遅れてましたが、大根が発芽しました。
此れで、一安心です。
白菜も、恵みの雨で順調です。
本当は、苗が良いんです同級生のTKの苗ですから、実は今も同級生!?
ネギも植付完了。
バジルは、元気です!
後は、小松菜、ほーれんそうの播種ですが?
一、まち儀、無宿忠次郎と密通之上、同人儀友蔵方人別に差
加、妻同様に相成居候段は、養父同国田部井村名主幸弥太
存世中取斗候儀に候得共、追併も而右次第実兄同村庄八承り、
忠次郎は品々悪事致し、風聞宜しからざる趣、同人に附随
居候而者身為相成間敷候と申候を、今更手切等申出候も薄
情成る儀と無宿忠次郎に被存込候も苦敷存沢迚、右異見をも不
不承受、同人存意に随ひ罷在候始末不埓に付押込被仰付候。
続く