この世に生を受けて、もう22年も経過した。
両親は何を想い、何を願って、俺を生んだのだろうか。
そして、俺は何を感じ、何を考えて、生きてきたのだろうか。
22年という歳月が、長いのか、短いのかはわからない。
これまでの22年を振り返ると、あっという間だった。
そして今後の22年を考えると、まったく見当がつかない。
でも、この22年は本当にいろんなことがあったなぁ。
駅の改札はほとんどすべてが自動改札に変わった。
昔は駅員さんに定期見せてたし、切符切ってもらってたよね。
音楽を聞くとき、カセットやCDはもういらない。
今はデータを持ち歩く時代になった。
ゲームだって、昔はあんなちゃっちい絵と音楽で楽しんでたんだよ?
今度はプレステ3が出ようとしている。
映像を見ると、同じゲームとは思えない……。
友達に電話するとき、昔は家電が主流だった。
誰が出るかわからないから、マジ緊張してた。
「大泉小学校6年きく組の大野ですけど、光敏君いますか?」って。
今はケータイだもんなぁ。
メール打てるもんなぁ。
直で本人につながるもんなぁ。
いろんな人と会ったし、いろんなことを経験した。
数え切れないくらいの変化があって、
たくさんの思い出ができた。
どうやら俺は人より少し、その思い出を多く覚えているようだけれど。
年をとった分だけ、ちょっとだけ前よりわかることが多くなって、
考え方とか、ものの見方とかも変わって、
きっと今の俺と昔の俺は違うと思う。
でも変わらない部分もまた俺の中には存在している。
そう。それが、俺の「軸」と呼べるものだ。
ついさっき、やっと、俺は自分の軸が見えたような気がした。
そしてこれまで歩んできた道で、
それが一番しっくりくると思った。
そしてそれを大切にして生きてきた。
他人から見れば、違うようにうつるのかもしれない。
俺の勘違いなのかもしれない。
感覚的なことだから、
なぜそれが俺の軸となったのか説明しろと言われても、
頭を抱えてしまう。
でも俺は経験から知っている。
心は嘘はつかないということを。
心が、一番フィットすると感じているのだ。それを。
だから、それが俺の軸であると信じる意味はあると思う。
「変わらない軸」。
それは、その人が「これまで大事にしてきた想い」に他ならないと思う。
俺は「楽しい」という気持ちを、大事にして生きてきた。
この22年間。
「そんなのみんなそうじゃん」って人は言うだろう。
別にいいじゃん。
それが「俺」なのだから。
きっと、誰しもが、不変の1つの軸を自分の中に持っているだろう。
変わらぬ「大事にしている想い」を持っているだろう。
変化を遂げる日々の生活の中で、
「勉強すること」を大事にしている人がいるかもしれない。
どんなことがあっても、
「鍛えること」を大事にしている人がいるかもしれない。
自分の幸せを願うがゆえに、
「好き」という気持ちを大事にしている人がいるかもしれない。
心の充足を求めるために、
「嬉しい」という気持ちを大事にしている人がいるかもしれない。
その軸、大事にしている想いが、
自分だけのオリジナルマシンをつくる材料になるのだろう。
速水もこみちは俺と同い年である。
そして、俺より1ヶ月年上である。
両親は何を想い、何を願って、俺を生んだのだろうか。
そして、俺は何を感じ、何を考えて、生きてきたのだろうか。
22年という歳月が、長いのか、短いのかはわからない。
これまでの22年を振り返ると、あっという間だった。
そして今後の22年を考えると、まったく見当がつかない。
でも、この22年は本当にいろんなことがあったなぁ。
駅の改札はほとんどすべてが自動改札に変わった。
昔は駅員さんに定期見せてたし、切符切ってもらってたよね。
音楽を聞くとき、カセットやCDはもういらない。
今はデータを持ち歩く時代になった。
ゲームだって、昔はあんなちゃっちい絵と音楽で楽しんでたんだよ?
今度はプレステ3が出ようとしている。
映像を見ると、同じゲームとは思えない……。
友達に電話するとき、昔は家電が主流だった。
誰が出るかわからないから、マジ緊張してた。
「大泉小学校6年きく組の大野ですけど、光敏君いますか?」って。
今はケータイだもんなぁ。
メール打てるもんなぁ。
直で本人につながるもんなぁ。
いろんな人と会ったし、いろんなことを経験した。
数え切れないくらいの変化があって、
たくさんの思い出ができた。
どうやら俺は人より少し、その思い出を多く覚えているようだけれど。
年をとった分だけ、ちょっとだけ前よりわかることが多くなって、
考え方とか、ものの見方とかも変わって、
きっと今の俺と昔の俺は違うと思う。
でも変わらない部分もまた俺の中には存在している。
そう。それが、俺の「軸」と呼べるものだ。
ついさっき、やっと、俺は自分の軸が見えたような気がした。
そしてこれまで歩んできた道で、
それが一番しっくりくると思った。
そしてそれを大切にして生きてきた。
他人から見れば、違うようにうつるのかもしれない。
俺の勘違いなのかもしれない。
感覚的なことだから、
なぜそれが俺の軸となったのか説明しろと言われても、
頭を抱えてしまう。
でも俺は経験から知っている。
心は嘘はつかないということを。
心が、一番フィットすると感じているのだ。それを。
だから、それが俺の軸であると信じる意味はあると思う。
「変わらない軸」。
それは、その人が「これまで大事にしてきた想い」に他ならないと思う。
俺は「楽しい」という気持ちを、大事にして生きてきた。
この22年間。
「そんなのみんなそうじゃん」って人は言うだろう。
別にいいじゃん。
それが「俺」なのだから。
きっと、誰しもが、不変の1つの軸を自分の中に持っているだろう。
変わらぬ「大事にしている想い」を持っているだろう。
変化を遂げる日々の生活の中で、
「勉強すること」を大事にしている人がいるかもしれない。
どんなことがあっても、
「鍛えること」を大事にしている人がいるかもしれない。
自分の幸せを願うがゆえに、
「好き」という気持ちを大事にしている人がいるかもしれない。
心の充足を求めるために、
「嬉しい」という気持ちを大事にしている人がいるかもしれない。
その軸、大事にしている想いが、
自分だけのオリジナルマシンをつくる材料になるのだろう。
速水もこみちは俺と同い年である。
そして、俺より1ヶ月年上である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます