ほんわか亭日記

ダンスとエッセイが好きな主婦のおしゃべり横町です♪

「ハハの手提げ」

2011-06-27 | エッセイ
2011年6月27日(月)


 午前中、出来上がったベストのしつけ糸を外したり、余計な糸を切ったりして、
整えた。肩のあたりの左右の幅がちょっと・・いや、目で見て分かる程違うことを発見。
すぐに手縫いで補正とか。(^^;)
ウィステ、何年洋裁をやっているか、本当に極秘事項になるほど、アバウトなり・・。
ハハは、違うんだ。昔は、綺麗に縫っていた。
そこで、以前、デイケアにハハが通っていたころのエッセイ・・。

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「母の手提げ」

 デイケアから戻った母のバッグをいつものように開け、入浴の時に着替えた肌着を取り出そうと
すると、中には、見慣れない黄色い布製の手提げが入っていた。他の人の持ち物を間違えて持って
帰って来たのかと、手にとって見る。
 その手提げは、マチもなく、一枚の綿の布を半分に折り、両脇を縫って袋にした簡単な形のもの
だが、片面に、赤い糸で刺繍が施されていた。下半分は、刺し子の模様によくある七宝紋という
図柄だった。縦横に繋げた同じ大きさの四つの円の中央に、もう一つ同じ大きさの円を重ねて
縫ってあるので、その重なった部分が、細長い四弁の花びらの形に見える。花びらがいくつも
並んだひと繋がりのその図柄の上のほうには、大小様々な円が七つ、そちらこちらに縫ってあり、
黄色い空にふわふわと浮くシャボン玉のようだ。大きい円と小さな円がくっついているものが
二組あって、それらは、赤い雪だるまといったところか。
 そういえば、送り迎えの職員さんが、
「ハハさんは、今、刺し子をやっているんです。けっこう上手に縫えるんですよ」
と、言っていた。すると、これは、出来あがった母の作品なのだろう。
 私は、花びらのような図柄の円の針目に引きつけられた。小さく、綺麗に揃った針目。
一つ一つの円もまん丸く縫えていて、上下三段の円が交わるところも、きちんと一点で合わ
さっているから、綺麗な花びらの形が浮かび上がる。昔から家庭科が苦手な私の針目は、
今でも、あっちを向き、こっちを向き、直線には程遠いものになるのだが、戦時中、女学校の
家庭科の教師をしたことのある母の運針は、細かく真っ直ぐに揃っていたものだった。高校時代、
授業で浴衣の課題が出たときには、ほとんど母に縫ってもらった。家庭科で五段階評価の
「五」を貰ったのは、後にも先にも、その時だけだ。八十を過ぎ、痴呆の症状が出だした
といっても、母の手は、今なお縫い方を覚えている。母には、まだまだ達者な才があったのだ。
 手提げの持ち手部分も、揃った針目で縫い上げてあるのだが、持ち手と袋の本体を綴じ付ける
縫い方は、はなはだ心もとない。裏側から、白い糸でぐさぐさと簡単に止めてあるので、物を
入れたら持ち手が取れてしまいそうだ。表側の黄色い地にも乱れた白い縫い目が出てしまっている。
そこで、私は、持ち手の四箇所の端をしっかりと袋に綴じ付けることにした。相変わらずの私の
乱暴な縫い方だが、用は足りる。
 これで完成と手提げ全体を見直した時、私は、はっと気付いた。下の花びら模様と上のシャボン
玉の縫い目は、まるで違う。同じ手で縫った筈はない。花びら模様は、プロの手になるものだ。
シャボン玉の縫い目は、長かったり、短かったり、左右に飛び出していたり……。ここと、
持ち手を綴じ付けようとした縫い目が、今の母の手なのだ。最初からいくらか模様が縫ってあり、
袋の形になっている手芸セットを、デイケア施設のほうで用意してくれたということだ。
 普段の母の様子からみて、「けっこう上手」と、職員の人は見たのだろう。改めて上の
七つの円を見てみれば、くっついている円は、うまく花びら形に縫えずに、赤い雪だるまの
ようになったのだと分かる。シャボン玉とみえたのは、雪だるまにもならずに、ばらばらに
なってしまった円なのだ。そう言えば、ニ、三年前から、ズボンの裾上げさえ、覚束なく
なった母。きっと介護士さんに励まされながら、一針一針ゆっくりと手を動かしたのだろう。
そして、丸い模様を七つ縫い上げたのだ。
 私が手を入れた事は話さずに、居間で寛ぐ母に、手提げを持って聞いてみた。
「この下の模様は、最初からついていたの」
「うん、そう」
「上のほうの丸を縫ったのね」
「一目見て、素人ってところ……」
 と、母は笑った。母は、自分の縫い目の程を分かっている。呆けた母の中から、
正気の母が顔を出し、嘗てのプロの目で見たのだろうか。美しかった母の縫い目はもう無い。
それを覚えている人も、私の他にはもういない。
目の前にあるのは、小学生が縫ったようなたどたどしい縫い目だ。
「良い手提げが出来たね。たいしたものだわ」
 と、私は、子供を誉めるように母を誉めた。
「行っていれば、何かは、やってくるようね」
 と、母は、いくらか他人事のように言って、私の誉め言葉をするりとかわした。その様子に、
私の心の中に生まれていた
「出来た」「出来ない」という拘りがふわっと解けた。
 この手提げを、デイケアでの着替え用の肌着入れにしようと、私は、袋の裏面に、
マジックで母の名前を書いておいた。
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これが、ハハの最後の縫い物になった・・・。
さて、水曜日には、いろいろ補正アリのウィステ製のベストを持って、ムスメのところに行こう。
ムスメ、要らないって言うかも・・。(>_<)



 


コメント
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