ぶらつくらずべりい

短歌と詩のサイト

動機と証拠

2012-11-06 04:40:52 | 雑感
世界はそこにあり、私はここにいる。しかし、それを伝えようと言葉にした瞬間から世界は私は言葉になる。あなたの言葉と私の言葉は違う。けれど、世界は私には一つで私はたった一人だ。当たり前だけれど短歌を詠む動機はそこにある。
例えばある六月の珍しく晴れた日曜日、子供と空を見ていた。私は流れる雲を何も考えないで眺めていたが、子供は空の向こうにお昼に食べたい物や朝に見たアニメの飛行機が飛ぶのを想像していた。当然、その時間に記憶しているものは違う。何日かして私はその日曜日をすっかり忘れていたが子供は突然、その日曜日についてまるでついさっきのことのように語るのだ。その世界をまるごと語ろうと一生懸命に。空回りしながら。話す内容の意味は分からないけれど伝わるのだ。私はその声を聞きながら思った。私と子供は違うのだと。違うからこそ切なくて愛しいのだと。
私は短歌を詠む。まるで子供があの日曜日の話をするように。
あなたの詠む短歌は私にとってのあなたなのだ。だからこそあなたは必ずあなたである証拠を残す。その証拠が確かであればあるほどあなたらしくあればあるほど私はあなたとの差異を認識する。
動機と証拠。それが私の求めるものだ。ポーズや理知は要らない。あなたが真っ正面からその世界に向き合って捕らえてきた感情が知りたいのだ。私はそれ以外の歌壇的な付き合いやヒエラルキーに一切の関心はない。寧ろ、短歌の世界にまでその様な醜さを持ち込む人を嫌悪する。作品によってのみあなたと知り合い出来れば作品によってのみ私を知って欲しい。
私にあなたにとっての世界を生の輝きを見せてくれる短歌。私の関心はそこにある。いや、そこにしかないと言い換えてよい。あなたのたった一度の生の輝きと醜くさを見せて欲しい。そして私の生を見て欲しい。醜くもがき苦しみ傷付け他人を犠牲にして尚、自らの幸せを希求する私の生を。
私には短歌が必要だ。
そうして今朝もまた短歌人誌を開く。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。