(「小簾紅園、第十八代 徳川宗家お手植えのもみじ)
(美江寺宿4)
♪てんてんてんまり てん手まり
てんてん手まりの手がそれて
どこからどこまでとんでった
垣根を越えて屋根越えて
おもての通りへとんでったとんでった♪
この童謡は西條八十の作詞で有名である。
二番は次の通りで、
♪おもての行列なんじゃいな
紀州の殿様お国入り
きんもん先箱供揃い
お駕篭の傍には髭やっこ
毛槍をふりふり やっこらさの やっこらさ♪
この二番の歌詞にある、
「金紋先箱供揃い お駕篭の傍には髭やっこ」は、
非常に豪華な大名行列を想像させる。
(日本最後の大行列は、何と言っても第14代将軍 徳川家茂に嫁いだ
皇女和宮の行列であったに違いない。
警護の武士団を先頭に、色鮮やかな宮中人の絢爛たる行列が、
延延と続き、美江寺宿の人々を驚かせたに違いない。
公武合体とは言え、年端も行かない皇女和宮のご降嫁は、
悲壮なご覚悟があったことは、詠まれた歌にもにじみ出ている。
・惜しまじな 君と民とのためならば
身は武蔵野の 露と消ゆとも
文化元年(1861)十月、「呂久の渡し」を御座舟でお渡りになられた。
その折、対岸の馬渕孫衛門の庭にあったもみじをご覧になり、
一枝ご所望になった。
これを船のへさきに立てさせられ、玉簾(すだれ)越しにご覧になり、
・おちてゆく 身と知りながら
もみじ葉の 人なつかしく
こがれこそすれ
ご自分の境遇をもみじ葉に託し詠まれた。
(・・・もみじ葉の人なつかしく こがれこそすれ」の歌碑、柵の中)
(和宮の歌碑)
ここ美江寺宿では、このご渡船を記念して、
歴史ゆかりの呂久の地に
「和宮遺跡」を保存したいと機運が盛り上がり、
昭和の初め、時の村長らが並々ならぬ努力の末、
昭和四年四月その名もゆかしい「小簾紅園」が完成した。)
(瑞穂市)と小簾紅園が出来たいきさつが述べられている。
昭和51年には秩父宮妃殿下を始め多数のご臨席を仰ぎ、
和宮100年祭を盛大とり行った、と付け加えられている。
なお、「小簾紅園」は歌にあるようにもみじの木が覆い、
池があり、歌碑があり、また十八代 徳川宗家の
お手植えの「もみじ」もあり、
大変美しい静かな公園となっている。
(和宮御遺跡の石碑)
(小簾紅園入り口)