(「中仙道三回り半」の石碑、後ろが歩いてきた道)
(「中仙道三回り半」の石碑を左折、道路向こうに中山道の案内あり)
(美江寺宿から赤坂宿へ)
道に迷っていると、自転車に乗った二人連れの高校生に出会ったので、
道順を聞くことにした。
「中山道はここで左ですか?」と訊くと、
高校生は中山道がわからず、
「中山道?」と聞き返してきた。
「家康が徳川幕府を造ったあとに、すぐ五街道を整備したよね。
江戸から京都へ東海道と中山道はそのうちの一つ」とボク。
どうも解っていない様子。
「どこへ行くのですか?」と高校生。
ボク「赤坂宿へ行くのですが・・・」
高校生「これからボク達 赤坂へ帰るところです」という。
ボク「聖観音?金生山(きんしょうざん)?東赤坂駅は?」と訊くと、
高校生「あそこの山が金生山です」と指差す。
石灰岩を採掘すると聞いている山は、
岩肌がむき出しになって白く見える。
東赤坂駅はこの石灰岩を輸送するのに敷かれた鉄道である。
聖観音は赤坂宿に出る手前の途中にある観音堂である。
しかし、聖観音は高校生も知らない。
高校生「ボク達、赤坂へ帰るところです。
この道をまっすぐ行けば出ます。」と。
清潔そうな白いカッターシャツと礼儀正しい物言いとにとても好感が持てた。
清潔そうな白いカッターシャツと礼儀正しい物言いとにとても好感が持てた。
「この先に大学がありますから、
その手前で左折したら如何ですか」と高校生。
ボク「ありがとう」
そこでお礼を言って高校生と分かれ直進すると、
何のことは無い100mもしないうちに、
左折道路があり「中仙道三回り半」の石碑が道路左角にあるのを見つけた。
ボク「ありがとう」
そこでお礼を言って高校生と分かれ直進すると、
何のことは無い100mもしないうちに、
左折道路があり「中仙道三回り半」の石碑が道路左角にあるのを見つけた。
直進道路は、そこから土手の方向に登っていくので、
方向としては直進は間違いのようだ。
いろいろ考えて頭を上げると、左折道路の向こう側に、
「中山道←」の案内看板があるではないか。
するとこの「中仙道三回り半」は何だろうか。
この先の中山道が「三回り半」しているのだろうか。
(「中山道」左折の案内、直進は土手に登る道)
案内に沿って左折すると、
道路は素盛鳴神社の前ですぐ右折、
そしてさらに左折、これで三回りであるが「半」がわからない。
まっすぐ道路を進むと、途中左手に「秋葉神社」があり、
右手に「長徳寺」があり、少し行くと十字路に出て、
右手前に「聖観音菩薩」がある十字路に出た。
十字路を横切ってさらに麦穂が波打つほかは水田地帯、
田植えを待つ水田の間をしばらく直進する。
(二回り目の素盛鳴神社前)
(火の神秋葉神社)
(右手の長徳寺)
(聖観世音菩薩)
(麦穂が波打つ水田地帯)
左角に「七回り半」の標識があり、
右折してすぐ民家の前で左折する。
これで「二回り」と数えて、水田地帯を抜け、
やがて左にトラックが並ぶ(エスライン・・・)の物流センターをみて、
広い道路を横切る。
十字路の向こう右手に田舎にしては洒落た(コーポ・・・)が見える。
道路を渡り、中山道の案内は右折を示している。
コーポの裏手へ右折する道路へ進み、すぐ広い通りへ出て、
右手の(中沢)の信号を見て左折する。これで「四回り」と数える。
道路を右側に渡り「中山道」の案内看板を見て、右手の水田に沿って歩くと、
道路は右折し道なりにすぐ左折する。これで「六回り」で、
どう数えても「七回り半」にならない・・?!?!・・。
赤坂宿に入るまでにあと一回半 曲がり道があるのか、
昔はあったが、今はもうなくなっているのか・・・解からない。
(左手の物流センター)
(大通りを横断、右向こうのしゃれたコーポ)
(コーポ後ろの道路を案内に沿って右折)
(右の「中沢」信号を道路を渡って左折)
(水田脇を案内に沿って進む)
(次を右折)
(道なりに左折)
しかしこれで踏み切りを渡ると東赤坂駅が右手に見える。
これが中山道の「西の赤坂」である。
「東赤坂駅」なのに「西の赤坂」というのも可笑しいが、
「うとう峠」を降りてきた所にある「赤坂の地蔵堂」を
「東の赤坂」といい、これに対抗してこちらの「赤坂」を西の赤坂という。
その赤坂宿の東側にある駅を「東赤坂」駅と名づけた。
踏切を渡って、少し行くと道路は左へ行く狭い道に入る。
これで「七回り」なのかもしれない。
これから赤坂宿に入る。
(右に見える東赤坂駅)
(先に見える左折の狭い道路)