中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

美江寺観世音(旧中山道を歩く 257)

2011年07月31日 10時13分04秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2


(美江寺宿の名所・遺跡図)


(美江寺東口のバス停)

(美江寺宿2)
踏切から数十歩行くと、
右手に(美江寺東口)のバス停があり、
旧中山道の案内看板も立っている。
道路わきには「美江寺宿の名所・遺跡図」案内看板もある。
少し行くと右手に「美江寺一里塚跡」の碑が建っている。
その手前を北に入ると、亀頂山 瑞光寺がある。


(美江寺一里塚の碑)


(亀頂山 瑞光寺)

ここは美江寺宿本陣の主 山本友佐坊の菩提寺であり、
友佐坊は芭蕉門美濃派のお弟子さんでもある。
その関係で亀頂山 瑞光寺山門前には、芭蕉とその門弟の句碑が建つ。

山本友佐坊句碑
・影も匂ふ かと おもわれつ 梅に月

各務於菟句碑(芭蕉門人)
・時雨る々や  あるかなきかの  石のこえ

芭蕉句碑
・旅人と  我名呼れん  初時雨


(山本友佐坊句碑)


(各務於菟句碑)


(芭蕉句碑)

少し歩くと(美江寺)の信号があり、
その右手に美江神社の石の鳥居がある。
境内に入ると右手に「中山道 美江寺宿跡」の石碑があり、
説明案内板もあるので、しっかり読んで置きたい。
その先に高札場が復元されている。
高札場は、本来宿場の決まりを伝えるものであるから、
以前は通りに面した所にあったに違いない。
高札場には六枚の高札が掛けられていた。
内容はどこの高札も同じで、
忠孝を大切に、キリシタンの禁止、人馬の駄賃の取り決めなど、
幕府や領主が決めた掟書などを知らせた。


(美江寺の信号)


(美江神社)


(入って右側の美江寺宿の石碑)


(右側の高札場)

左手には神社の本殿があり、
その前を通り奥に進むと、美江寺観世音堂もある。
お堂前に二つの引き出しがあり、
「どうぞご自由にお持ちください」とあるので開くと
(歴史の道・中山道 美江寺宿)と(美江寺宿 マップ)とがあるので、
賽銭をいれ頂戴する。
ここでは美濃最古の天平仏、十一面観音立像があったが、
斉藤道三時代に現在の岐阜美江寺に移された。
今は、美江寺城の和田家に伝わる観音像が祀ってある。


(左側の本殿)


(左奥の美江寺観世音)

美江神社まえで、最初の枡形を左折、すぐ右に和田家、
これは美江寺城主和田氏の末裔と伝えられる。
その先左手に本陣跡の碑があり、
商人宿が右手に、その先突き当たり辺りが、
広重の浮世絵「木曽海道69次之内 みゑじ」を画いた所という。


(元美江寺城主の末裔和田氏の家)


(左手に本陣跡の碑)


(商人宿、今で言うビジネスホテル)


(正面が広重の浮世絵を描いた場所といわれる所)


(広重画く「みえじ」)

この2番目の枡形を右折してすぐ左手に石標があり、

「右大垣 赤坂ニ至ル」
「左大垣 墨俣二至ル」とある。

石標を左に見て、進むと右手に「美江寺千手観音堂」がある。
お堂の中には石造りのこちらは千手観世音像が祀られている。
また、お堂の先には「新月橋」があり、
この橋は、寛文7年(1667)に寄付金で築造されたという記録が残ったいる。
周りは富有柿の産地らしく柿の畑が見渡せる。


(右大垣の石標)


(千手観音堂)


(石造りの観世音)


(新月橋)


(富有柿畑)


(周りは富有柿の畑)

道路はその先で突き当たりの枡形、
ここに「千躰寺」があって、

瑞穂市教育委員会の説明によると、
(――前略――千躰寺には高さ12cm~23cmの
ヒノキ材一木造の阿弥陀如来立像、千躰が八段に並べ祀られている。
仏像は千躰仏と呼ばれ、寺の名の由緒となった。――後略)とある。
この案内看板の隅に千躰仏の写真が出ていたので、パチリと写真。

千躰仏が安置されているというが、
確かめることは叶わなかった。

千躰寺の前で、最後の枡形を左折。


(突き当たりの千躰寺)


(千躰仏を見ることができなかった千躰の仏様、
看板の写真です。本物を見たら感動するでしょうね)







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