中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

樋口一葉 (旧中山道を歩く 10)

2005年01月29日 20時36分02秒 | 1.武州(東京都)の旧中山道を歩く(1~26
(樋口一葉)

本郷三丁目を過ぎてから、中山道は、また歴史の博物館に入る。



まず、本郷三丁目信号を渡った左側に交番が在り、
その裏手に本郷薬師がある。
「江戸御府内に病に倒れるもの数知れずでたため、
薬師さまに祈願してやっと治まったといわれる。

本郷夜店は、著名なり。連夜商人露天を張る。
薬師の縁日の夜は、ことに雑踏を極むるなり」
とある。

(本郷薬師)


(本郷薬師の提灯)


(薬師像)

現代の巣鴨の地蔵堂の縁日並であったのであろう。
(後の世に’04年頃の巣鴨の縁日の繁盛ぶりは
理解されないかもしれないが)

本郷薬師をあとに、すぐ東京大学の赤門が右手に見えてくる。
赤門前に信号があるが、その信号の左手に
(浄土宗 法真寺)石塔が見える。


(浄土宗 法真寺)

樋口一葉が幼少の頃住んでいた家と隣接するお寺である。
この年(’04年)、新札五千円のモデルとなった一葉は、
この家を「桜木の宿」呼んで懐かしんだ。

樋口一葉の「ゆく雲」の中に、
「寺内広々と桃桜いろいろ植わしたれば、此方の二階より
見下ろすに、雲はたなびく天上界に似て、腰ごろもの観音様
濡れ仏におわします。お肩のあたり、膝のあたり、
はらはらと花散りこぼれて....」


(念ずれば花ひらく」の地蔵)

(法真寺にある「念ずれば花ひらく」の
地蔵さまの微笑みがなんともいえない。)
文中の寺がこの浄土宗 法真寺で、濡れ仏は、
本堂横に安置されている。腰衣観世音でその前方に、
一葉塚の石碑がある。
 

(腰衣観世音と一葉塚)

一葉は4歳~9歳になる明治14年(1881年)までの五年間、
住んだ場所で、最も豊かで安定した時期といわれている。

24歳で短い生涯を閉じたが、
病床で書いた雑誌の中で
「桜木の宿」と懐かしんだ。
(文京区教育委員会)





最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あの赤ちゃんのような笑みのお地蔵様を、一葉さん... (salasala)
2005-02-01 21:27:45
あの赤ちゃんのような笑みのお地蔵様を、一葉さんも見ていたのですね。
返信する

コメントを投稿