(樋口一葉)
本郷三丁目を過ぎてから、中山道は、また歴史の博物館に入る。
まず、本郷三丁目信号を渡った左側に交番が在り、
その裏手に本郷薬師がある。
「江戸御府内に病に倒れるもの数知れずでたため、
薬師さまに祈願してやっと治まったといわれる。
本郷夜店は、著名なり。連夜商人露天を張る。
薬師の縁日の夜は、ことに雑踏を極むるなり」
とある。
(本郷薬師)
(本郷薬師の提灯)
(薬師像)
現代の巣鴨の地蔵堂の縁日並であったのであろう。
(後の世に’04年頃の巣鴨の縁日の繁盛ぶりは
理解されないかもしれないが)
本郷薬師をあとに、すぐ東京大学の赤門が右手に見えてくる。
赤門前に信号があるが、その信号の左手に
(浄土宗 法真寺)石塔が見える。
本郷三丁目を過ぎてから、中山道は、また歴史の博物館に入る。
まず、本郷三丁目信号を渡った左側に交番が在り、
その裏手に本郷薬師がある。
「江戸御府内に病に倒れるもの数知れずでたため、
薬師さまに祈願してやっと治まったといわれる。
本郷夜店は、著名なり。連夜商人露天を張る。
薬師の縁日の夜は、ことに雑踏を極むるなり」
とある。
(本郷薬師)
(本郷薬師の提灯)
(薬師像)
現代の巣鴨の地蔵堂の縁日並であったのであろう。
(後の世に’04年頃の巣鴨の縁日の繁盛ぶりは
理解されないかもしれないが)
本郷薬師をあとに、すぐ東京大学の赤門が右手に見えてくる。
赤門前に信号があるが、その信号の左手に
(浄土宗 法真寺)石塔が見える。
(浄土宗 法真寺)
樋口一葉が幼少の頃住んでいた家と隣接するお寺である。
この年(’04年)、新札五千円のモデルとなった一葉は、
この家を「桜木の宿」呼んで懐かしんだ。
樋口一葉の「ゆく雲」の中に、
「寺内広々と桃桜いろいろ植わしたれば、此方の二階より
見下ろすに、雲はたなびく天上界に似て、腰ごろもの観音様
濡れ仏におわします。お肩のあたり、膝のあたり、
はらはらと花散りこぼれて....」
(念ずれば花ひらく」の地蔵)
(法真寺にある「念ずれば花ひらく」の
地蔵さまの微笑みがなんともいえない。)
文中の寺がこの浄土宗 法真寺で、濡れ仏は、
本堂横に安置されている。腰衣観世音でその前方に、
一葉塚の石碑がある。
(腰衣観世音と一葉塚)
一葉は4歳~9歳になる明治14年(1881年)までの五年間、
住んだ場所で、最も豊かで安定した時期といわれている。
24歳で短い生涯を閉じたが、
文中の寺がこの浄土宗 法真寺で、濡れ仏は、
本堂横に安置されている。腰衣観世音でその前方に、
一葉塚の石碑がある。
(腰衣観世音と一葉塚)
一葉は4歳~9歳になる明治14年(1881年)までの五年間、
住んだ場所で、最も豊かで安定した時期といわれている。
24歳で短い生涯を閉じたが、
病床で書いた雑誌の中で
「桜木の宿」と懐かしんだ。
「桜木の宿」と懐かしんだ。
(文京区教育委員会)