中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

板橋宿の下宿ー平尾宿 (旧中山道を歩く 21)

2005年03月11日 09時21分00秒 | 1.武州(東京都)の旧中山道を歩く(1~26
(平尾宿の脇本陣の切り絵)
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(板橋宿の下宿-平尾宿)

中山道に戻ると、旧中山道板橋宿の門がある。
旧中山道 板橋宿が続く。平尾宿、仲宿、上宿の順だ。

その入り口より100mほど歩くと、すぐ右脇に、
旧中山道の主な見所についての看板があるので、
看板を参考にして訪れてみたい。
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(板橋宿の案内看板)

その看板のすぐ近くの右側にある如意輪山観明寺は、
真言宗豊山派のお寺で、ご本尊は正観世音菩薩。
「新編武蔵風土記」には、延宝五年(1677)十月に
入寂した慶浄が中興開山とあります。
江戸時代、板橋宿の寺として、多くの信仰を集めた。
明治六年、当時の住職が、千葉の成田山新勝寺から
不動尊の分身を勧請しました。現在も出世不動という。
境内に鎮座する稲荷神社と赤門は、
もと加賀藩下屋敷にあったもの。
また、入り口にある庚申塔は、寛文元年(1661)
造立されたもので、青面金剛像としては都内最古です。
板橋区指定有形文化財になりました。
             (板橋区教育委員会)
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(観明寺の庚申塔)

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(観明寺の境内)

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(都内最古の庚申塔)

中がよく見えないので上の切り絵でご想像ください。

この辺り一帯は元加賀藩下屋敷があったところだ。
近くに加賀町の町名が残っている。

少し先に行くと、
当時の名残りを見せる湯屋(花の湯)が営業していた。
その手前を右に入ると板橋宿平尾脇本陣跡の標柱がある。

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(400年続く銭湯、花の湯)

入り口が古く年代ものと判り、厳めしい。
(最近、取り壊された。)

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(昔も今も変わらぬ佇まいの「花の湯」)

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(脇本陣の標柱)

近所にお住まいのYさん、Kさんに拠れば、脇本陣は、
家の周りを一周して縁側があり、反対側の道路まで
そのお屋敷はあったという、広い建物であった。
近藤勇が宿泊したこともある。

今ではマンションが建っているが、取り壊す前に
板橋区に史跡として保存してはどうか、
近所から提案があったが、当時は自治体も資金不足で
引き取れなかったようで、取り壊されたという。
今から考えれば残念なことである。

平尾宿の名残は、
板橋宿入り口にある交番、板橋警察平尾派出所、
日曜寺にある幟旗の石柱と、
この平尾宿脇本陣跡の標柱しかない。
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(日曜寺の平尾町幟旗の石柱)


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
花の湯の入り口は版画とほんとにそっくりですね。 (salasala)
2005-03-15 15:25:04
花の湯の入り口は版画とほんとにそっくりですね。
私だったら自販機はおかないけどなあ~。
あ、よけいな事書いちゃった。

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