中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

東光寺と宇喜多秀家 (旧中山道を歩く 20)

2005年03月08日 09時19分00秒 | 1.武州(東京都)の旧中山道を歩く(1~26
(板橋区役所板橋出張所にある板橋宿の浮世絵と中山道の地図)
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(東光寺と宇喜多秀家)

板橋宿は三つの宿場からなる。日本橋方向から
平尾宿―仲宿―上宿となる。

最初、日本橋の項で記述したが、京都から江戸に下るのが
基本になる旧東海道、旧中山道である。

国道1号線と17号線の今は、東京から京都へ下りになる。

したがって、板橋宿も京都方向から見て、上宿―仲宿の順になる。

しかし日本橋を起点に歩き出したので、平尾宿―仲宿―上宿の
順序に歩くことになる。

17号線の信号を渡った先を真っすぐ東へ入ると、
右側に東光寺が見える。

東光寺は正式には、丹船山薬王樹院といい
浄土宗のお寺。

(1679年加賀前田家下屋敷の移転に伴い現在の場所に移転。
当初は、旧中山道の面した参道に町家が並び賑やかであったが、
明治初期の大火や関東大震災による火災で再建され往時を偲ぶことは出来ない。
境内には、寛文二年(1662)の庚申塔、
板橋区の有形文化財に指定された石造菩薩坐像、
明治になって子孫が建立した宇喜多秀家の墓があります。)
(板橋区教育委員会)
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(東光寺)

宇喜多秀家は豊臣秀吉の養女(実父は前田利家)豪を娶るほど
秀吉の信任が厚かったが、関ヶ原の戦いで西軍の大将になり、
戦に敗れると死罪だけは免れたが、八丈島に流罪となった。
明治3年、新政府の恩赦により赦免され子孫が東京に入った。
この後一族は、士族に加えられ明治天皇より板橋に宅地を賜わっている。

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(宇喜多秀家の墓)



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
いよいよひでさん地元入りですね。 (HAL)
2005-03-08 17:06:17
いよいよひでさん地元入りですね。
宇喜多家の宅地が板橋にあったのですね。免許書き換えのために何度か板橋警察著まででかけているのですが、なかなか周辺を歩くチャンスもありませんでした。
ひでさんの案内を得たので、こんどは歩き回ってみますね。

春庭足跡へ「元気出して」のコメントありがとうございます。ここ数日元気をなくしてふせっておりました。
今日明日は4月中旬の気温というので、少しは春めいて心つよくしなければと思っています。
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最近文章に張りが無く、少しお疲れ?と思っていま... (HIDE-SAN)
2005-03-09 21:37:02
最近文章に張りが無く、少しお疲れ?と思っていました。
こんな時は、休むに限ります。
毎日一文をこなすことは大変な努力が必要で、疲れがたまります。

散歩もほどほどにしないと、
疲れて下向きにうつむいてしまいます。
脇から見ると「お疲れ?元気ない?」と
みえます。

少し休んで、元気を取り戻しましょう!!
HALさんらしく、気力のみなぎった文章を
期待しております。
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