中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

四谷怪談 お岩さま (旧中山道を歩く 18)

2005年03月01日 09時45分00秒 | 1.武州(東京都)の旧中山道を歩く(1~26
(四谷怪談お岩様の墓、妙行寺の石柱)


(四谷怪談 お岩さま)
庚申塚は中山道の日本橋と板橋宿の中間に位置している。
その庚申塚を右に折れ、国道17号を横断すると、
そこから「お岩通り」になる。
四谷怪談で有名なお岩様のお寺―妙行寺があるので
寄ってみる。
お岩通りをしばらく行くと、左に折れる道があり都電の線路がある。
そこをまたぐと、妙行寺がある。

本堂左脇を入るとお墓になるが、
案内に沿っていくと、忠臣蔵で有名な浅野たくみの守夫人の
お墓があり、これをひと回りする格好で、お岩様のお墓が見える。

(忠臣蔵の浅野内匠頭の夫人のお墓。この真後ろにお岩様の墓がある)


(お岩様の立派なお墓)

偶然にもお化けにふさわしく墓前に猫が眠っていた。

由緒記によれば
「お岩様が、夫 伊右衛門との折り合いが悪く
病身となられて、その後亡くなったのが、
寛永13年2月22日であり、以来田宮家ではいろいろ
「わざわい」が続き、菩提寺 妙行寺四代目 
日遵上人の法華経の功徳により、一切の因縁が取り除かれた。
この寺も当時は四谷にあったが、明治42年現在地に移転。
お岩様に塔婆を差し上げ、熱心に祈れば願い事成就する。」
(妙行寺由緒記)

このお寺を出て、左に進むと善養寺がある。

「大昔は上野山内にあって、元は東叡山寛永寺の末寺で
天台宗の寺院であった。
江戸時代は下谷の善養寺町、現在は台東区上野公園に移転した後
敷地が鉄道用地にかかるため、現在地に移転した。」
(豊島区教育委員会)
と案内にある。

なぜここに記すかというと、
ここに江戸中期に活躍した、陶工で絵師の尾形乾山の
お墓(東京都指定旧跡)とフランスのジュリオ・キューリー
(キューリー夫人の娘婿)の指導を受けた原子物理学者
湯浅年子のお墓がここにあるからである。

尾形乾山は、御承知の通り尾形光琳の実弟で、
「金の光琳・銀の乾山」と並び称された。
画法を兄に学び、陶芸は色絵陶器では、
右に出るものが無いと言われた名工の 
野々村仁清に感化を受け、高雅な作品を残している。

絵師・陶工として端正な作風で知られ、
いまだに沢山のファンがいることから、
焼き物の作品には、贋作が沢山横行していることでも
有名である。作品には「乾山深省」と署名がある。
(東京都教育委員会)

(尾形乾山のお墓)

一方 湯浅年子は
「第二次世界大戦勃発直後、30歳で単身渡仏し、
ジュリオ・キューリー夫妻のもとで研究を始めたものの、
戦争のため帰国を余儀なくされたが、国際的に活躍した
日本初の女性科学者。
人生の選択に迷う皆さんに勇気を与えます。是非ご覧下さい。

「パリに生きた科学者 湯浅年子」岩波ジュニア新書

男尊女卑の時代に、かかる日本人女性がいらっしゃったことに
敬意を表したい。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今回は女性特集のようですね。 (salasala)
2005-03-04 19:23:20
今回は女性特集のようですね。
まさかキュリー夫人が出てくるとは思っても見ませんでした。
女性科学者湯浅年子、こんな人がおられたとは驚きです。
返信する
湯浅 年子さんに (HIDE-SAN)
2005-03-05 10:07:22
湯浅 年子さんに
何にでも興味を持ちすぐ実行に移す
Salasalaさんがダブります。
返信する

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