中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

須原宿までの厄介な旧街道(旧中山道を歩く 188)

2009年11月12日 08時42分33秒 | 5.木曽(長野県)の旧中山道を歩く(157~2

(名古屋まで123kmの標識)

(上松宿 7)
上松宿から次の須原宿までの距離は長く、入り組んでいる。
つり橋を過ぎて少し先で、国道19号に合流したら、
国道の反対側にある歩道を歩こう。

すぐ「名古屋まで123km」の案内看板があるが、
これを尻目に歩くとやがて倉本駅に近いことがわかる。
倉本駅を通り過ぎて「倉本」の信号で左に入る道があるので左に入る。
ガードをくぐると、道路はさらに左方向へ、もと来た道に戻るのではないかと心細くなるが、
坂を上がると突き当たりにカーブミラー、正面に「くらもと」の標柱が見える。
手前に林機械商会の建物がある。
ここまで案内書通りである。


(倉本の信号)


(道路は戻るように感じる)


(カーブミラーと「くらもと」の標柱)


(左右に分かれる道は民家のあるほうに進む)


(左石垣の上に「至須原」右の案内あり)

「くらもと」の標柱で右方向に進路をとり進むと、
道路は左に大きくカーブする道と、直進は民家の庭先に入る道に分かれる。
躊躇しながら民家の庭先の道を選ぶ。
これが正解で、二股の間に分かりにくい「右須原」の案内が見える。

少し行くと左手に常夜灯と庚申塔が並んでいる。
この庚申塔は「除三尸乃罪(のぞくさんしのつみ)」と刻まれている。

この庚申塔について上松町教育委員会の説明によれば、
(暦の上で60日に一度巡ってくる庚申(かのえさる)の日に、
その夜眠らずに過ごして、長寿を願う信仰を庚申待ちといいます。
人間の身中には、誰でも三尸九虫(さんしきゅうちゅう)が宿っていて、
この虫は庚申の夜に人が寝た時、
天へ上って天帝に、人間の罪過を告げて、
人の生命をちじめると言います。
この虫の報告が五百条になると、その人は死ぬそうです。
そこで、庚申の日に、三尸(さんし)の虫が、人が寝ている時天に昇らぬように、
夜起きているわけです。
普通庚申塔と刻まれている塔が多いが、
倉本のこの塔は「除三尸乃罪(のぞくさんしのつみ)」と彫られていて、
年号も享保十二年(1727)で上松町では一番古いものです。)
とある。

(常夜灯と庚申塔)


(中央に駐車場を見て右の草道へ)


(柿の実が色づいた草道)


(京都側からは「中山道」の矢印案内がある)

道路はその先でまた二股に分かれる。正面は駐車場になっている。
右手の民家の畑のような草道のほうへ下る。
草道は国道19号に合流するが、京都方面から来る人には、
矢印で「中山道」の看板でこの草道に誘導している。
国道19号に出た向こう側にドライブインがあるのが目印になる。
しばらくは国道を歩くと、右側にパーキングの大きな「P」の看板があるが、
その中に一里塚跡の碑がある。
江戸より七十四番目「倉本の一里塚」であるが一里塚は存在しない。


(ドライブイン)


(パーキングの中に一里塚はある)


(一里塚跡の碑)


「(池の尻」の信号、先に「うどんや」が見える)

一里塚のすぐ先の「池の尻」の信号で右脇道に入るのが旧中山道。
舗装道路がしばらくあって畑の中を歩くが、
舗装の自動車道路は途中で終って草道になり、
先を見ると国道19号に合流するのが見え、
合流する手前に廃屋になった食堂があり、その裏手に出て行く。

国道に出てしばらく歩いて、
(阿寺渓谷12km、フォレスパ木曽12km)の案内看板があったら、
右脇道に入る。
国道沿いの道を進み、また国道に合流する。
合流する手前に廃屋がある。


(しばらく続く国道19号線)


(この看板の先の右側の道を行く)


(すぐ脇の道)


(廃屋)


(横断歩道を車に注意しながら渡ろう、向こう側にしか歩道はない)

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(先に見えるしだれ桜。歩道左の狭い道を行ってはならない)

ここで自動車に注意して道路を反対側に渡ろう。
左側にしか歩道がないからである。
案内書では、「国道土手のしだれ桜を見て左の細い道へ」とある。
道路反対側を見ると、道路端に歩道があり、
その左端に細い道があり,
先に桜の大木が見えるので、
その細い道を行くように書いてあると錯覚するが、

その道を行ってはならない。

桜の木の先は道がないどころか、無理に行こうとすれば、
谷に落ち込むかも知れないのだ。
注意が必要である。 
あくまでも、国道の左側にある歩道を進まれますように注意願います。

旧中山道は国道に合流して脇の歩道を歩きますが、
しばらくして歩道がなくなり、歩道用に脇道が作られており、
(歩道案内)のたて看板があるので指示に従って歩くと登り下りの坂になり、
橋を渡りまた国道に合流する。
合流すると同時に「水舟の里」と「須原宿」の看板があり、左へ道路が分かれて行く。
その先にはJR須原駅がある。

やっかいな旧中山道をたどり、やっと須原宿にたどり着く。


(歩道案内の看板)


(水舟の里、須原宿の看板)





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1 コメント

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私は 時間の都合で 倉本に車を置いて大桑まで歩... (どら)
2009-11-21 00:18:23
私は 時間の都合で 倉本に車を置いて大桑まで歩きました。全体に19号をつかず離れずの道で あんまり史跡も残っていなくて楽しい歩きでは無かった印象です。
ま急ぎすぎた事もありますけれどね
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