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由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

倫理の起点

2019年05月31日 | 倫理
メインテキスト:小浜逸郎『倫理の起源』(ポット出版プラス、平成31年)

 小浜ブログに断続的に掲載されてきた「倫理の起源」がこのほど一書にまとまった。現在のような出版事情でこのような書籍が出るのは、それだけで慶賀されるべきであろう。
 以前からの読者として(と言って、よい読み手というわけではないが)感想、というより、心に浮かんだことを書きつけておきたい。それがつまり「一読三陳」の趣旨でもあるので。
 
 この書は「倫理“学”」ではなく、「倫理学批判」を目指すものだ。つまり、主に西洋哲学によって、とんでもなく遠いところ(「善のイデア」とか「道徳律」とか)へ祭り上げられた倫理の根拠を、より身近な、人と人との関わりの場へもどす試みである。

 まず、良心とは何か。著者はその淵源を、子どもが親に叱られた時の恐怖に見いだす。幼児は、親に見捨てられては生きていけない、そのことは本能的に察知する。長じても、人は他人との関わりの中でしか生きていけない。そもそも、共同性以前に「個人」なるものはない。共同性こそ、人間にとって「本源」(和辻哲郎の用語)なのだ。それが毀損される不安が、関わり合い=共同性をできるだけ良好に保とうとする心性を生む。それが即ち良心である。
 これは多くの人の腑に落ちる言説であろう。発達心理学の本にも、似たようなことは書いてあったように思う。ここから一歩進めて、倫理とは何か、と問うならば、人間ができるだけ安定して、幸せに暮らすことができるために役立つ諸種の行為と禁止事項の総体である。
西洋思想の中では、功利主義と呼ばれているものがこの範囲に留まって思索を展開している。しかし、この思想はしばしば嘲笑の的にされ、代わって、あらゆる現象の背後にひそむ「本質」、その中の「善の本質」とか、経験以前に、即ち共同性以前に人間の内に存在する道徳律とか、まとめれば「絶対善」の観念を樹てようとする試みが、装いを変えて、繰り返し繰り返し西洋思想の中に現れ、重んじられてきた。
 それはなぜか、私なりに考えると、たぶん、「自由で自律的な個人」というフィクションに内容を与えるためにである。非常に曖昧で抽象的なしろものではあるが、やはりそれはある、としたほうがいい。その指向ばかりは人間社会に偏在しているらしい。それはなぜか。

 まず一番単純な話、抽象的なものほどカッコよくて、高揚感をもたらす、ということがある。
 今もそうなのかどうか、私が若い頃には、「国家なんてものを越えて、人類全体を視野に収めて考えるべきだ」なる言論が盛んだった。「越えて」と言いさえすれば越えられるとは、なんともお気楽で、それだけにおよそ無意味な言説である。人類全体の共同性なんてものは、一番抽象性が高い。ということはつまり、人々の頭の中にしかない純粋な観念で、だからこそ現実の桎梏によって傷つけられることのない夢の美しさを保つ。
 具体的に存在する共同体でも、家族、地域共同体、経済共同体(企業)、国家、といった具合に範囲が大きくなると、それだけ重要性が増すように思え、また個々人の目には容易に全体が見渡せない、という意味で抽象性が強まる。それならば、より大きな共同性のために生きることは、より正しい生き方だということになりはしないだろうか。
 両性のなかでもより観念的な傾向の強い男性は、そう思いがちである。またもちろん、大きな共同体、たとえば国家は現にあり、それを保つためにやるべきこともある。
 例えば、子どもに普通教育を受けさせることは、親の義務であると同時に、国家が取り組むべき事業とされる。全国に学校を作るなんてことは、個人や小さな共同体にできることではないのだから。これを承認する、ということは、個々人は、自分に子どもの有り無しにかかわらず、学校の設置・運営のために自分の税金が支払われることを承認したことになる。
 以上は非常に具体的で、ささやかな話ではある。
 そして、このようなささやかだがなくてはならない義務を果たすことが即ち善行であり、特別な行いは必要ないのだ、と著者は言う。もっともである。「特別な行い」は、共同体の実際の必要性よりは多く、「自分は特別だと思いたい」個人的な欲望から発しているのだから。ヒーロー(英雄)と麻薬のヘロインは同語源の言葉なのだ。
 「アーリア/大和民族の偉大性」などというと、具体的には何か、さっぱりわからないのだが、むしろそのほうがいい。「人類全体」と同じ、なんとなく高尚そうな純粋な観念のほうが、人を酔わせる力が強いのである。酔った挙句、自分がその化身のように思い込むと、自分を含めた個々人に犠牲を強いてでも、やるべきことをやっていい、いや、やるべきだ、などというところまで亢進する。そこまでいった人間が、過激な行動に走る心理過程を、このうえなく説得的な描いた小説に、大江健三郎「セブンティーン」がある。
 また、過激な行動には走らないまでも、「普通の人間には見えないより正しい真実」の需要はある。何よりも、自分自身をより価値の高いものだと思いたいがために。「絶対善」をめぐる言説が今まで絶えなかった理由はこれで、たぶん今後も絶えることはない。
 
 より深刻な問題もある。
 著者は、和辻哲郎の倫理学に強く影響されていることは率直に認めながら、批判的な乗り越えを図っている。和辻は共同性を保つ原理を人間相互の「信頼」に置く。それはその通りに違いないが、どうもこの「信頼」は確固不動のものであるかのような書きぶりになっている。もちろん、そんなことはあり得ない。むしろ、それが失われるかもしれない不安こそ、倫理と呼ばれる価値観念と感覚を成立せしめるのである。
 さて、それでは共同性が失われる契機はなんだろう。最初に戻って、幼児にとっては両親の怒り・叱責が直接そう見える。だから彼らは、懸命に親の信頼を得ようと努め、これを通じて最初の社会化を果たす。
 それは最初の話。時が経てば、共同性・関係性自体が変化せざるを得ない。子どもは成長するし、親は年老いる。その時々で共同性を保ち、できればよりよいものにしていくための役割もまた、変わらざるを得ない。そして、このような役割を担うのは、個人である他はない。
 つまり人は、共同体の名において、よき個人であることが求められる。そして何が「よき個人」であることの内容をみつけることもまた、個人に委ねられている。

 例えば、今多くの人が現実に直面している問題に、年老いて介護が必要になった親を、自宅に置くべきか、施設に入れるべきか、の悩みがある。
 入れようとしても施設が足りない、という話はひところよく聞いた。このような状況はできるだけ改善されるべきである。それは地域社会や国家など、より大きな共同体の責務であろう。これに限っても、100パーセント満足のいく状態は達成できないのではないか、という気はするが、とりあえず、努力の方向性は定まっている。そう言ってよい。
 しかし、仮に、経済的社会的にはどちらでも自由に選べる立場であったとしても、どちらがよいのかは、容易にわからない。
 こういうときあなたは、様々な実例を見て検討し、また他人のアドバイスを求めることもできる。いや、現にそうしているだろう。しかし結局、最終的な決定は、あなたがくださなければならない。
 たぶん、一般的客観的に「正しい」道など、原理的にないのだろう。ある家庭は、それぞれの固有の歴史を背負い、具体的な現状の中で存在するのだから。その中で、現にいるあなた、あるいは(兄弟がいる場合には)あなたがたが、決断して実行する。
 ところが人間は完全ではないのだから、決断が悪い結果を招く可能性はある。ずっと自宅で介護したら、介護される本人は幸せだったが、家族の他のメンバーに過剰な負担をかけてしまい、家庭が不幸になった、というような。
 このような悪い結果の「責任」はどうなるか。もし、それがあり得る/なくてはならない、のだとしたら、それはあなたが負うしかない。あなたという個人が、ここで否応なく表に登場する。よき共同性を保つべきであったのに、結果としてそうしなかった罪責ある者として。
 「あなたにはAができたが、Bもできた。そこで、人間社会で一般に悪とされ、法律でも明確に禁止されているAをしたのだから、その責任はあなたにある」なる理屈ができたのは近代のことであるしい。「自由で自律的な個人」の概念、それは今日ではかなり疑われている。というか、これもまた、「社会の都合上あることにしよう」として定められたフィクションなのであろう。
 にもかかわらず、私の知る限り、罪を犯した廉で罰せられる「罪人」は、古今東西の社会にいたようである。責任は原則として個人が負うものだ。この観念は、まさに、共同性を保つためにこそ必要なのであろう。ならば、個人にとっての「正しい生き方」は何か、絶えず問われねばならないのである。
 まとめると、始まりには共同性への「不安」を感じる者として、終わりにはその不安を解消する「責任」を負う者として、「個人」はある。そして倫理は、個人にこそ関わる。

 最後に改めて、家族(最小の、男女一対のものを含む)から国家にまで至る各共同体が、相互に齟齬をきたす場合について、考えてみたい。
 前述の、「より大きな共同体こそより価値が高い」なる思い込みについて、著者は改めるように求めている。より大きな共同体は、より小さな共同体の安定と幸福を保つことを第一の役割として運営されるべきだ、というふうに。ならばまた、個々の共同体にとって必要であるとか、よいことであると納得される限りにおいて、個々人はより大きな共同体のために働くようにする、ことにもなる。
 戦後日本では、すぐに受け入れられそうな提言ではある。しかし、当然ながら、「一人の人間の命は地球より重い」(福田赳夫以前からこの言葉はあった)なんて、歌を歌っていればすむほど、ことは簡単ではない。
 仕事の都合と家庭の都合と、どちらを優先させるべきか、などは、程度の差こそあれ、普通の人間の生涯中に一度はふりかかる局面であろう。その場合には原則として仕事を優先させるべき、というのが従来の男性的価値観だとすれば、それは変更されたほうがよい。
 そうは言っても、仕事も家庭も千差万別で、それぞれに固有な事情があるのだから、一般的客観的な解などないことは、上と同じであろう。それでも、いくらかでも気分が楽になる人がいるなら。それ以上は望まない方が、むしろよい。

 最も苛烈なケースである、戦争に関する考察が、本書の掉尾を飾っている。
 本ブログでも以前に取り上げたが、平成18年に刊行された百田尚樹「永遠の零」は、社会思想的に画期的な意味がある。
 ここでは新たな、戦争のヒーロー像が語られている。国家のために一命を捧げる、遺される家族への哀惜はあっても、それに後ろ髪を引かれはしない男の中の男、ではなく、「家族のために、なんとしても生きて帰りたい」と公言する軍人が主人公なのだ。
 彼は軍人としては不適格者なのか。そんなことはない。最もつづめて言えば、戦争は勝つためにやるものだ。そして、最後にこっちが生き残り、向こうが死んでいることが、つまり勝つということではないか。ならば、自分の命を大事にすることこそ、すぐれた戦争の専門家、即ち軍人の資質としてよい。
 このように考えればまた、「国のため」と「家族のため」の二つの共同体への配慮も並び立つ。と、そう簡単にはいかないところまできちんと描いているのが、この小説の優れたところである。

 主人公は戦闘機乗りで、超人の域にまで達した技能を持つ。そのため、航空隊の教官となるが、上の合理主義はここでも発揮される。訓練生たちを、なかなか合格させないのである。未熟な飛行・戦闘技術のまま戦争に出せば、無駄死にさせるばかりだ。これは忍びないだけでなく、戦争に勝つためにも有害である。
 そんな思いと裏腹に、大東亜戦争の戦局は悪化の一途をたどる。追いつめられた日本軍は、合理性に欠けた無茶苦茶な作戦の挙句、特攻という、世界の戦史上類のない「統率の外道」(大西瀧治郎がそう言ったとされる)に踏み切る。
 合理的な思考からすれば、満足に戦争を続けられるだけの兵器も兵力もほとんどなく、兵士の命と引き換えの攻撃しかやることがない、となれば、その時点で戦争は負けなのである。それを認めることができないほど、旧日本軍は「敗北よりは美しい死」なる美学に冒されていた。これもまた、前述の、人を酔わせる「美しい観念」の一つとしてよい。
 主人公は、これほど無駄に若者を死なせる作戦の片棒を担ぐことには耐えられない。懊悩の果てに、「必ず帰る」という家族との誓いは捨て、自らも特攻を志願する。同じ時に飛び立つことになった隊に、かつて一身の危険を顧みず、彼を救った若い兵士がいた。主人公は、自分の機のエンジンに不調があることを発見して、口実を設けて若者との機の変更を申し出る。
 一度特攻で出撃したら、生きて帰ることは許されないが、機の故障で目指す戦場まで行けないことが明らかな場合には、例外だった。おかでげで若者は九死に一生を得て、戦後まで生き延び、主人公に代わって彼の家族を救うことになる。
 ご都合主義てんこもりの結末、とは言えるが、だから文学作品として質が低いとは、著者同様、私も思わない。だいたい、全く欠点のない主人公の人物設定からして、まず現実にはないものだ。そこで綴られているのは、文学でのみ歌われる得る、美しい夢なのである。人を過激な行動へ誘うのではなく、深い鎮魂の念をもたらす類の。それだけに、現実にそのまま適用されるようなものではない。
 現実に生きる人間とは、共同性を結んだ他者のために何事かをなそうとしても、なかなかできない程度の卑小な存在である。それでも、ではなくて、それだからこそ、「正しい道」は、今この場で求められなくてはならない。本書は、「今、この場」はどこにあるか、明らかにした。何よりそこで、貴重な仕事と呼ばれ得ると思う。

【「今、この場」から少し引いた視点から見ると、あらゆる共同性は、その外側に「異質なもの」を作り出し、それの排除を必然とするのは明らかだ。戦争に勝ち、家族の元へ帰るためには、敵方の多くの兵士を殺し、多くの家庭を破壊せねばならない。ここを強調すれば、すべての共同体に究極の価値はないし、中でも現在最大の共同体である国家は悪、なる感覚を呼ぶ。
 EUは、国境を低くし、その分従来の共同性を弱める最近の試みだった。その結果何が生じたか、最近省察を述べた。こういう場合、どういう方向が好ましいか、まだ入口も見つかっていない、というのが正直なこところのようだ。今後取り組むべき課題はまことに大きい。それだけに、やり甲斐も大きい、と感じられるような強さだけは、なんとかかんとか持ち続けたいものです。】
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F氏との対話 大人になることについて その3

2019年04月26日 | 倫理


【由紀→F氏】第4信
 中二病的言論につきあっていただけて、まことにありがとうございます。そのうえ、わざわざ「異邦人」を読み返されたそうで、どうも恐縮です。
 しょ~と・ぴ~すの会には中二病患者の傾向がある人を惹きつけるものがあるのだろう、というご指摘は、そうかも知れないな、と私も思います。というような失礼なことを申し上げた結果、会の参加者が減ってしまうのは、よくないんですが。まあ、自意識が強くて、結果生きづらさを感じている人、ということでしたら……、いや、これも失礼かな。しょせん、蟹が甲羅に似せて堀った穴からの観測ですので、どうぞお許しを。
 こういう困ったちゃんが、Fさんの寛大さに甘えて、またまた中二病全開で申します。
 「異邦人」の解釈なんですが。「カミュが投げ捨てようとしているのは、責任ではなく(ムルソーは死刑を受け入れています)、大人社会の常識的な観点だと思います」。
 これはないんじゃないかなあ。もっとも、「責任」の意味が違うと言うなら、別ですけど。普通だったら、「殺人は悪いことだった。だから、自分が死刑になるのは当然だ」と納得することをもって「責任」を自覚する、引き受ける、などと言うのじゃないでしょうか。そうだとすれば。
 この作品の解釈はさまざまにあり得ます。けっこう難解な部類に属する小説なんで当然なのですが、それより、カミュ一流の飛躍した、独善的とも見える思想の影が濃いせいで。それでも、上のような読み方は到底できないんじゃないかなあ。
 この小説の第二部は、殺人事件後に主人公が裁判にかけられ、死刑の判決を受けて、改めて一切の「救い」を拒絶するところまで描いています。自分が殺したアラビア人の事なんて、終始全く考えません。問題なのは、自分と、自分が受け入れられない、また、自分を受け入れない世界との関係だけ。受け入れられないものは受け入れない、受け入れているふりもしない。それが彼の「自信」の根拠なのですが、それにしても、恐ろしく自分勝手な奴だなあ、などと思うのはなるほど、「大人社会の常識的な観点」でしょう。
 しかし、「殺人は悪いことだ」と納得するのは、「常識」とは別の何かでしょうか? Fさんも、Fさんが引用なさった本の著者も、例えば「殺人は罪悪だ」なる正論をいきなりぶつけるのは愚策だ、と言っておられ、これには全く同感です、罪を犯した子ども(だけではなく大人も)を扱う態度としては。でも、「正論」は、「いきなり」ではなくても、「ゆっくり」とは出てくるわけですよね? 「本音と正論をつなぐ道」を求め、「本音から真摯な反省が生まれる」ことを期するというのは。
 要するに、一番肝心なことは向こうに言わせようとする高等テクニックではないのですか? うまく駆使できるなら、交渉事の名人と呼ばれるであろう説得術、それだけに、いやらしいとも呼ばれうるような手練手管では?
 「異邦人」にもどりますと、Fさんが引用なさった後の部分で、主人公は次のような言葉を司祭に投げつけています。

私はこのように生きたが、また別の風にも生きられただろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかつたが、別なことはした。そして、その後は? 私はまるで、あの瞬間、自分の正当さを証明されるあの夜明けを、ずうつと待ち続けていたようだつた。何ものも、何ものも重要ではなかつた。

 自分の身に起こったすべてのこと、お母さんが亡くなったことも、アラビア人を殺したことも、大したことではないんだ、みんな偶然みたいなもんだ、と彼は言うのです。「他人の死、母の愛――そんなものが何だろう」。
 「肉親の死は悲しいものだ」「殺人なんて決してやってはいけない」、これらは人間の「自然の情」なのかも知れないが、「人間ならそれが当然だ」と言われた瞬間に制度になりおわる。なるほど、「大人社会の常識的な観点」とも言い換えることもできるでしょう。そんなものは、彼にとっては(実は誰にとっても、と言われています)全く本質的ではないから、強調されればされるほど、孤立感が増すばかり。そういう意味で、ムルソーはこの世界で「異邦人」なのです。
 上述のように憤怒をぶちまけた後で、彼は心が洗い流されたように感じる。「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた」。もはや誰も、「お前は~でなければならなかったし、今後も~でなければならない」などと、いかなる形(説教とか、「理解を示す」とか)でも迫って来ず、放っておいてくれる世界。ただし、世界にとってこんな人間は邪魔ではあるのだから、排除はする。そのための、シンプルでごまかしがない手段である絞首刑を、彼は受け入れ、安定するのです。

一切が成就され、私がより孤独ではないことを感じるために、この私に残された望みといつては、私の処刑の日に大勢の見物人が集り、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけだつた。

 アルベール・カミュが後に書いた戯曲「カリギュラ」は、私見では、上のような人物が権力者になってしまったらどうなるか、を描いたものです。「この世の何も(もちろん人命も)重要ではない」ことを示すために、自分が処刑される代わりに、やたらに人を処刑する暴君になるのです。彼に向かって、やがて暗殺者となる男は、大略次のように言います。
「あなたは正しいのかも知れない。私はあなたを軽蔑もしなければ憎みもしない。ただ、人々が安心して暮らしていくためには、あなたは邪魔者だ。消えてもらわねばならない」。
 私もFさんも、この世で無事に生活している以上、排除する側にいることは言い訳のきかない事実だと思います。そのための必要事は、「正しい」と認めている。そうでなければ、教師でも、家裁の調査官でも、「仕事」として社会から認められるわけはないのです。
 もちろん、文字通り殺すのではなく、「反省」させ、「正道」に戻すように努力しておられるのでしょう。それによって再犯率が下がるものなら、社会防衛(人々が安心して暮らせる状態を守る)上からも有益なわけですから、少年法云々より、成人の犯罪者にもこのテクニックを使うよう、処遇を改めるべきでしょう。これもお考えのうちに入っていますか?
 ただ、それもこれも結局は遠回しに「常識」を押しつけているのであり、しかもそのことを巧みに隠蔽する「欺瞞」、と呼ばれ得るようなものを働かせているのではないでしょうか。人の世を支えるためには必要な欺瞞ではありますが。心の片隅にこういう認識を置いておくことは、我々の仕事にとって、また人の世にとって、邪魔になるばかりでしょうか?
 最後に、秋葉原連続殺傷事件の犯人も、「異邦人」みたいなことを言っているのを、ご発表時の引用で知り、興味深かったので、それについて一言します。

私は、事故で母親を亡くしたクラスの女子に「母親が死んだくらいでめそめそしやがって」と言いました。クラスは静まりかえり、その女子は泣き出し、私は別室で「反省」させられたのですが、意味がわかりませんでした。……「相手の立場になって考えなさい。お母さんが死んじゃったら悲しいでしょう」などと担任は説教をしてくるわけですが、母親が死んでも悲しくなどない私の立場になって考えようとはしませんでした。
おかげ様で、私はそういうキレイゴトが大嫌いです。(
永夜抄 P17-18)

 彼は殺傷事件については「反省」しているらしき口吻を漏らしているそうですね。やっぱり、生身の人間は小説の登場人物みたいな徹底性はなかなか保てないもので、それがこちらの「つけめ」にもなります。ただ、肉親の死について、「めそめそしやがって」なんて言うのは非礼だ、という次元は? 母が死んでも悲しいとは思えないのが「本音」である人に、どうやって「正論≒キレイゴト」を納得させるのか。
 私は、だいたいにおいて、理ではなく利で諭すようにしています。
「お前が心の中でどう思うかは自由だが、それを表に出したら世間から嫌われて爪はじきにされることだってある。(この世で普通の意味で幸せに暮らしたいなら)うまく隠すことを覚えるんだな」
 つまり、またカミュの言葉を借りれば、「生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく」んだと教えるわけです。この説得だってほとんどうまくいきません。何も相手が、「存在すること、感じることの真理」に生きようとするからではなく、「まだ子どもなんだから、本音を出しても大丈夫なはずだ」という甘えがしからしめている場合がほとんどのようです。「高校生になったら、それは錯覚なんだよ」ということも、言葉だけではどうにも通じないのは、残念ではありますけど。ただ、こちらがこの段階の「常識」に止まろうと心がけるのは、公教育の教師という、制度・権力のエージェントである者のけじめじゃないか、とは感じています。
 ここを踏み越えたら、たとえ相手を(普通の意味で)幸福にするためだとしても、「詐欺」か「洗脳」と呼ばれるものに近づく。そうではありませんか?

【F氏→由紀】第5信
 「中二病」については、否定的なとらえ方が多いようですが、私は次のように肯定的にとらえています。
 人は、年頃になると、親に代表される価値観に疑いを持つようになり、自分に目覚める。その結果、すべての常識を一旦否定し、白紙の状態から、自分なりの価値観を築きあげたいと思う。このような態度を、いい年になっても持ち続けているのが、「中二病」である。
 文庫の解説によると、カミュは、『異邦人』について、「ムルソーは人間の屑ではない。彼は絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理は、存在すること、感じることの真理である。それはまだ否定的ではあるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう」と述べているそうですか、私は、カミュの『異邦人』を、すべての常識を一旦否定し、生の現実を捉え直そうとする試みとして読んでしまいました。
 その結果、先のメールに「カミュが投げ捨てようとしているのは、責任ではなく(ムルソーは死刑を受け入れています)、大人社会の常識的な観点だと思います」と書いたわけですが、ご指摘のように、確かに、ムルソーは責任を受け入れているととらえられるような表現は言い過ぎで、ムルソーは「常識的な責任の問い方を問題にしている」という方が正確だったかも知れません。
 そして、私は由紀さんが、「常識的な、というかこの社会に責任を持つ『大人』としては当然の観点」からムルソーを批判する一方で、ムルソーの観点からも常識的な責任を押しつけてくる社会の存在を指摘されていることから、由紀さんは、基本的に、個人と社会の関係は断絶した関係であり、よりマシな関係など虚構だと思われているのではないかと感じました。
 同じことは、由紀さんがフーコーを引いて「世の一般的な体制からは別様に人間を考えようとする試み」もそれ自体が体制化し権力の一部になるということに触れていることや、私が発表したような働きかけについても、「遠回しに『常識』をおしつけ、しかも、そのことを巧みに隠蔽する『欺瞞』で、『一番肝心なことは向こうに言わせようとする高等テクニック』、『詐欺』、『洗脳』」と評価されているところにも感じました。
 しかし、私は個人と社会を、双方実体としてとらえ、基本的に断絶しているという考え方はとりません。分かりにくい発表だったかも知れませんが、私は個人と社会を〈主体-状況〉の関係としてとらえ、〈主体-状況〉の関係は、「常識」として一般化し制度化されているが、「常識」は〈主体-状況〉の一つのあり方と相対的に考えています。
由紀さんは、「母が死んでも悲しいとは思えないのが『本音』である人に、どうやって『正論≒キレイゴト』を納得させるのか」と疑問を呈しておられますが、私は、加藤がなぜそんなことを言うようになったのか理解しようとしているだけで、納得させようとはしていません。発表でも加藤の納得は難しいことを説明しています。
 私が試みたのは、常識的には加藤は理解できないが、加藤の〈主体―状況〉の在り方を探れば、加藤がなぜそんなことを言うようになったのかわかる可能性があるということです。
 以上、由紀さんの第4信を読んで、感じたことをまとめてみました。
 ただし、前のメールでも書きましたが、個人、社会、常識、責任というそれぞれの言葉に込めた思いや考えが由紀さんと私とでは似ているようで異なり、そのため、由紀さんから見れば、やはりFは分かっていないと感じられるのではないでしょうか。
 議論がいつまでも平行線で続くようであれば、別の具体的な問題について、機会があれば、意見を交換する方が生産的であるように思います。

【由紀→F氏】第5信
 たぶん一番肝心だと思えるところをできるだけ手短にお伝えします。
 由紀は「基本的に、個人と社会の関係は断絶した関係であり、よりマシな関係など虚構だと思われているのではないか」とのことですが、半分は当たっています。しかし、ここへいくまでの前提が肝心です。
 人は必ず家庭を含めた社会の中で「人」となるのであって、それ以前に「個人」などあり得ない、これは単純な事実です。ですから、ここでは、「断絶」もまた、あり得ない。
 しかし人は、具体的な人間関係の中で、何かの役割を「引き受ける」ことを期待される。すると、それはどうにも不当だ、などと感じてしまうこともある。その意味で「断絶」を感じることもある者です。こうして生じてくる、孤立した個人意識に寄り添うのが文学だ、と私は昔から信じておりました。実例は、今までさんざん述べてきたので、略してもよろしいですね。
 「寄り添う」のは「理解」ではない、というのは微妙すぎるので、さすがの私も、あまりこだわってはいけない、と思います。とりあえず、「理解しようとしているだけで、納得させようとはしていません」というFさんの態度はすばらしいと思います。社会との断絶を抱えてしまったある人間に対して、
「私は彼と関わるが、それによって彼が変わるかどうかも、変わった結果『よくなる』かどうかもわからないが、ともかく、関わる」
と公言して関わることが、仕事として許されますか? それくらいのおおらかさはある社会であってほしいですねえ。人と人との関わりこそ、どんな場合でも、明らかに「断絶」している場合でさえ、根本的なのですから。
 ただそこで、何かしら「よりマシ」な関係というのがあると考えたのでは、すべてぶちこわしになると思います。このへんは平行線ですね。
 平行線がある、というより、私の方がだいぶアラレもない言い方になってしまって、雰囲気を悪くしましたね。また別の機会の議論、ということでこちらもよろしいです。
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F氏との対話 大人になることについて その2

2019年04月14日 | 倫理

Lo Straniero, 1967, directed by Luchino Visconti

【由紀→F氏】第3信
 私はいわゆる中二病です。60代半ばになってもいっこうに成熟できません。今度のやりとりで改めて実感されました。Fさんなら治療法を思いつくかも知れません。しかし、たぶん死ぬまで治らないでしょう。問題は、私自身に治る気がないことで。それがこの病態の、やっかいな特徴の一つなのでしょう。
 以下は、そういう者の言うことです。失礼にわたることもあるかも知れませんが、どうぞご寛恕ください。
 もう何度目かになりますが、今回のご発表にはとても興味深くうかがいました。その理由の一つは、後半の、秋葉原連続殺傷事件の犯人に関するところが、ご論のハイライトだったわけですが、そこに、「非行を犯して罪に問われた少年に対し、いきなり〈常識的な見識-行動〉のセットを対置するのではなく、少年を本当に反省させ責任を感じさせる(少年の人格を大きくする)には、どのような方法があるか」という問題意識が、ほとんど感じられなかったからです。念のために、これは批判でもなければ皮肉でもありません。
 だいたい、この犯人は犯行当時で25歳、少年法でいう「少年」ではありません。「恵まれない環境で一般の少年よりも精神的成長が遅れてしまった少年」ではなかったし、「保護者は生計を立てることなどに精一杯で」(以上、小浜ブログへのF氏のコメントから引用)放任された少年でもなかった。放任と言うよりは過干渉と言うべき、かなり特殊な母子関係から、特殊な精神構造になってしまった「元少年」ですね。実際、そうでなければ、ああいう特殊な犯罪に走ることはなかったろう、と思います。
 ともかく、この稀に見る凄惨な犯罪は起こってしまった。犯人をどう処遇するか。今の日本なら、刑法39条(心身喪失・心神耗弱)が適応されない限り、死刑は免れないでしょう。死刑とは、人間社会からの完全な排除ですが、同じような措置は古今東西途絶えることはなかったようです。これなしで、社会を防衛することはできなのではないか、と多くの人が信じているからでしょう。因みに、死刑が廃止された欧米諸国では、凶悪犯は逮捕の前に、従って裁判以前に、警官が射殺する例がよくみられると言われていますね。
 以上はあるいは人間の野蛮な部分なのかも知れない。犯罪者は、特に凶悪犯罪者は「人」なのであって、人間扱いしなくてよい、などと言われることもある。これに対して、「人間」の概念をもっと広げよう、もっと深い観点から「人間」を捉えよう、という試みも、「文明」の中で細々と続いておりますね。試みの一つが「文学」であり、また「精神医学」もそうだ、と言えるでしょう。ここに由来する言説が世の大勢を占めることはあり得ませんけれど、消失するようなことあってはならない。私はそう信じる者です。
 しかし、困難は別の方面にもあるのです。このような、世の一般的な体制からは別様に人間を考えようとする試みが、いくらか価値があるものだと世に認められると、それ自体が体制化し、権力の一部になってしまうという。ミシェル・フーコーが夙に指摘したように、18世紀になって「精神病」が定型化され、その処置法(治療法)も定型化されると、あるいは「定型」と見えるものになると、それは現に社会を支える制度の一部となるのです。
 悪いことではないでしょう。フーコーと似たような視点から古代・中世世界を語る人々は、「無縁・公界・楽」とか「悪場所」なんぞという、正規の体制に組み込まれない場をロマンチックに描く傾向がありますが、それがそんなによかったはずはない。現在「狂人」と呼ばれている人々は、たいていは、劣悪な環境に放置されていた違いないのです。それに比べたら、近代的な治療のおかげで、清潔に生きられるし、中にはちゃんと「正常」になって、社会復帰を遂げた人も、たぶん、いないこともないのではないか、と。
 ところで今の問題は、いわゆる狂気ではなく、「狂気の犯行」などと呼ばれることもある、不可解な罪を犯す人間についてです。「9歳の壁」とか、劣悪な環境や資質が基になった年少の犯罪者のことはしばらく横に置いときまして。
 たぶんここまででもうFさんにはおわかりになったかと、期待半分に予想しますが、私の違和感は、Fさんが「人間に対し、画一的、観念的に関わるか、それとも個人に対して柔軟に実際的にかかわるか」を問題にしているのに、「人間は変わるか、変わらないか」という問題提起と受け取っているところに由来する、のではありません。人間が変わるか変わらないかなんて、自分についても他人についても結局わからない、ぐらいのことはFさんもわかっていらっしゃるだろうぐらいは、こちらもわかっています。
 私が気にしているのは、そもそもどうしてFさんたちが「人間にかかわ」ろうとするのか、にあります。「本音から真摯な反省が生まれる」ことを期して、なのですね? まあ、当然ではありますね。こういう口実(敢えてこう申します)がなかったら、Fさんのような職業や立場が社会的に認められるはずもなし。
 それでも言わずにはいられないのが、中二病の中二病たるゆえんです。「反省」っていったいなんでしょう? 「自分が悪かったんだ」、と思うこと? その前提である善悪の基準はどこから来るのか? 社会、即ち制度の側からですね? そうではなく、人間には生得的に道徳心があり、他人への思いやりもあるのかどうか、なんて今議論する必要はない。いずれにもせよ、社会的に「正しくない」ことをしてしまった人間は、「正しくなれ」と強要される。だから、正しさは自分にはなく、自分の外部にある。そうとしか思いようがない。
 いや、そう思わせられている。そう思えってんだろ? そのくせ、俺を「理解」するってか? お前たちにとって都合のいい「俺」になるために。しかし、そうなったらそれはもう「俺」じゃないんだけど。
 Fさんはこんな意味のことを言う少年に出会ったことはないですか? そんな時にはどう対応なさるんですか?
 例えばアルベール・カミュは、些細としか思えない理由で人を殺しておいて、裁判で「反省」も「人間的な情」も示すことを拒否して死刑の判決を受け、しまいには神父の差し出す宗教的な救いも拒絶する男を描きました。もちろんここには作者の思想的な傾向が色濃く滲み出てはいますが、しかし一方、人間はここまでなり得るんだ、と説得力をもって描き出している。それは作者が、「いや、そうは言っても、殺される側からしたらたまったもんじゃないんだけどな」という、常識的な、というかこの社会に責任を持つ「大人」としては当然の観点を、作中ではきれいに投げ捨てているからです。
 あらゆる意味で特殊な「人間」を「理解」し、人間の見方を広げたり深めたりするのは、こういうことが必要なのではないか。そうでなければ、「画一的、観念的」に関わろうと、「柔軟に、実際的に」関わろうと、「北風と太陽」の違いはあっても、しょせんその違いだけではないか。Fさんたちの「面接」が、再犯の防止に役立つのであれば、それはこの社会にとって有用です。もちろんそれはそれで、社会的に大したものではありますけれど、それ以上ではない、そのことは認めるべきではないか。
 さて、もう長く書き過ぎましたし、内容的に、けっこう苦しい思いもしています。一番底にあることを曝け出してしまったからです。こんな私にも、何か応えていただけますでしょうか?
 
【F氏→由紀】第4信
 メールありがとうございます。
 カミュの『異邦人』に言及されておられたので、私も読み直したりしていて、お返事が遅くなりました。
 加藤の事件の分析に、非行少年の人格を大きくするという問題意識が殆ど感じられなかったということですが、尤もだと思います。発表の際にも、付言しましたが、ある研究誌に投稿したところ、加藤の分析の部分は載せられないと言われ、急遽、加藤の分析を編集者の意に沿うように少年院在院者の抱える問題と差し替え、前後の部分を少年院在院者の抱える問題とつながるように修正したという経緯があります。
 加藤の事件を取り上げたのは、加藤が4冊の手記を公刊していて分析材料がそろっているということがありますが、何よりも加藤自身が分析の方法論を問題にし、状況決定論的な方法論を批判し、分析に状況を受け止める主体の観点を導入した点にあります。ただし、その主体が「戦車のハート」で機械論的であり、情緒的な面を欠いた主体であることを問題にしました。
 由紀さんがフーコーや「無縁・公界・楽」に言及された趣旨も分かるような気がします。『異邦人』とともに学生時代に夢中で読んだ本に梅本克己の『唯物史観と現代』があり、梅本は歴史的視点を喪失した見方を次のように批判していますが、由紀さんの視点と重なるところがあるように感じました。
 マルクスは「私有財産」と「分業」をはげしく攻撃している。だがもし人間の本質が、まだ私有財産も分業も発生させていない原始的な共同体の中にだけあって、私有財産と分業の発生以来、人間はその本質を喪失してきたということにしてみよう。私有財産の止揚による疎外からの回復とは何だろう。まだ人間文化の何ほども展開していない貧しい原始人の生活にかえるだけだ。私はそのような歴史観を「本質喪失史観」とよぶことにしているが、マルクスが私有財産の「積極的止揚」というとき、この言葉は、そのような貧弱な、非歴史的見地、その非人間的見地に対する決定的な抗議をひめたものだ、ということである。
 「そもそもどうして人間に関わろうとするのか」ということですが、端的に仕事だからです。同じ関わるにしても、民間で営業などの仕事に関わるより、少しでも自分の興味関心に関係がある方が良いと思って、消去法で就職先を選びました。
 俺を「理解」するってか? お前たちにとって都合のいい「俺」になるために。しかし、そうなったらそれはもう「俺」じゃないんだけど。Fさんはこんな意味のことを言う少年に出会ったことはないですか? そんな時にはどう対応するのかということですが、発表で紹介した通り、そこまで内省できる少年、それを口にできる少年は殆どいません。
 ただし、ある少年から「Fさんは仕事でやってるのだから信頼はしていない」と言われたことがあります。そのときは、「仕事でやっているのは確かだけれど、仕事でやっているから信頼できる面もある。自分としてはそこを利用してもらえれば良いと思っているのだが……」と応えました。
 カミュの『異邦人』については読み返しましたが、私は「人間はここまでなり得るんだ」「常識的な、というかこの社会に責任を持つ『大人』として当然の観点をきれいに投げ捨てている」とは思いませんでした。
 文庫本の解説には、カミュが英語版に寄せた次のような自序が紹介されています。

……母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では、異邦人としてあつかわれるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。(中略)生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく。ムルソーは外面から見たところとちがって、生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。(中略)彼が問題とする真理は、存在すること、感じることとの真理である。それはまだ否定的ではあるが、これなくしては、自己も世界も、征服することはできないだろう。

 また、私の大変好きなくだりですが、小説の末尾でムルソーは司祭に対して「君はまさに自信満々の様子だ。そうではないか。しかし、その信念のどれをとっても、女の髪の毛一本の重さにも値しない。君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて……」と心の底をぶちまけています。
 従って、私は、カミュが投げ捨てようとしているのは、責任ではなく(ムルソーは死刑を受け入れています)、大人社会の常識的な観点だと思います。
 そして、以上の私の読み方が間違いでなければ、私の「いきなり〈常識的な見識〉を対置させても、分かってもらえないと失望を感じる可能性が大きい」旨の主張も、『異邦人』の主題と二律背反であるとは言えないのではないかと思います。
 由紀さんはご自分のことを「中二病」と述べておられますが、私も重症の「中二病」です。というより、偏見かも知れませんが、「しょ~とぴ~すの会」には「中二病」の傾向のある方を惹きつけるものがあるのではないでしょうか?
 自分では「しょ~と・ぴ~すの会」の主だったメンバーの方とは自分の考え方は基本的な点ではそんなに違わない思って発表したのですが、意外な感想、意見があり驚きました。同じような概念を使い、同じような論理を述べていても、背景が異なると真逆の意味になってしまうのかも知れません。
 由紀さんの率直な感想を心にとどめて勉強や思索を続け、自分抱いているテーマをできるだけ誤解なく伝えられるようになりたいと思っています。
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移民の思想問題

2019年03月31日 | 倫理


メインテキスト:ダグラス・マレー、町田敦夫訳『西洋の自死 移民・アイデンティティー・イスラム』(原著2017、東洋経済新報社平成30年)
サブテキスト:ミシェル・ウエルベック、大塚桃訳『服従』(原著2015,河出文庫平成29)

 最近ではあまり聞かれなくなったようだが、しばらく前には「今後は異質なものとの共存が大事だ」なる言説がよくあった。「そうでなければ人類は生き延びていけない」とか、「多文化の混交は社会を活性化させる」とか。具体的にはどういうことになると言われたか、あまり覚えていない。つまりは言われなかったのだろう。我が貧弱な記憶力を棚に上げてそう断定するのは、けっこう反発心を抱いた覚えはあるからだ。単なるタテマエ、はまだしも、きれいごと、としか見えないものはともかく嫌い。この性向だけは60年近く、変わっていない。まあ、ずっと中二病なんです。
 そこで、イライラに押されて、次のような例を考え出した。
 イスラム教徒の青年とキリスト教の娘さんが恋に落ちて、結婚したとする。さて、よく知られているように、昔ながらの・原理的なイスラム教では、妻は同時に四人まで持てる。キリスト教は、一夫一婦制。これをどうするか。なるべくどちらの顔も立てましょうとか、痛み分け、なんていう日本式大人の知恵はこの場合役に立たない。「では間をとって、奥さんは二人まで、とすればどうですか」なんてのは。これについては多言を要さないですよね。そんなんでなんとかなるくらいなら、「異質なもの」ではないのだ。
 「キリスト教の男だって、いくらも浮気するだろうに」なんてのも、この場合関係ない。仏教国やキリスト教国では、浮気はこっそりやるものだ。つまり、悪いことだ。世間一般がそう思っている、というか、そう思っているだろうと一般に思われている。だから、浮気がバレた有名人はTVのワイドショーでたたかれたりする。それは大きなお世話だと思うが、奥さんは怒るし、その怒りは正当である、とされる。一方イスラム教国では、第一夫人が第二夫人以下に嫉妬心を抱き、それを露わにしたら、そっちが不当だということになるのだろう。
 ことはモラルの根幹に関わっている。道徳心の衰えを嘆く人は古今東西にいるが、社会である以上、一定のモラルは必ずある。しかし、その中身は時により場所によって変わる。それもいい。「ガリバー旅行記」みたいな、別世界の話なら。全く違うモラリティ(道徳観)の持ち主が隣に越してきたら、どうだろう。
 結婚するとしたら、どちらかがどちらかの結婚に関するモラルを全面的に受け入れ、元のは捨てる、か、少なくとも捨てたことにするしかない。有名人の実例だと、デヴィ夫人は、元来れっきとした日本人だったが、インドネシア共和国初代大統領スカルノの第三夫人になった。それについて、つまり、自分の夫に過去ではなく同時期に他にも妻がいた事実に対して、彼女が不満を述べたことは、少なくとも公式にはないようだ。スカルノとの結婚を決めた時点で、一夫一婦制、を支えている/に支えられているモラルとは名実ともに縁を切ったのだろう。昭和30年代には、まだそれに文句を言う人も少しはいたように記憶するが、今では誰もいないし、私にしたって非難がましい感情があるわけではない。
 有名ではないが、そういう日本人、あるいは(元)キリスト教徒の女性は、それから男性も、何人かいるだろう。それもさしたることではない。あくまで「何人か」であって、しかもたいてい元の国にいないのであれば、やっぱり他所(よそ)ごと、で済む。
 そういう人が、近所に、大量に出現したらどうなるか。エンゲルスがまとめた弁証法の教説の一つに、量の変化はやがて質の変化をもたらす、というのがあったように、社会全体が変質する、とは見えないだろうか。それがモラルの根源、であるがゆえに普段はことさら意識されない「常識」まで揺るがすとなったら、もう決して平気ではいられないだろう。これがつまり、「異質なものとの共存」問題なのである。

 『西洋の自死』には、上のような問題がヨーロッパで広範囲に起きていることが報告されている。
 西ヨーロッパは昔から移民が多い。何しろ地続きで他国があるし、日本海よりずっと狭い地中海の向こうにはアフリカがあるし。【もっとも、元をただせば西欧各国の白人種も、古代末から中世初頭の民族大移動期に他所から入ってきた「移民」の子孫が大多数であろう。アメリカもオーストラリアも、現地人を駆逐したアングロサクソン民族が「国家」にしたものだし。てなことを言い出すと全然別の話になるので、やめましょう。】
 殊に19世紀後半以降、先進工業国となった英独仏は、労働力の需要があったので、大量に受け入れた。来る側は、自国が貧しいので、生活のための金を稼ぎにやってくる。移民問題の根本的な解決とは、この状態の改善以外にはない。自分の国で充分余裕のある生活ができるものなら、わざわざ他国へ稼ぎに行こう、なんて人がそんなにいるわけはない。しかし、これが難しい。20世紀初頭まで貧しかった国は、たいてい、今でも貧しい。
 日本でも少し前までは東北から冬の間出稼ぎに来る人はたくさんいた。今も少しはいる。いわゆる季節労働者で、時期が来たら元にもどる。それなら、受け入れる側からしたら、たいした問題ではない。しかし中近東やアフリカの貧困はそれよりずっと厳しく、さらに政情不安による危険もある。出稼ぎ先の先進国では、差別される下層民扱いだが、とりあえずより安全ではある。
 また、仕事はたいてい単純労働だとしても、それなりの技術は要するのだから、熟練工になった移民は、時期によっていたりいなかったりでは使う側も困る。ずっといてもらいたいならば会社で、ひいては社会で、それなりに安定した生活が保障されなければならない。やがては、家族を呼び寄せることも許されるようになる。そういう人が増えれば、同国・同一民族からなるコミュニティがほぼ自然に形成される。一国の中に別の小国ができたようなものであり、彼らは差別に抗議し、その国の国民なら当然の権利とされていることは自分たちにも認めろ、と要求するようになる。
 これまた自然なことであろう。しかしそれなら、当然の義務もまた負うべきであろう。これを納得させることが、必ずしも容易ではない。このような社会の約束ごとは、小さい頃から身につけるのでなければ、改めて言語化され、言葉で伝えられるしかないが、その言葉が通じない場合もある。教育を受ける権利は保障されるべきだとしても、移民の家庭で生まれ、移民のコミュニティーで育った子供は、学校へ行っても、そこで使われている言葉が理解できない。どうしたらいいのか。
 1970年代から、そういうことがヨーロッパで、それからアメリカでも、目立ってきた。生徒の半分以上が主にメキシコからの移民の子で占められ、スペイン語しか話せないので、本当に困っている、と、カリフォルニア州の小学校教師が言うのを直接聞いたのは、80年代のことだった。
 すべてをひっくるめて、社会の安定を脅かす要因となる。日本では西尾幹二が、欧米の情勢に鑑みて、移民の野放図な受け入れは危険だ、と警鐘を鳴らし、昭和63年、即ち1988年に関連する評論をまとめて『戦略的「鎖国」論』(講談社)を上梓した。当時彼は文字通り孤軍奮闘していた。他は誰も、この問題を真剣に、具体的に考えようとはしていなかったのだ。日本人とは、まことに呑気で、幸福な民なのだな、と、その呑気な民の一人であった者として、今、痛烈に感じられる。

 ヨーロッパに戻ると、EUの本格的な活動【とはいつからか、さまざまな関連条約が錯綜していて難しいのだが、大雑把に20世紀末、でよいだろう。】は、移民の流入に拍車をかけた。有名なシェンゲン協定(1985年制定)は、締結国間の国境管理を撤廃し、人・物・カネの移動を自由にしたものだ。このように、国境の壁を低くすることがEUの基本理念のひとつであったのだから、外部からの流入は厳しく制限するというわけにはいかないような感じ、には一応なる。
 しかしそれでも、「EUの女帝」とも称されるアンゲラ・メルケル独首相など、最初は移民受け入れには消極的な姿勢を示していた者が、積極派に転じた、のはまだしも、強引なまでに推し進めた理由は何か、いまひとつ不可解だ。
 『西洋の自死』によると、EU各地で移民が起こした不祥事・犯罪は、警察やマスコミによって隠蔽されがちだし、移民受け入れに反対する者はレイシスト(民族差別主義者)とのレッテルが張られ、政治家や言論人としてのキャリアが閉ざされることさえよくあるのだという。どうしてそこまで?
 上に抗議するため、だろう、ダグラス・マレーは、移民たちの置かれた厳しい境遇に目配りしつつも、彼らの蛮行を暴いている。意義深い仕事ではあるが、少し気になるのは、同時期に起きた反移民派の、キリスト教原理主義者・白人至上主義者・ネオナチなどの犯行にはほとんど触れていないことだ。
 例えば2011年、どぎつい風刺漫画でイスラム原理主義を批判していたパリの週刊新聞シャルリー・エブド社に火炎瓶が投げ込まれた事件は記されている。4年後の大規模な襲撃事件(二人のイスラム過激派によって同紙編集関係者や警官十二人が射殺された。その後犯人はユダヤ系食料品店に店員や客を人質にして立て籠もったが、夕刻の礼拝の最中に突入してきた警官隊に射殺された。それ以前に、人質四人の命も奪われていた)のいわば前哨なので、日本でもよく知られている。しかし、同年7月22日、ノルウェーの首都オスロで起きたキリスト教原理主義者による大量殺人については何も書かれていない。
 この事件は移民受け入れに積極的な労働党を狙ったもので、まず政府庁舎を爆破、このとき八人が死亡し、その後犯人は労働党青年部が合宿をしていたオスロ近郊のウトヤ島へ警官の扮装で乗り込み、六十九人を射殺した。平時で、一日のうちに、一人の犯人による七十七人の殺害は、おそらく過去最悪であろう。本年三月の、ニュージーランドの首都クライストチャーチでの白人至上主義者による大量殺人事件にも、その影が感じられる。
 いやむしろ、この最後の事件については、『西洋の自死』の影響もあるのではないか、との指摘まである。この問題について深掘りする意欲も能力も今の私にはない。ただ、人種差別は、日本などで考えられているほど簡単な、単なる説教だけで変えられるようなものでなく、白人種にはけっこう深く浸透している観念なのだと知る必要はあるだろう。
【因みに、オスロの事件の犯人は、ノルウェーでは死刑も終身刑も廃止されているため、早ければ二十一年で釈放される可能性もあるのだという。「憎しみは憎しみしか生まない」とはよく聞くが、移民に対する寛容は認めないことを大量殺人という形で表現した非寛容に対する寛容は、いったい何を生み出すのか。その実例の一つを、我々はやがて目にすることになりうそうだ。】
 これらを含めて、移民問題とは、他国人に仕事を奪われるなどの経済面の他に、宗教と、それが支える/それによって支えられるモラリティに直接関連する。それを省察するのが今回の記事の目的である。

 移民受け入れに反対しづらくなるヨーロッパの思想的要因については、『西洋の自死』は大別すると次の二つを挙げている。
(1)ヨーロッパは長年に渡ってアジア・アフリカ諸国を支配し、収奪を繰り返してきた。それに対する負い目(こういうことをしたのは何もヨーロッパの白人種だけではないのに、と著者は繰り返し述べている)。
(2)西洋の自信喪失。まずキリスト教信仰が薄れ、次に特に20世紀前半に多くの知識人が「真理」として信奉した社会主義・共産主義が凋落すると、もはや本当に信じるに足るもの、犠牲を払ってまで守るべきもの、は何もないように感じられた。それによって、別の風俗、文化、宗教の流入に対する精神的な抵抗は弱まっていた。
 このうち特に問題になるのは(2)であろう。我々非西洋人にとって、近代化するとは即ち西洋化することであって、政治経済制度の大本から、建築・食事・服装・交通手段などなど、いたるところで西洋由来のものに取り巻かれている。その大本が揺れ動く、となると、無関心ではいられないはずだ。
 とは言え、例えば個人主義は、民主主義は、資本主義は、本当によいものか、人間を本当に幸せにするか、と疑うのは、何人であっても、よいことだと私は思う。人間は完全でない以上、その人間が発明した地上のすべてのものは、宗教まで含めて、所詮相対的な価値しかない、というのは、虚無主義(ニヒリズム)なんぞという主義(イズム)の問題ではなく、事実認識の次元の話なのだ。人間とは、例えば寿命のような制約は必ずあって、その中で相対的であってもよいもの、つまりAはBに比べればまだマシだ、というようなものを見つけて実現していくように努めるべき者ではないだろうか。
 とは言え、ともう一度反転する、そんな抽象的な話ではなく、具体的な生活の中でずっと以前から馴染んできて、全く当たり前だと思っていたものが揺さぶれるのは、大問題としか言えない。
 具体例としては、結婚制度の話を最初にしたのだが、それ以前に、いやでも目につくのが性的な風俗、というのかな、女性の服装に関する習俗の違いであろう。イスラム教国から来た多くの人にとって、ミニスカートに代表される肌の露出や、体の線をくっきり出して強調するファッションは、初めて目にするもので、激しいショックを受ける。移民の大部分は青年男子であることもあって、性犯罪の大きな誘因になるのだ。
 性犯罪というのも、レイプなど、こちらでもお馴染みのものだけではなく、女性器を切り取るというような、「そんなことができるの?」というようなものまである。イスラム原理主義の国では、わりあいと普通に行われているのだそうだ。もちろん性的に「ふしだら」とみなされた女性への報復及び懲罰措置として。
 そう言えば、「ふしだら」なことをした女性を家族が殺してしまうのは、「名誉殺人」と呼ばれ、イスラム教国で、どれくらいの範囲と頻度で行われているかはわからないが、まだあることはある。そんな家族が西欧諸国にいて、実際にやった場合でも、理解が示されるべきだ、と言う人さえいるらしい。周知のように、ヨーロッパ起源の近代法では、どのような理由があろうとも(正当防衛と緊急避難は除く)、私人が人を殺せば殺人罪になる。イスラム教は違うのかも知れないけれど、そこに「理解を示す」なんてことになったら、我々の社会はどうなっていくのか?

 以上は男女同権の理念にも直接関わっていることはすぐにわかるだろう。西洋及び西洋化された社会では、これは全く当り前であって、少なくとも公に異を唱える人はいないだろう。一方、いや、そんなのは全然当り前ではない、むしろ悪だ、とされる社会が地球上には存在する。そこからたくさんの人が流入してきて、自分たちの「正しさ」に固執して主張するようになるとどうなるか。これが現在広範囲に起こってきた状況なのだ。
 それによってまた、男女同権・平等のような社会制度・モラリティには、我々の社会でどれほどの根拠があるものなのか、改めて問われることになる。
 「服従」の主人公フランソワはユイスマンスの研究者で、ソルボンヌ大学で19世紀文学を講じる教授である。教え子であるユダヤ人のミリアムと恋仲になり、「あなたはマッチョだ、って言ってもいいかしら」と問われて、「ぼくは多分いいかげんなマッチョなんだ」と答える。「実際のところ、女性が投票できるとか、男性と同じ学問をし、同じ職業に就くことがそれほどいい考えだと心から思ったことはない」と。
 何国人であっても、こんなふうに考えている男は今でも多いし、それは男性より女性のほうが敏感に感じ取っていることであろう。レイシズムと同じくセクシズム(性差別主義)も、根の深い現実的な問題なのだ。
 しかしある意味それよりもっと問題なのは、かなり知的な男でも、こういう事柄についてあまり真剣には考えていないところだろう。

(前略)ぼくは、彼女がこのことを真剣に捉えたのに気づいて、自分でも少し考えてみたが、それに対する答えを自分は持っていないことに気が付いた。どちらにしても、どんな問いに対してだって自分は答えなど持っていないのだ。
 
 しかし、家父長制には存在意義があるのではないか、と言う。「つまり社会の仕組みとしては、家族がいて子どもがいて、皆がほぼ同じ図式を反復し、そうやって慣性の法則で回って来たんじゃないか」。原文は見ていないが、これは、日本の戦前にあった「家父長制」ではなく、単なる家族制度ではないかと思う。【ついでに、「慣性の法則」もおかしい。この言葉は自然界についても、「反復」を示すものではないから、比喩として不適当だ。フランソワは文学の知識は豊富だが、科学はあんまり詳しくないんだな、と思ってしまう。】言いたいことは、男と女が共同して家庭を作って子どもを産み、父母となって子どもを育てる、そこで子育ては一般に、母親の、つまり女性の責務と考えられる。この基本形は変えようがないのではないか、ということ。ただしフランソワ自身は、ミリアムに(性的に)強く惹かれてはいても、当分結婚するつもりはなさそうなのだが。
 これに対してミリアムは言う。「でも、わたしは高等教育も受けて、自分を独立した一個人と考えるのに慣れているし、男性同様考えたり決定したりする能力があると思ってる」。だから、子どもを産み育てることが自分の最終的な存在意義だとは思えない、ということ。このような考えが広まったことが、フランスでも、日本を含めた他の先進国でも、少子化を招いた理由の一つであろう。その結果、労働力不足を解消するための、移民の需要が生じたのだ。
 しかしヨーロッパにおいて移民のかなりの部分を占めるイスラム教徒は、そもそも、男も女も同じ一個人、なる考え方を認めない。
 「服従」にはフランスの近未来が描かれている。そこでは次第にイスラム教の勢力が強くなり、危険を感じたミリアムは家族と一緒にイスラエルに移住する。ユダヤ教は、キリスト教よりずっと、イスラム教から敵視されているから。残されたフランソワは、胸の空虚感がますます強まり、ユイスマンスが回心を遂げた修道院を訪れるが、ユイスマンスと同じなのは僧房では禁煙なのが苦痛、といったようなことだけで、心の救いは得られない(このへん、漱石の「門」を思わせる)。
 パリに戻ると、イスラム穏健派の「イスラム同胞党」(架空の政党)が政権の座についている。マリーヌ・ル・ペンの国民戦線が票を伸ばした(これは最近の、歴史的な事実)ので、右翼よりはまだましだと考えた左翼政党が協力したからである。春なのに、街を彩る若い女性たちの服装が、ミニスカートからパンタロンに一変したことがまず目につく(政権が変わったら、すぐにそうなるものかなあ?)。ソルボンヌは、サウジアラビアからのオイルマネーに依存するようになり、フランソワは職を失う。大した問題ではない。十分すぎるぐらいの年金をもらえるのだし、学術面ではユイスマンスのプレイアッド版を編集校訂するという栄誉が与えられたのだから(ユイスマンスがプレイアッド叢書に入っていないことも今回初めて知った)。
 しかしフランソワはイスラム教に改宗して、大学に復帰することを選ぶ。そうしたって、何も不都合はないからだ。一日に五回のサラート(礼拝)とかラマダン(年に一月の断食行)のようなやっかいな義務はどうやら免除されるらしい。女性たちは、普段から男の欲望をかきたてるような格好はしないが、従順が美徳とされるので、これまで以上によりどりみどり、女子学生のうちから好きなタイプを選んで楽しむことができる……え? 「名誉殺人」に象徴される強烈な貞操観念はどうなるの? そもそも、イスラム教は女性が高等教育を受けることを喜ばないんじゃないの? などなど疑念は湧くけれど、そのへんも融通を利かせるようだ。これでは宗教のいいとこどりだ。西洋が変質する前に、より多く、イスラム教のほうが変わってしまうんじゃないか。
 ウェルベックの予想を続けると、妻は四人持てる、は男にとって都合がいいので、維持される(正式に、となると民法を変える必要があるが、いわゆる内縁関係を半公式にすればすむのだろう)。すると、先に述べたような、少子化につながる問題も解消されそうだ。子どもを作る・料理がうまい・性的な魅力に富む・(お好みであれば)知的な会話ができる、などなど、一人の女にすべて望むのは難しくても、複数の妻たちに役割分担をさせればいい。フランソワのかつての同僚で、早くにイスラム教徒となり、おかげでソルボンヌの学長に就任した男は、とっくにそうしている。
 この男は、「しかしそうすると、結婚できない男が多数出てくる」という当然の疑問も一笑に付する。「むしろいいことではないか。社会的弱者の血統は絶たれ、強者の遺伝子だけが残ることになるのだから」。現在の西欧や日本では、ひどく身勝手で偏った、「狂っている」とも評されかねない考えだが、マッド・サイエンティストではなく、社会の上層部から出てきたとなると、そう簡単に否定できるものかどうか。
 そういうわけで、フランソワはキリスト教を捨てて第二の人生に歩み出しても「何も後悔しないだろう」と言うのが、この小説の結びである。本当にそうなるかどうか、まだまだ大きな問題が残っていると思うのだが、可能性は否定できない。マレーは、このような可能性(もちろん、他にもある)が実現したら、西洋は死ぬか、少なくとも大きな変容を被らざるを得ない、と言っている。本当にそうかどうか、そうだとして、それは具体的にはどんなものになるのか、はっきりするのはまだ先の話である。

 最後に日本はどうか、愚考を述べます。労働力不足という実際的な問題もそうだが、先に二つに分けて書いた精神的な問題でも、我々はヨーロッパと似たところがある。大東亜戦争中の侵略的行為について、アジア、特に朝鮮半島や支那大陸の人々に対する罪責感は内外からしょっちゅう言い立てられるし、ヨーロッパ人士にとっての「ヨーロッパ的なるもの」よりもっと、我々の「日本的なるもの」へのこだわりは弱い。
 にもかかわらず、現在我が国は世界第四位の実質的移民受け入れ国になっている、という事実を聞くと、多くの日本人が意外そうな顔をするくらい、この問題への危機意識は一般に薄い。前にも書いたが、我々にとって、根本的に他なるものは、意識的に差別し排除する以前に、そもそも目に映じないのである。それは一面、最もタチのい悪い差別であり排除だと呼ばれ得るかも知れない。
 今後はどうか。外国人による犯罪は、近年でもさほど増えていない。ヨーロッパのように、それが起こっていても政府もマスコミも隠蔽しているのだ、という可能性は、なくはないが、普通に考えてそれほど高くはない。全体として日本は、まだ平和で平穏なほうであろう。ただしもちろん、少し先のことは全くわからない。もしヨーロッパのような危機的な状況に直面したら、私たちの社会はどうなるのか、やや不謹慎だが、楽しみでないこともない。
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F氏との対話 大人になることについて その1

2019年02月21日 | 倫理

The Peter Pan Statue in Kensington Gardens

 以下のやり取りは、「しょ~と・ぴ~すの会」(日曜会内)でのF氏の発表「良心の発達と反省するということ - 秋葉原無差別殺傷事件を事例として」(日曜会HPから、しょ~と・ぴ~すの会→現在までの記録まで行き、このページの下部から、当日の案内文、それから当日発表資料が閲覧できます)をきっかけにして、より正確には、参加者の一人だった小浜逸郎氏の関連するブログ記事へのコメントから始まったものです。二人のやり取りを小浜氏のブログで延々と続けるのも不躾かと思えましたので、場所を拙ブログに移し、コメントではなく、まとめて、記事として出します。対話はまだ継続中ですが、最初の段階の報告です。
 尚、小浜ブログのコメント欄に掲載したものからは、一部抜粋になっており、また多少の変更を加えてあることをお断りしておきます。

【F氏→由紀】第1信
 私の発表が加害者より被害者を優先していると受け取られたとしたら、発表の仕方がまずかったと思います。被害者の問題については重視し大学の講義でもとりあげていますが、「しょ~と・ぴ~すの会」では取り上げる時間がありませんでした。
 私は、被害者や遺族のためにも、冷静に犯罪の原因を探り、対策を講ずること、加害者に取るべき責任はきちんととってもらうことが必要だと思っています。
 また、由紀さんは、想像力や精神医学の知識を駆使して迫ることは一種の「文学」で、それと現実の社会は別物だという前提でおられるようですが、発表でも述べたように、私は想像力と現実は切り離せず一体だという考えです。従って、想像力や言葉の問題を解くことは現実の問題を解くことにつながると考えています。そのため、秋葉原無差別殺傷事件も、加藤自身が内省しているように、加藤の言葉の未成熟による認知や思考の歪みとして読み解きました。
 以上、由紀さんご意見については誤解している点もあるかも知れません。
 しかし、発表が、被害者の問題を軽視し悲惨な事件を虚構としてもて遊んでいるように受け取られたら、全く心外なので、コメントさせていただきました。

【由紀→F氏】第1信
 Fさんが「加害者より被害者を優先している」とは思いません。ただ、あのように、大量殺人者の人間性を深く掘り下げようとする試みの場合には、亡くなった被害者側への視線は限定せざるを得ません。それは誰がやっても、この私がやっても、そうなります。因みに、「罪と罰」でも「異邦人」でも、殺された側の事情や心理についてはほとんどなんの描写も説明もありませんでしょう。
 もちろんこれは、広い意味の文学的な試みだから許される話。実際の社会で、犯罪をどう扱うという次元なら、被害者側に立って方策を考えるしかありません。それはFさんももちろん御存知のことだ、と存じております。
 ただ、ああいういろんな立場の人がいる会で、Fさんやら会全体が、被害者を無視している、無視してよいのだと思っている、そういう流れになっているという印象を与えてはいけませんので、老婆心かも知れませんけど、被害者を忘れてはならない、と強調したくなったのです。
 上記で、私の「文学」と「現実」は別だ、という考えの基も伝わりましたかね。
 ただし私は、「想像力と現実は切り離せず一体」だから、「想像力や言葉の問題を解くことは現実の問題を解くことにつながる」というお考えを、あるいは誤解しているかも知れません。もしそうならご指摘ください。
 御文の後のほうから推察すると、これは、秋葉原事件の犯人のような言葉や認知の歪みを理解すれば、それを矯正することもでき、だから将来類似の事件の発生を防止することに繋がる、ということですか? そうだとして。
 そうかも知れない、全否定はしませんけど、私とはちょっと目の付け所が違うと言いますか。いや、ちょっとではなく、Fさんと私の根本的な違いがここにあって、それはどうしても相容れないものかも知れません。それでもなお、対話は貴重ですから、存念を述べます。
 外国のより、日本の、それもわりあいと最近の、未成年犯罪者を扱った小説を例にしましょう。大江健三郎「セブンティーン」「政治少年死す」の連作には、驚嘆しました。進学校で落ちこぼれたひ弱な少年が、右翼テロリストになる過程を、この上なく精密に描き出している。著者は政治上の思想信条からすれば主人公とは正反対の立場なのに、一種の「共感」を抱かなければ、とてもこうはいかない。
 「共感」。会の時にもちょっと出ましたね。もちろん、現実の問題として、殺人を犯すのも無理はないと感じる、なんて意味ではありません。またしても、念のために。
 また、現実と言えば、小説のモデルになった実在の青年の心理はこの通りだったかどうかなんて、保証の限りではないです。しかし、こういう人間はこの世の中にたぶんいる、いて不思議はない。つまり、絵空事ではない。そう思わせるだけの説得力はあります。おかげで私は次のことも説得されました。
 この主人公の論理や感性は、歪んでいる。しかしそれはそれとして完成している。そこに誰かが、密接に関わる、ことがそもそもむつかしいのですが、できたとして、その歪みを「矯正」して、犯罪を未然に防ぐ、なんてできるものか。
 無理じゃないかなあ。私のような凡庸な者にはできない、というだけではなく、原理的に、つまり誰にも、できないのではないか。こういうところでは人間は、どうしようもなく「個」なんだから。
 これは絶望的に思えますか? でも、この世の中から犯罪を完全になくすなんて、たぶんできないのだから、そんなんで絶望することはないだろう、と思います。それはまあ了解されるとして、それなら、文学的な想像力なんて、実際の役にはまるで立たんのじゃないか、という疑問が次に出ますでしょうか。
 そんなことはありません。人間の途方もない多様さ、奥深さを知るためには、かけがえのない効果があります。私は、特に教師や児童福祉司や警察官や裁判官など、人間を直接扱う立場の人には、これは弁えていてほしいと願う者です。「教育」とか「更生」とかの美名の下で、個々のかけがえのない人間性を破壊することがないように、です。

【F氏→由紀】第2信
 現時点で由紀さんのコメントにご返答可能な部分について、ごく簡単に要点を述べたいと思います。
 ダニエル・デネットの「自由と責任のプライオリテイをひっくり返し、他にやりようがあったから責任があるのではなく、責任があるとみなしてよい理由があるときに、人々は他にもやれたんだ、自由があったんだと判断する」という考えについてですが、刑法もこれに似た考え方をとっており、刑法第三十八条3項には「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その罪を減軽することができる」(法の不知はこれを許さず)との規定があります。
 しかし、私が紹介しようと思った重点は、引用された文言に続く「完全に自分がコントロールできなかった行為について責任を引き受けることで、われわれは『自分自身を大きくしよう』としている。つまり、それによって未来において同種の行為のコントロールを増やし、自分の自由を増やそうとしている」にあり、非行を犯して罪に問われた少年に対し、いきなり〈常識的な見識-行動〉のセットを対置するのではなく、少年を本当に反省させ責任を感じさせる(少年の人格を大きくする)には、どのような方法があるかというところにありました。
 その目的で、発表で「責任を担うために自由を拡大する」方法について自分の考えを述べ、また、その応用例として「秋葉原無差別殺傷事件」をとりあげたものです。
 ただし、「責任を担うために自由を拡大させる」ことには、由紀さんがご指摘されているように、公権力が人間の内面のモラルなどに直接かかわることにまつわる大きな問題があります。本人も更生することができたと納得できればよいのですが、強制や「洗脳」になり相手の人格を破壊してしまうのであれば、刑法のように、人格改造などには手を触れず、結果責任を取らせることの方がより人間的な扱いだと思います。
 由紀さんが「由紀→F氏」第1信で指摘されている問題は、人間とは何か、人間にとって文学とは何かという大きな問題がその背景にあると思います。
 由紀さんに私の考えをまとめてお伝えし、由紀さんからいろいろ教えてもらう機会がくることを願っています。

【由紀→F氏】第2信
 Fさんの力点が
完全に自分がコントロールできなかった行為について責任を引き受けることで、われわれは『自分自身を大きくしよう』としている
云々にあったというのは、なかなか感動しました。が、思い返せば、「そうも言えるな」ぐらいのもんじゃないかな、とも。
 世の中には「理由」があって「約束」が生まれる、と言うよりは、「約束」ができてから「理由」が考え出されるんでしょうが、どちらにしても、それは青少年にとっては、大人が勝手に決めたものです。わけのわからない部分があり、インチキだと感じられることさえある。しかしどうやら、従わなくては生きていけないのは確からしい。そこでこの約束を規範として内面化する、と。そうすることで一回り大きくなった自分=大人を実感するのか、あるいは正体不明の「世間」(太宰治「人間失格」参照)に隷属して生きるしかない哀れな者=大人、になったのだと感じるのか。いま敢えて単純に二分化して申しましたが、ここでの複合感情は非常に強く、後々まで人間の心の奥底に残っていくものでしょう。
 それはしばらく措くとして、「少年を本当に反省させ責任を感じさせる(=少年の人格を大きくする)には、どのような方法があるか」。この問題意識で秋葉原無差別殺傷事件の犯人をとりあげられたのだ、と。ああ、そうだったんですね。すみません、今まで気づかなかったのは、生来の理解力不足の他に、ここでどんな「応用例」があるものか。私には見当もつかないことが主因です。それでFさんには御不満をいだかせてしまいました。
 言われていたことは、こうだと思います。
(1)この犯人(以下、「当人」と表記します)は幼児期から少年期にかけて健全な(通常の)母子関係を体験しなかった。そこで成人後も常にそれを求めずにはいられなかった。即ち、ありのままの自分を受け止め、受け入れてくれる存在を。必要なのは「関係性」であって「母親そのもの」ではないから、この存在は女性には限らない。
 しかしながら、誰もここまでの「無償の愛」を当人に対して捧げてはくれなかった。ある程度親しくはなっても、結局は彼をもてあまし、捨てるか、少なくとも距離を置くようになる。誰にしても、それが当たり前ですね。
(2)一度犯行予告をネット上に出してしまった以上、やらざるを得ないと考えるような奇妙な「真面目さ」「几帳面さ」があった(予告は上書きすれば消える)。
 お話の中にもあったかと思いますが、これは幼児的な融通のなさでしょう。約束の変更は直ちに約束破りとなって、許されざる行為ではないか、と。だとすればこれもまた、母子関係の欠如に由来するのでしょう。
 さて、私がFさんかの御発表から得たと思っている上記の情報が、見当外れではないとしたら、再びですが、一度「反社会」の方向に大きく踏み込んでしまった人に対して、どういうケアが考えられるのか。教師とか、カウンセラーとか、職業的に関わろうとする人に。
 原則として、無理ではないですか。
 私は教師としては、できることは、英語などの知識以外だと、社会の約束事とその「理由」ですね、これをできるだけ噛み砕いて、矛盾はあっても偽善はないように心がけて、伝えることぐらいだと思っています。いや、人と人とが相対している以上は、決してこれだけではすみませんよ。でもそれは、本当に個人対個人の領域で、制度的にどうこうできるようなもんではないことは確かじゃないですか。
 まあ実際はいい加減なもんなんですけど。私などより、一人の少年と対面するのがお仕事のYさんたちには、ここでもよりキツい思いをせねばならんのだろうな、と、想像はしています。実際はどうか、できればお聞きしたいと思います。

【F氏→由紀】第3信
「いま敢えて単純に二分化して申しましたが、ここでの複合感情は非常に強く、後々まで人間の心の奥底に残っていくものでしょう」
 由紀さんのお考えに賛成です。
 少年法や家庭裁判所の目的は再犯を防ぐことにあり、少年が損得勘定ができるようになり、損得勘定によって自分をコントロールできるようになればそれで十二分に達せられます。
われわれは『自分自身を大きくしよう』としている
とあるので、人間に対する見方が甘く、道徳好き、説教好きなニュアンスを抱かれたかも知れませんが、私が発表の中で、方法として具体的に挙げているのは、少年の視点に立って打開策を検討するということであり、しかも、それも容易ではないということを強調しました。方法の応用例として取り上げた加藤も、母が代表する正体不明の「世間」に、未成立な自己が隷属した結果が悲惨な事件につながったともいえるので、由紀さんの「複合感情は非常に 強く、後々まで人間の心の奥底に残っていく」という認識ともそんなに違わないと思います。
「一度『反社会』の方向に大きく踏み込んでしまった人に対して、どういうケアが考えられるのか。教師とか、カウンセラーとか、職業的に関わろうとする人に。/原則として、無理ではないですか」
 私も、非行少年に対する働きかけとしては、可能な限り少年に通ずる言葉で面接し、その結果を調査票にまとめることぐらいしかできないので、「社会の約束事とその『理由』をできるだけ噛み砕いて、矛盾はあっても偽善はないように伝えること」に賛成です。
 しかし、その基本的なことが容易ではないのです。容易ではないということは「9歳の壁」を論じたところでも触れましたし、また、加藤を論じたところでも、自己が確立していない者に対しては、確立している者に対する理解や対応をそのままあてはめてもうまくいかないことを、フロイトとウィニコットの対照表(スライド79)なども挙げて説明したつもりです。
 以上のような次第で由紀さんの問題意識に異論はないのですが、なぜ、私の主張について由紀さんが違和感を持ってしまうのかを考えると、その理由は沢山あるかも知れませんが、一つは、私の、「少年法の対象者を引き下げ、18、19歳の犯罪を犯した少年に、今日から君は成人だなどと言っても、殆ど有効ではない。従って少年法改正には反対である」という問題提起を、由紀さんが、「人間は変わるか、変わらないか」という問題提起と受け取っているからだと思います。
 しかし、私は「人間は変わるか、変わらないか」ではなく、「人間に対し、画一的、観念的に関わるか、それとも個人に対して柔軟に実際的にかかわるか」を問題提起しているつもりです。現行少年法は、後者が可能なように設計されていますが、刑法は前者です。
 私の面接の実際ですが、調査票をいくつか見てもらえれば一番手っ取り早いと思いますが、法律で禁じられています。
 その代わり、回答にはならないと思いますが、「少年友の会」(調停委員が中心の非行少年を援助するボランティア団体)の会報に私が寄稿したコラムを添付しました。参考にされてください。

【F氏のコラム「正論と本音」】
 審判で、「鑑別所の中で何を考えたか」と裁判官が少年に尋ねる。すると、少年は、「親に迷惑をかけたと思った」と答える。そして、裁判官から、被害者のことを忘れているのではないかと注意を受ける。これは希な光景ではない。札幌の鑑別所の研究でも、「迷惑をかけた人リスト」を少年に書かせたところ、約8割の少年は被害者よりも父母や友人を上位に挙げたということである。
 このような状況を見て、少年を自己中心的で反省が足りないと見る人も少なくないと思われる。しかし、一番被害者に迷惑をかけたと答えることができる少年の中には、裁判官の期待にうまく応えることのできる能力は持っているが、親を真っ先に挙げる少年よりも反省が進んでいるわけではない少年もいるように思われる。
 幼児は親の目がないと自分のコントロールが難しいものである。しかし、親との心の絆が深まるにつれて、こんなことをしたら親が悲しむという気持が生まれ、親の目がないところでも、内なる親の目で自分をコントロールできるようになると言われている。
 従って、親に迷惑をかけたという気持は、自己中心的というよりも反省の原点であり、そのような気持がうまく社会化されて行けば被害者の気持にも共感できるようになって行くと思われる。
子どもが本音を話しているときに正論は絶対言ってはいけない。正論は間違っていないからこそ、子どもは何も言い返せなくなる。子どもは本音を話したことを後悔し、表面的な反省の言葉を引き出してしまう」と書いてある本を読んだことがあるが、家庭裁判所は、正論を教え、本音と正論をつなぐ道を探る場でもある。
 限られた時間の中では容易なことではないが、本音から真摯な反省が生まれるような面接を少しでも心がけたいと思っている。
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日本語及び日本人 その2

2018年05月11日 | 倫理
メインテキスト:鈴木孝夫『日本の感性が世界を変える 言語生態学的文明論』(新潮選書平成26年)



 鈴木孝夫氏はとても興味深い人物だった。
 まず慶応の医学部に入り、次に鳥類の研究に転じ、英語の勉強がしたくなって、英文科で井筒俊彦氏の弟子となり、イスラム文化に惹かれ、最終的には比較言語学・言語社会学を専攻した。自由闊達で、枠にとらわれず、おかげで日本の学界からは異端視され、言語学者としての評価はあまりない。
 それは鈴木氏の名誉だと思う。ところで、氏は『閉ざされた言語・日本語の世界』では、日本語は、書記法の面でオクレていると言われたことに反論し、漢字かなまじり文の合理性を明らかにした。その後さらに、日本文化全般は、西欧文化とは非常に違うが、決してオクレているわけではない。それどころか、世界を救うに足るだけの美質が認められる、と主張するに至っている。
 なぜか。地球を制覇した一神教の世界観は、キリスト教であれイスラム教であれ、もはや行き詰まりに達しているからだ。それは善悪二元論(唯一絶対紳を戴く者とその対立者)と、人間中心主義(人間は神の似姿なので、地球上のすべてを支配する権利がある)を根本理念とする。そこから、邪魔なものすべてを倒して無限に進む文明という幻想が出てくる。すでに環境破壊と終わりのない戦争(キリスト教とイスラム教の)という最悪の事態は惹き起こされた。解決策が、すべての淵源である一神教の原理からは出てくるはずがない。
 日本文化は、対立より和合を尊び(「和を以て尊しとなす」)、山川草木悉皆仏性(道元)と、自然界のすべてに人間と同等の価値を認める謙虚さがあるので、この場合の特効薬になり得る。
 実際にも、日本語を学んだフランス人が、穏やかな性格となったことが複数認められ、タタミゼ(tatamiser、タタミ化する→日本化する)という動詞がかの国で生まれているという。今後の日本人は、全人類のために、日本語と日本文化の積極的な普及に努めるべきだ、と。

 以上の見解は、さまざまなバリエーションで今日まで多数現れている。支持者が多い、ということだろう。ただもちろん全人類・全世界史に関する、デカ過ぎる話だから、正確な見通しは容易に立たない。経済問題や環境問題一つとっても、上のような見解がどこまで妥当か、個人的にも疑問がある。ただ、それを言うだけでも話が大きくなりすぎるので、ここでは「日本的なもの」についてのみ疑問を述べる。鈴木氏に直接質問する機会が与えられたので、その時言ったことにそれこそ三倍以上肉付けして。
 最初に言ってしまうと、私は、質問はしたが、満足のいく答えなど初めから期待していなかった。そういうものがどこかでうまく見つかるような種類の問題ではないのだ。じゃあ、無意味だ、最初から質問なんかするな、と言う人は多いし、もっともかな、とも思うが、私は因果な性分で、そういう難問に主に興味が持たれてしまう。我ながら付き合いづらい人間ではあります。
 従って鈴木氏が、九十二歳というご高齢にもかかわらず、こちらの言うことをきちんと理解してくださり、できるだけ答えようとしてくださったことには、心から感謝感激している。このような精神の柔軟さにこそ、とりあえずの救いが感じられるから、今後できるだけ見倣いたいものだと思う。
 以後、敬称は略します。

 質問は二つあった。
 まず、和を尊び、従ってあまり我をはらないのが日本的な美質だとすれば、それを世界に向けて積極的に発信しよう、というのは矛盾した発想ではないのか。これは誰しもすぐに思いつく難点だと思う。他ならぬ鈴木自身が、著書『人にはどれだけの物が必要か』(飛鳥新社平成5年刊、中公文庫平成11年)の中でこう言っている。

 だが私のこのような考えの一番の弱点は、前に簡単に述べたように、私たち日本人には、自己を中心として世界を考える文化伝統が稀薄で、自分の信ずるところを声高に主張し、他国に対して執拗に説き続けるという折伏(しゃくふく)の精神が欠如しているという事実と、どう折り合いをつけるのかということにある。

 講演時に鈴木が答えた方策は、役割分担だった。例えば、外交官には自分のような人の悪い者を選ぶとよい(自分、とはもちろん鈴木自身のことで、一般の日本人離れした性格であることは自覚しておられた)。そこでいわば入口として日本文化の美点を宣伝し、一人でも多くの外国人に興味を持たせ、神髄は、外交交渉など苦手な純日本人が伝えればいい。
 ……と言っても、以前採りあげた三島由紀夫の言葉にもあったように、日本では「伝え方」そのものが独特なのである。三島が言うのは大げさすぎるかも知れないし、外国人には決して理解できないのが日本的、とも思わないが、何しろ、向こう(外国)がその気にならないことには何も始まらないのだし、そのための入口としての宣伝だと言っても、それを伝えるやり方が日本的とは言えないとなると……。
 なんぞとくるくる回転して容易に埒が明かないのがこの種の話なのである。私のような人間以外はすぐにうんざりしてしまうだろうから、このへんでやめる。

 しかし、第二問はさらによりやっかいである。短く言うのが難しいので、長々喋り、鈴木にも「もうわかった」と言わせてしまった。ここは自分のブログなので、その時はさすがに言えなかったことも含めて、懲りずに長々言う。またこれは、前回簡単に言ったことの詳述である。と言っても、やはり十分デカ過ぎる話ではあるので、結局は単純化することになるのだが。
 日本は一世紀ほど前に積極的に、軍事的に世界に打って出た。その結果ひどい目にあったので、今度は一種の精神的な引きこもり状態となり、軍事力の行使を伴いそうな国際政治の最もハードな面は、すべて「他人事」とみなすようになった。これ自体にも日本の「国民性」が濃厚に反映されているように思う。七十年ほど前に終わった先の大戦において、日本に理はなかったのかどうか、改めて考えようとすること自体、「歴史修正主義者」revisionistなる名称を奉られた。それは今も変わっていない。鈴木孝夫もそこに属する。
 大東亜戦争見直し論の、基本は次の二つ。両方とも、林房雄『大東亜戦争肯定論』(昭和39、40年初版)以来の定番である。
①あれはソ連を含む西欧諸国の侵略から日本を守る防衛戦争だった。
②西欧諸国の植民地になっていたアジア諸国が独立するきっかけを与えた。
 このうちの②に属することを鈴木は講演の中で何度か言及したし、いくつかの著書、例えば『日本の感性が世界を変える』の中でも触れている。曰く、東南アジア諸国を長年支配していたイギリス・オランダ・フランスを追い払ったのは日本だった。日本敗戦後に支配を回復すべく戻って来たヨーロッパ諸国の軍に対して、残留日本兵が現地の兵士を指導したり、ともに戦った例もある。それ以前にも、日露戦争以来、日本が西欧列強に対して、部分的には互角以上に戦ったこと自体が、アジア・アフリカの有色人種に、独立への勇気を与えている。これは歴史的な事実である。
 反証はある。例えばインド初代首相のネルーがこう書いているのは有名だ。「日本のロシアにたいする勝利がどれほどアジアの諸国民をよろこばせ、小躍りさせたかということをわれわれは見た。ところが、その直後の成果は、少数の侵略的帝国主義諸国のグループに、もう一国をつけ加えたというにすぎなかった。その苦い結果を、まずさいしょに舐めたのは、朝鮮であった」(『父が子に語る世界史』)。
 大東亜戦争のスローガン「東亜の開放」は、本気だったのか、自分たちが新たな支配者になり替わるための口実であったのか。何しろ世界史上の一大イベントである。当然、日本国内だけでも一枚岩とは言えず、様々な思惑が絡んで進行したのだった。功罪ということになると、結果論から見ていくしかない。ネルーが言う、最初の「被害者」、朝鮮についてこれを瞥見しよう。この国は、現在最も激しく日本を攻撃していることだし。

 まず、故意か思い違いでか、日本が朝鮮を「植民地化」したと言う人が未だに多いのだが、正しくは「併合」である。もっとも、現在その違いは必ずしも明らかではない。植民地(colony)とは元来アメリカのように、本国、この場合はイギリスから移民が多数詰めかけて、開拓をすすめるものである。しかし、19世紀後半の、イギリスのインド支配などを筆頭とするヨーロッパのアジア・アフリカ侵略は、植民地化と呼ばれはしたが、労働力は主に現地人によって担われた。例えば当時のインド人は、イギリス人から見て労働者一般とほぼ同義であり、奴隷とまでは言わなくても、当然のように一段低く見られ、即ち差別され、搾取される存在だった。
 この結果植民地なる言葉自体が非人道的な、非近代的なものだというイメージがついたからであろう、次第に使われなくなっているようだ。代わりに登場したのが併合(annexation)である。もっとも、それまで自国ではなかったところを新たに編入しようということなら、中世までは地球上のどこでも、当たり前のように行われていた。日本でも、国を国内の領地(日本語の「國」の本来の使い方)のことだと考えれば、年中やっていたし、豊臣秀吉の朝鮮征伐はかの地を「併合」しようとして失敗した例である。
 現代ではさすがに武力のみで無理やり統一・支配しようとするのは無理で、なんらかの正当化は必要とされる。直近ではロシアによるクルミア併合があった(2014年)。この地は元来ロアシ系の住民が多かったのだし、一応でも住民投票を経て「民主的」に行われたことになっている。
 これに対して中華人民共和国によるチベット併合(1951年)は、ずいぶん古いようだが、第二次世界大戦後、日本風に言えば戦後に行われたものであり、この状態は21世紀の今日まで続き、住民にはさまざまな迫害が加えられていると言う。それどころか、かつての「植民地」のように、漢民族を組織的に大量に移住させていて、やがて混血を進めて、純粋なチベット民族の消滅を狙っている、という話さえある。
 これに比べると、日本による朝鮮併合はだいぶましだとは言えそうだ。法的には、明治43年(1910)の日韓併合条約によって始まった。【中国とチベットの場合は51年の十七か条協定がある。これは両国政府が合意したものであったし、諸外国も認めているから、正式だ、と言っている。反対する側からは、「合意」自体が強制されたものであったし、諸外国は自分の都合か、どうでもいいので黙認しただけだ、と言われているのも日本と中国は共通する。】併合の際、日本がかの国に軍隊を送ったわけでもない。これまた誤解をけっこう聞くので、敢えて記すが、近代になってから日本が朝鮮と戦争をしたことは一度もない。乙未事変(いつびじへん、または閔妃暗殺事件とも。明治28年)という荒事はやっているが、二・二六事件が内戦ではないなら、これも戦争とは言えない。日韓併合は、住民投票こそやっていないが、クリミア併合と同様に、あるいはそれ以上に、平穏に行われたのである。
 その後については最新の木村光彦『日本統治下の朝鮮 ―統計と実証研究は何を語るか』 (中公新書平成30年)などによって簡単に述べると、経済的な資料から見て朝鮮総督府の統治は収奪より社会発展に貢献した度合いのほうが高い。何より、両班(リャンパン。支那の士大夫に当たる)と呼ばれた同国人の特権階級によって、それまでの朝鮮人民は十分に迫害され、搾取されていたのである。学校教育の普及も工業化も一般人の生活向上も、日帝支配三十六年(あちらの言い方)の期間に確実に進んだ。圧迫が厳しくなるのは、日中戦争から大東亜戦争にかけて、本国内でも自由が制限されるようになってからのことである。
 それから、上で閔妃暗殺について触れたし、今は案外知られていない事実だということを知る機会があったので、もう一つ付け加える。併合後、朝鮮の李王朝は「準皇族」という栄誉と待遇が与えられ、大正9年には梨本宮方子が皇太子李垠の許に嫁いでいる。王家同士の婚姻は、19世紀までなら世界中にあったことだろうが、20世紀では他に聞いたことがない(私が知らないだけの場合はお知らせください)。【李方子は戦前は夫とともに主に日本で暮らし、戦後も李承晩大統領によって帰国が許されず、韓国に定住するようになったのは朴正煕大統領時代になってからだった。夫の死後は韓国に帰化し、後半生を福祉事業に捧げた。】
 政略結婚ではあるが、力で押さえつけるだけではなく、相手の王家を尊重してみせることで、相手の国家的な伝統を尊重するポーズはとる。ヨーロッパのアジア・アフリカ支配ではまず考えられない。「内鮮一体」(日本も朝鮮も差別なく同じものとして扱おうというスローガン)は、まんざら口先だけではなかった。
 しかし、私の疑念はこの先にある。「内鮮一体」は「皇民化政策」の一環であった。つまり朝鮮民族をも皇国の民とする、ということであって、もともとの朝鮮の王家を皇族に準ずるもの、としたのも、そのための方便だった。その他、日本式神社(朝鮮神宮)も建立され、日本式家制度を導入するための創氏改名(日本風の名前になること)もあった。それでも、神宮参拝や改名は、結果として強制に当たる、ということはあっても(広義の強制?)、直接指示されたわけではない。檀君信仰や道教に基づく宗教的習俗も禁じられなかった。
 それだけ朝鮮民族と文化に気を使っていたということだろうか? どうもそうではない。厳しく弾圧して従わせる必要性をさほど感じていなかったのだ。つまり、それだけ相手は弱小だった。それに同文同種、つまり同じ黄河文明に属し、文字も本来同じ漢字を使い、人種的にも似通っている、という思いも、併合、それから同化へと向かうプロセスから、心理的な障壁を低くしたろう。朝鮮人が日本人になって悪いことは一つもないはずだ。朝鮮の王族は、日本の皇族に「準ずる」とされれば、ただただありがたいだろう。それ以上を考える必要はない。韓国固有の文化なぞ、日本と違っていようがいまいが、考慮に値するものではない。敢えて言葉にすれば、以上のような見くびりが、透けて見えるようである。
 向こうからはどう見えるのか。著しくプライドが傷つけられる振る舞いではないだろうか。併合時の差別は大したことはなかった、だって無視されていたんだから、ということなのだから。
 さらにこのような無視・無関心は、北朝鮮・韓国として独立を回復した戦後まで及んでいる。現在でこそ韓流ドラマやK-POPなどのおかげで、ずいぶんましになったようだが、しばらく前までは、特殊な人を除いては、韓国とは「近くて遠い国」だった、と、日本の一庶民として、明らかに言い得る。現在の韓国の、ほとんど無理無体な日本非難の根底には、このような事情に対する恨(ハン)があるのではないかと思う。
 そうだとすれば、自他の区別はあまりはっきりさせず、曖昧にしておく日本の態度は、マイナスに働く場合もあると言わねばならない。自己と他者はあくまで別であって、理解し合えないところが残ってしまうものだ、ということを前提にせずに交流すると、相手にとって重要なある部分を、まるっきり無視することになりかねない。その実例がここにあるのだから。

 以下は付け加えておかねばならないだろう。日本は、かつて支配した国に対する無視・無関心に対する報いを受けている、と言える。従軍慰安婦問題、というのがそうである。
 平成5年の河野談話は、日本の軍及び官憲が、慰安所の設置や慰安婦の募集、連行などに対して直接関与したことがあったと認め、謝罪したものだった。これも様々な政治取引の産物ではあろうけれど、表面だけ見ると、「日本・日本軍との関わりにおいて、辛い思いをした朝鮮人女性たちがいたのがともかく事実であるなら、細かいことは置いて、まず謝りましょう」というまことに日本的な対処法に見える。「誠意を示す」というやつだ。
 日本ではそれですべて丸く収まる、わけではない。日本人だっていろいろいるんだから。しかし、理想的(か?)にはそう考えられている。「謝ったんだな。じゃあ、自分が悪いと認めたんだな」などと、嵩にかかって責められると、本気で戸惑ったりする。まして、「日本人に対しては、根拠薄弱であっても、非難していいんだ、そうじゃないと、恨まれていることにも気づかないで済ましかねないから」と思われることがあるなんぞとは。しかし、それは十分にあり得るのである、
 ここでも、低姿勢で、向こうの気が収まるまで待とう、なんて態度は、やはりちゃんと相手にしていないように見えてしまうだろう。こちらはこちらで、事実に基づいた主張を延々と繰り返すしかない。折伏ではない。おそらく、どう言っても相手は納得しないだろう。たとえしても、「した」とは言わないだろう。それでも自分の立場は明らかにしようとなければ、それはまるっきりないことにされてしまう。悲しむべきかどうかはともかく、人間世界とはまだそのような場所なのである。

 上のようなことに対しては、鈴木も、他の誰も、十分に答えるなんてことはできないだろう。私自身だって同様である。鈴木はただ、地続きだから絶えず大陸の圧迫を受けずにはいられなかった朝鮮に比べて、適度な距離があるので、独自の文化を熟成させることができた日本の幸運を言っただけだった。もちろんだからと言って、あちらに比べてこちらが優位だ、なんてことではない。文化は本来、優劣を判定できるようなものではないのだ。
 鈴木講師を、少し不愉快な気分にさせてしまったかと思うと、申し訳ない気がする。

【上の写真は鈴木孝夫氏のご尊父鈴木梅渓氏の手になる「葦手書き」の一部である。梅渓氏は近代日本の代表的な書家の一人で、かなのみならず漢字も日本風に丸っこく描くことを主張し、しかし弟子はとらず孤高の境涯を貫いた、とこれは孝夫氏から伺った。写真は、小林松篁氏のHP中の「松篁収蔵品」にあったものを、許可を得て転載させていただいた。】
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日本語及び日本人 その1

2018年04月04日 | 倫理

Buzzfeed News Japan

メインテキスト:鈴木孝夫『【増補新版】閉ざされた言語・日本語の世界』(新潮選書平成29年)
サブテキスト:鈴木孝夫『ことばと文化』(岩波新書昭和48年)

 鈴木孝夫氏の講演会に出るので、久しぶりに標記の二著に目を通した。
 『閉ざされた言語・日本語の世界』(以下、『日本語』と略記する)の旧版は、大学生時分に読んだ。福田恆存先生が推奨していたから。それからずいぶん経って、中身はすっかり忘れていたが、新版で読んで、当時(昭和50年)の感興をまざまざと思い出した。
 あの頃は、カナモジカイや日本ローマ字会の活動がまだ盛ん、でもないけれど、そこに繋がる言語観・文字観は、「日本は遅れている」論の一分野として、まだ見かけた。
 西欧ではアルファベットは26文字ですべての言葉が書けるのに、日本ではかなだけで四十五文字(濁点があるもの等は除いて。また、正かなづかひの「ゐ」と「ゑ」を加えると四十七文字)、カタカナが同数あって、さらにその上で多数の漢字を覚えねばならない。その非合理、学習上の不便はたいへんなものではないか、結果として日本の文明の進歩を阻害しているのではないか、もっと簡素にするべし、なるタワケた論で、ここから生じる日本語破壊に抗して最もよく戦ったのは福田恆存であったことは、彼を知るほどの人なら周知であろう。
 福田はここでもほとんど孤軍奮闘していたのだったが、ようやく比較言語学・言語社会学の分野から、援軍が出てきたのだった。

 以下に『日本語』の所説を私なりにまとめて記すと。
(1)かなについて。日本語は「ん」を除いて単独の子音は使わない。【厳密には使わないわけではない。例えば「しんぶんし」などの場合、後の「し」をshiとはっきり言う人は稀で、たいていshですましているだろう。しかし文字は、実際の発音を写すのではなく、「どう発音していると思っているか」に基づくので、こういうのは問題にしなくてもよい。】
 また音節(語の中で一音として認識される音のまとまり)は「ん」を(と促音の「っ」も一音節とすれば、それも)除いてすべて、母音のみか、子音→母音のいわゆる開音節である。その音節の種類も少なく(鈴木によると百二か百十二)、四十五のかなですべて書き表すことができる。だから「し」は「し」でよく、siあるいはshiなどと書くのは不必要なレベルまで示す過剰表記ということになる。
 一方ヨーロッパ語は子音→母音→子音で一音節になることが多い。英語で、sitとshitはいずれも一音節で、発音も意味ももちろん違う(汚い単語を出してゴメン)。その他sin、sift、singleなどすべて一音節(単語の最後のeは通常発音されない)だから、音節はいったい何種類あるものか、だいたい三千ぐらいというだけで、正確にはわからず、それぞれに文字をあてはめるなど不可能である。ゆえに文字はより細かい、音素に応じたものにならざるを得ない。
(2)漢字について。現在漢字検定というのがあり、その最高位の一級に問題として出るものなど、私は見るのも初めてな字ばかりで、あそこまで習得しなければならないとなったら、それはたいへんなことになる。しかし、戦前と雖も、そんなことは強制されなかった。普段新聞で見る漢字であれば、必ず正確に書けるかと言われると危ないが(ひょっとして私だけ?)、そんなに難しいという意識は一般にあまりないだろう。
 その程度の困難に十分値する効用が漢字にはある。
 まず、表音文字であると同時に意味を示す表意文字でもある、という特性。前述のように日本語は音節の種類が少ない。それで必然的に同音異義語が増える。漢字は、支那の原音が日本風に変えられて読まれ、発語されるため、ますます同音異義語を増やすが、また、そこからくる混乱を防ぐためにも役立つ。
「キシャのキシャがキシャでキシャした」
 これは鈴木ではなく、福田恆存『私の國語敎室』からの例文で、実際にはこんな文は使われないよ、と言われるかも知れない。それにしても、
「貴社の記者が汽車で帰社した」
なら、意味はすぐにわかる。
 加えて、造語力も優れている。明治以後に入ってきた外来の文物を日本に取り入れる上で、漢字の果たした役割は、柳父章などが指摘する翻訳語の問題はあるものの、やはり大きかった。前述の例文中の「記者」や「汽車」は西洋文明の流入以後に実物が現れ、言葉も当然それから出てきたのだが、漢字からのイメージで、すぐに馴染み深いもののように感じられたものだろう。
 普通に使われる漢字はわかりやすいのだ。例えば、「人類学」という文字を見れば、正確には何かは知らなくても、何かしら人類について研究する学問なのだな、ぐらいのイメージは、小学生だって持つことができる。英語のanthropologyでは、ギリシャ語の知識がある特殊な人を除いては、この文字からいかなるイメージも持てない。
 最近新聞でよく見かける文字に「改竄」があり、「竄」は画数の多い制限外漢字なので「改ざん」と書かれるのが普通だが、「改」のおかげで、何かを変えることなんだな、とはすぐわかる。おかげで、同一記事中で出がちな「解散」と紛れることはない。「かいざん/かいさん」やら「kaizan/kaisan」の表記に比べたら、そのわかりやすさは明らかだろう。
 口頭の場合でも、日本人は「改竄/改ざん」や「解散」の文字を意識しながら話し、おかげで混乱を免れている事実は看取される。これを鈴木は「テレビ型言語」と呼ぶ。最近のテレビは話されていることを文字で画面に出すことがあり、むしろサービス過剰で見苦しいとも言われるが、それ以前から我々は、漢字の視覚イメージも使いながら会話をしていた。
 そこでは、漢字の正確な形まで思い描く必要はない。つまり、「改竄」を正確に書ける必要はない。「改」をなんとなく思い浮かべ、あと、「ねずみ(鼠)」みたいな字だったな、ぐらいで、「悪い意味で、変える」という意味もこれまたなんとなく思い浮かぶ。それで十分なのである。
 「証人喚問」も、「承認関門」ではないことは、聞いただけでも、文字のイメージがあるから、すぐにわかるのだ。

 鈴木が言っていないことを付け加えると、分かち書きの問題もある。日本語は膠着語だから「てにをは」は、働きからするとヨーロッパ語の前置詞に当たるとは一応言えても、独立した語だとは意識されていない。さらに活用語尾の変化をどう扱うかの問題もある。
 ぶん の なか の ことば を どう わけ て かいて みて も、かな や ローマじ では りかい する はや さ も やさしさ も いま の より まさって は い ない。そのうえ スペースが ふえる。
 かなの中の漢字が適度なアクセントをつけるため、句読点(だいたい英語のカンマとピリオドに当たる)以外の分かち書きの必要性は感じられないのである。
 すべて含めて、漢字かな混じり文という現行の書記法こそ、日本語を書き表す上で最も合理的なやり方なのだ。これを、文字数やら漢字習得の困難だけを言い立てて変えようとするなんて、浅薄な暴挙でしかない。

 以上に関しては現在さほど強い異論は出ないであろう。日本語と英語などヨーロッパ言語を比較して、どちらが上か下かなんて議論が、そもそも無意味だったのだ。こちらは今も繰り返して言う値打ちが、残念ながらあるようだ。国際化のために英語教育をどうたら言われているうちは。
 それも含めて、元に戻って、「日本はオクレテル」なる思い込みがすべての根源であることは確かであろう。
 なぜそう思い込むのか。明治以来日本国の目標は西洋化だった。何せ、戦争をすれば向こうのほうが圧倒的に強いし、日本の開国当時、西欧諸国はいわゆる帝国主義時代の末期。アジア・アフリカの諸国を侵略しまくった後で、日本だっていつやられるか、わかったものではなかった。早急に西洋並みの力、いわゆる文明、を学ばねばならず、それにはかなり成功した。つまり、西洋の真似をして、世界戦争の主役を張るまでになった。
 しかし残念なことに、最終的にそれには負けてしまった。結果、遅れていたのは外面だけではなく、中身ではないか、いや、精神面こそ第一ではないか、という反省が生じた。
 そこで、精神を構成する最重要な要素、というより精神そのものである言葉が、あらためて問題になる。
 そうであるならば、さらに遡って、日本語の独自性は何に拠るのか、考えるべきだろう。
 まず第一に、日本独特と言えば、外国文明受容の在り方にある。日本は地理的には世界四大文明の一つである黄河文明の発祥地から約千五百キロメートルの距離にあり、その周辺文明と言ってよい。しかし、大陸との間に、泳いで渡ることは不可能な、荒れやすい日本海があって、戦争を含めた直接交流は乏しかった。それでも長い間には相当な人の行き来があり、文書も入っている。
 文書はすべて漢文。つまり日本人が初めて知った文字は漢字だった。音も使われ方(文法)も和語(初期のやまとことば)とはまるで違う。たぶんその影響で和語も少しは変化した。例えば和語にはなかった音も使われるようになった。ただ大半は、前述のように、日本風に変えられた音で読まれたのである。【これはカタガナ書きのヨーロッパ語の場合も同じ。strikeは一音節語だが、「ストライク」または「ストライキ」は五音節。】
 より驚くべきことに、もともとの、いわゆる漢語の意味とは別に、和語を書き表すために音だけのものとして使った。周知のように、これがかなの大元である(真名=漢字に対する仮名。これ自体はもちろん和製の漢語)。こうして漢字かな交じりという独特の書記法が生まれた。
 そこで鈴木が指摘するのは、日本人の他国との接触は大半が「間接的」だったということである。漢人と直接会う日本人はごく僅かで、そうなると言葉は本来の、生活の場で使われる際のいわば「人間臭さ」が脱色された、知識=記号として流通する。それでも日本人の意識や生活様式に変化を及ぼさないわけではないけれど、全体として見ると、自分流に改造した、漢文明とは決定的に違う「日本」が残る。この事情は、西欧文明を大幅に取り入れた現在も変わらない。だからサミュエル・ハンチントンも、現存する世界七大、あるいは八大文明の一つに「日本文明」を数えている(『文明の衝突』)。
 それ自体は誇るべきでも、憂うべきでもない。日本文明・文化の今日を作り上げた、例えば、漢字かな混じり文を作り上げた先人の努力には自然に畏敬の念が持たれるけれど、結局のところ、宿命的にこうなったので、逆に、ある人々の思いだけで今後変わる、なんぞというものではない。
 しかし今日、場合によってはマイナスに働きがちな要因も、日本の文明、いや、(より内面的な生き方に直結した)文化のほうがこの場合適切かと思うが、の中に見出すことができる。それは気に掛ける値打ちがあると思う。

 一番大きいのは、上に述べた事情の結果、日本人には、自分とは決定的に違う「他者」は見えなくなっている、ということだろう。
 これは、「自己」も見えない、ということでもある。「女」がいなければ「男」という観念も意識も生じない。「他国」がないなら、「自国」もなく、ひいては「国」は意識されない。「自己」も同じことだ。日本人は自己主張を嫌うとか、弱いとかはよく言われるが、だいたい、主張すべき「自己」をあまり感じてはいないのである。
 この点に関して、『日本語』中に採り上げられている中で、最も印象的なエピソードは以下である。
 鈴木孝夫がアメリカの大学院で講座を持っていた時分のこと。日本の友人が送ってくれる新聞の切り抜きの中にこんなのがあった。中高生の自殺の原因として「自分の心をすっかり打ちあけてとことんまで話のできる相手が誰もいない悩み」が大きな比率を占めている、と。この話をアメリカ人の学生にすると、何人かが笑い出した。

(前略)私が理由をただすと、一人が次のように答えた。
 私は本当に大切なことは、友人はもちろん、親にも話したことがない。先生や他人と相当深くいろいろ議論はするが、それは自分の心の中にある大事な問題について自分で決定する手がかりを得るためであって、問題そのものを打ちあけることはしないし、ましてその解決を他人から教わろうとは思わない。個人が本当に個人である部分は、他人に言えない部分であって、それを明かすことは自分の存在を危険にさらすようなものだ。だから何もかも心をすっかり打ちあける他人がいないことで自殺するなど愚の骨頂である。
 私【これは著者の鈴木】は少々唖然として他の者の意見をも求めてみた。女子学生の一人は、自分も大体同意見で、本当に自分にとって大切なことは夫にも決して言ったことがないと言う。そして自分以外の人間に、自分の本当の気持など分かるはずがないとつけ加えるのだった。(
P.192)

 こういうのは文字通りにとり過ぎるのは危険であろう。欧米人がみんなこう思っているとは限らないし(個人的に、Nobody understand me!「だれも私のことをわかってくれない!」と泣き叫ぶアメリカ人の女子高校生を見たことがある)、現在の日本の中高生が、「心中を打ち明けられる相手がいない」という悩みを口に出すか、そう表現するか、は少々疑問である。
 しかし、こう言われると、ハッと胸をつかれる思いがする(しない、という人はこれ以下を読む必要はありません)。傾向としては確かにこういうことがある、というより、「自我の弱さ」、平たく言うと、「ちゃんと主張すべき時にできなかった」という思いが、かなり多くの日本人の記憶にある、そのような実感がけっこうある、そういう時代になった、ということである。
 そうであるならば、「弱い自我」を問題にする余地はある。

 言語に直接関連することで、もう一つ例を出すと、『ことばと文化』で詳しく展開されている、人称代名詞の問題がある。鈴木は、日本語では人称代名詞というべきものはない、そう考えたほうがよい、と言っている。
 「日本語に主語はない」なる説は現在でもよく見かけるが、これは問題の立て方としてあまりうまくないのではないかと思う。主語(subject)とはもちろん文法的な概念であって、何語であっても、現に言われるかどうかに関わらず、また明確かどうかの問題はあるにしても、文であるなら、必ずある、と言える。【文の中心はいわゆる述語で、「海だ」「冷たい」「驚いた」など、日本語ではこれだけ言われる時はいかにも多いが、「何がそうなのか/そうするのか」を考えることは常にできるし、またそうでなかったら言語コミュニケーションは成立しない。】
 むしろ、口語で、自分や相手をどう呼ぶかでは、ヨーロッパ語と日本語でははっきりした違いがある。つまり、I とかyouとかいう固定した人称代名詞は日本語にはない。それぞれ、自称詞・対称詞(三人称は他称詞)と言ったほうがいい、と鈴木は提唱している。
 より正確には、「わたし」「あなた」のような、(年齢や性別に関係なく使えるという意味で)わりあいと無色な、I、youに近い言葉はあるが、それはできるだけ使わないようにしている傾向がある、と言う。
 家庭という最も個人的な場を考えよう。子どもが生まれると、父母は、自分のことを「お父さん」「お母さん」と言って子どもと話す。子どもが男子なら、「僕は」というのが対称詞になったりする。つまり、子どもから見た関係性に、自称・対称を合わせるのである。夫婦同士でもお互いに「お父さん/お母さん」「パパ/ママ」などと呼び合うし、自分たちの親のことも「おじいちゃん/おばあちゃん」と呼ぶ場合もある。
 家庭外では、一人の人間が自称詞を使い分けるのは普通だ。「俺/僕/私」のように。対称詞のほうも「君/あなた/お前」などの使い分けがあり、こちらのほうにより圧倒的に気を遣わねばならないだろう。
 使い分けは、学校・会社・地域共同体などの、具体的な場の中での、自分と相手との上下あるいは親疎の関係性によって決まる。どういう集団のどういう相手ならこの言い方、については、けっこう揺れ動き(例えば「御前(おんまえ)→おまえ」「貴様」など、尊敬語だったものがかえって蔑称になるようなことはよくある)、社会秩序の乱れ(「近頃の若い奴らは口のききようを知らない」)とされることもしばしばある。
 それでも、自称・対称には人間同士の関係性が反映する、するのが当然、という意識そのものは、現在に至るまで強固である。
 これらを要するに、日本人とはある具体的な状況や関係の中での自己/他者を第一に考える。文の中の独立した単語という考え方に乏しいように、独立した私=個人という考え方はあまりしっくりこない。
 「個人」はおそらく、地上のすべての状況を越えたところにいる唯一絶対紳という観念が一方にあって、言わば梃子になっていないと、一定以上の強度で立ち上がってこない観念なのである。家族も社会も国家もすっ飛ばして一人の人間と直接結びつく何者か、そのいわば「超関係」が近代的(でもある)個人を生む、と言ったほうがいいかも知れない。
 だから日本人には主体性がなくて、ダメなんだ、などと言うのが「日本は遅れている」論の中身だった。たいていは根源にある唯一絶対神のことなど考えていないので、いいとこ採りの安直なものであった。それを思えば、日本と外国でどちらがよい、などという比較論は、ここでもできないし、第一無意味である。

 ただ、次のようなことはある。我々の自己とはいわば「状況依存型」であって、これはむしろ現実的なのだ。「純粋な自我」なるものは、人間関係の現実に場所を得ることが難しいという意味で、妄想的でさえある。
 しかし一方で、どうしても根本的に相容れないところが残る「他者」との間に、それでも最低限は理解し合わないと実際に困る、というところから発するコミュニケーション技術、普通は論理と呼ばれるものがそうだと思うが、これは不要とは言えない。
 なぜなら、自己とは決定的に違う何者かを予想しないとすれば、他者を意識からすっぽり消ししてしまう心性を招きかねないからだ。それは言い過ぎだとしても、『日本語』に挙げられている多くの西洋人の日本体験談は、日本人が現代でもいかに「他者」と接触することが不得手かを示している。
 まとめて言うと、日本語ができない「ガイジン」なら、行きずりの「部外者」(たまたまやって来てすぐに立ち去るマレビト?)として、それなりに丁寧にもてなしてくれるのだが、日本語が達者な「変なガイジン?」になると、もうどう接していいかわからない、という様子になる場合がしばしば見られる、と言う
 もっとも、この本が出てから40年以上経ち、自由に日本語を操る西洋人をテレビで見る機会が増えたし、主に東南アジアや南米系の人や、それとの混血児を実際に見ることは、田舎でも稀ではなくなった(日本にはもう二百万人からの移民がいる)から、そういう感情は薄れている、と言える。
 むしろ驚くべきなのは、それでもなお、「ガイジン」という言葉に含まれる独特のニュアンスは消えていないことである。
 差別ではない。差別とは、自己ではない「他者」の存在を認めたうえで、それを劣った、あるいは悪しきものと決めつけることを指す。上記の場合は、優劣・善悪の観念はない。ただ、日本語のコミュニケーションは、同じような顔で同じようなことを考えているとみなせる相手、かつまた年齢・立場に基づく上下関係を相互に了解している相手とするものだという、歴史的な大前提があるので、それがないと、どうしたらいいのかわからなくなる、そういう微妙な心理の現れなのである。
 それ自体も悪いとは言えないであろう。ただ、悪く働く場合もなきにしも非ず。他者との違いを前提にしない関りは、相手を完全に無視した、善意の夜郎自大を招く可能性がある。「八紘一宇」(世界中が一家のようになりましょう)というのがそうだった、ということは以前に述べた。
 「国際化時代」がどうたら、なんて関係ない、我々はこの近代という時代をよりよく生きるための、我々自身の問題として、こういうことを少しは考えるべきであろう。後は、鈴木氏の講演を聞いて、もっと言いたいことが出てきたら、言います。
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権力はどんな味がするか その7(槌か鉄床か)

2017年06月30日 | 倫理
メインテキスト:L・ザッヘル=マゾッホ、種村季弘訳『毛皮を着たヴィーナス』(原著の出版年は1871年、河出文庫昭和58年)
『谷崎潤一郎全集』第十、十一.十三巻(中央公論社昭和57年)



増村保造監督 「痴人の愛」 昭和42年

 BDSM(bondage, discipline, sadism, masochism)は、LGBT(lesbian, gay, bisexual, transgender)と比べても厄介なところがある。暴力を伴うからであり、すると権力の問題に直結するからだ。私はそこに興味を惹かれている。
 もっとも私にはこの心理全般を探求しようというような熱意も余裕も今のところない。個人的に、女を拘束したり虐待したりする系統の嗜好は、する側が男であっても女であっても、大嫌いである(本当ですよ)。多少とも理解と共感を持てるのは、女が男を支配する方向もので、この分野では日本には谷崎潤一郎という世界に誇るべきマゾ作家がいる(本気ですよ)。彼と、マゾヒズムの語源になった19世紀オーストリアの作家の作品から、思いついたことを並べることにする。

 後にマゾヒズムと呼ばれることになる性癖は比較的古くから知られていた。世界初の性愛小説、ジョン・クレランド「ファニー・ヒル」(1748年)には、娼婦に鞭打たれることで性的興奮を覚える貴族が描写されているし、これより少し後に書かれたジャン=ジャック・ルソー「告白(第一部)」(1765頃)には、幼い頃に悪戯をして、三十代の叔母に罰として尻を撃たれたとき感じた秘かな快感が記されている。しかし18世紀のそれは、いわゆる本番に至る前の、前戯の一種とみられており、LGBTより問題視されてなかったと、ジョン・K・ノイズ『マゾヒズムの発明』(岸田秀、加藤建司訳、青土社平成14年)にある。
 それとは別に、ある特定の女を神聖化して(「ドン・キホーテ」では「思い姫」と呼ばれている)忠誠を誓うことを悦ぶ嗜好は、中世の騎士物語には欠かせない要素である。東洋ではどうやら違う形を採るようだが、ともかく、西洋及び西洋化された社会では、男女関係中に相当深く埋め込まれた感性なのだろう。
 これを変態性欲の一分野として独立(?)させたのは、なんといってもザッヘル=マゾッホの実践とそれに基づく小説があったからである。因みに変態とか性的倒錯(sexual paraphilia)という言葉は、マゾヒズムの命名者でもあるクラフト=エビングの著書から一般化したものだそうだ。
 この心理の淵源は、あくまで男の側からすると、以下の二種が考えられる。
(1)母性への希求が転倒したもの。女に一方的に罰せられる立場になることは、一方的に庇護されるのと同じく、全く無力な存在と化すことである。そこで、母体回帰願望が近似的に満足される。
(2)女性美への憧憬が長く保存される。前回述べたhide and seekの関係で、hideの敷居が低くなれば、seekの念も弱くなる。平たく言えば、一度モノにした女には飽きがくる(女のほうもやっぱり、飽きる)。女が支配者となれば、その女体の「禁じられたもの」としての価値は保たれる。
 「毛皮を着たヴィーナス」の場合、さらにその上の大前提がある。ゲーテの箴言「汝はすべからく槌となるか、それとも鉄床となるか」【ドイツ語の原文はわからないまま訳文だけで考えると、「すべからく」があるなら、末尾は「なるべし」としたほうが据わりもいいし意味の通りもいいと思います】がそれで、これを主人公は「何がぴったりといって男女の間柄ほどぴったりこれに当て嵌まるものはないのですよ」とする。個々の具体的な男女関係においては、彼/彼女は撃つ立場か撃たれる立場か、必ずどちらかになると言うのだ。もちろん自分がどちらかになった時には、相手はもう一つのほうになっているのである。
 夫婦・恋人関係ほどintimate(親密、水入らず)なものはなく、閉ざされ、秘められているという意味で、外部からの独立性が最も高い。ならば、個人としての人間性の、いわば芯の部分が露出してくるはずであり、そこで支配―被支配の関係が不可避だとするなら、それこそが根源的な「権力」の問題ということになる。
 文学作品で言われていることを文字通りに一般化して受け取る必要はない、というより、そうすべきではない。しかし、「一面の真実」として、思いあたるところがあるとすれば、多少は気にかけるべき値打ちもあるだろう。
 ここでの「一面の真実」は、おそらく、前述の(2)に関連する。愛は、冷める。人間関係を安定させ、長持ちさせようとしたら、もっと冷ややかで硬い秩序が必要である。支配―被支配の関係性が固定すれは、それが即ち秩序であり、関係は安定する。アナーキズムという極論を信奉するのでない限り、これは事実と認めざるを得ない。
 もちろん、国家・社会のような巨大なところで働く権力と、男女関係という最も私的具体的なところで働くそれは様相が違うはずである。吉本隆明の有名な「共同幻想と対幻想は必ず逆立する」という言葉が思い出されるだろう。もっとも、「逆立」の意味が私にはよくわからないのだが、どちらかを大本(オリジナル)として見た場合、他方はそのパロディーのように見えることはあると思う。
 普通の女を女帝として崇め奉り、いかなる命令にも従う。ここに滲み出てくるエロスは、「演ずる」ところに由来するのだろうか、それとも、権力と呼ばれる人間関係そのものに基づくのだろうか。私は後者だと思っている。と言うか、社会的な権力、支配―被支配関係もまた、結局のところ「演じられる」ものである。そこに秘められたエロスを使って遊ぶ、だからそれはグロテスクなまでに過剰になる。時には、死に至るまでに。これが、マゾッホ、谷崎、その他類似する作家たちの世界を形成する原動力であろう。

 「毛皮を着たヴィーナス」の主人公は最初生身の女に興味を持たない。彼が恋するのはヴィーナスの石像であり、ヒロインはその化身として彼の眼前に現れた時、ファムファタル(femme fatale、悪しき運命の女)となる。つまりこの小説の枠は、本シリーズ「その3」で取り上げたピグマリオン物語なのである。男は女を、自分の理想に沿って教育し、生きた偶像に仕立て上げようとする。今回の教育は成功だったようだ。それはそのやり方がシンプルで、矛盾やごまかしのないものだったからだ。
 バーナード・ショー「ピグマリオン」のヒロインは、「本当の意味でレディと花売り娘の違いは、どう振る舞うかではなく、どう扱われるかにあるのです」と言っていた。マゾッホの主人公は、女に、生殺与奪の権まで与えた奴隷となることを自ら申し出る。それに相応しい絶対権力者としての女主人を演じることは、けっこう難しいだろう。女は、男の望むような、無慈悲な暴君になれたかどうか不安だと、何度か口にしている。
 二人は契約書を取り交わしている。男は身分をなげうち、名前まで変えて、女の忠実な下僕になる、それは、女の望む期間だけ続く、という内容の。これはサド侯爵などにはない特性で、よく言及される。いわゆる公的な権力関係のパロディであり、「演じる」意識が前面に出ていることは、これだけでも明らかである。
 契約を申し出るのは女のほうで、男は、①女は男から離れないこと、②女が男を他人の暴力の犠牲に供したりはしないこと、の二つは条件にしたい、と最初に申し出るのだが、この時はうまく丸め込まれてしまう。実際にサインしたときの契約書に女側の義務として記された条項はただ一つ、虐待プレイの時にはできるだけ毛皮を着用すること、のみである(毛皮フェチについては、豪奢な感じがするのがいいんだろうな、以外には私はわからない)。契約書の他に、男は遺書にもサインさせられ、つまり文字通り自分を、自殺を装って殺してもいいのだとも同意させられる。
 これで二人の間はうまくいく。主人公は女によって寒い地下室に閉じ込められて死にかかったりして、本気で憎むこともあるが、それが強烈なスパイスとなって、女の美しさへの讃嘆の念はますます高まる。「結婚が平衡の上に、完全な合意の上に築かれるのが不可能なら、逆に対立を通じてこよなく大きな情熱が生まれてくるのです」と、最初のうち彼が言った通りに。因みに、普通の性交渉の悦びそのものは、本作では二次的以下の扱いをされていることは、注目しておくべきだろう。
 この仲が破局するのは、上述の、彼が女に約束させそこなった条件が破られたからである。女が、他の男に心を移したのだ。「ギリシャ人」と呼ばれる、非常に美しく、粗野で残忍な男。女は最初から「【結婚するなら】完璧な男でなくてはね。私に畏怖の念を起させ、彼という人の力で私を打ち負かすような男でなくてはね」と言っていた。つまり、彼女こそマゾヒストなのであり、その欲求は決して主人公には満たし得ないものだった。
 別れに当たって、女は、最後の大サーヴィスとばかりに、ひどく残酷な仕打ちを用意する。主人公は女の心変わりを見て、すべてを捨てて彼女と別れようと出奔するのだが、どうしても未練を断ち切れず、戻ってしまう。最初は冷たくあしらわれていたが、そのうち女は急に優しくなり、あんな粗暴な男はいやだったんだと言って、彼との結婚を約束する。その夜、彼に快感を与えるためにはやっぱりあの行為が必要なのだと、女は彼を縛り上げる。さて鞭打ち、というときになると、それまで隠れていたギリシャ人が飛び出してきて、いやがる彼に、本当の苦痛と屈辱とを与えたのだった。
 契約書には書いてないのだが、これは裏切り行為であることは、男女双方に理解されている。即ち、男が女の奴隷となり、いかなる虐待も屈辱も耐え忍ぶのは、彼女が彼のものである限りにおいてなのである。彼女ではない者に加えられる暴行は、それが彼女の意志から出たものであれ、単なる苦痛と恥辱でしかなく、彼に怒りしかもたらさない。
 マゾッホのマゾヒズムは、裏に強い独占欲が秘められている、ということだ。思うに、これが社会的な権力関係との最大の違いになる。支配されるべき顔のないモブ(群衆)の一人ではなく、固有の身体と精神を備えた者同士こそが問題になるからだ。

 もう一度お断りすると、私は、BDSM全般はもちろん、マゾヒズムについても、本格的に考究しようという者ではない。だから、上に述べたことが、この傾向にとって本質的だとも一般的だとも主張するつもりはない。
 一応、次のようなことは知っている。マゾヒズム文学中屈指の名作とされるポーリーヌ・レアージュ「O嬢の物語」(1954年)では、ヒロインは大勢の共有物になり、ついには人間性のすべてを剥奪されるに至る。谷崎初期の「饒太郎」(大正3年)だと、主人公はパートナーの女が情夫を作り、二人で彼を嘲り、暴行するのまで受け容れる。ここまでの被虐趣味は全くわからないし、前者など、私はごく臆病なタチなので、怖気を振るうまでになってしまう。
 だから私は自分の嗜好と思考に合うものを取り上げて、好き勝手に言うだけである。そんなものには価値がないと言われるなら、いかにも。好き勝手に付き合ってあげようという人だけ、以下もお読みください。

 「痴人の愛」(大正13年)が谷崎作品の中でもよく知られており、何度も映画化されているのは、シンデレラ物語の変形で、そこに華やかさがあるからだろう。ヒロインは陰気な造酒屋の娘から外人主催のパーティの常連にまで「出世」する。それは主人公の教育のおかげである。
 男は女に英語を教え、賢い女にすべく努力するのだが、そちらの教育は完全に失敗する。英文法をどうしても理解できない女に向かって、「馬鹿! お前は何といふ馬鹿なんだ!」と怒鳴りつけるようなやり方では、それも不思議ではない。一方で男は女の肉体に強く魅かれており、そこからの無意識の教育は多大な成果をもたらす。つまり、女はその力を存分に使って、多くの男たちにかしずかれるまでになる。意識的な教育よりは無意識的な教育のほうが影響力は強い。これは世の常である。人があまり認めたがらないだけで。
 ただ彼にとって幸い(なんだろう)なことに、彼女はこの面でもけっこうおバカで、「捨てられる迄」(大正3年)のファムファタルと違って、自分の力、女力とでもいうのか、を冷静に打算的に使うまでのことはなかった。また、「毛皮を着たヴィーナス」の場合のような、「完璧な男」も見つからなかった。すべての男がしまいには彼女の奔放さをもてあまして、離れてしまう。残るのは、その女力に完全に心を奪われ、引きずり回されること自体に悦びを覚える、元の男だけだった。
 かくて彼らの間には共依存関係が出来上がったようである。谷崎はそこを明らかにしていないが、増村保造監督の映画では、「私にもあんたしかいない」というセリフを最後に女に言わせることで、はっきりさせている。
 これはハッピーエンドなのだろうか。大きなお世話ながら、どうも不安である。すべての土台は、女の美貌であり、この威力(女力)はかなりの部分、男の主観に依る。もし、彼にとって、女が、さほど美しくなくなった、と感じられたらどうなるか。やっぱり、かなりやっかいなことになりそうでしょう?

 谷崎自身が後に、実際の事件を叙したノンフィクション小説「日本に於けるクリツプン事件」(昭和2年)の中で、マゾヒストは「利己主義者」だと断定して、次のように言っている。

(前略)マゾヒストは女性に虐待されることを喜ぶけれども、その喜びは何處までも肉體的、官能的のものであつて、毫末も精神的の要素を含まない。人或は云はん、ではマゾヒストは單に心で輕蔑され、翻弄されただけでは快感を覺えないの乎。手を以て打たれ、足を以て蹴られなければ嬉しくないの乎と。それは勿論さうとは限らない。しかしながら、心で輕蔑されると云つても、實のところはさう云ふ關係を假りに拵へ、恰もそれを事實である如く空想して喜ぶのであつて、云ひ換へれば一種の芝居、狂言に過ぎない。

 1910年、ロンドンで、クリップンというインチキ医師が女優の妻を殺害した、これがクリップン事件である。動機は、夫に愛人ができたからで、すると平凡な情痴殺人のようだが、この女房はかなりとんでもない女で、浪費はするわ浮気はするわ、夫はそれを知っていて十年近くの間黙認していたのだから、これはもうマゾヒストだったのだろうと、谷崎以外も認めている。
 類似した事件として本作で取り上げられている日本のでは、プレイの時の悲鳴が近所にも聞こえていた正真正銘のマゾヒストが、やはり新たな玩具=女ができたので、けっこう巧妙で陰惨なやり方で女房を殺している。こういう女は果たしてファムファタルと呼べるかどうかも怪しい。徹底して主観的な、独りよがりの世界、それが(全部とは言わないが、谷崎の捉えた)マゾヒズムの世界であり、それはまた純粋理念としての権力のある面を伝えているように感じられる。

 稠密な文体の力が遺憾なく発揮されているという意味で、谷崎潤一郎の最高傑作と称すべき「春琴抄」(昭和8年)では、男は、火傷で醜くなった女主人(この場合は、文字通り。主人公はヒロインの家の使用人であると同時に、芸道上の弟子でもある)の顔を見なくても済むように、自ら目を潰す。この一見自己犠牲的な行為のために、本作はマゾヒズムを超えた至高の愛を描いたもの、などとも言われるのだが、これは非常に疑わしい。
 こう言えばいいのかも知れない。至高の愛とは、最大のエゴイズムと表裏一体になって初めてこの世に所を得るのだ、と。
 このカップルは、三男一女を儲けている。うち女児は生後間もなく亡くなっている。
 最初の男児は、女が十六歳のとき身籠った。普通なら奉公人と情を通じるなどけしからん、となるところを、何しろ盲目なので、きちんとした結婚は望めないのだから、かえって好都合、と親から縁組を勧められたのを、女のほうが峻拒する。「いかに不自由な體なればとて奉公人を婿に持たうと迄は思ひませぬ」と。親はよんどころなく、生まれた子が可愛くないのか、父(てて)なし子を育てるわけにはいかないから、お前がどうしても強情を張るなら、どこかよそへ遣るより他にしかたないが、と詰め寄るのに、「なにとぞどこへなとお遣りなされて下さりませ一生獨り身で暮らす私に足手まといでござりますと涼しい顔つきで云ふのである」。
 この子はどこへ貰われたか行き方知れずとなり、後に生まれた男児二人も幼児の時に里子に出されて、終生親子の縁を結び直すことはなった。子どもにしてみれば、これほどエゴイスティックな親はいないであろう。母はプライドが高く、人から同情されるような体であることから余計にそれが昂進し、父はそんな母の気持ちを傷つけず、また生活上の不自由もかけないように仕えることにのみ専心している。こんな関係は余人にはとうてい窺い知れず、また当人たちの側もそれを望まないのだから、孤立の度合いは最高にまで高まる。それでいい、いや、そのほうがいい。彼ら二人にとって、この関係以外にこの世に重大なものなどないのだから。
 だからこそ、女の美貌が損なわれた時には、男は視力を捨てることで、彼らにとって都合の悪い現実のほうを消去するのである。さらに、この究極の、二人だけの世界は、女の死をも超えて持続する。

人は記憶を失はぬ限り故人を夢に見ることが出來るが生きてゐる相手を夢でのみ見てゐた佐助のやうな場合にはいつ死別れたともはつきりした時は指せないかも知れない。(中略)察する所二十一年も孤獨で生きてゐた間に在りし日の春琴とは全く違つた春琴を作り上げ愈々鮮かにその姿を見てゐたであらう

 本シリーズ「その1」で私は、権力の理想形は、支配される側が常に「見られる自分」として自己を律するようになること、言い換えると、支配者が実際はどうかとは別の「内部の目」を被支配者が持つことである、と述べた。すると、関係性が閉ざされて完成された場合には、支配する側はいなくてもよい、いやむしろいないほうがよいことになる。生きて動き回るなら、いつか、どう見ても支配者には相応しくないふるまいをしでかさないとも限らないのだから。ここからユダヤ民族が、彼岸の唯一絶対神と、それに拠る「良心」という心理機制を発明した、と言えるのではないだろうか。
 常に変化してやまないのが生命の実相なので、そこに箍をはめて安定させようとする動機が、権力を根拠づけるのだが、過ぎれば生命を否定するまでに至る。これは、とてもエロチックだと私には感じられる。この方向で、今後できるだけ考えを進めたい。
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権力はどんな味がするか その6(Hide and seek)

2017年05月26日 | 倫理
メインテキスト:小浜逸郎『エロス身体論』(平凡社新書平成16年)


The Garden of Eden with the Fall of Man, 1615?, by Jan Brueghel the elder and Peter Paul Ruebens

 前回の記事について、小浜逸郎氏からフェイスブックのほうにコメントをいただき、何回か応答しているうちに、話題がエロス、の中でも性愛についてになった。その内容に関しては、私は、小浜氏がおっしゃることに反応して、思いついたことを勝手気ままにならべただけなので、ここで改めて取り上げるほどの値打ちはない。小浜氏のほうはけっこう面白かったそうで、その分だけはよかったと思っている。
 ただ、またしても個人的な事情ではあるのだが、小浜氏が旧著『エロス身体論』について触れられた時、私はその中身をすっかり忘れていたので、たいへん申し訳なく、また恥ずかしい思いをした。再読して、改めて言いたいことが出てきたら言います、と言い訳をして、読んだ。その結果わざわざ言わねばならぬほどの意義あることが私の貧弱な頭に浮かんだわけでもないが、日頃漠然と考え、当ブログに断続的に、漫然と書きつけていることに関連しそうなところはあった。小浜氏にはかえって迷惑かも知れないが、以下に、またしても勝手気ままにならべます。
 なお、以下では小浜氏は「著者」と表記し、他も敬称は略します。

 未読の人のために最初にお断りしておくのだが、本書は題名から邪推されるような、いわゆる一つのエロについて述べたものではない。人間は人間関係の網の目の中で否応なく「私」意識を持つようになるが、その「私」意識においてまた熾烈なまでに他者を求めずにはいられない、そのような本質を持つ。この本質を、情緒(≒エロス)と身体性をキー概念として解き明かそうとした人間論である。
 しかし私が以下で取り上げるのは、というよりはダシにして好き勝手なことを語ろうとするのは、そのうちのごく一部の、「いわゆる一つのエロ」に関わるところ、具体的には3章「性愛的身体」のみである。私のような凡夫には、そこが一番面白いという事実は、隠してもしょうがないので隠さない。
 で、そのエロとは、言うも野暮ながら、異性(とは限らないが、LGBTなどについてはここでは考察外とする)に対して抱く性的な関心のことである。男が女とヤリたいと感ずるあれだ(女のほうも男とヤリたいのだろうが、私は生まれてこのかた一度も女になったことがないので、実感としてよくわからない)。これには子孫を残すための生物の本能が(あるいはDNAの企みが)しからしめるのだ、という合理的な(か?)説明はすぐつくものの、それだけではどんな凡人の欲望をもカバーしきれない、複雑さと深さを持った問題である。
 聖書の「創世記」にある逸話はよく知られている。チリから作られた最初の人・アダムは、造物主たる神から、エデンの園にあるすべての木に生える実を思いのままに食べてよいが、知恵の木の実だけはいけない、と命じられる。しかし、蛇にそそのかさされた妻・イブにそそのかされて、この実を食べたために、夫婦とも裸でいることが恥ずかしくなり、木の葉を腰に巻いた。かくて人の祖先に知恵がついたことは神の知るところとなり、彼らは、子々孫々にわたる劫罰として、理想郷・エデンの園を逐われ、地上で、苦労しながら生きねばならなくなった。
 著者によるとこの説話は、人間が社会的な活動、すなわち最も広い意味での労働と、性愛生活との区別を学んだことを示している。なるほど、特に大勢が協力して仕事をしているときに、参加者が何人か、欲望の赴くままに勝手にセックスを始めて、持ち場を離れる、なんてことがたび重なったのでは、明らかに困る。人間には発情期がないので、なんの規制もなかったら、そういうことも起こり得るのだ。
 それは大きな要素に違いない。加えて、性器は排泄器官でもあるので、汚いし、また特に男性器は最大の急所になるので、特に直立歩行を始めてからは、むき出しにしていたのでは危ない、など、またしても「合理的な(か?)説明」は考えられはする。しかし、そんなのどーでもいい、ですよねえ。
 「隠すとは、同時にその隠された部分に特別の意味、際立った「しるし」をたがいに認めあうことである。これこそはとてもエロティックでわいせつなこと(すばらしいと同時にいやらしいこと)だ」(P.152~153)。それが問題なのだ。
 隠す、それによって強調する、こんな記号操作はたぶん人間しかやらない。その意味で、優れて人間的な、観念の領域の話である。全文化領域を覆う、とまでは言えなくても、至るところにそのヴァリエーションは見つかる。性器としてのセックスだけでなく、行為としてのセックスも隠すべきものとされ、事実隠される。いつでもどこでもやれるものではなく、しかるべき時と場所を選び、しかるべき手続きを経なければヤレない。結果、稀少性が生じるというだけでも、セックスの価値は高まる。
 そのために家庭(household)ができた、わけではないとしても、それに相応しい体制を理念型としている。著者は、人間は一人前になるまでに他に隔絶した長い期間を要する動物であるために、家族・家庭ができた、と以前から(『可能性としての家族』など)言っているし、それは全く正しいが、できあがった家庭・家族は他にも以下のような特性を持つ。【家族にもいろいろなヴァリエーションがあることはよく知られていますが、本稿では、私にとっても最も親しい、キリスト教・仏教・儒教圏に共通する一夫一婦制下での家族のみを考察の対象とします。】
(1)夫婦はセックスをしてもよいと社会的に公認された唯一のペアである。この結果、それ以外のカップルのセックスは、性規範がかなり緩んだ時と場所、例えば現代日本でさえ、いくらかは「背徳」の記号性を帯びる(だからこそより魅惑的にもなり得る)。
 さらに言うと、結婚していない、社会的には非公認のカップルでも、「彼氏・彼女」という固定した関係だと当人たちや周囲に認知されると、それ以外の異性とのセックスは非難に値することだと考えられる(「浮気」と呼ばれたりする)。(事実婚を除くと)子どもを作って育てる義務を予定しない、いいとこどりの疑似家族であっても、家族の規範意識(ある人間関係を正当とすることによって、他を不当とする)は働くのだし、働いて当然だと社会の大多数にみなされているからだろう。この規範意識はそれだけプリミティヴなのである。
(2)規範意識は家族内部で最も強く働く。おなじみのインセストタブー。法律というのは、侵犯する人間が社会に絶えず一定数存在することを前提として作られるのだが、近親姦は、事実としてどれくらいあるかはともかく、あると予想するのが既におぞましいので、通常法律で禁止されることはない。成長する過程でそれこそ自然に、心性にすり込まれ、それだけ最もプリミティヴに、人の世の秩序感覚を支えている。【家族に関しては本シリーズ「その5」で論じました。】
(3)上記いずれの場合でも、ヒトは家庭(か、それに代わる場所)で、特に性に関する規範意識・秩序感覚を学んで成長し、人間となる。
 別に、ヒトは人間となるためには、男/女の区分だけではなく、大人/子ども、また父・母・兄・姉・弟・妹などの区分のどこかに組み入れられ、その役割を引き受けることが要請される。役割とは、たとえ血縁関係という自然の事実に基づくとしても、相対的であり(ある男は両親に対して息子であり、子どもができれば父親になる。同時に、兄弟がいれば兄か弟になる)、それを場面に応じて「引き受ける」自分自身=主体が暗黙のうちに要請されている。
 場面に応じた役割・属性を引き受けて生きていくのは、家庭の外でも同じである(国民・地域住民・組織の一員、など)。役割を投げ捨てることもあるが、役割そのものを一度は理解しなければ、捨てることもできない。そのプリミティブな段階を家庭で学ぶのだ、とはそんなに簡単に言うことはできないかも知れない。しかし、そう考えていいようなところはたくさんある。
 今はそれ以上に次のことを重視したい。家庭内でも外でも、個人が人間関係上の役割を自由に変更することなどできない。しかし、役割を演じて、遊ぶことならできる。ごっこ遊び、典型的にはままごとを考えたらいい。幼い子どもたちが、ある特定の場所と時間、相互の約束で、お父さんやお母さん、息子や娘、になる。このような模倣・もどき、はそれ自体で面白いことは、アリストテレスが夙に指摘している(「詩学」)。
 なぜ面白いのか。たぶん、次のことに関連する。このような人間関係内の役割分担を「引き受ける」・「演じる」という意識を実感することで、「自由な主体」の観念が立ち上がる。
 もちろん、必ずしもままごとをやらなければならない、というわけではない。また、まず純粋な「主体」があって、それが家庭内外でなんらかの役割を引き受ける、と考えるとしたら、おそらく正確ではない。生まれたての赤ん坊は、生まれたての赤ん坊である以外のいかなる役割も引き受けられない。成長するにつれて、様々な役割を引き受けさせられる、その過程で、役割を「引き受けている」とみなし得るような「主体意識」が生じる、と言うほうが、正解に近い。
 いずれにしろ、ある「立場」を「役割」とみなし、それを「演じる」のだとみなす主体の意識は、きわめて観念的であり、人間的である。人間を考えるためには、この領域は決して外せないだろう。
 
 上記を踏まえた上で男女の性愛関係を考える。これは最も私的な領域だとされている。また、隠す・禁ずる、ことによって価値を高める、などという記号操作(明らかに意識的に行われているのは「手練手管」などと呼ばれる)がごく普通に行われる領域でもある。やっかいなことになりがちなのは当然であり、また現にしばしばやっかいなことになっている。
 ここでも、他の分野と同じく、男のほうが女より観念的だ、と考えられている。これまた女になったことがない立場からは確かなことは言えないが、たぶんそうなのだろう。著者は男女の身体性の違い、そこからくる関係性の違いから、これを説明している。それは本書を直接読んでいただくことにして、ここでは「男一般は女一般に、何を求めるか」について述べられたところを検討して、またまた勝手なことを述べよう。
 それは大別して二種ある、とされる。母性と娼婦性。それぞれについて与えられた定義を以下に掲げる。

母性→自分に深くかかわりがあって、しかも自分よりも弱いと感じられる存在を、愛する対象として保護し、包み込みたいと思う感情(P.173)

娼婦性→性的な欲望や女の美へのあこがれを抱きながらそこに倫理が入り込むのを避けたいとする男の欲求を了解しつつ、そのつど男を誘惑する力を示すおんな身体のあり方(P.178)

 少し戸惑うのは、女の側から見た記述になっているからだ。例えば、いわゆる母性本能なるものを、すべての女が生得的に持っているものかどうかはわからない。ただ、それをあってほしい・あるべき、とみなす男の期待感は、ある。そう読み替えるべきなのであろう。
 後の、「娼婦性」ほうから先に取り上げる。
 倫理という言葉が問題になるが、これはまた著者によって次のように定義されている。「人間が、他者とのあいだである行為をなしたとき、またはなそうと思ったとき、その行為を人生時間の「長さ」についての意識(これからもまだ生きていくという予期の意識)や、人間関係の広がりについての意識とのかかわりにおいて問題とする志」(P.181)。
 つまり、この場合には、女と「深い仲」になったとき生じると一般に考えられている男の「責任」のことだと思っていい。女が妊娠した場合は端的にそうだが、そうでなくても、素人さんとヤッてしまった場合には、その女の世話をする、少なくとも気にかける、ぐらいは全く当然ではないか、とみなされる。「カラダだけが目当てだったのね」と女に非難された経験のある男は、多いのではないかなあ。こりゃ、めんどくさい。
 だから娼婦性とは、そんなことをゴチャゴチャ言わずに、後先も考えずに、純粋にセックスだけを楽しませてくほしいという男の願望の投影なのである。これを実行した場合、金銭の授受が行われるのは、けっこう深い意味があると思う。セックスを中心にした男女の一夜が、その場限りのゲームであることをはっきりさせる、何よりのしるしになるからだ。
 【最近「わりきり」なる言葉を目にするようになったが、これは、女のほうも一夜限りの関係とわりきって、責任はもちろん金も関係なしでセックスを楽しもう、という意味ではないらしい。具体的には知らないが、ネット上の記事によると、出会い系で使われる「わりきり」とは、やっぱり女が金をもらって、身体的心理的に何が起ころうと、後の関係は切る、ということで、つまり売春と変わらない。男性諸君、あんまりムシのいい妄想に耽っていると、痛い目に合いますぞ。】

 さて、母性だが、こちらのほうが精神性・観念性に結びつく部分が大きいので、より突っ込んだ考察の対象にふさわしそうである。
 前出の定義で、「自分よりも弱いと感じられる存在」とあるのがまず注目される。戸惑いもまた、大部分ここから来る。母性なんだから、ある存在を「自分より弱いと感じ」るのは女であり、「存在」とは男、ということになる。
 普通逆ではないのか? 男とは、か弱い女・子どもを守るべき存在ではないのか?
 実際この定義は、最後の「包み込みたい」を除けば、父性・paternalismeのことを言っているのだとみなし得る。そしてそれはそれで、男の欲望のある面に繋がっている。
 本書では、男を惹きつける女性性には「少女性」もあるのではないかと知人から指摘され、「はっと胸を突かれる思いをした」が、その考察は後の機会にしたい、と注記されている(P.189~190)。
 著者に代わって、ではもちろんなく、私一個で、「少女性」の中身を簡単に考えると、主要なイメージは、①清純無垢、と②か弱さ、ということになろうかと思う。この二つはそのまま価値なのであって、「自分に深くかかわりがあ」るそのような存在は、男としては守らなければならない。守る者こそ、男の理想像たるヒーローだ。こう言うと、そんなの古い、と言われるかも知れないが、現在でも根強く残っており、さまざまなフィクションで活用されていることは、例示するまでもないだろう。
 同時に、①は、「隠す・禁ずる」の最も具体的な表象なので、男の欲望を刺激し、それを侵犯して汚す欲望ももたらす。ただし、そうしたからにはその責めを負わねばならない、とする感覚もあって、それがつまり前述の、ヤッてしまった男の責任だ、としても、当たらずといえどもそんなに遠くはない。
 すべてを通して、男は強くあらねばならない、という性規範が明瞭に認められる。しかし、このような規範がずっと存在し続けている事実そのものが、生身の男は弱いのだということを明かしてもいる。「弱いからこそ、強さの鎧を身につけなくてはならない」(P.176)宿命にある、それは、少しでも長く男と一緒にいた女は、みんな見抜いていることだろう。どんな英雄でも、家に帰ればただの息子か、夫なのだ。
 逆に、男はいつも、ただの息子・ただの夫、でいられる場所を求めている、とも言える。弱い男である自分をまるごと許して、包み込んでくれる場。身体としてその場所を提供すべき、とされるのが女。そんな都合のいいわけにはいかないわよ、と女のほうからは言われるだろうが、ともかく願望はある。

 ここまではいい。異論はない。著者が、男が女に母性と娼婦性の両方を求める、として、谷崎潤一郎「母を戀ふる記」を例に出しているところに、少し違和感を抱いた。
 この二つはかなり違うだろう、後者はヤラせてもらうことが最終目標になるが、前者はそんなものではおさまらない、だいたい次元が違うではないか、などと感じたのだ。母性を求める心性が、文字通りすっぽりと包み込まれること、つまり胎内回帰願望にまで至るものなら、単に体の一部のみが接合するセックスなどで解消されるはずはない、と言えるんじゃないか、と。
 だから谷崎が、夢の中で、醜く年老いた母を拒絶し、若く美しい女を母と認めるなんて、どうも不謹慎じゃないか、なんてガラにもなく感じたのだ。
 著者も、いわゆる性欲が根源的かつ第一次的なものではないとして、次のように述べている。

それは、かえって、第一次的欲求としての「個であることの不安」を乗り越える課題と、成人の生理的機能とが結合されるところに結果として成り立つ、一つの抽象的で部分的な欲求をあらわすのである。(P.151)

 胎内回帰願望は、「個であることの不安」を、「乗り越え」るのでなく、それ以前に戻ることで不安を解消しようとする、退廃的なものと言えそうである。だからダメなんだ、なんて言いたいわけではない。だいたい、言ってなくなるものではない。ただ、この事情から、こちらのほうが娼婦性よりはるかに、満たされ得ないものであることは明らかであると思う。
 ここにはまた、次のような問題も挙げられる。回答らしきものを思いつかないまま、無責任に書き留めておく。
(1)「個であることの不安」は、程度の差こそあれ、女でも感ずるだろう。ただ、成長するまでには、自分は子供を胎内に宿し、包み込むこともできる身体の持ち主であることは発見する。ここからくる、男とは全く違う心性は、どんなものか。
(2)母性が求められるのは、実際の母だけではなく、年上の女とも限らない。アンティゴネではその役割は、「妹」が背負っている。【因みに谷崎は、実際はいなかった「姉」に憧れていたことは、「母を戀ふる記」に書かれている。】これについては以前、「悲劇論ノート 第五回」で触れた。
(3)「抱く者」―「抱かれる者」の、「もどき」のヴァリエーションの一つに、マゾヒズムの支配―被支配関係があるのではないか、と最近思いついた。まあ、やっぱりただの思いつきなんですが。これについてはない頭をしぼって考えて、できれば次回述べたいです。
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W.H.氏との対話 その3(保守的な態度とは何か)

2016年12月25日 | 倫理
W.H.様

 ご丁寧にありがとうございます。
 いろいろと疑問を提出していただきましたので、できるだけちゃんとしたお答えしたいと思いますが、第一に、私の頭では理解できないところも多く、そこは失礼させていただくしかないでしょう。

 第二に、前にも申しましたように、言葉の意味・ニュアンス・それに込めた思い、の段階で大きなすれ違いがある、と言うより、W.H.さんと私とでは、何を一番大事と思い、こだわっているのか、肝心なところが重ならないようでもあります。とうてい議論にならないはずなんですが、何度か御論を拝読しているうちに、共感できるところもあるらしく感じました。それは何か、炙り出せればいい、と淡い期待を抱きつつ、以下に勝手な文を綴ります。

由紀さんは文学を「個人的なことをできるだけ掘り下げて、そこに一定のフォルムを与えて、他人とも共有可能にしたもの」とされました。歴史も同じだという趣旨だと思います。】
 いえ、そんな趣旨ではありません。
 文学とは通常、言葉によって表現されたもののことを言います。それと対比した場合の「歴史」とは、歴史叙述のことでしょう。両者には、大きな違いがあります。
 歴史叙述は、記憶を含めた記録を整理して、そこに筋を通そうとするものです。文学は、とりわけ近代文学は、同じく最広義の記録に依拠しますが、あくまで個人の段階に止まり、それを伝えるために「語り」のフォルムを使うのです。
 フランス語のhistoireが「歴史」と「物語」の両方の意味がある(英語のhistoryとstory)ことによく示されているように、語りのフォルムの大本・原型は神話・伝説まで含めた歴史から来ている、と言ってよいのでしょう。それでも、「何を語り・伝えようとするか」の動機の部分が大きく違っているのです。
 別言すると、「公」の側から「私」を問うのが歴史、「私」の側から「公」を問い直そうとする試みが文学である、と(「私」のほうが「公」より価値があるという意味ではありません。為念)。私にとって、このベクトルの相違は、決定的です。
 例としては、支那の古典が典型的ですし、W.H.さんもお詳しいので、挙げましょう。
 江戸時代に我が国でも漢文のお手本とされた左國史漢、「春秋左氏傳」「國語」「史記」「漢書」はすべて歴史書です。個々人の日常茶飯事など、省かれるのが当たり前。士大夫として理想的な生き方を示した者が讃えられ、もって後生を教導する、明確な目標の下に書かれています。例えばそういうことが上で言った「公」です。
 でも、「史記」で普通に読まれている「列伝」なんて(私ももちろん、本紀のほうは読んでいません)、歴史物語じゃないか、と言われるかも知れない、というようなことは脇におきまして、これらに基づいた二次創作として「三国志演義」などの講談、紙に書かれたら稗史小説、があり、「水滸伝」のような、裏歴史というのか、反逆者たちの物語があり(どれだけ史実か、なんて研究者以外は問題にしない)、「西遊記」のような、純然たる空想(にしてもその基は事実・経験がある)の産物である怪異譚があり、最後に「金瓶梅」のような、正史から見たらまことにどうでもいい、庶民の色恋沙汰その他の日常的トリビアルな描写に満ちた読み物があります。
 これ以外に、士大夫でもそうでなくても、個人の述懐に相応しい詩があり随筆がある。前者のためには韻律がなくてはならない。もとは実際に口演されるいわゆる口承文芸からきているのでしょうが、それが、それこそフォルム(型)として確立されると、紙に書いて目で読んだだけでも感知されるようになり、おかげで内容的にはおっさんの愚痴みたいな杜甫の詩が、不朽の生命を得ます。
 ここにはまぎれもなく個人がある。時代の道徳・理想では捉えきれない個人が。そして、個人の思いには意味がある、即ち、個人には意味がある、それを示して伝えるのが文学の効用だ、と私は信じておるのです。そしてそこを一番に重視しておりますので、世の中全体のことは二義的以下と感じられる。そこがW.H.さんとの最大の違いなのでしょう。

 次に、ここもちょっと。
少し訂正させていただけば、未来もまた「ある」のだと思います。それは過去が「ある」ようにです。未来からあらゆる意味は生じます。
 私は過去が「ある」ように未来も「ある」とは思えませんので、この訂正を受け入れることはできません。
 普通に言って、過去は変更不可能な「事実」としてある(もっとも、その「事実」は、人間の数だけバリエーションがあるかも知れませんが)のに、未来は「可能性」としてあるわけですね。可能性の幅が広がれば、つまり選択肢が多くなるということであり、それだけ人間の自由の度合いは高まるように感じられるでしょう。
 ヨーロッパからの移入者にとって、アメリカの広大な土地は、まさしく手つかずの「処女地」であり(ネイティヴ・アメリカンが住んだり狩りをしていた場所であることには目をつぶって)、無限の可能性と、無限の自由を約束していたように見えたのに不思議はありません。もっともこの自由の中には、野垂れ死にする可能性も、そうでなくても開拓のための非常な労苦は含まれているわけで、誰にとってもいつもありがたいというわけにはいかない。
 自由って、現実的にはそういうもんでしょう。いやなことから免れる自由以外は。「理念としての自由」だと、そこのところが捨象されて、誰にとっても都合のいいように感じられてくる。そこに欺瞞があり、危険もあるわけでしょう。 

 それにしても、
戦後、自由と民主主義の進展のみが客観的かつ真正な歴史の展開と見られ、それに見合わない過去がノスタルジーという名を負わされたのではなかったでしょうか。
 こういう歴史観には同意できません。というか、理解できません。
 ノスタルジーって、悪名になりますか? 昔から文学作品の題材としては最もポピュラーなものの一つなのに。「頭(こうべ)を挙げて山月を望み 頭を低(た)れて故郷を思ふ」(李白)とか、「人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける」(紀貫之)とか。それくらいですから、表現のフォルムなんて、いくらでも見つかります。現代でも、ポピュラーソングの題材としては、恋愛の次ぐらいの頻度で使われているんじゃないですか。“Country road, take me home.”(ジョン・デンバー)とか。ちょっと古いか。
 それから、自由と民主主義以前に、日本では明治以来の近代化が、地方の荒廃をもたらす場合があった。「門辺の小川の ささやきも なれにし昔に 変らねど あれたる我家に 住む人絶えてなく」(犬童球渓による詞「故郷の廃家」)は、例に挙げていらっしゃる「ふるさと」と同時期にできた歌です。その「ふるさと」にしてからが、故郷は、そこで暮らして発展を期すべき場所ではなく、「(他所で)志を果たして いつの日にか帰」るべきところとしてある。「ふさとは 遠きにありて思ふもの」(室生犀星)になると、土地は荒廃していなくても、そこに住む人の心は変わってしまい、もう帰るべき場所はない、という喪失感が前面に出ます。
 などとクドクド言うまでもなく、郷愁は懐旧と結びつき、その根底には「昔を今になすよしもがな」(静御前)という哀惜の念がある。それは古今東西、変わらない。一方それは個人的なものだからこそ、純粋で、美しい。また個人的なものだから、「自分は誰かを熱烈に愛している」などと同様、他人にやたらに、生の言葉で、吹聴すべきものでもない。広い意味の文学だけが掬い取って表現することができるのです。

しかしそれ(ノスタルジー?)は年老いていく世代の弱い意志がそうさせたのであって、新しい世代によっては再生の目標ともなりうる記憶であるかもしれません。
 過去にあったものの記憶を再生することが、将来の目標になるかも知れない、ということですか? それはあるでしょうね。孔子も周代を理想としたのだし、明治維新は王政復古(≒天皇親政)をスローガンの一つとしていたわけですし。これらparadise lost(失楽園)の念は、前述の哀惜の感情が強調されたもののようですが、往々にして政治的に使われる。すると、純粋な郷愁にあった美しさは失われる、ことには目をつぶるとしても、そこで言われる「失われた楽園としての過去」は、常に、今人の想像から出た、理念としての理想郷でした。
 なるほどそれは、「再生」(renaissance)や「変革」(revolution)の目標として、時代を変えるエネルギーになりました。が、実現するのはいつも、夢見られていたものとは違う何かになってしまう。その点、フランス革命のスローガン「自由」や「平等」と変わらない。だって、どちらも理念なんですから。
 それに私は、「時は元にもどらない」の断念を含まない過去賛美は、「大人になんかなりたくない」と同様の、どちらかと言えば後向きの、不健康な感情だなあ、と感じてきました。もちろん、世の中の進歩によって、失われるものは確かにあります。だから、今が昔より必ずいいなどと主張するわけではありません。
 それでも、発見可能なことはすべて発見するし、実現可能なことならすべて実現するのがどうやら人間の本性だと観じてはおります。そこは変えようがない。それなら、今までに発見され実現されたことは、いいも悪いもすべて所与のものとして飲み込んで、目前の「やるべきこと」に取り組むのが、大人というものではないかと思っております。

 実は、「近代化の流れは不可逆だ」というのも、私にとっては上とほぼ同じ意味です。一応言っておきますと、  
由紀さんは悪筆であり、ワープロによって今の文筆活動が可能になっていると言われています。(中略)(手書きは)それはそれで手先の運動神経を開発するといった、何かしら別な価値をも与えた
 これ、冗談ですか?
 私が流行作家だったら、出版社に「由紀草一係」が置かれ、その人だけが由紀草一の原稿を読めるんで、重宝される、ということがあるかも。ですけど、そりゃやっぱり、我儘でしかないでしょう。
 手先の運動神経が開発されても、役に立つのは私だけ。文章は読まれるために書くもんですから、読者の役に立たないなら、無益、というしかない。
 だいたい、他に例えば、「新幹線のおかげで東京から大阪まですぐに行けるようになったが、その分途中の景色を楽しむ時間は失われた」とか言う人もいますが、本当にそう思うんだったら、東海道を鈍行か、あるいは歩いて行けばいいだけの話なんです。現在でもその「自由」はある。文筆家であってもワープロを使わない自由はあり、またそういう人は現にいるように。そうしないで、口先だけで進歩や近代への懐疑を口にして見せても、進歩や近代化に伴う悪へのブレーキにはとうていならない。いや、もともとそんなつもりはないんでしょう。こういうのは聞き流すしかないですよ。

 私がリベラル・デモクラシーを支持すると言うのは、これが、「人間の内面には直接立ち入らない」節度を一番きちんと弁えているらしい制度だからです。「今日の立憲政体の主義に従へば、君主は臣民の良心の自由に干渉せず」と既に明治時代に井上毅が言っています。私にとって、政治制度に関する一番重要なポイントです。
 ここのところは非常に微妙で、うまく言えるかどうか自信がないままに、言ってみます。私は、個人主義者と呼ばれてもいいと思っていますが、「個人の自由は絶対」とも、「一人の人間の命は地球よりも重い」と主張する者でもありません。公はあり、例えば国家の危機に際しては、個人の権利が制限されねばならない場合は確かにあります。公、とは、この場合、国家や社会などの制度から、具体的な人間関係まで含めた「個人の外部」すべてと重なりますので、それがなかったら個人はもともと成立しませんし、また一日も存立し難い。
 だから、公のために私が犠牲にされる場合があるのは当然である。にもかかわらず、ではなく、だからこそ、「私」はどこかに保存されねばならず、保存すべく努力されねばならない。
 少し急ぎ過ぎましたかね。戦後「私」のなしくずしの拡張の結果、「公」の領域はだいぶ犯されているのではないか、戦中の「滅私奉公」に対して「滅公奉私」だ、このままでは「公」は滅んでしまう、なるいわゆる保守派に多い心配を、W.H.さんも共有しているらしいので、ちょっとみておきましょう。
 例えば、国家の危機の際、国を守るのではなく、逃げ出してしまう若者のほうが多いんじゃないか、とかね。そうでもないんじゃないかなあ。福島原発事故の時、「また爆発するかも知れない、大量の放射能を浴びるかもしれない」と言われながら、復旧作業のために事故現場へ赴いた自衛隊員や消防隊員の人がいたことですし、とは前にも言いました。
 もう少し軽い例だと、少子化問題がありますね。戦前、に限らず戦後も少し以前までは、男も女も一定年齢が来たら結婚して子供を作るのが当然である、という、法律はないけれど、世間の常識はあり、いい年をして子供のない人は肩身が狭い思いをしなければならなかった。今でも消えたわけではないですよ。不妊治療には、かなりの需要があります。が、その圧力はだいぶ軽くなり、少子高齢化社会を出来する淵源にはなっています。
 でも、国家は、そんなに強いことは言えんでしょう。「女性は子供を産む機械」とか、馬鹿なことを言った大臣はいましたけど。親は子供を産めばすべてよし、とは、この人も、他の誰も言わんのです。一人前になるまで、ちゃんと育てる義務は親にある。それを果たせないような親は、「じゃあ子供を作るなよ」なんて言われたりします。
 子供の養育の最終責任は親にある、と昔から、それこそ自然に考えられてきたわけでして。イスラエルのキブツみたいな例外はありますが、それがいいとは、ほとんどの人が思っていないでしょう? ならば、子供をいつ、何人作るか、親に任せるしかないのが、理の当然というものです。
 逆に、「保育所落ちた、日本死ね」なんて言うんだったら、安心して子供を産めるような国に近づけるよう努める義務が、主権者である国民にはある。「国」を自分とは違うところにあるもののように捉えて、ただ文句だけ言えばいいというが如き態度はお門違いだ、という原理(でしょう?)も、同じ国民の権利・義務関係から出てきます。「権利の上に眠る者は救われない」、それが当然なんです。 
 同じメカニズムが抑止力になりますので、「自由が暴走する」なんて心配も無用ではないでしょうか。自由が現実のものになったら、誰にとってもありがたい、なんてことにはならない。子供を作らない自由、それ以前に結婚しない自由が実現したら、結婚したくてもできない人、子供が欲しくてもできない人、が増えます。現に今の日本はそうなっています。誰かの自由が拡大したら、必ず他の誰かの自由を制限する結果になる。「自由のジレンマ」として有名らしいですね。
 だから、自由と制限のバランスがうまくとれるかどうかはわからなくても、社会全体で自由が行き過ぎる、なんてことはそれこそ原理的にあり得ないんです。これについては、たぶんそちらにまだ言いたいことがおありでしょうから、後ほどうかがわせてください。

 最後に、先ほど棚上げにした個人主義にまつわることを含めた「保守的な態度」について略述します。
 「保守的な態度といふものはあつても、保守主義などといふものはあり得ない」というのは福田恆存先生の言葉として有名です。この意味を今、私なりに敷衍しますと、保守とは、「~主義」として尖鋭化される理念に「待った」をかける、そういうものとして有効である。自由主義、民主主義も例外ではないので、いかにもそれはリベラル・デモクラシーを相対化し、制限しようとするものにもなるでしょう。ここへ来て初めてW.H.さんに同意したようですが、一番肝心なところですからね。
 例えば、「進歩はいいが、進歩主義はよくない。平和もそうだ。平和主義というと、平和が最高価値になってしまうから、まずいんだ」と、福田先生がおっしゃるのを直に聞いたことがあります。後でよく考えて、得心できました。
 例えば、ある国との戦争をほぼ完全に避ける方法はあります。その国の言うことに逆らわず、なんでも言いなりになることです。魚釣島が欲しい? あげましょう。沖縄も? どうぞご随意に。九州も? 別にいいですよ……。そんな国にわざわざミサイルを撃ち込んだり、軍隊を送ろうなんて国、ないですわなあ。でも、そんなこと、できるもんですか?
 そこまで極端なことをしなくても、外交でなんとかなるんじゃないか、いや、すべきなんじゃないか、ですって? それはまあ、戦争とは外交の失敗を意味する、と言ってよいでしょう。でも、人間は失敗するもんです。現に21世紀に入ってからも戦争は起きてますんで、その備えはしなくちゃいけないんじゃないか? と言うと、備えが必要だ、ということは戦争の可能性は認めているんで、それはやがて戦争そのものを認めることにつながる、と返される。
 理念的には完璧に近いところまで行っているのが戦後日本の平和主義です。人間の生の現実を積極的に無視するからこそ、そうなっているのです。しまいには、現実に犠牲を強いるところにまで至るでしょう。それはまずい、という感覚が保守的なものです。
 同じく、進歩も平等も自由も伝統も、「~主義」になって、それらの理念を最高価値にすると、きっと同じような弊害に陥るでしょう。保守主義は、どうやら、進歩主義者が自分たちと敵対する勢力をこう呼んだのが定着したもののようですので、元々人々に犠牲を要求するほどの輝かしい理念はないはずですが、「なんでもかんでも、昔のほうが良い」と言いたげな人はいますから、できればこの言葉も避けたほうがいいですね。
 それからもちろん、個人主義、というのもまずいでしょうね。個人以外に一切の価値を認めない、と言ったら、無政府主義と同じになってしまう。本当の意味で個人を立てるためには……これは以前に申しましたことで、後でできるだけに肉付けしたいと思っておりまして、今はご容赦ください。
 それで、保守的な態度のほうなんですが、これは人間が生きる現実の感覚に基づき、「足りない」「行き過ぎ」を判定しようとするものです。それこそ言挙げしなくても、誰しも、やっていることなんです。自由平等進歩伝統のような理念の輝かしさはなく、現実を変えるだけの力もなく、「そこまでやる必要があるのか」というような、微温的な現れ方をしますんで、恰好良くもない。しかしこれこそ、人の世の「正気」を保つ土台です。
 だからまた制度のほうでは、民主主義や社会主義などの理念で運営されるのは当然であるとしても、それとは別に、「私」が息づく場所はつぶさないように心がけるべきです(いや、放っておけばいいんですがね)。それが失われるなら、結局人間性と呼ばれるもののすべてが目に見えなくなるでしょうから。実はその危険は、案外たくさんありそうに思います。

 お答えになりましたかどうか。私としては、懸命にない頭を絞って、自分の一番根底の信念、と思えるところを開陳いたしました。それに免じて、足りないところや失礼なところはご容赦ください。
 また何かありましたら、きっとあるでしょうが、どうぞご意見をお寄せください。
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W.H.氏との対話 その2(自由からの自由―ブレーキ装置)

2016年12月16日 | 倫理
 以下の記事は、「過去・現在・未来 W.H.氏との対話」の続きとして、W.H.氏から送っていただいたものです。正直言って、この思考と感性は現在かなり独特なものだと思いますが、それだけに貴重ですし、個人的に、私の言論にきちんと向き合ってくれる、ありがたい存在でもあります。これに触発された愚考は、なるべく早く公表したいと念願しています。それとは別に、W.H.氏に直接意見を言っていただけますなら、彼にも大きな励みになると思いますので、できたら宜しくお願いします。

由紀草一様

 私のコメントをブログの記事にしていただき、有り難く思っております。たいへん納得の行く回答をいただき有り難く思いました。大方において私も同感です。さて、前回、私が述べたことは「近代主義」への疑義でした。また、それを下支えしている「近代の展開の不可逆性」という歴史観への違和の思いでした。しかし、まだ由紀さんとの小さな差異は残っているように思うので、質問を続けたいと思います。その差異というのは「リベラル・デモクラシーを条件づきで支持する」という「言挙げ」についでです。私はもう、この「言挙げ」は不要なのではないかと考えています。新たな「言挙げ」をもって「リベラル・デモクラシー」は相対化されるべきであると提案したいと思います。その前提として、由紀さんの技術の進展への肯定的な思いについても述べたいと思います。ともあれ、前回の由紀さんのコメントに対する返答から……

 <過去> 由紀さんは文学を「個人的なことをできるだけ掘り下げて、そこに一定のフォルムを与えて、他人とも共有可能にしたもの」とされました。歴史も同じだという趣旨だと思います。歴史は事実としての真理を、文学は普遍としての真理を求めます。とはいえ、歴史も畢竟個人的な記憶・感情の集積であり、客観は目標とする理念です。個人的なものと普遍的なものとの間に明確な区別は立てられないでしょう。強く主張される過去は普遍的なものとなり、力の弱い過去は消滅していきます。戦後、自由と民主主義の進展のみが客観的かつ真正な歴史の展開と見られ、それに見合わない過去がノスタルジーという名を負わされたのではなかったでしょうか。「こぶな釣りしかの川」と唄われた世界は、日本列島改造を是とし、生命尊重を至上の価値とする世論の流れのなかで、ノスタルジーへと貶められた一例であったようです。しかしそれは年老いていく世代の弱い意志がそうさせたのであって、新しい世代によっては再生の目標ともなりうる記憶であるかもしれません。そう考えれば、由紀さんの言われるとおり、自らの固有の過去、感じ取ったものを「今あるもの」と自覚することが重要なのだと思います。共有できる既成のフォルムが見あたらないからといって、弁明しながら述べるものではないということです。

 <未来> 歴史に方向などはないし、人間性の本質部分は進歩しない。極端に言えば、未来は存在しないと考えたほうがいい。あるべき未来を考えることは、往々にして現在を手段とする思考につながる。現在あることが未来を生み出す、と考えるべきだ、という由紀さんの捉え方に同意します。少し訂正させていただけば、未来もまた「ある」のだと思います。それは過去が「ある」ようにです。未来からあらゆる意味は生じます。由紀さんが「現に今も、W.H.さんにも、他の人にも、読んでもらうという「将来」のために、営々として文章を綴っている」と言われたようにです。但だ未来は、各人の過去を反映したものになるのだと思います。

 さて、「言葉に対してもっているイメージの違い」に関しては、由紀さんのおかげで大分視界が良好になりました。ここで私がどうして、由紀さんが諦念の意味で用いた「近代化の不可逆性」という言葉遣いにこだわったのかということを述べたいと思います。先にも述べたように「近代化の流れは不可逆だ」という表現は、竹田(青嗣)・西(研)両氏が絶えず用いていたものです。私は、かつて、両氏の社会思想における所説に対して、どうしてもよく理解できないところがあると感じていました。しかし、いったいその違和感の原因がどこにあるのか、長いあいだよくわからなかったのです。いろいろと考えていた折、もしかしたら、これではないかと見当をつけたものが、この「近代化の不可逆性」という見方でした。多くの場合、懐疑主義とも思われるくらいに”物語”に対して拒否の姿勢をとる竹田・西氏の思想にあって、この部分は頑固なほどに一貫したものでした。むろん、近代化は、現実に世界大で進んでおり、両氏の主張がまったくの見当外れだということは有り得ません。しかしそのことを強調し前提とする、そのモチーフが両氏にはあると感じられたのです。こうした経緯があって、その後、由紀さんや小浜さんの周辺で、その言葉に接したとき、私は過敏すぎるくらいに耳をそばだてました。前回も述べたとおり、私は、このテーゼは重要な意味を包摂すると考えます。先にも述べたように、この表現を用いることによって、古い進歩主義の亡霊がまたぞろ復活するだろうと思っているからです。その進歩主義は根強い感情的モチーフを根底に含んでいると考えます。そしてそれは由紀さんのいうように、「現在」を二の次にし、「未来」という夢に賭けようとする、一種の救済の思想につながるものであると思うのです。

 この救済の思想の内実を縷説するのも野暮かもしれませんが、一応述べてみましょう。それはキリスト教的歴史観が典型的ですが、何かうまくいかない、気に入らないという人が、歴史の進歩に希望を託すものです。今はダメなんだ、何かを変えれば良くなる、現在生きている人が不幸なのは社会が悪いからだ、間違った人間がいるからだ、と考えていくものでしょう。もちろん、こうしたものの見方の全部が全部、まちがいとは言えないと思います。しかし、また同時に、それらすべてが正しいわけでもないわけです。われわれが不完全な存在であるかぎり、退歩の可能性だってあるかもしれないのに、また実際、近代の経験した不幸は、前代に比較してそれほど小さいものでもないはずなのに、人は際限のない満足を外に求め、未来に希望を託そうとするわけです。もちろん、それは我々の罪のない性癖であり、人性の然らしむるものとは思うけれど、それが往々にして理論にまでなっていくところに、問題の生ずる余地があるわけです。つまり、”抽象化され”、”無限が入り込んでくる”。そして何かしらの感情のはけ口となり、否定の手段となっていく。ついには、ある種の社会変革の思想、正義の思想が誕生するわけです。

 竹田青嗣氏の場合、「近代化の不可逆性」という言葉は、ヘーゲル思想の本質を肯定するところから生まれるものです。氏が「人間の本質が自由であるということ。もう、これは原理として不変であるだろう」というようなことを言われていたのを覚えています。もっとも、竹田氏の原理とは究極的な真理を指すのではなく、今現在もっとも妥当で理にかなった考え方を言うわけですが、おそらくは自然科学を範に取った経験的な真理に類したものでしょう。何をもって反証とするのかは難しいところです。また、思想その他においてモチーフをつかむことの重要さを教えてくれたのも竹田氏ですが、私は氏自身のモチーフを一種の救済思想につながるものと見ました。またそれは、”自由・平等の理念化”に手を貸すものであると考えます。

 「近代化の流れは不可逆である」という断定が、どうして必要になるのか。かつてのマルクス主義と同様に、本当に行き先が定まっているなら、このようなことは言及しなくともいいわけです。竹田・西氏をことさら指すわけではありませんが、近代主義にとって大切なことは前へ前へと進むことだと思います。とすれば、以下のように語ろうとするのでしょうか。「安心していいよ。どっちにしたって行き先は決まっているんだ。保守的な人間は、自由と平等、人権の擁護に待ったをかけるけれど、結局は無駄な抵抗だし、時間つぶしに過ぎない。何をあがいたって、結局われわれは人類の理想に向かっていくだろう。また進んでいかなければならないんだ」と。その未来のイメージは、おそらく「双六の上がり」のようなものだと思いますが、具体的にどれくらいその未来像の内実が詰められているかと言えば、たいへん怪しく思われるということは前回も書いたとおりです。また由紀さんのように、諦念として「近代化の流れは不可逆である」と詠嘆する場合もあるでしょう。しかし、そうした表現は社会に再帰し、近代化の流れを速めることを利するだけなのだと思います。

 さて、私は、こうした理想への熱意が、科学・技術の進歩の念と手を携え、そこにメタファーを採っていると考えています。たしかに、技術の進化とともに近代社会は発展してきました。工業化によって可能になった物質的な豊かさは、それ自体としては素晴らしいもので、その豊かさが現代人の幸福の基礎を形作っているのは確かなことです。しかし、月並みを言いますが、そうした物質的な豊かさが精神的な高さ、生命の強さ、人格の豊かさを保証するものであるかといえば、やはりそうは言えないわけです。つまり、科学技術が発達し、われわれは物質的に豊かになり、自由で平等な社会をも誕生させた。しかし、その過程で支払った額も、そう小さなものではないでしょう。差し引き残額が大幅に黒字であると考えているならば、案外それは幻想なのではないか、と考えるのです。もちろん、私がこの年齢で昔と今とどちらを採りたいのかと問われるならば、すぐさま「今」と答えます。しかし、こうしたことは習慣が大きな意味を占めているものです。その時代に生きていれば、多くを求めることもないでしょう。

 ここまできてお分かりだと思いますが、私は由紀さんとは少し感じ方が異なっているかもしれません。由紀さんは技術の進歩について有り難いと書かれていました。私も常々、今向かっているワープロを含め、いろいろな技術に助けられ有り難く感じています。ことに表計算ソフトは、あたかも自分のために作られたもののように思われ、「ロータス123」の前にあった「カルク」といったソフトの頃から使い続けています。しかし少し考えてみれば、本当にそれほど感謝すべきことなのか、とすぐに疑念は生じます。由紀さんの提出された例に沿って考えてみましょう。由紀さんは悪筆であり、ワープロによって今の文筆活動が可能になっていると言われています。しかし、ワープロがなければないで、活字印刷ではだめだったでしょうか。金を出して他人に頼むというのはどうだったでしょう。また名文家は必ずしも美しい文字を書いていたわけでもないだろうし、悪筆も必要と反復練習によっては、それなりに読めるようにもなるでしょう。さらに月並みを言いますが、キーボードのタッチタイピングではない、アナログな手の動作、それはより応用の広がりを可能とする動作ですが、それはそれで手先の運動神経を開発するといった、何かしら別な価値をも与えたでしょう。また、いつでも書き直せるという思いが招くマイナスの側面がないでしょうか。筋ジストロフィーのような病におかされたホーキンスのような例もありますが、結局は同じことだと思います。

 私の予想では、ツイッター、ブログにみられるような一億総執筆家化、総表現者化、読むものより書く人間の方が多い状況は、もっと進むと思います。それから先は分かりませんが、しばらくは書くことが一部の特権でなくなることでしょう。ソフトは、言語同士の変換を容易にするでしょうし、日本語変換ソフト、例えば「一太郎」「ATOK」ですが、アシスト機能をどんどん高めていくことでしょう。また、タッチタイピングが必ずしも要求されなくなるかも知れません。音声で入力すればいいわけです。推敲も指先と音声などを使って簡単にできるようになるでしょう。また、文法違反に関する修正もより高度化することだと思います。次に文体のアシストも行われるでしょう。漢文体、和文体、そんなものではない。夏目漱石文体、司馬遼太郎文体、需要があれば由紀草一文体などといったものも、ソフトが出ることでしょう。これは十分可能だと思います。清水義範がいくつかの作品でパスティーシュ(文体模倣作品)を試みていますが、そうしたものを見ても、技術的には十分可能でしょう。きっといつか、「私のような無学無筆の、作文なんて書いたこともない人間が、こんな大作を一週間でものすることが出来ました」という時代が来るかも知れません。ともかく、知の寡占状態がなくなることは良いことかも知れませんが、真贋の判定が難しくなる事態でもあるでしょう。こうした状況は由紀さんにとって良きものなのでしょうか。収支は黒字でしょうか。ある技術史家は「必要は発明の母である」ではなく、「発明は必要の母である」と言ったそうですが、私はその通りだと思います。

 「自然に帰れ」などというと誤解を呼びます。しかし、進まなければ、それは戻ることだ、というわけでもありません。科学技術の進歩は有り難いことだ、素直に認めよとは、由紀さんの周辺でよく聞かれた言葉です。が、たとえ素直になれたとしても極めて怪しいことではないか、と思われてなりません。少なくとも科学・技術を素朴に肯定するそのあとに、「進歩」への信仰がこっそりついて廻ってはいないかと危惧するものです。

 以上、由紀さんと左程の意見の相違はないのかも知れません。しかし、由紀さんの記事では技術の進展に関し、但し書きもなく肯定されているので、念のために述べています。さて、そうはいっても技術の進歩に関し、簡単でない問題が隠れていることは認識しているつもりです。技術の進歩をまづ不可避にしたものは由紀さんのいう生活面ではなく、軍事面においてだと思うからです。由紀さんもイスラム原理主義者たちが武器だけは近代兵器を使っていることを言われていますが、私はここに本質的なものを見ます。「防衛的近代化」。あらゆる近代化を引っ張ってきたものは、これではないかと考えています。明治維新にしても富国強兵が国権派の意識の中核にあったものでしょう。インディアンにしたって、ライフル銃だけは手に入れなければならなかった。イスラムも北朝鮮も然り、映画『アバター』においても必要だったのは防衛における機械化だったと思います。そうしなければ、次作では敗北は必至でしょう。西欧近代の中心にあるのは武器だと私は信じます。そして、この武器を作るためにも最終的にソフト、すなわちリベラル・デモクラシーを輸入しなければならなかったように、竹山道雄が述べていたと記憶します。軍事技術の優位のために、経済的優位が、そのためには精神的近代化が必要ということです。しかし、この問題は措いておきましょう。

 ここで今回の主題に入りたいと思います。私にとっては少し難しい問題なのですが、長い間の懸案でもあり、この機会に語ってみるのもよかろうと思ったのです。それはもっとも広く用いられている言表、おそらくほとんどの良識ある人が用いていると思われる言葉、すなわち由紀さんが言われた「私はリベラル・デモクラシーを支持する」という表明です。この支持の表明に対して言いがかりをつけるというのは無謀であるかもしれませんが、敢えて言いたいと思うのです。私はこの表現は、今やもう役割を果たし終えたのではないかと考えるのです。むろん、由紀さんの支持は条件つきのものでした。そして、大方どんな支持者も条件はつけるでしょう。伝統的な左翼は「経済における自由」には待ったをかけるでしょうし、環境左翼も無制限の技術革新にストップをかけるでしょう。また最左翼に当たるだろうフェミニズムもまた、多く言論の自由に圧力をかけるのを事としています。また保守は言うまでもなく、「自由」という理念自体に大きな疑問を抱くものです。つまり、みな条件付きの自由を語っている。純粋かつ無制限の「自由」を叫ぶ者は、今では高校生か、自分で自分の言っていることが分からない者くらいかも知れません。デモクラシーという言葉に関しても、ある程度、同様のことがいえるのでしょう。

 とはいえ、限定を与えながらも、自由、民主主義を多くの人が支持しているというのも歴史的に必然的なことです。現在までに得られた自由、民主主義はそう簡単に手に入ったものではありませんでした。口先だけの権利の主張などといったものは、後世に特有なものであり、実際には多くの人の血を流して得られたものですし、また多くの人々の願望の帰趨するところのものでした。また現在においても、リベラル・デモクラシーへの信仰は言うまでもなく大きなもので、その自由と民主主義という言葉が光り輝くように見える国々もあると思います。しかし、ある程度、リベラル・デモクラシーの進行した国では、その意味内実をもう少し冷めた目で見ることができている。この自由は有り難いものであるけれど、そうは言っても、絶対的な理念として拝跪することはできないと。それはどうしてか。この力をもった言葉も、やはり理念とされると副作用が生まれてくるからです。

 本来は、「具体的な」「有限な」自由であり、民主主義であったものが、「理念化」され、抽象的な理念になる。そうして、それが奇妙な副作用を我々の生活に及ぼしていく。このことを省察するのが現在のわれわれの課題ではないかと思うのです。この機序機構を見抜くべき時ではないのかと思うのです。こうしたことは佐伯啓思氏が説いていると思いますが、私はこのことをフッサールやハイデッガーからも学んだ気がします。有限な「自由」、有限な「民主主義」というのは、アメリカや西欧などで行われている、また行われていたものです。日本にも日本なりの「自由」や「平等」がありました。それに対し、抽象的な自由や、無限の平等に近いものが日本では猖獗を極めているように思われます。もちろん、近代というもの自体が、抽象化・普遍化へ進んでいく傾向を持つとも言えるでしょうが、そうした「理念化」の純粋な形態をめざし、新たな実験国家もしくは社会たらんとしているかのように見えます。

 「理念化」について例を出しましょう。たとえばイスラームのコーランは、マホメットが生きていたころ、そしてその後継者の時代にあっては、きわめて具体的なものだったでしょう。それはコーランを読めば明らかです。その時代、その地域においては、具体的すぎるほど具体的であったと思います。神は日常生活のずいぶん細かなことにまで指示を出している。たとえば、マホメットの家庭問題といったプライベートなことにまで口を出しています。人々が対等であることに関しても、具体的に、どの地域の、どの人たちと対等・平等であるかを明示しています。しかし、それらの言葉が、後継の法律家たちによって解釈される段になってくると、無限の応用を効かせるために、場所・時間を超えたものとなってくる。食物の禁忌なども、当時はそれなりに意味のあったことが、抽象的で神秘的な戒律になってしまった。こうしたものが「理念化」です。

 アメリカにおける「リベラル・デモクラシー」はきわめて具体的なものであり、アメリカ的なものでした。その源流は英仏の共和主義的な思想にあるでしょうが、それが広大な国土を移民である開拓民によって拓かれていったという歴史的な経緯、またアメリカの地政学位置と相俟ってできあがったものだと思われます。そして、それは常にプロテスタント的なものに限定された自由と平等であったでしょう。すなわち、アメリカはアメリカ的な特殊性のもとで自らの「リベラリズム」と「デモクラティズム」を作り上げていった、醸成していった、と言えるでしょう。

 ビリントンという人が以下のように語ったそうです。「16世紀のはじめ以来、西欧の人間は新しい地域を開発し、処女資源を使用して生活した。コロンブス及び彼に続いた人びとは、ヨーロッパ人によって、南北両アメリカ、アフリカ、オーストラリア、太平洋諸島において使用されるのを待つすべての地下資源から採り出した富を明らかにした。この偉大なフロンティアの発見は、一夜にして土地対人間の比率を西欧世界で、一平方マイルにつき、26.7人から4.8人に変えた。人が肩を突き合わせて生活する時に必要であった厳重な統制は、もはや必要でなかった。すなわち、絶対君主、権威を持った教会、カースト制による社会秩序、経済活動の厳格な規制はもはや必要でなかった。今や人間は、地理的にも社会的にも、一層多く自由に移動することや自分を向上させることができた」(猿谷要『物語アメリカの歴史』)。新たに手に入った広く豊かな土地、これが近代的自由の正体、少なくとも一側面であったというわけです。

 それに対し、日本を含む後発の近代国家はそれを思想の形で受けとった。それは後のマルクス主義の摂取の仕方とまったく同形でした。日本には殊に外来のものに対する素直な畏敬の気持ちがありますから、そうした思想を純粋に受けとったと思われます。しかし、そのとき、室町・江戸と続いた伝統文化、もしくは、従来の自由の在り方、農山村に根付いていた平等意識は取るに足りないものとされ、簡単に捨て去られました。日本には自生的な自由と平等があったのに、それらが外来語のものに置き換えられていった。木に竹を接ぐようなことをして疑うことがなかった。むろん、文化など、所詮木に竹だということは措いておくにしてもです。

 どんな言論の自由も制限あってのものであるし、どんな平等も差異を認めた上のものであるはずです。欧米に出自をもつ抽象的な権利を主張してやまない人たちに対し、われわれは普遍的な空間に住んでいるのではないし、永遠に生きるわけでもない、視界のきかない未来のために犠牲になる言われもないと語りかけるべき時なのだと思います。そして歴史・文化・慣習に沿った、具体的な個々の自由・制限について議論すべきなのだと思います。しかし、そうした議論を進めるにしても普遍的な自由・平等が絶対の高みに据えられていては、「自由だ!平等だ!」と大きな声で唱える者が、優位を占める結果に終わるのは自明なことです。純粋で粗雑な思考ほど力をもつことになる。それでは議論が成り立ちません。リベラル・デモクラシーを守るためにも、リベラル・デモクラシーを相対化することが必要なのではないでしょうか。それにはどうしたらいいのか。何か出来ることがないのか。私はあると考えます。それはリベラル・デモクラシー以外の原理を立てることです。例えばそれは保守主義でしょう。共和主義でもいい。名称・在り方はいろいろと可能でしょう。近頃、中公新書から出た待鳥聡史の『代議制民主主義』を読みました。そこで書かれていることも、大きな目で見れば「直接」民主主義という理念に傾いた民主主義を、相対化する意図で書かれたものと私には読めました。

 そうした展開の仕方を「保守的」と考えない人がいるのは認識しています。福田恆存もそうだったでしょう。また保守思想をリベラル・デモクラシーの施行細則のようなものとして捉える人も多いと思われます。しかし、それら保守思想の本質について語ることはここでは差し控え、次回にまわしたいと考えます。ともかく、私は、たとえ方便としてであっても、いや、方便でしかないかも知れませんが、それを政治的な原理として取り上げる必要があるだろうと考えています。「リベラル・デモクラシー」の肯定だけではブレーキが効かないからです。

 私はかつて近代化の議論において、竹田青嗣氏に「(進んでいくにしても)進歩に待ったをかけるブレーキが必要ではないか。現在はアクセルしかない」と、生徒の立場で述べたことがあります。しかし、そのとき、それは原理にはならないと言われました。そのとき、私はどう答えていいか分かりませんでした。また、それを承けて佐伯啓思氏に「保守には原理がないのか」と訊いたことがあります。そして「ない」といった返答を受け取りました。さらに保守の思想はポスト・モダンの思想に通ずるところがあるのかと聞いて、肯定的な返答を得た覚えがあります。しかし今、保守思想が実践の思想である限り、いつまでも反定立的なものにとどまっていてはならないと考えます。

 もう「精神のアリストクラシー」などとメタフォリックな表現は用いないで、「私は必ずしもリベラル・デモクラシーを支持する者ではありません。保守主義のものの見方を可しとするものです。」というような具体的な表現の仕方があってもいいのではないかと考えます。その内実はというならば、西部邁氏が語るように、ものごとを自由・平等だけでなく、規制・格差とのバランスでもって考えていくということであり、中庸を専らにするということに外なりません。歴史的な智恵を尊重したうえでの進取です。私はこうした方策を以て、原理を以て答えるべしとした竹田青嗣氏に対する返答としたいと考えているのです。

 私は由紀さんの「リベラル・デモクラシーを支持する」といった「言挙げ」は、もうそろそろ不要であると感じました。「リベラル・デモクラシー」以外の選択肢が「事実上ない」状態での支持・選択の表明は、単に理念化を押し進めるだけだろうと思ったからです。

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過去・未来・現在 W.H.氏との対話

2016年02月03日 | 倫理
 先日、知人のW.H.さんから長文のコメントをいただきました。それは、ブログ記事の範囲を超えて、座談のときの発言を交えて、私の考えに対する疑念を表明したものでした。これにちゃんと答えようとすると、やはり長文にならざるを得ません。そこで、コメント欄の応酬ではなく、記事として出したいと考えました。これが「対話」として継続するかどうかは今のところ全く不明です。今回だけでも人をうんざりさせるのには充分な分量ですので、読んでくださる人にはあらかじめお礼を申し上げます。


【W.H.氏から由紀草一へ】
 少し余裕ができたので書きたいと思います。
 由紀さんの2015-07-24 00:04:50のコメントは以下のようでした。

 「勇気過剰たる」日本軍を愛するのです。またかなしく思うのです」は、W.H.さんらしい純粋さに溢れたところで、好感が持てます。しかし、ずっとひねこびた私は、これはジェンダー・ハラスメントというよりは、タテマエであったろうと考えます。「武士は喰わねど」なんとやら式の。まあ、戦後、このような、タテマエを保つための「痩せ我慢」は、おっしゃる通り、嘲笑の的になり、これまたおっしゃる通り、それがいいとばかりは思いません。それでも、ノスタルジー自体は決して建設的ではない。それには同意していただけますか?
 やっぱり、これまでのやりとりの繰り返しになってしまいますな。ただ、沈思黙考より、言葉が外部へ出る分、いくらかでも前進しているような気がします。


 私は「これまでのやりとりの繰り返し」に関心があります。また反復が好みです。そこで「ノスタルジー自体は決して建設的ではない。それには同意していただけますか?」というところから始めましょう。私は概してノスタルジーを建設的でないなどとは考えないのです。少なくとも郷愁を捨てなければならない必要を感じません。それは、過去の積み重ねのうちにしか私はないし、未来もその中でしか考えられないという単純な事実を念頭においてです。また、鑑とする過去は、必ず感情的なものとして現れ出るということに依拠してです。私だけでなく、多くの人が過去との感情的なつながりの中で日本と日本の先行きを見ているのだろうと思います。むろん、過去を忌避する概して不幸な、どちらかといえば少数の人がいるだろうことは推測できるし、のっぴきならない現実の要請によって、既往を断ち切ってしまわなければならないケースがあるのもわかります。しかし、そうは言っても大切なものは予測を越えることが多々ある未来だけではない。羅針盤の針にその方位を与える磁極は過去であると私は思っています。むろん、だからこそ由紀さんも歴史を語っているのだと思います。それに対し、未来志向という態度は、その志向することには間違いはないものの、なにか曖昧なところがある。将来の姿を、高の知れた人の知能が、己れの予想できる範囲内で空想する、極めて安易なものが多いのではないかと考えています。たとえば、「自由」であるとか「平等」といった抽象的な言葉から連想する漠然とした夢、または、幼年時に見た物語・映像などを基にした貧しいイメージが主役になっているのではないか、と疑うのです。どうしたって未来というものは、畢竟過去の鏡でしかないからです。そして悪いことには、その安易なイメージから生まれた理想は、往々危険きわまりないものともなりうる。さて、私は、ドイツ語のオリエンティーレン(方向づける)という言葉が、多くの場合「~を手掛かりにして」という前置詞句とともに用いることをふと思い出したのですが、未来への「方向づけ」は、それが物語であろうと何であろうと既往へのエロス「を手掛かりとして」生じる。だからある程度、その「手掛かり」はリアリティのある確実なものでなければならない、と考えます。その点で「昔はよかった」はたいへん貴重な言葉ではないでしょうか。ですからその既往の物語をどう作るか、どう織り上げるかが重要になるわけです。その物語には、「昔、これこれの恥かしいことをした」「触れることもおぞましく感じられる」苦々しいストーリーも含まれるでしょう。どう粉飾しようとしきれないものも銘記されなければならない。それらが隠蔽され、忘却されがちだということは重要な事実です。しかし、それと同様に、過去の美しい「物語」も重要である。歴史が客観的であると同時に主観的であるべきことは前にも述べたことがあるように思います。

 このことに関連して、何年前か、由紀さんとご一緒した人間学アカデミーでのやりとりを思い起こします。たしか少年法の問題を扱っていたパネルディスカッションであったと記憶します。そのとき、由紀さんもこの件に関して発言されたと記憶しますが、多くのパネラーが「昔はよかった」に否定的な見解をとっていました。滝川一廣氏の発言のメモが手元にあります。滝川氏は、<「昔は良かった」という見方が普遍的・伝統的であり、進歩史観の方が少数であろうか。「昔は良かった」は「若いころは良かった」から来ていると思われる。安倍政権は安易に「昔は良かった」と言う。>などとコメントされていたようです。

 また、小浜さんは『大人問題』で以下のように書かれています。
 
 たしかに昔は、そういうよい意味での濃密さや「ぬくもり」に満ちあふれていたような気がしてくるのだ。だがもちろん昔がそんなによいことばかりであったはずはなく、私たちの多くがその特有のきつさから逃れたいと思ったからこそ、現在のような社会を作り上げてきたのだということを忘れてはならない。

 確かに滝川氏が言うように、「昔は良かった」には「若いころは良かった」が色濃く投影されているのだろうと思います。また小浜さんが書かれているように、過去には現在以上の「特有のきつさ」があったでしょう。とは言うものの、過去に、必ずしも客観的な「良かった」がないこともないであろうし、現在にも鋭く強い「固有のきつさ」があるはずです。大切なことは、何よりも共有される、そういった「良かった」という思いが世代の慣習、価値観を作り上げているのだという事実ではないでしょうか。現代のような極まりなく進展するロボット時代にあっても、方向づけ(オリエンティールング)の「手がかり」は過去にあり、それ以外に求めるときは注意が必要だと思うのです。そして、その注意とは殊に「進歩」に類した観念に対するものであると言えるでしょう。

 たとえば、私が、四十代になって小学校の臨時任用教員になったとき、はじめに聞かされた言葉は「昔の学校と同じと思ったらいけない」ということでした。その意味するところはよく分かりましたが、私が数カ年にわたり、小学校で教員を務めながら指針としたことは、結局「昔の自分の学校生活を幸福にしたもの、それを児童に与えられたら」ということであり、それ以外にはあり得ませんでした。流行変化するものに適応していくことは必要なことでしょう。安全への配慮の徹底、各家庭の意向の尊重、より平等な児童の扱い、公務員の立場の変化、等々の時代の要求を無視することは決してできない。しかし、そうだからと言って、その中に実現すべき理想が内包されていると考えるべきではないでしょう。時代の希求しているものは玉石混交であり、個々の欲望の交錯であり、その総合的な判断は簡単でないと思われます。最終的な核は私固有の思いでしかありえない。そして、その固有の思いと言っても、世代が共有する「よかった」から大きく逸脱することがなければいいのではないでしょうか。われわれは「変化」というものにおもねる必要はないと思います。変わっていく方向が何か「良い」ものであるとは限らないからです。世代間でぶつかることは忌避するべきものではなく、必然であり,また必要なことではないかと思うのです。おしまいに判断するのは次世代であってもです。

 また、ある種の言い訳の範型、すなわち「こう言ったからといって、昔を懐かしんでいるわけではけっしてない」といった決まり文句、これはいったい何に対する弁明なのだろうか、と考えます。回顧・郷愁に浸って済みません、と悪いことでもしたかのように語る。それは、さながら現代の一つの強迫観念であるようです。この世には、とにかく進むしかない領域があるのも確かです。生き馬の目を抜くような世界がある。それは科学技術にかかわる事柄、また商売に関する事柄などがそうでしょう。時代の先を見越すことがたいせつな意味をもっている。しかし、あらゆる領域がそうであるわけではありません。家族のありかた、地域のありかた、男女のありかた、個人が生きるにあっての規範、そうした文化的な価値には世代独自のものがある。

 昔、ある討論番組で、右翼の代表が「理想とする時代はいつですか」と聞かれ、即座に、確か明治四十年代を挙げたのを思い出します。その躊躇することのない断言に印象を深くしたのでした。むろん、このような理想の提示が、極めて恣意的なもの、個人的な物語に依拠するものであることは分かります。しかし、何かしらの態度・立場(オリエンティールング)はこうしたものから決まるのだと思います。繰返しになりますが、それに対し、未来が大切だというような人の多くは、もっと漠然と美しい世界の物語を考えているのでしょう。しかし、それを現実にすれば案外グロテスクな化け物ともなるだろうと私は予測するものです。右翼のいうような「昔はよかった」の方が案外、単純であり、現実的で安心であり、それに対し、由紀さんから感じ取られる「進むに任すしかない」といったような、理解を示すような言い方にかえって危惧を感ずるのものです。由紀さんは、どうなのでしょう。いわば「変化の今を生きる」といったような言い方をされるのでしょうか。また、過去は反省の材料に過ぎないと考えるのでしょうか。時代の流れに棹さしていくのと、私のように無駄な抵抗をするのとでは、ずいぶん異なる在り方であるように思われます。 

 戦後の思索が進歩主義との対決だったこともあり、進歩に関して何かしらの譲歩を余儀なくされた世代があったことは想像できます。何か未来に確たる目標があって、そこに行きつくことが我々の生きる意義であるかのような言説が盛況だった時代、高度成長、また科学・産業技術の急進展のなかで、循環型の時間などとても考えることができなくなった世代には、進歩という観念への譲歩が不可欠だったろうと推測します。いや、今でも目くるめくITによる世界の進展というジェットコースターに乗っているようです。しかし、繰返しますが、既往の認識の中にしか今の私たちがいないのもまた明らかなことです。いや、既往の中にこそ我々は我々の普遍を見出すように心がけるべきではないでしょうか。日本の過去の歴史の中にこそ日本の未来を限定するものを見ていくべきだと言いたいわけです。夢があるとしたらその中にあるとするのがより確実なものの見方ではないか。むろん、先ほども言いましたように、不確実性という大きな前提のうちにあってです。

 世の中は時々刻々と移っている。それは確かなことです。ただ、よい方向へなのか、それとも悪い方向へなのか、それが分からない。人がよい方向へ行こうと思う心の向日性は認めたいと思うけれど、それが教養小説(ビルドゥングス・ロマーン)よろしく線状に進展していくのかどうかは分からない。万事塞翁が馬と言ったら言い過ぎかもしれませんが、より高い視点に立った時、発展してきたのだと簡単に言うのは危険であると考えます。「歴史の狡知」というヘーゲルの言葉が語るように、どこへ行くかは我々には見えにくい。「特有のきつさから逃れたい」と思った、その思いがまた別な「きつさ」を産んでいるかも知れない。それにまた、個々の人びとの切実な状況、思いからだけ歴史は進んでいるわけでもありません。つまり、常に近代主義的なイデオロギーが抽象的なかたちで時代を牽引し、後押ししてきたことに目を向けなければならない。しかして、そのイデオローギッシュなものに抗する方途は決して「昔はよかった」批判ではないように思うのです。

 ここで「旧日本軍の過剰なる勇敢を愛する、かなしく思う」ということが、単なるノスタルジーとして排斥さるべきものなのかと問うてみたくもなります。もう二度とやってこない甘い幻影、あるいは悪夢を追っているのかのように、由紀さんの言葉は私の耳に響きました。勇敢や名誉などといった徳は、今後、郷土資料館へでも行かなければお目にかかれなくなるということでしょうか。でも、そうは言っても、それは現に生きている父や伯父の世代の出来事でもあります。我々の父や伯父がいまだに繰り返して語る直近の出来事でもあります。とすれば、やはりわれわれの「現実」ではないのでしょうか。戦争の残虐、悲惨、不合理の側面ばかりに目を向ければ、現実を直視していることになって、その勇敢、名誉を語れば、戦争オタクのファンタジーとなるのではおかしなことです。この項で由紀さんは「かれらとどのような道でならつながれるのか、迷うばかりである。」と書かれています。私は「勇気過剰たる日本軍」への愛惜・悲しみにつながっていきたいと思います。歴史は理性的にだけ見るものではない。以上が、「ノスタルジー自体は決して建設的ではない。それには同意していただけますか?」という提案に接して思ったことです。

 さて、本題に入りましょう。といっても一言に過ぎませんが。私と由紀さんとの間にあるという相異、「やっぱり、これまでのやりとりの繰り返しになってしまいますな。」といったこれまでのやりとりの内実が、きっと「ノスタルジー自体は決して建設的ではない」という由紀さんの言葉の背景にあると見当をつけて書いています。そして、それは最終的に、「近代化の流れは不可逆だ」という由紀さんによって繰り返されたテーゼに関係するのだろうと推測します。私は、何度か、その言葉に対して異論を唱えた覚えがあります。またそれは以前、竹田青嗣氏、西研氏の口から繰り返されたテーゼでした。また小浜さんも「近代個人主義の不可逆性」ということを言われていますし、また他の識者が語っているのも耳にします。惟うに、このテーゼはフランシス・フクヤマの名著『歴史の終わり』(1992年)の影響下に始まった言い方であるのではないか、そんな風に漠然と考えています。西研氏はもちろんフクヤマが依拠しているヘーゲルの研究家ですから、もともとそういった見方には慣れ親しんでいたのかも知れません。しかし、リベラル・デモクラシーを最終的なものとして語ることが出来たのは、ベルリンの壁崩壊以前ではないでしょうから、同書を契機として澎湃と起こった新たな進歩史観の亜種ではないかと考えています。むろん、進歩をもって世の中を見ていく考え方は、近代とともに始まり、きわめて一般的に流布していることは勿論のことです。そして、もちろん、トクヴィルが『アメリカの民主主義』で語っていたものと同様、フクシマの議論自体が、いわゆる近代主義的な進歩史観とは根幹のところで異なっていることは認めた上でですが。

 その上で私は、そう簡単に歴史の方向性というものを語っていいものだろうか、という昔ながらの懐疑を反復したいと思うのです。リベラル・デモクラシーというものはもう間違いのないものだとする見方、不可逆であるとする通念、それは、私には高々現代の数十年、もしくは近代の数百年の歴史しかもっていない流行思想のように思われるのです。近代というものが、多くの幸運な条件に支えられて現われているものと捉えることは出来ないのでしょうか。科学技術の比較的順調な発展、人口の増大を十分支えるだけの農産物を支える気候、まだ世界大へと進展しきっていない自由・平等と言った理念への素朴な信頼、いくつかの条件に支えられて生ずる歴史の動きととることは出来ないのか。むろんを未来予測することの重要性は言うまでもないことですが、それが知らず知らず新たなイデオロギーを招来していないだろうかということです。

 フランシス・フクヤマ(もしくはコジェーブ=ヘーゲル)は自然科学の発展の不可逆性から、また人間のもつ認知願望から社会、歴史の流れは定まっているとします。またヘーゲル以前より、多くの識者が進歩を語っているわけですが、それをほぼ確定した議論としていいのか。科学・技術の発展と社会の発展との相関性は明らかであるとしても、どうしてそれがリベラルな民主主義しか結論しないのか。フクヤマには大いなる敬意を表するものの、彼の議論だけから納得することはできません。近時の傑作映画として、私は『マッド・マックス デスロード』を挙げたいと思うのですが、あのような娯楽映画の世界がそのまま現実となる確率は低いとしても、不可能ではないとしか言えないのではないでしょうか。未来は全く見当がつかない。その可能性の広がりに対する「感性」が世界的に弱まっているのではないか、と思うのです。無論、由紀さんのみならず多くの著名な識者がそう言っているのですから、私の意見など一笑に付されるべきものかもしれません。しかし、我々の未来はどうなるのでしょうか。近代社会は最後のおしまいに行きついて、一種の熱平衡のような状態が生まれるのか。もしくは新たなビッグ・バンが生じるのか。先はなにも分からない。ヘーゲルは神を人間の造り出したものと考えましたが、そのヘーゲルもなお神の掌中で遊んでいた可能性は残っています。未来の展望、ことに近未来の予測は非常に重要なことであるけれど、「近代化は不可逆だ」と簡単に語る時、その言葉にからめとられるものがあるような気がします。

 「近代化の流れは不可逆だ」と由紀さんが語るとき、そこに「上昇」という意味での進歩の意識は含まれていないのかも知れません。ただそこに、由紀さんと私との間に何かしらの懸隔をもたらしているものがあるのかも知れないと思って書いているのです。私は、この言葉からは「近代主義」のなし崩し的な肯定以外の何ものも生まれないのではないかと考えています。いわば近代化という大きな流れに掉さすだけの言葉であると思われるのです。福田恒存につながる由紀さんの批評の主旨が近代化の肯定にあるとは思いませんが、「近代化の流れは不可逆だ」と断定して語る時、私は、いったいどういった近代批判がそこから可能になるのか見当がつかなくなってしまうのです。私は保守思想というものを、彼方に設定された目的地へ急ごうとする、その流れを抑制する思想であると考えています。時代の流れに対してブレーキをかける役割をもつものです。「近代化の流れは不可逆だ」と言い切ってしまえば、それはもうアクセルを踏んでいるのと五十歩百歩であるのではないのか。抽象的な議論と思われるかもしれませんが、私にとっては切実な疑問なのです。以上が短いながら本題です。参照すべき由紀さんの文献その他がありましたら、それを指示してください。

 由良のとを渡る舟びとかぢを絶え
 行き着くところまで行くがよいと言うのでしょうか。


【由紀草一からW.H.氏へ】
 お元気そうで何よりです。
 御文を拝読して、「私の言説はこのようにも受け取られる可能性があったのだな」と反省されました。そのことをわざわざお知らせいただいたことには感謝申し上げます。
 その上で、誤解、があるとすればできるだけ解いておきたい、愚考をちゃんと理解していただいてから、また御批判を仰ぎたい、という願いを込めてこの文を綴ります。

 一番大きなところで。お互い、つい躓き勝ちなのは、言葉の意味、というよりはある言葉に対してもっているイメージの違いです。「よい/悪い」みたいな短いものこそ、いろいろなレベルで使われますから、どうしても混乱しがちになるのですね。いや、言葉そのものより、私の理解力・表現力の貧しさのほうが明らかに大きな問題ではあるでしょうが。何しろ、気をつけていきたいものです。

Ⅰ 過去を見ることと、生きること
 さて、そこで、さっそくながら、「ノスタルジー」について。それそのものは建設的ではない、ということに賛成していただけなかったので、説明を試みます。
 なぜ建設的ではないと考えるかと言うと、ざっと次の二つの理由からです。
 ①個人的な感情である。
 ②「昔あって、今はない」という喪失感が土台にある。
 例えば、故郷は今も現にあっても、そこで過ごした日々は還らない。その痛切な思いがノスタルジーと呼ばれるのでしょう? その思いは、ともに過ごした人々とも共有できるとは限らない、その意味で個人的なものです。私は「個人的なもの」を一番大切にしたいと思う者ですが、それを他人に、完全に「わかれ」というのは無茶だ。そんなことができるくらいなら、「個人的」ではない。
 ですから、「こう言ったからといって、昔を懐かしんでいるわけではけっしてない」という言い方は、「私事ではありません」とほぼ同じ、と考えていいのだと思います。「昔はよかったという思いは私にはあっても、あなたもそう思えというわけではないんですよ」と。もっとも、「『旧日本軍の過剰なる勇敢を愛する、かなしく思う』ということが、単なるノスタルジーとして排斥さるべきものなのか」という御文からすると、W.H.さんも本当はここのところはわかっていらっしゃるのだな、とわかります。
 より問題なのは②のほうです。
「(郷愁を捨てなければならない必要を感じないのは)過去の積み重ねのうちにしか私はないし、未来もその中でしか考えられないという単純な事実を念頭においてです。また、鑑とする過去は、必ず感情的なものとして現れ出るということに依拠してです
 これには全く賛成です。過去はいかにも、「鑑」であり、規範です。「よい/悪い」の価値判断はもとより、快/不快や、美醜の感覚さえ、その基盤は過去にある、と言ってよい。それは、おっしゃるように、単なる事実であって、「保守的」というほどのものではない。誰でも、どんなに「進歩的」な人でも、ゼロからすべてを始めるなんて、不可能ですから。
 私事、ではなく私の信念、を例にするのを許していただけますなら、先ほどの続きなんですが、個人的なことをできるだけ掘り下げて、そこに一定のフォルムを与えて、他人とも共有可能にしたものがつまり文学だ、と私は思っております。そしてそれこそ我が本領だ、と勝手に信じ込んでいるわけです。
 そうであればなおさら、個人的なことをダラダラ垂れ流して、他人にそれを「わかれ」というのは、あられもなく、恥ずかしい、と感じます。この感覚もまた、私の、読書体験を含めた最広義の過去から来ている、と言うしかありません。
 で、こういうのをノスタルジーとは普通言わんでしょう(という言葉のイメージも、もちろん過去に、過去から得たものです)? 「昔あって、今はない」のでは無意味だ。今現在、私の中にあるもの、でなければ、この私一人を動かす力もない。あるなら、殊更に「過去を振り返る」要もない。ただ、去就に迷う時、改めて過去を思い返し、そこから現在やるべきことを定めようとすることはあり、そのとき過去は確かに、「鑑」になるでしょう。しかしそのためにも、過去は現在の私の中に生きていることが前提となる。そうではありませんか?
 もう一つ、現在は過去の帰結としてあるわけですよね。それはあるいは、可能性の一つがたまたま実現しただけかも知れない。だとしても我々は、現在を、悪しきところもくだらないところも含めて、すべてを、「過去から来た」「自分のもの」と思わなければならない。そうでなければ、過去に向き合っているとも、継承しているのだとも、言えなくなるでしょう。

Ⅱ 未来を見ることと、生きること
 そこで「本題」なんですが。申し訳ないが、私にはあんまり関係ないことが言われているように思います。「歴史の方向」? そんなの、考えたことはないです。まあ、世の中、だんだん便利になっていくし、それを、それ自体を、害悪視したりするのは馬鹿げているんじゃないか、とは思いますが、つまりその程度です。人間性の本質部分は、進歩なんかしない、するわけがない。
 せっかくですから、では私の考えるその「本質部分」とは何なのか、申し述べましょう。私は、無知蒙昧なだけに、W.H.さんよりこの点では過激になれるのかも知れません。進歩だけではない、未来そのものが、完全には予測できない、と言うより、「未だ来たらざるもの」であれば、存在しない、と考えたほうがいいと思っています。ちょっとカッコ良すぎるかな。
 「未来予測」といいますか、「あるべき未来」を考えて、そこから現在のやるべきことを割り出そうとすれば、そもそもその「あるべき」という価値判断の基準は過去から来ているのはおっしゃる通りとして、それ以外にも問題があります。こう考えると、本当の価値は未来にのみあって、現在はそれを達成するための手段にしか過ぎないことになってしまう。これは三島由紀夫が「反革命宣言」で言ったことですが、論理的に正しいと思います。そして、手段としての意味しかない現在に、人間が満足できるわけはない、とも。
 とは言え、凡庸な私は、三島ほどには過激にはなれないのはもちろん、文字通り将来のことを全然考えないで生きていけるわけはないのも本当です。現に今も、W.H.さんにも、他の人にも、読んでもらうという「将来」のために、営々として文章を綴っている。だが、こういうのも一つの見方に過ぎないのではないか、とも思うのです。
 足を互い違いに前へ出せば、体全体が前へ進む、その予測の下に、我々は歩く、のですか? これは正しいかも知れない。しかし、人間がやることのうわっ面だけを「正しく」記述して見せただけなのではないでしょうか。「自然科学の発展の不可逆性から、また人間のもつ認知願望から社会、歴史の流れは定まっている」なんてのも、結局同じレベルの正しさでしかない、と不遜にも私は考えるのです。
 そう言えば、小林秀雄が、「(モオツアルトは)目的地を決めてから歩いたのではなく、歩き方が目的地を定めた」んだと(ちょっと違うかも知れませんけど)、言っていたように思います。これもまた、カッコ良すぎるかも、ですが、人間は、できれば、こうありたいもんじゃないですかねえ。
 つまり、現在の要請がある、要請そのものは、「あるべき未来」から割り出されたかも知れないが、ともかく現在目の前にあるそれに応じて、今の私なら目の前にあるパソコンに向かう、そのことが、頭の中で考えた「あるべき」からは必ず多少はズレるにしても、ともかく未来を生み出す、と。こう考えたほうが、やりがいが、つまりは生き甲斐が、持ちやすいでしょう?

Ⅲ 今、生きること
 まとめますと、可能性でしかない未来に期待をかけたり不安がったりするのも、過去を「失われたもの」として哀惜するのも、人間の性(さが)として、排斥することなどできませんが、そこから一歩踏み出すにはどうしたらいいか、それこそがいわゆる「主体」の問題であり、真の重大事だ、と私は考えるのです。そしてその中には、自分ではどうしようもないことは潔く断念する、ということも含まれます。
 「近代化の流れは不可逆だ」というのも、断念の一部です。私はそれを強調したつもりはないですし、テーゼ? なんて一番柄に合わない言葉だなあ、と自分で思っています。しかしまあ、W.H.さんにはそう聞こえるように言ったのはまちがいないでしょうから、もう少し、ことを分けて、言ってみましょう。
 進歩する、というのはつまり、「今まで進歩してきたという過去の事実から判断して、これからも進歩するだろうと予想される」のは、科学技術の分野だけでしょう。そして、文明国にいる以上誰もがその恩恵には浴している。これを否定したり、否定しなければならない、などとするのは馬鹿げている、のみならず、知的退廃、乃至欺瞞に陥るのではないでしょうか。
 個人的に、たぶん、ワープロの発明がなければ、私は文筆家の端くれにもなっておらず、W.H.さんと知り合いになっていなかったでしょう。ワープロ以前から、紙には何やかや書いてはおりましたが、御存じの通りの悪筆で、自分でも後で読み返す気になれず、まして他人に読んでくれ、とは頼めた義理ではない、と思えたからです。というわけで、この私も紛れもなく、文明の進歩、その結果としての新しいものの発明、のおかげを蒙っているのです。それで近代文明を呪詛するとしたら、私はずいぶん能天気か、インチキな人間だ、ということになりましょう。
 つまり、世の中は便利になる。これは、とりあえず、よいことなのです。少なくとも、それを「よい」と思うことをやめさせるなんて、誰にもできないのです。盥と洗濯板で洗っていたところに洗濯機ができたら、家事労働は確実に便利で楽になる。そしてそれに慣れてしまえば、(金がなくて洗濯機が買えないというような)はっきりした理由もなく文明の利器を使うな、などと要求しても無理だし、無意味だ、と申しているのです。これには同意していただけますか?
 「マッド・マックス」のような世界が来る可能性? 文明が瓦解した世界、ということですか? そりゃ、来るかもしれませんね。こういういわゆるディストピアものは、衰退するどころか、近年のフィクションで確固たる一大ジャンルになっているでしょう。私も時にそれを楽しみつつ、こういうのは、あられもないノスタルジー同様、やや不健康だなあ、とも感じます。死を弄ぶのと同じ、一種の、それ自体近代的な、デカダンスなんじゃないか、と。
 個人的な話なら、もっとずっと現実的に、例えば私も、明日にでも交通事故で死ぬかもしれない。その可能性はあります。そんなこと、いちいち心配して生きていられますか? 存在しない未来を過剰に心配するなんて、幽霊に怯えるのと同じですよ。

 政治制度はどうか、となると、やや微妙ですね。私もかつて竹田青嗣氏が、「一度自由になった社会が、もとにもどった例(ためし)はない。歴史発展の方向として、これだけは確かだ」(少し違うかな?)とおっしゃるのを間近で聞いたことがあります。その時は、「そうかなあ」と思いました。
 ワイマール共和制の過度の自由が、ナチスの第三帝国を招来した例もあるんじゃないか? ホメイニ師のイラン革命は、西洋近代文明への呪詛がイスラム圏に広範に存在していたことが前提ではなかったか(でも、近代兵器などの発明品まで捨てられたわけではないですが)? そう言うと竹田氏は、「五十年ぐらいの短いスパンではなく、百年二百年のスパンで見なければだめなんだ」とおっしゃるのが常でした。そうかも、でも、そうかなあ。
 私には今も確信はありません。とりあえず、リベラル・デモクラシーを押し付けようとするアメリカの試みは、今現在中東ではあんまりうまくいっていないようで、別様に考える必要がありそうだ、と観じてはいます。
 その上で私は、以下の二点を前提として、我が国でのリベラル・デモクラシーを支持する者です。
①政治は人間の内面の、善悪の価値観などに直接関わろうとしてはならない。
②外面的な(例えば経済的な)幸福であっても、完全に達成でき得るような、完全な制度は、人間が不完全である以上、あり得ない。
 リベラル・デモクラシーは、不可謬ではなし、不可逆でも多分ないでしょう。そもそも、たかが人間が考え出した制度を、そこまで尊ぶなんて、おかしい。それでも、「たかが制度」としてならこれが優れているのは、以下の理由からです。人間社会で最も剣呑だったのは無制限の権力だった、しかし権力そのものは社会秩序の維持のために必要なのだから、それに対してできるだけチェックを働かせるようにする、つまり制限を与える、その方向での、もしかしたら苦肉の、智恵とは言える。
 即ち、三権分立などの形で、権力の各分野を独立させ、お互いに監視するようにする。そして、一般人にも、いつでも権力のあり方を批判できるように、言論の自由を保障する。本当にそれがきちんと、うまくいっているかと言われれば、疑問の余地は現実にいくらもあるでしょう。また、批判ばかり多くなって、有効な手段が採りづらくなるばかりじゃないか、という批判(屋上の屋ですけど)にも、一分の理があります。しかしともかく、権力と呼ばれる統治行為の安全弁としては肯定できるし、他にもっといいものが見つからない以上、これでいくしかない、ということで、支持しているのです。
 この制度だと、人間は他の制度より幸せになれるか? そんなことは、もともと無関係なのではないでしょうか。社会制度というのは、よりましな社会、いやむしろ、より悪さの少ない社会はどういうものか、だけを考えて設計するしかないのだと思います。

 お答えとしては不充分かもしれませんが、もう既に長くなり過ぎましたので、最後にW.H.さんがおそらく一番こだわっておられることに軽くふれて終わりましょう。
勇敢や名誉などといった徳は、今後、郷土資料館へでも行かなければお目にかかれなくなるということでしょうか
 多分、そんなこと、ないですよ。マッド・マックスはメル・ギブソンがやってもトム・ハーディがやってもカッコいいですが、それは結局勇敢だからでしょう? それを讃嘆する気持ちが、名誉となって、この美徳の持ち主に送られる。それがある限り、美徳そのものも、美徳の持ち主も、絶えることはない、と私は信じます。
 フィクションだけではない。福島の原発事故の時、また爆発するかも知れない、大量の放射能を浴びるかも知れない、と言われながら、最後まで持ち場を離れなかった科学者もいれば、命令一下、事故終息のために現場に赴いた消防士や自衛隊士の方々もいた。今現在も、中国の挑発的な行為に耐えながら、いつ終わるとも知れない監視活動に従事している海上保安官の方々もいます。
 彼らに対する讃嘆の声が一般に少ないように感じられるのは、確かに残念でもあれば腹立たしくも感じますが、それ自体が原発反対派や中国寄りのマスコミの、印象操作かもしれません。
 しかし私は讃嘆している。W.H.さんもたぶんそうでしょう。その気持ちを持つつづけ、できるだけ、例えばこのような文章にするなどして、伝えるように努める。それぐらいしか一般庶民の我々にできることはないのだから、めげずにやり続けましょう、ということなんです。

 もうけっこう、うんざり、ということなら、「対話」はこれで終わりにしましょう。まだ言い足りないとか(私も、言わずにすませてしまったことがあるような気がします)、あるいは気が向いたら、いつでもいいですから、またご意見をお聞かせください。それについては私も、できるときに、ご返事したいと思いますので。
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権力はどんな味がするか その5(There is no place like home.)

2015年11月30日 | 倫理
メインテキスト:豊田正義『消された一家 北九州・連続監禁殺人事件』(新潮社平成17年、平成21年新潮文庫)
サブテキスツ:小浜逸郎『可能性としての家族』(大和書房昭和63年、新装版ポット出版平成15年)、一橋文哉『モンスター 尼崎連続殺人事件の真実』(講談社平成26年)


真鍋昌平『闇金ウシジマくん(28)』小学館平成25年

1 炉辺の幸福 
 改めて断っておくと(自分では、改めて、のつもり)、私が主に興味を持っている権力とは、普通に言われる、社会的な、政治権力などのことではない。もっと卑近な、具体的な人間関係の場で働く力である。
 と言えば、家庭という場を考えないわけにはいかない、はずだ。それはわかっているのに、今まで正面から取り組めなかったのは、あまり具体的で身近なのがどうも……気恥ずかしい気分が振り落とせなかった。言い訳ではなく、この感覚はけっこう普遍的なものかな、という気もする。そしてまたそれは、家族という集団の本質に直結しているのかも、と。
 で、とっかかりとして、「幸福な家庭」とはどんなものか考えよう。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(「アンナ・カレーニナ」)とトルストイの言う、「似た」ところ、つまり共通点はどこにあるのか。
 たぶんその第一の要件は「安定」だろう。必ずしも濃密な紐帯が意識されるとは限らない、というか殊更にそんな意識の必要もないほど馴染んだ空気の中で、過度に気を使うことなく寛げる場所。そうでなかったら、他の何があったとしても、幸福な家庭とは呼べないだろう。
 それでも集団である以上、大なり小なり個人を縛る規範はある。それを守らせるための権力も、ある。アンティゴネの神話が象徴する、何をしても許される場所、というのは、少なくとも生きている間は、夢想でしかない。また、子どもがいるのなら、必ず男女間の情交があったはずだ。それでいて近親相姦は人類の最も古く普遍的なタブーである。
 肝要なのは、そういうものは普通、家族の表面にむきつけには現れてこないところだ。隠されている、と言えばそうだが、隠している、なんて意識もあまりない。子供が年頃になるまでには、たいていの父母が、「自分がいる以上はこの人たちもやることをやったんだろうな」と思わせるような雰囲気を(実際はどうであれ)身に着けている。安定していて、単調でもある「日常」を築くために、激しいもの・生々しいものは自然に目につかない背後に置かれる。それが大人の「嗜み」というものであろう。
 若者からすると、そういうのは欺瞞に見えたり、また平坦な日常が退屈で無意味に見えることも往々にしてある。しかし、安定した場所がなければ安心はなく、全く安心のない生活を過ごすことは常人にはできない。だから依然として家族は貴重である。逆に言うと、それぞれの事情で安定が崩れたとき、それぞれの家庭はそれぞれに不幸になっていく。

2 家長は何処に 
 一方、家庭内の権力というテーマは、歴史学か社会学ではとっくに語られてはいる。「家父長制」というやつなら。戦前までの日本には家長という者がいて、「一家の主(あるじ)」であると公的に認められていた。それはふつう男で、家の財産(=家産)は専一に彼の管理下に置かれ、他の家人は原則として彼の許可がなければ結婚も転居もできなかった。その半面、老親の扶養などを含め、「家」を守る義務が課されていた。彼が死んだり、隠居したりして、かつ遺言状その他の手段で特別な意思を示さなかった場合には、彼の子ども中の長男がその役目(家督)を継ぎ、財産も継いで、新たな家長になる。
 最大の眼目は、「家」を守り、できるだけ存続させようとするところにある。このような「家」概念はいつごろから生じたものか、詳細は不明ながら、江戸時代には、武士なら「家名を守る」、それ以外の庶民なら「墓・位牌を守る」という形で、日本人のエートスの中で大きな部分を占めていたようだ。
 ただ、上記のようなことを定めた民法典が施行されたのは明治31年で、昭和22年の改正によって廃止されたから、公の制度としての家父長制は半世紀しかもたなかったことになる。そして、戦前と戦後の法制度で一番ドラスチックに変わったのはここである。男女平等の理念に基づき、家財は夫婦の共有財産とされ、また子どもも長幼にかかわらず平等で、例えば遺産は、配偶者が半分、残り半分は子どもたちに均等に配分される。その代り老親の扶養義務も兄弟平等である。家督、つまり「家」に関する独占的な権利義務はなくなった。
 というのは、あくまで法的な話で、昔ながらの「家」観念の名残ならまだ残っている。法律上も、結婚すれば夫婦は同姓にならねばならないのは、家制度の名残であるとして、フェミニストから攻撃されていることは、知っている人は知っているだろう。
 「家」こそ女性を抑圧し、女性の「自立」を妨げる悪しき制度だ、と彼/彼女らは考えている。その場合最大の標的は制度そのものより、世間一般の意識の中に残存している観念である。今でも、名称だけの存在ではあっても、「一家の主」と言えば、普通に男だと考えられる。それが女性から見てどれほど不快で不便なことかはわからない。しかし、そんな家族ならなくしてしまえ、とまで唱える人はごく少数である。
 こういう点について、小浜逸郎は次のように言っている。

(前略)家族が問題とされ、自明性に疑いがもたれるのは、(中略)人間が家族を営む条件から自由になったことを少しも意味していず、かえって逆に、人間の存在や行動を規定するものとして、純粋にエロス的な意味での家族の共同性が大きな意味合いをもって前面に出てきたということを示している。いいかえると、それだけ他の共同性(たとえば政治的あるいは農村的)が個人を規定する意味を相対的に希薄化させている証拠なのである。たしかに個別には家族が解体の契機を内在させていたりする例が多いが、それは、まさしく家族的な共同体が純化して自立したために社会の風圧をまともに受ける事態になったということを示す(後略)(小浜、P.109)

 これも「悲劇論ノート 第5回」で紹介した、リストラされて収入がなくなったら、家族から「家長としての義務を果たしてくれ」と言われるようになった男。「家長の義務」とはこの場合「金を稼いでくる」ということであり、彼は保険に入っていて、それは自殺でも貰えるタイプなので、早く言えば、「仕事がないなら、死んでくれ」ということらしい、と。
 これが「家族の共同性が大きな意味合いをもって前面に出てきた」例だと早急に言うことはできない。昔からこういうことはあったのかも知れないし、今だってそんなによくある話ではない。いつでもどこでも、社会に一定の位置を占める集団である以上、制度であれ慣習であれ、必ず規範を含む。つまり個々の成員に何かしら当為(まさに為すべし)を示す。当為が最も強調されるのは、当然ながら、個人に対して明らかな犠牲を求める時だ。これも昔から変わらない。現代に特徴的なのは、犠牲が露骨に金に結びつくようになったことだろう。
 ならばここに、ビジネス・チャンスがあるのではないか。家族のためなら、命まではともかく、金なら、生活上の不如意は忍んでも、出してもよい、いやむしろ、出すべきだ、と思われているのならば(「よい」から「べきだ」の間には当然断絶があるが、感情が前面に出る場合には、往々にしてすぐに飛び越えられる)。ここに目をつけた人間が、「成り済まし詐欺」または「振り込め詐欺」を始めたのだろう。
 
 さらに「家族の絆」を徹底的に悪用することによって、当の家族を文字通り破壊し、金も生命も奪い尽くす犯罪者が、近年この国に現れた。

「一つの家族や集団の中で、一人を集中的に可愛がり、他の一人を徹底的に迫害すると、彼らの中で自然に誰につけばいいとか、どうすれば自分は助かるかといった感情が働き始め、放っておいても協力者や密告者が出てきて、組織の運営がスムーズになる。ただ、取り込む人間から信頼、心酔されるだけでは駄目で、時々は彼らにも恐怖心を与え、隷属すことでしか生き延びられないという呪縛を持たせなければならない」
「本質的には親は子供を可愛いと思い、守らなければならないという決意を心に秘めているものだ。だから親の面前で子供を虐待・暴行すれば、親は子を庇うために自ら権力者に対して反抗的な態度を取って、標的になろうとする。それを逆手に取って、子供に親を殴らせれば、その家族関係は瞬(またた)く間に崩壊するはずだ」(
一橋、P.128)

 上は尼崎連続殺人事件(以下、尼崎事件)の主犯、角田美代子が、師匠格の男(Mと呼ばれている)の教えをノートに書き留めておいたと言われるものの一部である。内容はそのままだが文言は変えたと一橋は言っているし、最終的には山口組系暴力団の最高幹部にまで上りつめ、既に故人になったというこのM自身のことも、Mと角田との関係も、「関係者に迷惑をかける」からとごく簡略に記されているだけなので、どこまで「事実」なのか疑問の余地はある。知的な悪党は確かにいるにしても、手口をこんなふうにマニュアル化するものだろうか。
 あるいは、男の方は別の言い方をしたものを、角田がエキスをまとめて記したのかも知れない。そういうマメさ、真面目さ(?)は、確かに女性のもののようである。これが男だと、例えば次のような語り口になる。

「私はこれまでに起こったことは全て、他人のせいにしてきました。私自身は手をくださないのです。なぜなら、決断をすると責任を取らされます。仮に計画がうまくいっても、成功というのは長続きするものではありません。私の人生のポリシーに、『自分が責任を取らされる』というのはないのです。(中略)私は提案と助言だけをして、旨味を食い尽くしてきました。責任を問われる事態になっても私は決断をしていないので責任を取らされないですし、もし取らされそうになったらトンズラすれば良いのです。常に展開に応じて起承転結を考えていました。『人を使うことで責任をとらなくて良い』ので、一石二鳥なんです」(豊田、P.65~66)

 北九州連続監禁殺人事件(以下、北九州事件)の主犯松永太の供述調書の一部だそうだ。取調官の前で、事件の責任をいっさい否認しながら、自分の悪辣さを自慢気に吹聴するとはどういう了見かと思えるだろうが、次のようにも考えられる。
 前回述べたように、人を人と思わぬ傲慢さ、それは並外れた自信に見え、魅力にもなる。松永には、本当に他人の値打ちが実感できないので、この点では完璧な段階に達していたろう。実際に彼は何人もの女性を、それから男性も、籠絡することができたのだから、魅力的であったのだろう。また、それが何よりの自慢だったので、取り調べの「展開」に応じて、「だから俺には一連の事件の責任はないんだ」と言うつもりで、出てきた言葉ではなかったろうか。それでは単なるバカのようだが、彼の最大の力=自信と表裏の関係にある、男的バカさ加減と見える。
 松永は、それから角田も、イルゴイエンヌの言う自己愛的変質者であることに間違いない。ただ、並のモラハラ加害者とは違い、ヒトラーの百万分の一ぐらいの行動力と方法論を持って、家族という、社会の基礎集団の中に外から入り込み、絶対権力者となることができた。
 ここでは、方法論を最も問題にしたい。Mが示唆して角田が書き留めたマニュアルは、松永が実行したことに非常に近い。一橋は、Mがかなり早い段階で、もしかしたら警察関係者から、北九州事件の詳細を聞いていたのではないかと推察(「そう言っている人間がいる」という形で)している。その正否は当然私にはわからない。ただ、松永については、先例のない犯罪をやってのけたのは確かで、この点、自信を持つだけのことはある(?)、「悪の天才」と呼べるかもしれない。

3 モンスター・トリオの降臨
【以下の人名は仮名を含めてすべて豊田著によります】
 最初のきっかけは、松永が高校時代の同級生緒方純子を誘った時に始まる。二人は学生時分には顔見知り程度だったが、でたらめな理由で呼び出し、一年ほどの間隔を置いて会ううちに、強引に関係を結んだのだった。
 この間に松永は別の女性と結婚し、子どももできていたが、「妻とはうまくいっていないから、そのうち離婚する」という決まり文句を、やがて純子も信じるようになった。恋愛感情も生まれ、両親を引き合わせると、彼らも松永の話術に乗せられて、彼を気に入り、将来婿に入ることを条件に、純子との不倫関係を許した。
 だけでなく、松永は純子の母親とも肉体関係を持った、と言う。それは事実かどうか、事実だとして、どういう状況でそうなったのか、母親は殺され、松永の供述しかないので、100パーセント確実にはわからない。純子は、当時は情交のことまでは知らされなかったが、松永から、「おまえの母親はおまえを心配するふりをして、実は俺に会いに来ていたんだ」と言われ、すんなり受け入れている。思い当たるふしはあったのだろう。
 さらに驚くことに、松永は純子との関係以前に、彼女の妹とも行きずりの一夜を過ごしたのだと言う。すると彼は、緒方家の成人女性全員と関係したことになる。これによって、一家中の母子姉妹間に、嫌悪感と不信感と、嫉妬心まで抱く種が蒔かれた。それにまた、ピロートークなら、普通なら外からは窺い知れない家族間の軋轢や不満を聞き出すことができる。それもまた、家族を支配する有効な材料となる。
 松永は最初からそこまで考えていたかどうか。むしろ、「無類の女好き」を自認する彼のことだから、成り行きでそうなったので、その「展開」をできるだけ都合よく利用しようと思いついた、というほうが正解に近いようだ。
 次の展開は、純子を完全な支配下に置くことだった。母親から聞いたかつての男友達の話などをネタに、暴力が奮われ、次第にエスカレートしていった。その段階で逃げれば、後の緒方一家皆殺しは避けられた。現に松永の妻は、夫のDVに耐えられず、命がけで逃げ出したのだった。
 そうしなかったのは、純子の性格によるところも大きいが、松永のやり方も巧妙だった。純子の体に、刺青と煙草の火による焼印で、「太」の文字を刻み付ける。彼女の親類や友人に金を無心させ、もう引き出せないとなると、大声で罵詈雑言を浴びせさせ、彼らとの縁を切らせる。
 すべて松永の命令でやったことなのに、純子は、そんなことばかりしている自分がいやになり、自殺を図る。すると松永は、「純子さんをこのまま放っておいたらまた自殺するかもしれませんし、もっと堕落しますよ。幸い私の言うことは聞くので、私に預けていただければ責任はもちます」と家族を説得して、彼女を手元に置くことに成功する。のみならず、分籍までさせた。「もし分籍を認めないなら、今度は本当に自殺するわよ。あるいはソープで働くからね」と純子に言わせることによって。
 こうして、松永以外とのすべての人間関係を断たれた純子は、積極的に彼の意向を受け入れて働く、かけがえのないパートナーとなった。この後の七つの殺人事件すべてに、彼女は実行犯として関わっている。化け物の恐怖から逃れるためには、自分が化け物になることが一番なのだ。

 松永はもともと、父親譲りのふとん販売会社の社長で、社員を脅して、詐欺的なやり口で商売をしていたが、いよいよ告発されると、純子を伴って逃亡した。逃走中でも金はいる。おまけに、この期間に、純子は出産していた。彼らは新たな犯罪に走ることをためらわなくなっていた。その中に、このコンビ初の殺人(か、傷害致死か、厳密な線引きは難しい)である服部清志の一件がある。
 小倉市内で不動産会社の営業マンをしていた服部の仲介で、松永は潜伏場所として複数のマンションを借りた。服部はお人好しで、そこに目をつけた松永は、コンピューター技師を名乗って取り入り、共同で競馬の予想ビジネスを立ち上げようと申し出る。服部はこの時四十歳、一聞して怪しい話だとわかりそうなものだが、何しろすっかり松永に魅入られていた。言われるままに、松永との仲に水を差しそうな内妻とは別れ、実子で十歳になる娘恭子を連れて社宅に引っ越す。その娘も、松永と純子と彼らの長男が暮らすマンンションに預けることになる。
 松永は元々服部の弱味を握り、金を搾れるだけ搾り取ることが目的だったので、最も有効な道具として使えたのが、この娘だった。手始めに、養育費として月二十万円を請求する。服部が逃げないための人質にもなる。「言うことを聞かないなら、娘をひどい目に合わせるぞ」と言って脅されたら、たいていの親はたいていのことをやらざるを得ない。
 さらに服部を追い詰めるために、恭子は、「お父さんがした悪いことを十書け」などと命じられ、その実松永の指示通りに、父が彼から金を盗んだとか、自分は父から性的な暴行を受けた、などと言ったり書いたりした。それらはすべて嘘だったが、服部があくまで身に覚えがないと抵抗し続ければ、恭子が暴行を受けることが目に見えていた。事実だと認めざるを得ない。結果彼は、いよいよ松永に屈服し、彼からの「罰」も甘んじて受けるようになる。
 やがて服部は、金を横領した疑いをかけられたこともあって会社を辞め、松永のマンションで暮らすようになる。それ以後は、文字通りすべての時間を、厳しい管理下に置かれるようになった。食事も、排泄の時間と回数も決められ、起きている時も寝ている時も、体育座りや相撲の蹲踞(そんきょ)の姿勢で居続けるよう強制される。
 これを破った時には、あるいは単に松永が苛立った時には、恐ろしい暴行が加えられた。主なものは、後に有名になった「通電」という拷問で、プラグのついた電気コードの反対側の銅線をむき出し、人体に電気を通すと、感電によってたいへんな苦痛を与えることができる。元は松永の会社の社員がふざけてやっていたものを、彼が、銅線にクリップをつけて細かい部分(性器を含む)にも付けることができる、など「改良」したものだった。後には、純子も、松永と関わった他の女性たちも、また緒方家の全員が、その責苦を受けることになる。服部に対しては、松永の留守中には純子が代わって行い、その際全く手加減する様子はなかった、と後に恭子が証言している。
 その恭子も、父に噛みつくように言われ、力いっぱいやっている。前出の角田美代子のノートにあった通り、家族が正に崩壊したしるしであり、服部が受けた精神的なダメージは、肉体的なものに劣らなかったろう。
 それだけではない。拷問の果てに服部は衰弱死かショック死を遂げるのだが、恭子に対して、「お前が殺したんだ。その証拠にお父さんの体にお前の歯形がたくさんついている」と言って、それを脅しの材料にした。この後死体はきれいに始末されるので、「証拠」はなくなるのだが、父の死にしかたなしにでも手を貸した心の傷は深かったろうし、それはそのまま共犯者(本当は正犯)である松永と純子から容易に離れられない心理的な楔にもなる。一石なん鳥だかわからないやり口だが、それも、大本に「家族の絆」という曰く言い難いものがあったればこそである。結果恭子は、子どもながら純子に次ぐ松永の第二のパートナーになった。
 死体の処理は松永が指示して純子と恭子にやらせた(この時純子は松永の第二子を身ごもり、臨月だったという驚きもある)。その方法をここで詳述する要はないだろう。細かく切り刻み、砕き、煮沸などして、液状化したり団子状態にしたものを、公衆トイレに流したり海に投棄した。これもまた、その後繰り返されたことで、北九州事件全体で、被害者の死体は、痕跡すら見つかっていない。こんなことまで知っていたか思いついた松永太という男はいったい何者なのかと改めて興味が惹かれるが、その解答もまた、見つからない。

4 蟻地獄はやがてすぼむ 
 詐欺で告発されてから緒方家本体に取りつくまでに、松永は他にも一人の女性を自殺に追い込み、もう一人の女性を精神病にしているとみられている。どちらも家族から切り離した個人にしてからの話であって、純子も含めると七人から成る家族全体を手中にして破滅させたとなると、松永としても最初で最後であった。
 それはこんなふうに始まった。逃亡資金の底がついた松永は、純子に金を工面するように要求する。純子は始めのうち、縁を切ったはずの実家に無心していたが、ある日きっぱりと断られる。考えあぐねた彼女は、嘘を言って子どもを叔母に預け、自身は大阪の温泉地に働きに出かける。松永には無断でしたことだった。これを「逃げられた」と感じた松永は躍起になって、逃走後初めて緒方家と接触し、これまでの数々の犯罪行為、特に服部の死を、まるで純子が主犯であるかのようにねじ曲げて伝えた。
 緒方家は久留米の名家である。その娘が殺人罪に問われかねない犯罪に手を染めたとあれば、当人の将来はもちろん、一家全体のダメージは計り知れない。ついに、松永が死んだことにして、純子を呼び寄せる。こういう点で、パートナーと言っても信頼関係など微塵もなく、結局のところ純子は恐怖で支配されていたに過ぎないことはよくわかる。ところがそれも松永には好都合になる場合もあった。緒方家全体を脅す単なる道具として、彼女が使えるから。
 松永はまず、「純子と別れてもいいが、手切れ金をもらいたい」などと家族に告げる。彼のような男といっしょでは、純子は今後どんな目に合わされるかもわからない。また、純子の「犯罪」がバラされる恐れもある。直接そう言えば恐喝になるので、ほのめかして、相手に悟らせるのが、松永の得意技なのである。緒方家は、松永の要求するだけの金を出すことで話がまとまりそうになる。しかし、そこで、子どもは自分が引き取る、と松永が言うと、元幼稚園教諭で、子ども好きで、いまや子どもだけが生きる希望となっていた純子には耐えられない。松永とは別れない、と言い出し、話は振り出しにもどる。すべてが松永の思惑通りだった。
 この前後、緒方家では純子の父母や妹、時には親族まで招いて何度か話し合いの場を持っている。「家族会議」は角田美代子も多用したやり口で、何らかの結論を出すよりは、参加者を疲れさせ、互いに反目させるのが主な狙いなのである。だから次々に新たな要求を出して議論を紛糾させる。子どもの養育費、純子のような女の面倒を見るのはたいへんだからとその謝礼、しまいには、緒方家の人間が松永のマンションを訪ねてきた時恭子は風呂場に隠れていなければならなかった、その慰謝料、なんてものまで。
 もちろんすべて、筋など通っていない。松永と純子は内縁でも夫婦である。そうでなければ手切れ金(≒慰謝料)なんて話にはならない。そしてそうであれば、純子や子どもの保護養育義務は第一に松永にある。緒方家が金を出す筋合はない。こういう理屈は世間一般が思っているより大切なのだが、何しろここで最も有効に働いていたのは感情なのである。完全に松永に取り込まれ、分籍までした純子は、それでもやっぱり緒方家の血を分けた家族であり、無視することはできないという。世間の見る目も、そうだろう。いや、ただ金の無心に来るだけなら、捨ててもいいが、犯罪者にまでなったら……。やっぱりちょっと筋が通らないようだが、ここもすぐに飛び越えられた。
 因みに純子は、この時再び、家族に迷惑をかけるばかりなので人知れず死のうと思いつき、逃走を図るが、このときは恭子に邪魔されて、連れ戻されている。やればやるほど、とんでもないことをしでかす可能性の高い純子を保護する、その反面で監視するやっかいさは増していき、それはそのまま、松永という通路を経て、家族の負担となる。
 さらに松永は、純子の父に、服部を殺したマンションの水道管の交換をやらせている。服部を殺した形跡は、純子と恭子が完璧に掃除して消していたのだが、それでも目に見えないところには跡が残っているかも知れないという口実で。純子を守るためには、というわけだが、これで父もまた、物理的に、犯罪を隠匿する罪を犯したことになる。
 松永にとってもう一つのやっかいは、純子の妹の夫だった。彼は純子が分籍してから結婚したので、義姉と面識すらなく、当然愛着もない。元警察官だから、力づくなら、松永より強かったろう。彼に対して、松永はまずきわめて丁寧な対応をし、酒を飲みながら、純子や母やその他から仕入れた妹の醜聞を吹き込んでいく。先にこの妹は松永とも肉体関係があったことは述べたが、結婚前は相当な発展家で、複数の男と関係し、妊娠中絶まで経験していた。すべて夫には秘密で、彼女は結婚時には処女だということになっていた。松永からそれを聞かされた夫としては、妻のみならず緒方家全員に不信の念を抱かないわけにはいかない。ついには松永に焚きつけられて妻とその父母を殴りさえする。結果家族の反感を買うし、彼自身は罪悪感から逃れられず、「理解者」に見えた松永への依存を強めるようになった。この蟻地獄のような過程は、先に恭子について述べたように、純子も、緒方家の他の人々も、全員踏まされている。
 仕上げに、松永は彼に「純子の犯罪」を打ち明け、マンションの、今度はタイルの張替えをやらせる。その挙句に、「元警察官のくせに」と非難する。「何をバカな!」と怒ってしかるべきところだが、それさえできない。世間からも家族からも孤立した人間は、かくも弱いのである。こうして純子の義弟もまた、「罪の共同体」に取り込まれた。

 結果からみると、あまりに一人の邪悪な男の思うつぼにはまりすぎていて、これがフィクションだったら、リアリティがないとさえ思えたかも知れない。しかし、現実に起きたことなのだ。
 まとめると、彼が最大限利用したのは、幾重にも折れ曲がった家族の絆なのである。この一家はまず、互いの罪を共有することで社会と対立する。家庭はもう平板で退屈な日常性が支配する場所ではなく、一定の目的を持つことになった。ところがその構成員は相互に不信感を抱いていてまとまらない。そこに一人の男が入り込む。罪も、不和も、もとはすべて彼から出ているのだが、家族ではないという理由で、責任は軽いような顔ができる。それでいてすべての罪を知っている(当たり前だ!)からと、家族がどうすべきか、助言(?)を与える。家族のほうでは、他にないので、それを唯一の指針とするようになる。最後に男が、ちゃんと従ったかどうか、裁定する。このようにして彼は、絶対的な優越者として家庭に君臨するに至る。
 あとの顛末は簡単に述べよう。緒方家は松永の言うなりに次々に金を出した。そのために、家財を処分するのはもとより、親類や友人知人、金融機関からまで、借りられるだけの金を借りる。最後に純子の祖父名義だった土地も売ろうとして、親族から止められる。ここに至って緒方一家は完全に社会から疎外され、住む場所も失って、かつて松永が服部を死に追いやったマンションに妹夫婦の子ども二人を含めて、全員が転がり込む。
 緒方家との共同生活が始まってから、統率を保つために松永がやったのは、先に紹介した角田美代子のノートの最初に書かれている方法である。構成員の中の一人を徹底的に迫害し、他の者には、自分がその立場になることへの恐怖心を植え付け、支配者(松永)への服従を盤石なものにしていった。最初の犠牲者は、純子の父だった。他の者の言動についても、「家長」の責任がどうのと難癖をつけられ、あるいは何の理由もなく、通電を受けた。手をくだすのは自分がそうされたくない一心の家人である。父のほうでは、慫慂としてそれを受け、やがて服部と同じように、亡くなった。
 この頃から母の精神状態がおかしくなった。昼夜の別なく叫ばれたのでは、近所に怪しまれる。松永は、思わせぶりな言葉と態度で「なんとかしろ」と伝え、家人は「殺せということだよな」と了解する。母は絞殺される。明白な殺人の始まりである。純子の義弟は服部や父のように衰弱死したが、他は、母と同じく、口封じのために、妹もその子どもの幼い姉弟まで、順繰りに絞め殺されていった。
 こうして純子以外の緒方一家全員が抹殺されて、ようやくこのままではいずれ自分も殺されると感じた恭子(彼女は松永と純子の子どもなどを世話するため、別の場所で寝泊まりしていた)が、祖父母を頼って逃げる。松永と純子は一度は彼女を取り戻すことに成功するが、自分で自分の生爪を剥がすというような拷問は強要したものの、殺すことはできなかった。ここは松永のアキレス腱であったようだ。「自分は手を汚さず、人にやらせる」のが彼の身上だが、殺し過ぎてその人がいなくなってしまったのである。最後に殺された純子の姪は、純子と恭子が首にコードを巻きつけて絞殺している。純子一人で殺すのは難しかったのだろう。
 恭子は再び逃亡し、警察に保護されて、この空前の(後には、もっと大規模な、尼崎事件がある)犯罪に初めて警察の手が及んだ。捕まった松永と純子は、最初は黙秘を続けたが、やがて松永の恐怖の支配圏内から出た純子が、すべてを告白した。
 判決は、一審では二人とも死刑、控訴審では、純子は一面では、マインドコントロールされた被害者であるという弁護側の主張が認められ、無期懲役となった。松永は上告したが、平成23年12月、最高裁はこれを棄却、死刑が確定した。
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権力はどんな味がするか その4(他者は虚ろな鏡)

2015年11月01日 | 倫理

Robert Altman's 3 women, 1977

メインテキスト : マリー=フランス・イルゴイエンヌ、高野優訳『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』(1998年原著、紀伊国屋書店平成11年)
サブテキスト:アリス・ミラー、山下公子訳『魂の殺人 親は子どもに何をしたか』(1980年原著、新曜社昭和58年)

 モラハラ(←モラル・ハラスメント)なる言葉は、高橋ジョージ・三船美佳夫妻の離婚騒動のとき出てきて、少し話題になったが、セクハラ(←セクシャル・ハラスメント)やパワハラ(←パワー・ハラスメント)などと比べても、一般的だとは言えない。間口がやたらに広くて、後二者もこの中に入る場合があるので、具体的なイメージが持ちづらいこともあるだろう。それに、これに当たる言葉なら、昔ながらの日本語がある。人格攻撃、あるいは人格否定、という。
 フランスの精神科医イルゴイエンヌが訴えたのは、それが継続的に行われるある関係性である。家庭や職場のような小社会で、立場の弱い者が強い者から、執拗に、何年も、時には何十年も攻撃される。暴力が揮われるわけではないので(稀には、ある)、見過ごされがちだが、これは極めて重大な犯罪行為である。そこでイルゴイエンヌは、前者を被害者、後者を加害者と呼び、被害者救済のためにこの本を書いた。
 加害者は「自己愛的な変質者」だとされる。他人との共感を求めない。それ以前に、他人の価値を認めない、いや、わからない。他人はただ自己の欲望を満たすためにのみ存在すべきだ。自然にそう感じている。だから、他人が自分に逆らうこと、それも何らかの意味で自分の存在を脅かすまでに至れば、それは明白に悪なのである。
 とは言え、会社の上司か、政治的な権力の持ち主でもなければ、他人に公的に支配力を揮うわけにはいかない。そのような関係を作るためには、まず他人と密接に結びつかなくてはならない。その点、加害者は、一見なかなか魅力的な人間に見える必要がある。

 普通の人々はモラル・ハラスメントの加害者を見ると、羨ましいと思うことさえある。というのも、そういった人々は並はずれた力を持っていて、いつも勝者の側に立っているように思えるからだ。実際、この種の人々は他人を操ることにたけているので、政界や実業界で幅をきかせることが多い(P.22)。

 人を人とも思わぬ傲慢さは、それ自体で力の現れであり、魅力になる場合もある。自分は軍隊時代部下から崇拝されていたが、「それはやつらを人間扱いしなかったからだ」と、J・P・サルトル「アルトナの幽閉者」の主人公は言っている。
 で、相手を魅了して、親密な関係になる、それはつまり、外からは容易に実態がつかめない関係になるということだが、それから加害者はどのようにして権力を行使し、相手を被害者たらしめるのか。ちょっとしたほのめかしや嫌味、あるいは無視を繰り返して、「自分にとってお前は価値がない」という無言のメッセージを伝える。親密な関係の中で存在価値が疑われることは、普通の人にとって重大問題である。
 典型的な手口の一つは、本書の173頁に簡単な例が挙げられている。義母が女婿に簡単な用事を頼んだ時の話である。

「駄目よ。これじゃ」
「どうしてです?」
「言わなくたってわかるでしょう?」
「わかりませんね」
「じゃあ、考えてごらんなさい」


 ここで仕掛けられた罠から逃れるには、とりあえず、「考えてもわかりません。たぶん僕にはできないんでしょう。すみませんが、他の人に頼んでください」と言って、義母から離れるべきだろう。もちろんそうしたら、彼は無能だというあからさまか、隠微な、非難や嘲りが続く。で、なければ、人を平気で無視する心の冷たい男だとか。気にしないでいることは、普通に真面目な人にとっては、かなり難しいに違いない。義母とはもう滅多に、あるいは全く、会わなくても済むならよいが、日常的に、しょっちゅう顔を合わせなければならないとなると。
 そこまで考えたら、たんぶん何気ない調子で言われるこの種の要求が、いかにタチが悪いかわかるだろう。義母は何をどうしろと具体的に指示することはない。責任をかぶりそうな事態はなるべく避けるのが最上。指示の仕方が不適切だったとか、そもそもまちがっていた、などが明らかになったりしては最悪。なんであれ、どうやるかまで含めて、彼に考えさせればいい。不親切じゃないかと言われたら、「そんなの常識でしょ」とか。「あんたは頭がいいみたいだからわかると思ってたわ」などの、お決まりの返し文句がある。自分はただ、なされたことの結果の、裁定者の地位を保てばいい。こんな簡単な策略で、相手に対して優越した立場にいられる。
 これだけならたぶん、ありふれた日常生活での主導権争いと言えるのだろう。私のように、そういうのが鬱陶しくてたまらない人間がいる、というだけで。イルゴイエンヌによると、それも問題なのである。ありふれているので、なんらかの解決や救済が必要だとはなかなか感じられないから。
 いつそれが必要なのか? 相手が自己愛的な変質者だった場合。そして、こちらが、「こんなふうに扱われるのは自分にも何か問題があるのではないか」などとつい反省しがちな、調和型の性格だった場合。それこそ最悪の、加害者―被害者の組み合わせなのだ。
 加害者は、何かのために相手を支配しようとするのではない。自分が満足感を得るためでさえ、ない。人格攻撃は、相手を破壊し尽くすまで、止まない。これは自然な道筋だとも言える。他人を完全に支配するとは、その人を完全に壊すということなのだから。
 また、解決、と言ったが、きっぱりと、完全に別れる以外、どうにかできるのではないかと思うこと自体が危険である。何しろ、コミュニケーションは、形式的表面的なもの以外、全く成り立たない、その意味さえわからない人間が一方の当事者なのだから。それでいて、形式的表面的には、人を信用させる名人なのだから。

 なぜこういう人間が生まれるのか? 精神分析学の定石通り、「加害者」の成育歴の中に、問題の根本があったのだろう、とはイルゴイエンヌも認めている。しかし、そこに詳細に踏み込もうとはしない。そうしたら、いくぶんかは加害者への「共感」が必要になってくるから。あまり知られていない犯罪的な行為があり、救うべき人間(被害者)がいると指摘するのが急務なので、そういうのはむしろ余計、と考えられている。
 たぶん、本書にも何度か取り上げられているスイスの精神分析学者(だったが、後にこの学問自体を批判している)アリス・ミラーなら、それは「闇教育」が生み出す、と答えるだろう。親や教師が子どもを無条件に服従させることだ。改めて考えるまでもなく、子どもほど支配されやすい立場の人間はいない。しかもその支配には、「教育」とか「躾」とかいう美名が付けられているので、誰も、周囲も当事者も、それが悪にもなり得るなどとは思いもよらない。しかし、悪はある。中でも最悪なのは、喜びや悲しみや怒りなどの自然な感情が、「わがまま」として禁じられ、抑圧されることだ。
 この「教育」が成功した場合、子どもは何を学ぶだろう。人間的な感情になど価値はないのだから、それをコントロールすること、即ち、支配する力こそが最上なのだ、と。従って、唯一の正しい人間関係は、支配―被支配関係なのである。
 成長してからは、凡そ二つの道をたどると予想される。
①自分がなんらかの「力」を得られなかった場合。外部の、親に代る力=権威をやすやすと受け入れ、それにすがって生きていくことになるだろう。どんなに理不尽な力でも、いやむしろ、理不尽なほうがいい。親の要求が、およそ理不尽だったのだから。
②力を得た場合、最も剣呑な暴君となる。彼/彼女は他人を支配することを当然とみなすのだが、そこで発揮させる苛烈さは常に過剰になる。他でもない、彼/彼女はそのとき、子供時代に被支配者として受けた虐待の、代償行為、即ち仕返しをしているのだ。
 例えば1930年代に猛威をふるったナチズムは、この頃まで主流だった厳格な教育の、直接の結果なのである。中でも、「世界全体に向けられた」とさえ思えるヒトラーの悪意は、幼い日々に父親から受け続けた精神的肉体的な圧迫を外部へ返したものだ。そして、それを良しとし、さらには憧れさえ抱かれる広範な社会心理の背景があった。そう考えて初めて理解できる。
【私は、ミラーに共感するところは多々ありますが、それは教育や精神分析の欺瞞を暴いた部分です。すべての悪の根源は幼児期の虐待にある、と言うが如き書きぶりは、少しやり過ぎではないかなあ、と感じます。
 もう一つついでに。本シリーズ「その2」で取り上げたエーリッヒ・フロムにミラーは批判的です。彼もヒトラーの幼児体験に言及しているものの、それは僅かで、「権威主義的」なる性向が、内向的とか社交的とかいうのと同じように、自然に存在する(時代状況が生み出しやすくしていることはあっても)ような印象を与えているところが気に入らないようでして。しかしそれを除けば、ミラーのナチズムの心理研究は、フロムを補完するものになっているのではないでしょうか。】
 もちろん、ヒトラーなんてめったにいるものではない。『魂の殺人』で取り上げられているもう一人の、幼児殺害者なら、いつでもどこでも、この日本でも、間欠的に登場するとは言え、数はそんなに多くはない(多くては困りますわな)。では、こういう例外以外は別に問題はないのだろうか? そうではない。支配―被支配の関係及びその反復は、ごく日常的な場に潜んでいる。モラル・ハラスメントという用語を使って、それを明らかにしたのが、イルゴイエンヌたちの功績である。そう言っていいと思う。

 多分次のことは何度も繰り返したほうがいいだろう。モラハラ加害者は、他人の価値がわからない、と言っても、では他人を必要としない、という意味ではない。それなら、社交術に長けるわけはない。むしろ、熾烈に必要としている。本当に価値がないのは、実は自分自身だからだ。

〈自己愛的な変質者〉、すなわちモラル・ハラスメントの加害者は〈他者〉によって満たされる。それがなければ生きていくことができない。〈他者〉は自分の分身でさえない。(それだったら少なくとも一個の存在を持っているからだ)。ただ鏡に映る自分の像なのだ。(P.214)
(前略)加害者はまず、自分の空洞を満たすために被害者に愛を求める。だが、被害者として選んだこの母性的な人物から栄養を吸収し、それを取りこむためには、たとえ萌芽のようなものにせよ、加害者のほうにそれを受け入れるための実体がなければならない。ところが、加害者はそういった実体を持たないので、相手から栄養を吸収することは不可能になる。すると、相手の存在は逆に加害者自身の空洞を浮き彫りにするので、加害者にとっては危険なものとなる。その結果、今度は相手を憎むようになるのである。(P.219)

 自分の「実体」を持つこと、つまり自分自身であることは、幼いころに抑圧されきって終わっている。だから他者(他人と、政治結社など組織的なものを含む)の中にそれを見つけようとする。見つかった、と思えばそこに盲目的に帰依するが、たいがいはだめで、そこで見つかるのは自分の空虚そのものである。それだけで、その他者を憎み、破壊しようとする動機としては充分であろう。
 もっとも、イルゴイエンヌが「加害者」を「自分のイメージを作り出す機械」と呼ぶのは、言い過ぎと言うより、不正確であろう。彼/彼女が全くの機械であるわけはない。どれほど理不尽であっても、憎しみの感情そのものは、彼/彼女自身のものである。また、「被害者」も、機械ではなく、生きている人間だからこそ、改めて機械化し、破壊することに「意味」があるのだ。すべてが人間的な、あまりに人間的なできごとなのである。
 もう一つ、これほどの「変質者」が出てくるのは、ある極端な「教育」のせいであるとは確かに考えられるにしても、そもそもの前提として、現在の個人主義のあり方を考えておくのは、よいことであろう。イルゴイエンヌも、ごく簡単に、そうしている。曰く、現代社会は個人の自由を重んじ過ぎるので、あらゆる規範(言っていいこと、いけないこと、などの)が弱まり、例えば他人への心遣いをどう保つかについても、曖昧になりがちである。半面、個人の「強さ」も重んじられるから、他人に圧迫されがちな「弱い」人はあまり同情されない。そういう場合には、「圧迫を跳ね返すだけの強さを身につけろ」などとよく言われるし、また「被害者」も、助けを求めることは恥ずかしいと思いがちになる。事態をますます悪くする一方、というわけだ。
 これらはいかにも、モラハラがはびこる土壌となる、と言ってよい。が、より自由度が低い、例えば身分制社会にはあった強い社会規範を復活させようとしても、第一不可能だし、第二にそれでも無理やり、例えば政治権力を使って取り戻そうなどとしたら、それこそ闇教育そのものとなり、破壊的な事態を招くだろう。
 そして第三に、ではなくてむしろもっと以前に、こういうことを考えるなら、根本的に押さえておくべき事情がある。個人主義の時代だからこそ、明らかに見えてきた、個人の空虚。個人は何かに支えられなければ成り立たない。なのに、それを忘れたような顔をしなければ、個人主義ではないように思えるところが、最も困るのである。うまく忘れられなかった場合には、他者の中に支えを見つけようとする。すると、見つかるのは、自分が空虚である証拠ばかり。そこで、他者を憎むようになる。
 以上はイルゴイエンヌの作った精神分析話の、私なりの言い換えだが、こう考えると、個別特殊な事例である「自己愛的な変質者」より広い見地から、問題を捉えることができるだろう。我々は自己―他者関係の最中に爆弾を抱えているような時代を生きている。完全な解決策など見出し難いのだから、まずは問題の困難さをじっくり見つめておくべきではないかと思う。

【上に一場面を掲げたロバート・アルトマン監督「三人の女」は、モラハラそのものを扱った作品ではないですが(「的」なものはあります)、現代人の空虚、他者への渇仰と反発、模倣と分裂、そして罪を介したうえでの結合、といったテーマをスクリーン上に描き切った傑作です。最近DVD化されたのを知り、久しぶりに見てみたら、気分的に、今回の記事にぴったりだと感じました。】
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国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その2)

2015年05月01日 | 倫理
 《小浜逸郎氏から由紀草一へ》

由紀草一さんへ、ついでにW.H.さんへ (小浜逸郎)2015-03-28 23:35:48

 お返事を書かなければ、と思っているうち、とうとう一ヶ月以上が経ってしまいました。忙しかったから、というのは言い訳になりません。どうお返事してよいのか戸惑っていたというのが正直なところです。

 そうこうするうち、W.H.さんからも、この『永遠の0』問題についてのコメントが届き、さらにそれに対する由紀さんのお返事も書かれてしまいました。もうずるずる引き延ばすわけにはいかないなと決断して、以下に思うところを遠慮せず率直に述べます。お気に障ったら、どうぞお許しください(これは、W.H.さんへの呼びかけでもあります)。

 まずなぜお返事をためらっていたのか、その理由ですが、次の通りです。

①何回も読み直しましたが、由紀さんの文章は、私の読みでは8割以上、私の見解に賛同してくれているように思われるので、私に対する違和感の所在がなんであるかが判然としないところがありました。これはもちろん、お前に読解力がないからだといえば、それまでですが……。

②それでも、読み返すうち、ほぼこのあたりに違和感を感じていらっしゃるらしいということが見えてきました。それはだいたい次の2点に整理できそうです。

 a. 小浜は、「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認するという考え方」をすべきであると書いているが、これは、「家族など、身近な者たちのためになるなら、国家のためにも戦おう」という意味だと一応考えられる。しかし近代国家はでかすぎるので、これを一団として機能させようとしたら、人情とは別の原理が必要である。「公」と「私」の分裂は、まずこの単純な事実から生じたのであって、それを統一しようというのは無理であろう。つまり「公」と「私」の分裂は、人間の生き方に宿命的に付きまとうものであって、それを克服しようなどと考えること自体が不可能である。
 
 b. 小浜は、「倫理的な問いを、特定の状況に置かれた個人の『心理』としてとらえるのではなく、どうすれば限界状況的な境遇に多くの人を追い込まずに済むか、というように視線変更する必要がある」と書いているが、限界状況を設定してそれについて考えることには意味がある。なぜならそれは人間の根源的な不完全さが鮮明に浮かび上がった状況であり、だとするならそこにはモデルケースとしての普遍性があるからである。我々はどんなよくできた国家の下で、いくら幸福な日常を送っているように見えても、そうした状況にいつ何時直面しないとも限らない。現にわれわれが戦争がもたらす不幸について思いを致すのも、そのことが了解されているからこそである。その了解は、いわば文学的な了解、つまり福田恒存の言う「一匹と99匹」の「一匹」の問題であって、どんなすぐれた政治的な営みも、これを解決することはできない。小浜は、そういう人間の根源的な不完全さに対する感度が甘いのではないか。

 このように由紀さんの「違和感」を整理してみた時、その指摘に対する私の違和感はさほどなく、それ自体としては至極もっともであり、反論すべき理由はないように思えたのです(ただし、思考のスタイルやアングルに関してはどうしても違いがあるようなので、これは後述します)。

③このサイトのタイトルを由紀さんは、「国家意識について、小浜逸郎さんとの対話(その1)」としていますが、私は率直に言ってこのタイトルに引っかかるものを感じます。というのは、このタイトルでは、由紀さんと私との間で、ブログ上での対話(往復書簡のようなもの)を続けてやっていこうという合意があらかじめあったかのように読めるからです。なるほど私は、自分のブログでの先のコメントで、「またお話ししましょう」と書きましたが、それは一種の挨拶のようなもので、ブログ上での対話を続けようという具体的な提案ではありませんでした。
 私は別に怒ってなどいませんが、このタイトルのつけ方には、付き合い上のルールとして、やや「非礼」があるのではないかと思います。そのことが、私にえっ、ずっと続けなきゃいけないのかなあといった多少の心理的圧迫感を与え、お返事をためらわせた理由の一つにもなっていたようです。

 以上ですが、それでは次に、上記②で述べた2点についてお答えします。

 まずa.について4点。

①私が上記のように書いたのは、国家あるいは公共性の人倫とは、いかなる条件を備えるべきかという文脈においてであり、それは「倫理の起源」というシリーズの最終項にあたります。倫理学という思考スタイルにしたがう限り、よい国家とは何か、という問いに対する論理的な回答がどうしても要求されるはずで、そこでは、一定の図式的な記述を避けるわけにはいきません。もっとも「奉仕を承認する」という言い方に、個人の態度を問うているかのような誤解の余地があったことは認めます。そのため、由紀さんの言い換えのように、「家族など、身近な者たちのためになるなら、国家のためにも戦おう」といった、個人倫理の表明として解釈される余地があったのでしょう。しかし私の真意は、あくまで「実存的な生の充実のためにこそ、国家はあるのだ」という考えを強調する所にあります。その点で、由紀さんのお考えと一致するのではないかと思っております。

②しかしなお、、私の、「生活を共有する身近な者たちがよりよい関係を築きながら強く生きるという理念を核心に置き、その理念が実現する限りにおいてのみ、国家への奉仕も承認する」という考え方」を、「家族など、身近な者たちのためになるなら、国家のためにも戦おう」という意味だというふうに言い換えてしまったら、それは、国家のあるべき姿をネガティブに限定したはずのロジックが、むしろ国家への個人の奉仕精神をポジティブに意味づけるロジックへと転換されてしまうことになるでしょう。それはむしろ、由紀さんにとっても、不本意なことなのではないでしょうか。

③「近代国家はでかすぎるので、これを一団として機能させようとしたら、人情とは別の原理が必要である。
」とありますが、これはまさに私が『倫理の起源』52および53で、愛国心について説いているところとほとんど一致します。もしよろしければ、もう一度ご参照ください。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/3230a1bbb6bdfc08be242776ea8d2124
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/76d56535d628db5c7fb0cf8a79603917

④「公」と「私」の分裂は、人間の生き方に宿命的に付きまとうものであるという由紀さんの考え方は、b.にもつながるペシミスティックな人間観ですが、その人間観を批判するつもりは私にはありません。それはまさしく『永遠の0』における宮部久蔵の悲劇が示して余りあります。ただ、そういう悲劇の意義(悲劇に感動する私たちの心の由来といってもいい)をよく思想的に吟味するなら、そこには、悲劇を何とか克服したいという私たちの意志と欲求とが横たわっているのが見られるのではないでしょうか。あるいはむしろ、悲劇に対する感動を通して、私たちの生への意志が初めて発動するのだと言い換えてもよい。悲劇に対する感動は、それ自体としてはけっして欣喜雀躍するような質のものではないのですから。

 これは、W.H.さんにも言いたいところですが、あり得ない絵空事や奇跡が描かれているとか、リアリティがないとかいったことは、その作品が不出来であることの条件にはけっしてなりません。ここでは深く踏み込みませんが、多くの人がなぜ「絵空事」に感動するのか、その理由を芸術批評の本質的な問題として考えてみる必要がありそうです。

 なお私は、W.H.さんが書かれているように、『永遠の0』が「お国のために」死んでいった多くの人たちの抱えた矛盾を「解決」したなどと一言も言っておりません。戦後的価値観(左派進歩主義に代表されるもの)と戦中的価値観(懐旧型保守層に代表されるもの)との百八十度の対立の問題が、宮部久蔵という主人公の造型のうちに、あくまでフィクションの次元で止揚・克服モデルとして示されているといったまでです。この主人公が実際にはありえないスーパー・ヒーローであることを、私は何度も断っています。しかしそれは、大東亜戦争の評価をめぐっての、戦後言論界の不毛な左右対立を乗り越えるきっかけを提示したという意味で、この70年間のなかで新しいことだったのです。

 次にb.について。

 ここでも、先に述べたことと同じことを言わなくてはなりません。限界状況の思考実験には普遍的な意味があるということそのものには同意しますが、それはあくまで文学思想の内部で追究すべきことであって、公共体または国家の倫理がどうあるべきかという問題枠組みの内部にそれを取り込もうとすると、的を外してしまうと思います。大岡昇平の『野火』や竹山道雄の『ビルマの竪琴』は、こういう問題を追究したきわめてすぐれた作品ですが、でも、そのことと、「なるべくよい社会にするにはどうすればよいか」という思想課題とは、区別されてしかるべきでしょう。それこそ、一匹と99匹との問題です。しかもまずいのは、限界状況モデルばかりを乱発すると(とかく倫理問題を考える時はそうなりがちなことは、由紀さんも認めていましたね)、文学的な(個人の生き方にかかわる)思想課題だけが倫理学のすべてだと錯覚しやすいことです。
 普通の政治的な営為には? 一国の経済運営には? 家庭生活には? 倫理学は必要ないのでしょうか?

 最後に、W.H.さんにひとこと。全体に、由紀さんと私との思想の共通点を丁寧に見出して、その面を評価してくれていることには、感謝します。ただ、以下の部分――
「それに対し由紀さんは、『家族、愛する人のために』という思いが『国のため』へとつながっていく、そうした、ある意味で幸福な直接性は近代国家の戦争においては難しい。実際には若者は、巨大な国家というものを前にして、個々の人生をどうそれに調和し整合させていったらいいのか解決がつかなかったろう」という部分ですが、この「それに対し」というのは、私がまるで、ここに書かれたことを考えてこなかったかのように読めます。繰り返しになりますが、まさに私は『倫理の起源』シリーズにおいて、人生における様々な局面で、こうした解決困難な矛盾が、従来の倫理学(カント、儒教、和辻倫理学など)では問題にされてこなかったことを最大のモチーフの一つとして追究してきました。優先権を争うような愚かしい轍を踏もうというのではないですが、もし未読でしたら、W.H.さんに、拙稿を詳しく読んでみてくださいとお勧めするほかありません。

 以上、いろいろと失礼を申し上げました。


 《由紀草一より小浜逸郎氏へ》
 御論にからんで勝手にいろいろと申し上げた結果、いらぬご心労をおかけしたようで、まったく申し訳なく思っております。今回はせっかくご回答いただいたことに関して、一番言いたかったことを述べます。

御回答のa.について
 私は要するに、「実存的な生の充実のためにこそ、国家はあるのだ」という言い方に違和感が持たれたのです。まるで国家が国民の安定した生活以上の、内面的なところまで踏み込めと言っているように読めますから。小浜さんの真意はそういうことではないと理解していますし、「倫理学という思考スタイルにしたがう限り、よい国家とは何か、という問いに対する論理的な回答がどうしても要求されるはずで、そこでは、一定の図式的な記述を避けるわけにはいきません」と言われると、それまでかな、とも思いますが。でもやっぱりこだわり捨て難く、それは奈辺にあるのか、御迷惑ながら、今一度開陳します。以下、三つに分けまして。

(1)統治機構としての国家を考えた場合、その究極の目的は、小浜さんのおっしゃる通りで、まちがいないと思います。民生を安定させること、それがある程度達成されたら、保ち、さらに拡充するように努めることです。誰もが暴力や飢えの危険から免れている社会、そして、ささやかな「生きる喜び」を追求することができる社会を目指す、それは常に、「国威の発揚」などより上位に置かれるべきである。小浜さんは、善を「日常生活における秩序と平和が保たれている状態を指す」(「倫理の起源 63」)のだとおっしゃいますので、上は政治の目指すべき最高の「善」だということになるでしょう。
 もちろんこれだって、完璧な達成は期し難い事業なのですが、私はどうしても次のことが気になるのです。ではいったい、権力の必要性はどこから出てくるのか? 権力という言葉を、ここでは簡単に、「ある人や集団に、好むと好まざるとにかかわらず、あることをさせたりさせなかったりする力」と定義します。家族のような最小の共同体から国家という最大のものまで、そう呼ばれてもいいものは必ずある。それは共同体の安寧秩序を守るために必要だと考えられてきた。なぜか。
 これについて長々と述べるのは、拙ブログの「権力はどんな味がするか」シリーズなどでやることにして、やはり簡単に申します。なぜ権力が必要か? それは共同体全体の利益のために、ある特定の個人・団体が犠牲になるのを忍ばなければならない場合があるからです。
 大げさな話ではありません。例えば、「ゴミ処理場の建設が必要なことはわかる。が、自分の住居の近くには作ってほしくない」というような要求はわりあいと一般的なものです。もちろんこの要求が完璧に達成できるわけはない。ゴミ処理場が地域社会にとって本当に必要なら、住民の一部には我慢してもらわなければならない。【あるいは、次のような解決策も考えられます。誰も住んでいない山奥にゴミ処理場を作って、その分輸送費が高くつくが、それは住民全部から公平に徴収すれば、特定の誰かにだけ犠牲を強いるということはなくなる、と。これは不満を金に代え、分散することによって目立たなくするということで、うまいやり方かも知れませんが、不満そのものが消えるわけではありません。】
 私の考えでは、こういうとき行政側の最低の対応は、「そりゃつまり住民エゴというものだ。みんなもっと公共心を持たなくちゃいけない」などと説教することです。エゴが消えるわけはない、というか、もともと、それを前提として、政治の必要性が出て来るのですから。「エゴを捨てろ」などと統治側が言うのは、自己否定に等しいのです。
 つまり、こうです。普通の人は誰しも自分の身近なところにしか目がいかない。そして、身近な幸福をできる限り守り、さらに拡充しようとする。ごく自然なことです。また、それこそ倫理の根底である、という小浜さんのお考えには全く異論がありません。
 ただそれが、何か他のものを犠牲にしてでも、にまで至れば(積極的にそうするというより、知らないか、知らないふうをするか、が多いでしょう)、エゴイズムと呼ばれものになる。が、人は、これまたわりあいと自然に、そうなりがちなものです。それに思い至るなら、社会全体を見渡して、その利益、いわゆる公共の福祉のために、他に手段がないなら、強制的に住民を従わせることができる機関もまた、遺憾ながら必要である、と納得されるでしょう。
 同時に、その権限は、当然限定されるべきものなのだから、「実存的な生」に関するところなどには踏み込まない、そういう節度も、「公的なもの」が弁えるべき大事な「倫理」だ、とも納得される、のではないでしょうか。
 私にとって、公と私のイメージはさっとこのようなものです。だからこの次元の違いが「克服される」なんて原理的にあり得ないのだし、あり得ないと思うことはいかなる意味でも「ペシミスティック」と呼ばれ得るはずはないと考えます。

(2)もう一つ、前回も述べましたことを上に合わせて言い直します。小浜さんのおっしゃる「戦中的なイデオロギーと戦後的なイデオロギーとの妥協不可能な対立」とは、私から見ると次のようなものです。戦中は、戦争遂行のために、個々人のエゴイズムはすべて捨て去ることが求められた時代だった。戦後は価値観が反転して、それこそ国家悪であり、このような巨大な悪をなす統治権力に反対することこそ正義であると、主に知識人と、その予備軍気取りの学生からはみなされるようになった。
 どちらも一方のエゴイズムを糾弾することによって、自分の側のは見ないようにしているのですから、妥協点が見つかるはずはないのです。繰り返しますが、政治に必要とされる技術はエゴイズムをなくすことではなく、エゴイズムを調整するところにある。戦後日本だって、政治が、統治がある以上、それは現になされています。それを悪しき強力な権力対善なる無力な庶民、の見取り図でわかりやすく見せようとして、欺瞞的な言を繰り広げてきたのが、戦後の知識人などの生態なのです。
 もちろん彼らにも言い分はある。人間ならば誰でもエゴイズムがある。私のような名もなき庶民にも、時の為政者にも。それを抑えようとした場合、普通に言って前者より後者のほうがずっとたいへんなのは事実です。民主主義はそのために、三権分立を初めとする多くのチェック機能を備えているはずであり、またそれが唯一の取り柄なのですが、今までちゃんとうまく機能してきた、とは到底言えない。それは、チェックのための批判精神が足りないからだ、と彼らは言うわけです。
 一理あります。権力者にダマされまいとする心構えはあったほうがいい。しかしそれにしたって、統治者側に過剰な要求をするのは控えたほうがよろしい。住民・国民の全員に、100パーセントの満足を与える施策、とか。なぜなら、過大な要求に応えるためには過大な力が必要とされますから、こういうことは権力の強化に結びつくからです。以上は、渡辺京二『近代の呪い』中で最も感銘を受けた指摘であり、小浜さんも同意するところだろうと思います。「対話」ということからは逸脱でしょうが、またしてもこだわりやみ難く、つい申し上げてしまいました。

(3)それでも、共同体が、単にそこで暮らす人々の利害を調整するためにのみある、とは決して言えないでしょう。普通の人なら誰しも家族愛や郷土愛や同胞愛や愛国心をいくらかは持っている。普段は特に意識することはなくても、例えば私でも、日本が貶されるのを聞けば、自分が直接貶された時のような不快感が持たれます。
 即ち、自分の属する共同体とは、「自分」を包み込んでいるのと同時に「自分」の一部であり、「実存的な生」を構成するのにも不可欠な要素である。そうでないとしたら、上に述べた「利害の調整」にしても、いかなる智恵者の高等テクニックをもってしても、うまくいかないでしょう。私はただ、施政側が最初からそれをあてにするのはまちがいだ、と申しましたので。
 これを言い換えると、人間には本来的に共同性が備わっている。そこから超出した「純粋な自己」などという観念を立てても無益。それは生きる人間の現実を捨象しているので、「人は、そして共同体はいかにあるべきか」についての具体的な指針である倫理を与えることはできない。しかしまた、各種の共同体、和辻哲郎の言う人倫的組織のうち、「大きいもののほうが公共性が高く、ゆえに倫理性も高い」から重要で、優先されるべきだ、などとは決して言えない。むしろ逆に、「人間が具体的に生きる共同態」を充実させること(これが「実存的な生の充実」と言われているものでしょう)を中心にして、すべてのあるべき姿が考えられなければならない。これを示し得たことが、今回の御論考「倫理の起源」の大きな成果です。
 それに異論はないのですが、今回のブログ記事のタイトルは、「国家意識について、小浜逸郎さんとの対話」ですので(いったいなんでこんなタイトルにしたのか、時間もたちましたし、議論の焦点も多岐にわたりましたので、もうわからなくなっているのですが。呵々)、これについても云々しておきます。
 おっしゃる通り、家族や故郷など、目に見えるものなら、人は愛せますが、国家なんて大きすぎるものは、観念に近いので、普通の意味で愛情の対象にはならない。しかし、これまたおっしゃる通り、特に男性は、観念的なものに惹かれがちな動物である。また、「セブンティーン」で大江健三郎が見抜いたような要素もある。「国家」と一体化したように感じたら、人間は卑小な一個人の段階を超えた、より巨大なものの化身になったように感じられる。それは自我の肥大化であり、究極のエゴイズムなんですが、「国のために命を投げ出す」覚悟が一見自己犠牲的であるため、そのことは易々と見過ごされてしまうという効果もあります。こうして戦前の日本では、二・二六事件や、血盟団によるテロが勃発しました。
 それを思うと、為政者が「愛国心教育」を推進しようとするなんて、どうなってるんだろうと思います。ファナティックな国粋主義者がたくさん生まれたりしたら、真っ先に狙われるのは彼らですのに。もしかしたら、彼らこそ、崇高な自己犠牲的精神の持ち主なんでしょうか?
 冗談はさておき、実際問題としては、人がまずまず充実した幸福な生活を送っているのなら、めったに「愛国有理」の過激なテロに走ったりはしませんので、そのためにも、国民個々の生活を第一に考える国家であることは望ましいわけです。
 万が一戦争をすることになったら、愛国心に頼るしかないのですが、それが行き過ぎないようにするためにも、目的と限界を、即ち「なんのために、どこまで、やるのか」を明確にして、無用な戦線拡大など絶対にしないように考えるしかない。これは政治の中でも最も難しい事業でしょう。それだけに、原則ははっきりさせておく必要があります。以上は御論を私なりに言い直したものになりました。

ご回答のbについて
 「倫理的な問いを、特定の状況に置かれた個人の「心理」としてとらえるのではなく、どうすれば限界状況的な境遇に多くの人を追い込まずに済むか、というように視線変更する必要がある」には戸惑いました。私が考えていたこととはまるで別のことが言われていましたので。今は、小浜さんが時期的に「公共体または国家の倫理はどうあるべきかという問題」に取り組んでいる真っ最中だったので、こういう言い方になったのだな、と了解します。
 政治は、人間をなるべく「限界状況」に追い込まないようにするべきものだ、というのはそうですね。上のコメントをいただいた拙ブログでは、ロシアのエスエル党を取り上げました。彼らの「革命のために人を殺しても、可能な限り倫理的でありたい」という意識上の困難な問題は、ロシア帝国末期の圧政がなく、従って革命の必要がなければ生じなかったものです。また、ずっと以前に記した、サルトルに相談に来た学生も、フランスがナチスドイツに占領されなかったら、「祖国のためのレジスタンスに挺身したいが、それでは年老いた母親を見捨てる結果になる。どうすればよいのか」などと悩むことはなかったなかったわけですから。
 しかし、そう言った次の瞬間に、「そういう問題かなあ」という気がしてくるのは、私だけですか? これですべて終わりだとしたら、平和日本に生まれたおかげで、彼らのような過激な政治行動に走る必要性などめったに感じずにすむ我々が、「昔の人はたいへんだったんだなあ」という以上の共感を、彼らに対して抱くはずはないのではないですか。
 これに対しては小浜さんから、「限界状況の思考実験には普遍的な意味があるということそのものには同意しますが、それはあくまで文学思想の内部で追究すべきことであって、公共体または国家の倫理がどうあるべきかという問題枠組みの内部にそれを取り込もうとすると、的を外してしまう」のだという回答をいただきました。そりゃショバが違うよ、というわけですね。私は、倫理には自分なりの興味はあっても、「倫理学の構築」などには、興味がないというより、身の丈に合わないと感じておりますので、そのへんの志の高低差に由来する温度差はどうにもならないようです。
 また小浜さんは、「倫理の起源 34」に次のように記しておられます。

 人間相互の「決断」や「行為」には、過去から未来へ向かって自己を投企するというその特質上、必然的に不信や不安がつきものである。この不信や不安は、それらが実現してしまうこと、つまり約束や誓約や信頼の情が裏切られてしまうことを予定している。そしてその「裏切られること」は、究極的には「死」=相互の別離に結びついている。だからこそ、私たちはその不信や不安を克服するために人倫精神を必要とするのである。

 つまり、可能な限り信頼を裏切ることのないような個人であり、社会であるべきである、それを心がけるのが「人倫精神」である、というわけですね。お説の通りです。しかしそれでも、人間は絶えず新たに具体的な関係性の中に入っていくものである以上、「不安や不信」が完全に解消されることはあり得ません。それを扱うのは文学であり思想であって、倫理学ではない、ということでしたら、もし別の機会がありましたら、思想家小浜逸郎に改めてうかがうしかないのでしょう。
 「何を言ってるの?」という読者のために、具体例を挙げましょう。年老いたお母さんを見捨てなければならないほどの政治的な急迫は我々にはない。一方、「仕事が忙しすぎて、十分に面倒が見られない」なら、今でもよく聞きますが、それが事実だとしたら、「もっと余裕をもって働けるような社会にすべきだという」要請が倫理的なものとして議論されねばならない、とこれは「倫理の起源 46」で言われていることです。実際には経済的時間的な余裕はあっても、お母さんを放っておく人は相当数いると思いますが、それはこの際相手にしないことにして。
 さらに、余裕があり、かつまた孝心もあって、現にできるだけお母さんの面倒をみている人でも、次のような問題を抱える場合はあります。その人が男性で、結婚したら、奥さんとお母さんの折り合いが悪く、ちゃんと面倒を見ようとすればするほど、どちらか一方か、両方に精神的な負担をかけてしまう、という場合。
 いわゆる嫁姑題で、今でもありがちですから、「限界状況」とは言えないんですが、ここに一般的な解決策はありますか? もちろん、信頼できる人に相談するのはいい。お母さんが家庭内にのみ閉じこもらないように、地域の老人向けカルチャーセンターなどを充実させるのもいいことだ。さらにボケてしまったときのために、介護施設がなくてはどうにもなりませんから、こういうのは行政の重要な仕事として、どうしてもやってもらわなければならない。
 しかし、どうであれ、家庭内でどうふるまうか、最後には自分で決断して実行しなければならない。類例なら他にいくらもあっても、個別具体的なその母・その妻・その家庭は常に唯一のものですから。これはおそらく、人類が家庭という集団を作って以来一貫して変わらなかった事実です。そして集団が地域共同体から国家へと大きくなるにつれて、具体性は見えづらくなりますが、ある個人が、常に新たな状況に直面して、不安を感じつつある決断をする、という事情は変わりません。
 文芸では悲劇と呼ばれるジャンルが主に取り上げた限界状況とは、このようなときに人が陥りがちなジレンマを、最も端的な形で表現したものです。そこに普遍性があります。主人公は自分の置かれた状況である決断をして、行動し、そしてたいては破滅という結末に至る。古代の作品だと、それは逃れがたい宿命だという説明がなされたり、さらには(舞台上では機械に乗って)天上から舞い降りた神によってそれこそ取ってつけた解決に至る場合もありますが、それは作品をまとめための口実(pretext)に過ぎず、人々の心に残るのは、結果はどうあろうと、迷いつつ前へ進まなければならない人間の姿です。人が生きる上での普遍的な困難が、そこに明瞭に見てとれるからです。
 と言ってみると、なるほどこれは「人はいかにあるべきか」を追求する倫理学には取り込めないのだな、と半分は納得されます。しかしもう半分では、このような、人の「かくある」姿を見つめる部分を含んだ倫理があってもいいのでは、とも夢想されます。夢想ですから、それで小浜さんや他の人を批判するなんてできた義理ではありませんが。

 最後にもう一つ、いや二つばかりご回答に応じておきます。
①あらためて申します。「限界状況を乱発することの危険」や「視線変更の必要」をおっしゃるのは、倫理問題は個人にのみ関わるものとされ、「正しく生きよ」なんぞというお説教ですべて終わりになる危険性を感じておられるからでしょう。「人はパンのみにて生きるにはあらず」を強調しすぎると、パンの重要性が忘れられがちになりますものね。ただ私は、それについては、上の(1)で述べた、政治の領域と個人の領域の峻別がなされれば充分ではないかと考えているのです。

②「そういう悲劇の意義(悲劇に感動する私たちの心の由来といってもいい)をよく思想的に吟味するなら、そこには、悲劇を何とか克服したいという私たちの意志と欲求とが横たわっているのが見られるのではないでしょうか」。ウーン、どうかなあ、ここには最大の違和感が持たれます。
 私の悲劇観の入口は前述の通りです。より深くは、これまた拙ブログ中の「悲劇論ノート」で展開することにしまして、入口付近の落ち葉を拾ってお目にかけますと。
 宮部久蔵タイプのスーパーヒーローのうち、世界で一番有名なのは「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャンでしょう。彼らは何ものも裏切らず、周囲の救うべき人間はすべて救って見せる。その意味で悲劇を克服した、男の理想です。しかし彼らの物語は悲劇ではない。人間の本源的な不条理に触れていないからです。「本源的な不条理」とは、もちろん私がそう思っているものというだけですが、その中には、「彼らのようになりたくても決してなれない」も含まれます。だからと言って、「その作品が不出来であることの条件にはけっして」ならないのはそうで、現に私もとても好きです。
 とはいえ、上記二作品には、主人公たちの自己犠牲はある。そうではなく、なんの代償もなく、悲劇的状況が丸く収まって、ハッピーハッピーだったら、さまざまな不如意感を抱きつつ日々を送る私のような凡庸なオヤジからしたら、「世の中そんなにうまくいくんなら誰も苦労しないよ」と肩を竦めるしかありません。
 一方で、「いや、現実がうまくいかないから、せめてフィクションの世界では幸せな夢を見たいんだよ」という需要も当然あります。前述の「デウス・エクス・マキナ」など、ご存じのように、安易な結末のつけ方の代名詞として、軽蔑語として使われてきたわけですが、これを逆に見れば、なんであれ「ハッピー・エンド」が見たいという願望は古代からあったということであり、文芸の専門家をもって任ずる人々が何を言おうと、どうなるものでもないのです。で、現在のTVドラマに至るまで、その手の作品は絶えることなく製造されています。まして私が何を言っても、よきにつけ悪しきにつけ、どんな影響力もないので、言うだけは言おうと思って、言っています。
 それから、乱発されると危険なのは、むしろこちらではないでしょうか。「いくらフィクションでも、こういう立派な実例が示されているんだから、それをお手本にすればいいんじゃないか」などと言って、すべての問題解決を個人に負わせるような危険性は。仮定の話ではなく、「教師がみんな金八先生を見習えば、学校はよくなるはずだ」なんて真顔で言う人は現にいます。念のために、金八のところに、斉藤喜博や大村はまなどの実在の人物を代入したって、「お手本」と考えられた時点で彼らの現実は捨象されたお話になってるんだから、同じことですよね。

 今度は短くしようと思っていたのに、余裕がなくて、逆にまた長広舌を揮ってしまいました。お許しください。愚考に対して、小浜さんのほうから「これだけは言っておかねば」ということがあるならもちろん別ですが、そうでなければ、今回の「対話」はこれまでとしましょう。特に文芸に関するところでは、これに懲りず、口頭であっても、またお話願えればと思います。
 御文運のますます盛んなることを祈念いたします。

コメント (2)
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