7 夢負い人
というのは、後の人が付けた名前です。最初その人は、「眠り屋」と呼ばれていました。眠るのが仕事なのです。
詳しく言うと、眠れなくて困っている人に添い寝してあげるのです。彼はいつでもどこでも眠ることができました。それも、とてもすやすやと、気持ちよさそうに眠るので、傍にいる人もつられて眠くなってしまうのです。心にどんな悩みを抱えている人でも、一晩中むずかって泣き続ける赤ん坊でも、彼の寝息を聞くと間もなく、安らかな眠りに落ちました。
これはなかなかすばらしい能力だなあ、と今でも思えるでしょう。眠り屋が生きていた大昔でも同じことで、おかげで彼は毎日のようにあちこちから呼ばれ、一晩眠ってはお礼をもらって生活しておりました。
その眠り屋がある日、国一番の智恵者と言われていたソーシ君を訪ねてきたのです。取次に出た弟子のヨーシ君に、ソーシ君は、どんな様子の男か尋ねてみました
「控え目に言って、肥えておりますな。丸い筒のような胴体でして。丸太ん坊から太い枝のような頭と手足が出ている、といったところです」
「なんの用か、訊いたかね?」
「なんでも、夢の話がしたいそうで。先生の『胡蝶の夢』の説話が評判になったおかげで、最近多をございますな。お引き取り願いますか?」
「いや、会うよ」
ソーシ君が直接見ると、ヨーシ君の言ったような体型よりもっと印象的なのは、円筒の上に載っかった頭でした。てっぺんから後ろ側にかけて、毛が生えているので、こちらに向いているのは顔なのでしょうが、表情はわかりません。厚い肉が垂れていて、目も口も覆っているので、よく見えないからです。
「ご用件をうかがいましょう」
と、ソーシ君が言うと、顔らしきところの下の部分の肉がもぞもぞと動いて、音声が聞こえてきました。案外はっきりした言葉でしたが、まるで地面に掘った暗い穴の奥から響いてきたもののようでした。
「夢だ。私は商売柄、どんな夢を見ようとすぐに忘れたのに、最近妙に気がかりなのだ」
「と、言われると、どんなことがあったのですかな?」
「昼間、目が覚めている、と思っているときに、突然目の前に闇が広がる。そこから声が聞こえる。時には、闇の中に人の姿が見える時もある。何をやっているか、たいていはわからない。しかし、少しはわかることもある。どっちみち、しばらく経つと跡形もなく消えてしまうのだから、夢なんだろうが、昔はこんなふうに夢を見たことはなかった」
「例えば、どんな夢ですかな? 比較的よくわかったものをお話し下さいますか?」
「非常に美しい若者がいた。水に映った自分の姿を見て、自分がどれほど美しいか、初めてわかったようだった。この世に私以上に、見る価値のあるものなどない。それに気がついた」
「それから、どうなりましたか?」
「知らん。夢はそこまでだ」
「それでは」と、辛抱強くソーシ君が言いました。「別の夢についてお話し下さい」
「女がいた。たぶん、狭い家の中に取り残されていた。そしてずっと長いこと、何かを待っていた。長いこと、待っているのも忘れるぐらい長いこと。ある日、小さい男の子と女の子がやって来た。そして私は自分が何か、わかったような気がした」
「その女というのは、ご存じの人だったのですか」と、ソーシ君は尋ねました。
「わからない。前の夢の美しい若者が女に変わったような……。いや、やはり覚えていない」
「では、また別の夢にうつりましょう。お話し下さい」
「丸々と太った男がいた。こいつは王様だった。なのに、裸で表を歩きまわっていた。間の悪い思いをしながら、ではあったが。誰かが『王様は裸だ』と言ったようだった。やっぱりな。しかし私はどうすることもできなかった」
「その王様には、見覚えがありましたかな」
ソーシ君の問いに、眠り屋はしばらく答えませんでした。もしかしたら眠ってしまったのかな、と思う頃、同じ部分の肉が動いて、同じ声が響いてきました。
「そう言えば、金持ちのサイ君に似ていたような気がする。最近、腰が痛くてよく眠れんと言うので、添い寝してやったことがある」
「では、そうなのでしょう」
「しかしサイ君は、金持ちだが、王様ではないぞ」
「それは、夢だからです。夢なら、人はなんにでもなれます」
「私が、サイ君が王様になった夢を見た、ということかな?」
「そう言ってもいいです。しかし、先に王様になった夢を見たのは、サイ君自身だったろうと思います」
眠り屋の顔らしきものがゆっくり動いて、また元にもどりました。
「わかるような気がする。もっと言ってくれ」
「あなたは、これまで数多くの人に添い寝したのですよね。いっしょに眠っているうちに、その人の夢が、あなたの夢の中へ入り込んでくることもあったでしょう。今まではそれも、すぐに忘れてしまって、問題がなかったのですが、ここへきて、夢の総体が大きくなり過ぎて、眠っていないときのあなたの眼にも映るようになったのではないですかな」
「そうかも知れん。これが続くと、どういうことになるのかな?」
「そうですな。あなたは今も、あなた自身とそうでない人、それはたぶんあなたが添い寝した相手なのでしょうが、その区別がだいぶ曖昧になっているようです。このままでしたら、区別そのものがすっかりなくなってしまうかも知れません」
「夢の中でか」
「夢の中でです。でも、それが覚めているときでも現れる、ということは……」
再び沈黙が流れて、ソーシ君も、眠気に襲われました。何度か払いのけて、もうこれ以上はダメか、と思えたとき、とうとう、眠り屋が声を発しました。
「それは少しまずいような気もする。どうしたらいいのだろう?」
「記録すればいいのではないでしょうか。何月何日、誰それに添い寝したときに、かくかくの夢を見た、とか。そうすれば、それが誰の夢であったか、はっきりします。また、今はいつ誰の夢であったかわからなくなっているものも、あなた以外の誰かの夢であったには違いない、とあなた自身が納得するようになるでしょう。それなら、他人の夢に飲み込まれることは防げるかと思います」
眠り屋の頭らしきものがゆっくり下に傾きました。どうやら、肯いたか、お辞儀をしたようです。それから、音もなく立ち上がると、まるで雲の上を歩んでいるような足取りで、眠り屋は出ていきました。
それから十日ばかりたった夜のこと、ヨーシ君がひどく慌てた、取り乱した様子で、ソーシ君の前にまかり出ました。
「先生、眠り屋のことで、何かご存知ですか?」
「そう言えば、あれっきりだな。どうしたか、知っているのかね」
「最近、彼の姿が見えないという噂を街で聞きまして。いえ、別にそれが気になる、ということもなかったのですが、気がつくと私は眠り屋の家の前に立っておりました。そして、なんでそうするのか、さっぱりわからないまま、家の中へ入りました。
中は真っ暗で、まるで夜でした。入った時には、確か昼間だったのです。でも、その時は私は別に不思議とも思わず、『ああ、夜なんだな』と思っただけでした。するとその時、闇の奥からこう言っている声が響いてきたのです。
『せっかく忠告してもらったのだから、挨拶ぐらいはしておこう。ソーシ君に伝えてくれ。私は字が書けないんだった。記録する、というのは無理だ。それに、夢に飲み込まれる、というのも、そんなに悪いことでもないような気になった。だから、このままでいい』
それから私は、急に眠りから覚めたように感じて、するとなんだか恐ろしくなって、その家から出ると、外も夜でした。なんでも、実際にしばらく眠ってしまっていたようです。ますます怖くなって、一目散に走って、こちらへうかがった次第です」
「そうか」ソーシ君はしばらく考えてから言いました。「本人がいいなら、いいだろう。確かに、眠り屋という人間のままでいるほうが、必ずしもいいとは限らんしな」
「先生、人間ではなくなったということなら、彼は何になったのですか」と、ヨーシ君。
「夜になったのさ。無数の人の夢を飲み込んで、ひっそりしているこの夜にな」
「しかし先生」と、ヨーシ君は思わず叫びました。「眠り屋が人間の姿をしていた頃から、夜はありましたし、私はそれを見ていました。彼が夜になったと言われますが、それは私が見た、そして今も見ている夜と同じものなのでしょうか、それとも違うものでしょうか?」
「そういう問いは、私の学派では禁句なのだよ。ヨーシ君が自分の頭の中であれこれ理屈をこねまわすのはかまわんが、そして、それには答えは決して出ないだろうが、どちらにもせよ、人前では言わんようにな。ヨーシ君が私の弟子でいるうちは、これは守ってもらうよ」
そう言うと、ソーシ君は立ち上がり、ヨーシ君に、もう帰るように手で指示をして、自分も眠るために、明りを消しました。