由紀草一の一読三陳

学而思(学んで、そして思う)の実践をめざすブログです。主に本を読んで考えたことを不定期に書いていきます。

教育的に正しいお伽噺集 第七回

2017年09月08日 | 創作

Ivan the fool, from bedtimestory TV

11 悪魔の罠
は単純と言えば単純なのですが、一度はまってしまったら、容易に抜け出すことはできません。そこはさすがに悪魔だ、というところでしょう。
 おなじみの三兄弟、力持ちのシモンに太っちょのタラス、そして馬鹿のイワンの話から考えてみましょう。シモンは喧嘩が強かったので王様の家来の兵隊になり、タラスはずる賢く計算高いので都へ出て商人に、働き者のイワンは故郷に残って農民になりました。
 シモンはいくつかのいくさで手柄を立てたので、王様に認められ、将軍になりました。しかしそれまでに、戦死した者やその家族をたくさん見て、いくさというのはずいぶん人を不幸にするものなのだな、と実感するようにもなっていました。何よりも、自分も何度か死にかかったことが大きかったのは言うまでもありません。
 いくさはやらないに越したことはない。でも、全然やらなくなってしまったら、自分のような者は必要がなくなってしまう、ということでちょっと困りました。そこへ悪魔がやってきて、こう囁いたのです。
「あなたがたが、世界一強くなればいいのです。すべての若者を訓練して、兵隊として使えるようにし、威力のある鉄砲や大砲をたくさん作るのです。戦争をしたら、負けるに決まっているし、万が一勝ったところで、それまでに払う犠牲が大きすぎて、結局は損になる、と他国に思わせることができたら、いくさにはなりませんし、でも兵隊は不必要ということにもならないではありませんか」
 なるほど、とてもよい考えだ、と思えましたので、シモンは王様を説得して、できるだけ強い軍隊を作るようにしました。他国の誰もが、こんな国とやりあったらとても無事では済まないな、と思わないわけにはいかないぐらいの。
 ところが、話はこれでは終わりません。この国の王様は、
「どんなに強い軍隊があっても、自分の国を守るだけだ、他国を攻めたりはしない」
と言っていましたが、これは信用できるものでしょうか? いや、今は実際にそう思っていても、人間の気持ちは変わりやすいものです。ある時急に、この王様が、他の国も自分のものにしよう、などと考えだしたら? 最強の軍隊があるのだから、すぐに滅ぼされてしまうでしょう。
 その危険はある、だけでも充分でした。周りの国々も、すべて、自分の国を守るために、軍隊を強くするようにはげみ出しました。それには、この国の真似をして、そのやり方をもっと押し進めて、兵隊も武器も強くすればいいのですから、お金と手間を惜しまなければよかったのです。
 シモンは困りました。自国の軍隊が世界一ではなくなってしまったからです。まわりの国々はすべて、
「自分の国を守るだけだ、他国を攻めたりはしない」
と言っていましたが、信用できるものかどうか。今は実際にそう思っていたとしても……。
 安心のためには、もっとお金と手間をかけて、軍隊を強くするしかない、と感じられました。そうすると、しかし、周りの国々も……。
 こうしてシモンは、ある点では幸福に、別の点では不幸になりました。自分たち兵隊が、国にとって決して不必要にはならない、という点では幸福でしたが、周りの国より強くなくてはならない、と絶えず気にかけていなくてはならない点では、けっこう不安で、不幸でした。しかも、この状態を変える方法は全く見つかりません。
 悪魔はかくして目的を達したのです。
 太っちょのタラスの場合は、もう少し複雑でした。お金儲け以前に、この国ではお金の値打ちがあまりないことに気づかざるを得なかったのです。例えば、馬鹿のイワンは、金貨を、「ピカピカ光るきれいなもの」としか思っていませんでした。だから、金貨を持って麦や野菜を買いに行っても、
「そんなもんなら、うちにはもう三枚もあるから、いらない。魚とか布とか、役に立つものを持ってきてくれ。それと交換しよう」
などと言われてしまったりするのです。それではどんなにお金を儲けても、あんまり旨味がありません。なんとかならないもんかな、と思っているところへ、悪魔が現れました。
「一つお尋ねしますが、この国の王様は税を取るのですかな?」
「そりゃ、取るとも」と、タラス。
「それはどういう形で納めるのですかな?」
「我々商人は、たいていお金でだが、農民や漁民や木こりは、麦や魚や木、つまり自分たちの収穫物で納めるな」
「それがいけないのです。ひとつ、王様を説得して、税を、税金と名前を替えて、必ずお金で納めるように、法律で決めさせて御覧なさい」
「え? そりゃ無茶じゃないか? お金をほとんど持っていない連中もいるんだぞ」
「わけもありません。あなたがた商人が、お金を貸せばいいのです。無利子でね。いや、貸す、というのは不適当な、むしろ間違った表現でした。正確には、前もって、買うということです。彼らの収穫物に対して、できる前に、代金を先払いしておくのです」
「ふうん。わかるような気もするが、ちょっと危険だなあ。これからできるはずのものなんて、どれくらいの値打ちがあるもんか、あくまで予想でしかない。もしかしたら、麦なら麦が、全く採れなくて、大損する、なんてことにもなりかねん」
「多少のリスクは覚悟しなければなりませんし、何より、今は商売のための地ならしをするのが大事なのです。まず、農民や漁民や木こりに、お金の有難味をわからせてやらねばなりません。税金は必ず納めなければならないものなんですから、そこで絶対に必要なものになります。必要性が理解されたら、彼ら同士が、麦や魚や木を交換するためにも、お金を使うようになります。そうすると、やがてお金は、ただピカピカ光るきれいなものではない、もっと有難いものだと、自然にわかってくることでしょう」
「お金の有難味って、いったい何かな?」
「あなたのような商人が、そんなことでは困りますな」
「いや、そりゃわかってるよ。他のものよりかさばらないから、持ち運びに便利だ。腐ったりもしないから、保存にも適している」
「確かにそれもありますが、それはほんの小さな部分にすぎません」
「と言うと?」
「お金は、ここではイコール金貨のことと考えてください。それ自体は、ほとんど、生活の、実際の役には立ちませんでしょう? つまり、麦や魚のように食べることも、木のように家を作ることも、布のように服を作ることもできません。溶かしたり叩いたりして、伸ばしても、粉にしても、普通は装飾にしか使えません。なければ絶対に困るというものではないのです。そこが大きいのです」
「すまん。何を言っているのかな?」
「生活の、実際の必要性と言うものは、時により場所によって変わります。砂漠では水はとても貴重です。しかし、山国で、河川がたくさんあって、水なんていくらでも汲んでこれるような場所だったら、さほどの有難味は感じられないでしょう。家をこれから建てるときには、木はたくさん必要ですが、出来上がってしまったら、もうそんなにはいりませんよね。こんなふうに値打ちが不安定なのは、交換のためにとても不便で、ひいては、世の中が豊かになるための妨げになるのです。
 お金は、そんなことはありません。百円は、いつでもどこでも百円です。いや、それは本当はまちがいです。百円で買えるものは、時と場所によって変わりますから。でも、わかりづらいでしょ? それは、お金というものは、それ自体に値打ちがあるのではなく、『これは百円のものと交換できる』という約束を示すからです。ものの値打ちは変動して、ゼロになることもあり得ますが、約束したという事実のほうは、消えません。いや、消えないことにしませんと、人の世は保たないんです」
「後のほうの理屈はどうでもいいが、前のほうのは使えそうだな。一つ、王様を説得して、税はすべて税金とすることにしよう」
「ついでに、金貨には王様の肖像を刻み付けるように勧めてください。おまじないみたいなもんですけど、王様以外の人が勝手に金貨を作ることは難しくなりますし、何より、金貨の表す約束が、より神聖なものになったような気はしますから」
「ああ、言っておこう」
 こうして、タラスたちの説得のおかげで、税にはすべて、王様の肖像が刻印された金貨が使われるようになりました。すると事実、国が豊かになっていきました。早い話が、シモンの軍隊も、そのおかげで大きくなったのです。
 タラス自身も金持ちになりましたが、それですべてよし、というわけにはいきません。国全体のお金の量が増え、さまざまな場面で使われるようになると、お金儲けの機会は増えますが、また、お金を失う機会も増えるからです。
 例えば最初にタラスと仲間の商人たちが実行した「これからできるはずのものを前もって買う」やり方は、先物取引と呼ばれ、賭けを含んだ、それだけ危険でもあれば面白くもある商売だと考えられて、広まりました。多くの人がそこにお金をつぎ込んで、儲けたり損をしたりしました。こうして、タラスもまた、大金という満足と、それを失う不安の両方を抱えたのです。
 最後に馬鹿のイワンと、その仲間たちです。彼らは実に頑固で、強そうに見せかけることに興味はなく、お金なんぞというわけのわからないものは必要最低限の分しか受け付けませんでした。こういう人間を誑かすことは、悪魔といえども難しいことでしたので、回り道をして、王様を通じてやることにしました。
 王様はまず、
「こんなものは本当は値打ちがないんだが、他にないのだからしかたない」
などと言って、麦などの収穫物のほとんどを取り上げました。その食べ物は、役人たちや軍人たちを養うために使われ、余った分は、もちろん、お金に換えられました。悪魔がタラスたちを使って広めた、「すべてはお金に換えられる」やり方は、ここでも活用されたわけです。そうでなかったら、余分な食べ物は腐ってしまうだけなんですから、悪魔の用意周到ぶりは、やはり侮り難いものではありますね。
 ただ、問題はまだあります。食べ物をほとんど取られたんでは、こっちは生きていくことができない、とさすがに馬鹿たちも抗議しました。すると王様は、
「仕方ない。国民を死なせるわけにはいかない」
と、生きていくために最低必要な分だけは返してよこしました。 
 さらにその時、役人に、
「お優しい王様が、お前たちのためにくださるのだ。ありがたく受け取れ」
などと言わせたのです。馬鹿たちは感激しました。元は自分たちで作ったものなのですが、一度王様の手元に入ってもどってくると、そこで神々しい何かが付け加わったような気になったのです。彼らは、以前よりもっと貧しくなったけれど、もっと幸福になりました。
 さて、そこで問題です。悪魔の罠にかかったのは、馬鹿たちなのでしょうか、それとも、彼らを馬鹿だと感じてしまう、私たちなのでしょうか?
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