今年の4月、キリスト教が厳しく禁止されていた江戸時代に、日本に渡ってきた外国人宣教師らが収容されていた切支丹屋敷跡地の発掘調査で出土した遺骨が、1708年に屋久島に上陸して幕府に捕らえられたイタリア人宣教師シドッチのものであると全国に報道されました。
改めてシドッチの事が気になり、屋久島の小島地区にあるシドッチ上陸地に行ってきました。
こちらはサンタマリア教会のシドッチ・モニュメント。
教会は普段は閉まっていますが、月に2回ほどのミサの時に中を見ることができるそうです。
数百年前に人生をかけて屋久島に訪れたシドッチ。今でもシドッチの布教の想いが繋がっていることを感じさせられます。
シドッチの上陸記念碑。この近くまで車で行くことができます。
シドッチが上陸したと思われる海岸線付近。
当時は鎖国時代。日本人に受け入られるように日本を訪れる前の4年間はマニラで日本語や風俗などの研究をしたようです。
屋久島に上陸した際は、日本人のような髪型をして、日本の着物を来ていたそうです。
目的を達成するための準備期間やそれを成し得るための意思の強さを思うと感慨深いものがあります。
海の方はこのような海岸線になっています。屋久島は岩場が多く、上陸しにくい場所のように思われますが・・・
屋久島に上陸したシドッチは、屋久島に約50日間滞在し、その後は長崎から江戸に送られます。
博識だったシドッチを取り調べた儒学者の新井白石は「西洋紀聞」「采覧異言」を著し、これを読んだ八代将軍吉宗が
洋書を読むことを許し、西洋文化が日本に流れこんできたと言われています。
大げさに言うとシドッチの力がその後の日本の歴史に影響を与えたのかもしれませんね。