令和元年9月25日(水)~27日(金)
自主ハイク 参加者3名 車1台 ザック重量12kg
霞沢岳と焼岳に登る・・・新島々から徳本峠へのルートを探索して(その1)
新島々から徳本峠へのクラシックルートは感動的だったので、独立して掲載します。
9月25日(水)晴れ
今回は、上高地が開発される昭和30年代以前の旧道を通って
新島々から徳本峠へと登った。クラシックルートと呼ばれる。
嘉門次の案内でウオルター・ウエンストンが北アルプスの発掘に使用した
街道である。
岩の間を流れ落ちる真っ白な渓流は奥入瀬渓谷の流れよりも
美しく感じられた。
紅葉の時期には、白い流れと赤や黄色の紅葉の絶妙な取り合わせが
どんなにか美しいんだろうと思いを馳せながら歩いた。
<行程表>所要時間:8時間20分 歩行時間:7時間20分
城山1:30==松本IC==中の湯7:00(タクシー)==新島々登山口(724m)7:48
・・・二俣9;48・・・岩魚止小屋12:35-13:08・・・ちから水15:20
・・・徳本峠小屋(2135m)16:25
では、写真をどうぞ!!
新島々から徳本峠小屋までの地図。
徳本峠への登山口ゲート。
二俣までは、車が通れる林道を行く。
登山口から2時間で二俣に着く。
二俣から登山道に入る。
折口信夫の歌碑。戦国落人悲話を 歌にしたもののようだ。
幾重にも重なる岩の断層。知識があれば面白いのだろうが・・・
三木秀綱夫人の碑が建っている。(首を右に曲げて見て下さい。)
碑の解説文です。
クラシックルートにはいくつもの橋がありそれぞれに名前がつけてある。
行き橋。
美しい苔の宝庫である。
戻り橋。
戻り橋・・・名前の由来は書いてないのでわからない。
嘉門次とウエンストンはこの道を歩きながらどんな会話をしたのだろうか。
炭焼き窯跡が当時のまま残っている。
炭は当時の人たちの大きな収入源だったようだ。
渡渉をする。橋がないのは珍しいくらいだ。
垂直な岩は厚い苔に覆われている。
激しく流れる渓流。北アルプスの山にもこんなところがあったんだ。
瀬戸下橋。
橋によって少しずつ違いがあるみたいだ。
涼しくて快適な山行である。紅葉したら、どんなにかきれいな景色が見られることだろう。
苔と迫力ある渓流。
美しい流れ。(首を左に曲げて見て下さい。)。紅葉が待たれる。
あちこちから沢が合流する。沢の流れは、まさに滝である。
朽ちた橋を渡る。
離れ岩と書いてある。
渓流を見下ろす。(今度は、首を右に曲げてご覧ください。)
瀬戸上橋を渡る。
いつまで歩いていても飽きない景色が続く。
苔に咲くダイモンジソウ。
絶壁が迫る木道を行く。岩を削って作ったのだろうか。
ワサビ沢まで来ると岩魚留小屋は近いのではないか。
紅葉の時期に是非来たいもんだ。
奥入瀬よりきれいだ。
トチノミの残骸。熊や猿、リスなどが食したのだろう。熊の糞がいくつか落ちていた。
岩魚留橋だ。奥に小屋が見える。
岩魚留小屋に着いた。登山口から約5時間。計画通り来ている。ここで昼食とする。
30分ほどの昼食を終えて徳本峠小屋に向かう。ここから3時間の計画である。
大きな桂の木が近くに立っている。樹齢は百年単位なのだろう。
今度は岩魚留沢橋とある。
高度が上がってきたようだ。あたりが乾いてきている。
また滝が現れる。水源はどこなのか不思議なくらいの水量だ。
こちらにも流れは滝と化している。
木道の上で心地よい感触を楽しむ。
今度は渡渉してハシゴを登る。
トリカブトの淡い紫が可憐。
マスタケを発見。天プラでいただくかな。
小屋から約2時間でちから水の水場。冷たくて美味しい。
しかし、ちから水から徳本峠小屋までの1時間の登り一途の急登には閉口した。
やっと徳本峠小屋に着いた。現在の時間は16時25分である。
美味しい夕食をいただき有難い。夜もゆったり寝られて快適だった。
クラシックルートを長々と書いてしまったが、久しぶりに気に入った道中だったので
熱が入ってしまった。
その1はこれでおしまい。
その2は霞沢岳登山をお送りします。
↓弊社のホームページも是非ご覧ください。
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