ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

3/11、福島原発事故と戦争の時代を意識する中で(20220311)

2022年03月11日 | 考え直すために

 本日、2022年3月11日(金) あの2011年3月11日から11年が経過した。当時の私は東京におり、震度5強の揺れを体験した。体感し、地響きを聞いた。足下が大きく揺れていた。その後に入ってきたところによれば、福島県から岩手県の太平洋側での大惨事だった。地震の上に、10mから20mの津波が怒濤の如くあちこちに押し寄せていた。

 私が気になったのはもちろん原発だ。福島原発などがあり、どうなっているのだろうか? テレビなどのニュースからは「直ちに影響はない」という言葉が繰り返されるだけだった。結果は4号機まである原発の内、1から3号機までがメルトダウンを起していった。4号機は停止していたが、核分裂反応をおさえるために冷却が必要とされていた。

 私は焦ったが、自分一人では核分裂に対抗できない。自衛の体制も取れない。核反応の取材をしてきた人々にお任せするしかなかった。私が現地に行ったのは、半年後のことだった。地震と津波の影響は、1995年1月17日阪神大震災の惨事とすら格段な惨事となっていた(このときには2ヶ月後に行った)。

 あれから11年の歳月が経つ。政府はいまだに責任を取るつもりはない。避難者にも冷たい。可能なところから再稼働を進めてきている。事実を事実として把握する気がない。時の経過とともに忘れてくれと居直るだけだ。構築物の補修なり、立て替えならば、進んでいる。しかし心身の破損は取り返しが付かない。

 かくいうわたしも福島に足を運び続けていないので、緊張感は薄れている。わなわなとした揺れの感覚もなくなっている。一方でロシアによるウクライナ戦争では原発への攻撃があり、乗っ取りが現に起きている。極めて危険で、かつ今後を見通すことは困難だ。戦争に「原発が活用される」というまがまがしい事態が現に起きている。

 ヒロシマ・ナガサキ、ビキニ、チェルノブイリ原発事故、福島第一原発の過酷事故とあったものを考えれば、原発を一掃する以外の選択肢がでてくるのだろうか。ありえない。日本ではそれでも政治家が務まってしまうのだろうか。科学者がやっていられるのだろうか? ロシア/中国との緊張が高まっていると言いながら、日本の原発が攻撃されることを考えない権力者ども。

 そう考えたら、自分が自然災害による原発事故に鈍感になっていることに、やばいなと思う。幸いなことに沖縄には原発は設置されなかった。ただ米軍基地や自衛隊基地は多数あり、そこに核兵器が持ち込まれる可能性をたやすく否定できないのだ。

 一億無責任時代に抗して、私たちは言うべきことを言うしかないだろう。せめて、世界中の核兵器と原発をなくしていく。核廃絶だ。これしかない。人間が我を忘れて暴走すれば、最悪な事態を引き起こしかねないのだ。戦争は人間を破壊する。限りない暴力を是としてしまう。原発がどうなろうが、戦闘に勝つことが至上目的にされてしまえば、何が起きるか分からない。

 まともな人間でありたいと思えば、何をしてはならないのか、何をするべきなのか。普段から考えておくしかないだろう。無責任な、強欲な輩と私たちが心中しないためには、冷静で、生きている感覚を取り戻す訓練を繰り返しながら、地道に抵抗していくしかないだろう。それでも私たちの生存は約束されていないだろう。そこを覚悟しておくしかないだろう。



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