ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

脈略のない自分が脈略のあるはずの軍事について考える(20241201)

2024年12月01日 | 沖縄暮らし

 昨日の私は、こんなに歩く予定ではなかった。脚が痛くなるほど歩いてしまった。歩こうと思っていたことは事実だが、こんなに歩くつもりではなかった。何を撮るつもりかも特になかった。ただ、通常通り、カメラ2台とレンズ3本を持って行った。写真を撮ることは時に遊びであり、時に仕事。融通無碍だ。

 以前に、この金武湾の中の島sを一度撮りに行っている。陸上自衛隊水陸機動団の演習が行われていたからだ。泊まりがけで。ただし初めてであり、首尾良くいかなかった。今回はそうした可能性を意識していた。下見の下見だ。島々の間に、あるだろうブツをどこから見たら、一番のベストポジションを確保できるのか。無論時間によって、変わる。天候によって、潮汐によって変わる。無論あちらさんの動きを読むことは難しい。脈略がないのは、自分の脈略とはすれ違ってしまうからだ。可変的に考えておかないとならないのだ。夕日の動きを読むのは、まだ因子が少ない。経験を積み重ねていくしかない。

 昨日の第一現場は、平敷屋(へしきや)の高台からだった。原潜は居なくなり、「護衛艦」が着岸してきていた。ざわざわしているところだった。日曜日の昼下がりのざわざわ。

 海中道路を飛ばした。あいにく雲が多く、撮影には不向きだった。それでも3時間かかった。条件が悪いので、余計に考えてしまうからだ。休憩を3回も入れた。小公園などの休める場所が限られているからだ。車がバリバリ走っている。平安座島の浜比嘉大橋の先は、私は初めてのコースだった(車で通過したことはある)。防波堤の壁に、子どもたちが絵を描いており、おもしろいのも、おもしろくないのも入り交じっている。

 帰路は落日と再会できた。平安座島ならではの落日。しかし真っ暗になると、方向感覚は乱れ出す。しかし地形図とヘッドランプがあり、なんとかなった。タクシーもきたし。まだ脚が痛い。脈略のないものを秩序づける必要はない。軍事は脈略があるのに、なかなかその脈力を読めないから、頭にくる。予断を持たずに考え続けたい。

 ひとまず原潜の追っかけは終わった。しかし私の予想ではまた来るだろう。「休養」としてやってくる。勝連半島は対中国で接続しているだろう。第7対艦ミサイル連隊と第15高射特科連隊も対中・対朝が重なっている。脈略のない自分だが、ここは脈略を読まなければならない。

 そう、昨夜、勝連高校辺りをホワイトビーチに帰る観光バスを見つけた。米兵が10人程度乗っていた。日帰りのレストハウス。彼等の「休養」は、「敵」を監視するために鋭気を養うものであり、全く歓迎できない。いざとなれば、戦争のための鋭気となるからだ。

 早く写真をあげたかったが、アプリが不調でデータの移行ができていない。おかげで今夕の残照を撮りに行けなかった。素晴らしかったはずだ。



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