昨夜まで、未開封の段ボールは4個だと思っていたのだが、今朝確認したところ、この4個は写真展(2013年5月)のパネルだった。ということは、これで未開封分はオシマイだったのだ。要するに、引っ越ししたとき(2013年10月)、捨てに捨てた記憶はあるのだが、我ながら本当に捨てたようだ。
今更だが、捨てちゃった制作者・執筆者の皆様に、申し訳ない気もします。ということで、2013年以降の分類を確立していきます。既に検討を始めましたが、従前のものと、符合させながら、沖縄だからの整理・分類が重要になります。例えば、「沖縄県政・市町村制」、「中央集権VS沖縄の自治・経済」、「沖縄防衛局と沖縄総合事務局」など。めんどうだけど、避けて通れないテーマ。
日米合同委員会は別の形で整理しています。あと、私が観察してきた県内・県外の基地の街の資料は、特に重要です。あってはなりませんが、対中戦争の時に如何に発動されていくのか、地域を巻き込んでいくのか。恐ろしい。もはやこうした恐ろしさを日常的に自覚しながら、考えざるをえない段階に入っているのです。
「平和・外交」という、大分類を設けていますが、私は戦争の準備ではなく、平和を作りだしていく準備が重要だと思っています。
いずれにしても従来の東京で見てきた(中央寄りの)大分類を沖縄の側から見た分類に再編する課題は、難儀だと思います。理屈と運動が明確でないと、きれいにわけられない。
またかってのように私が「活動家」として全面的に振る舞っていた時代と異なり、「写真を撮る人」と市民の間の立ち位置によって、どう整理していくのか。うるま市(島ぐるみ会議)との関わりはいいとして、私は名護市―辺野古・大浦湾を巡って、どうしていくのか。未定の領域があるわけで、そこは今後に委ねるしかありません。未定の部分の空白を開けながら、決めていきます。
沖縄における美術館・写真展・演劇などの問題も一個のファイリング・ボックスにまとめます。
これ以上詳しく書くことはできませんが、難儀です。私の分類がしっかりしていないと、状況によって、右往左往してしまい、個々の資料がバランバランになってしまえば、資料価値は大幅に低下してしまいます(使えない)。十分に注意しながら、やっていくしかありません。
細かい整理はこれからであり、そうした成果が私の主張、ブログ等に反映できるよう頑張ります。沖縄に来て10年にして、漸くここまできたのです。
余談:療養で壊れていた頭が少々回復してきました。