本日、2021年8月8日、東京オリンピックが終わった。「すべてをオリンピックのために」のかけ声は最初から最後まで、貫徹された。あれだけ反対の声があがり、中止を求めたにもかかわらず、強行された。医療は逼迫し、もう手の施しようがないと言う、倉持仁先生(インターパーク倉持呼吸器内科院長)。絶望感にあふれていた(20210807夜)。
こうしたことがおきるのは、明らかに政治のせいだろう。オリンピック開催・貫徹という目的のためには手段を選ばない。「人流は減っています」とむにゃむにゃしていれば、いいのだから。気楽だな。彼らの頭の中には、人が生きている、暮らしているとうリアリズムがないのだろう。人口1億2000万人しかないのだろう。それでも、自公に投票してくれる人が何万人いるから、安泰だ。
すべてをオリンピックのためには、すべてを戦争のためにに通じている。すべてを地下室へ…。何を見ても不都合な真実を見ない。これを「独裁」だと私は規定しているのだ。このままでは、権力は何でも出来てしまう。
私はテレビがないから期間中オリンピック映像を何も見ていない。新聞に載ったものをケット言いながら過ごしてきただけだ。オリンピック報道に報道管制されており、コロナ禍がどこまですすんでいるのかさえ、わからない人々。敢えて言えば、オリンピック禍の中で、人々のコロナへの緊張を緩ませてしまった。感動は組織されたかもしれないが、命は奪われていく。救急車が運ぶ病院がなくなってしまった。
私は一人、当分、自室にこもっている。うつされない、うつさない。買い物もしなければならないから、100パーセント孤塁を守るのは不可能だ。人間も類的存在なのだ。感染症とのお付き合いは避けられない。感染症を絶滅することは不可能だ。「転ばぬ先の杖」を折ってしまった日本国。オリンピックバンザーイ!!とやって。
それにしても野党は何をやっていたんだろう。オリンピック中止を明言していたのは、共産党と社会民主党だけだった。それでも対抗策が不足している。各議員は各現場の医療・病状の態勢を把握することから始めて、何をなすべきかを考えろ。手遅れにさらに手をこまねいていたら、悪化するだけだ。パラリンピック中止を訴え、お金も場所も人員もコロナ対策に振り向けろ。自治体の自力が問われている。運を天に任せては駄目だ。