ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

そんなこと当たり前だろう。しかし(20210720)

2021年07月20日 | 考え直すために

 2021年7月20日13:30 名護市西海岸 雨が降ってきた。風もでてきた。台風様が通過するのだろう。やむなく私は外に出していた物を全部回収。

 20日と言えば、オリンピック開催まであと3日。一部の競技は21日から始まるようだから、もうゴングが鳴ったようなものだ。

 オリンピックを巡る問題では、何を書いたらいいのか悩ましい。問題がありすぎるからだ。安倍元首相の「アンダーコントロール」といった大嘘から始まった2020東京オリンピックは、この結末を予見していたと思われる。大嘘でも何でもいい。儲かることが第一義だと。しかし無観客となって、儲けも激減してしまい、トヨタさえも東京オリンピックよいしょの広告を流さないらしい。それはスポンサーとして、お客様の不人気をかっては、販売戦略上マイナスだと判断したからだろう。金勘定の計算上当然の判断にすぎないのだ。もっと以前にこう判断していれば、政権も動いたかもしれない。遅すぎた。

 コロナ禍で疲弊した経済をオリンピックで立て直す目論見すらがアウトになってきた。飲食、観光、様々なパフォーマンスなど軒並み大打撃を受けており、こうした時間が長びけば、基幹産業をも直撃していくだろう。ごく一部の儲かる奴ら(ぼったくり連中)と、疲弊する人々の乖離がドンドン深まっていく。

 オリンピック関係者の中にもコロナ禍は確実に膨らんできた。オリンピック組織委員会は、詳細を明らかにしていない。一部選手(団)から、このまま大会に参加できるか分からないとまでの声が出ている。世界大でのコロナ禍を無視して、公平な大会は初めから無理だった。これは選手団の責任の以前に主催者(日本政府とIOC、JOC)の責任だろう。まともに試合が成り立たないとしたらどうするの? 彼らが大好きな「金メダルが幾つ、銀が幾つ、銅が幾つ」の皮算用も成り立たなくなる。

 ナショナリズムを煽る成果すら上手くいかないということだ。『平和の祭典』の裏側では世界各国のナショナリズムの祭典(本音)であり、そもそも健全なものではない。アスリートの頑張りだって、所詮、この範囲での奮闘に過ぎない。「美しい物」を見る喜びは、その裏側でナショナリズムの対抗意識を蔓延らせてきたのだ。やめろ、やめろ、そんなもの! ましてコロナ禍でやるということは、益々歪んだ関係をつくり出すことになるだろう。敗者が勝者を称えるという美しい姿すら歪んでいく。

 自分たちの金儲けの一点に走りすぎた奴らは、全体状況を見失っている。知らず知らずのうちにホワイトアウトの闇の中。その一端が開会式冒頭の音楽シーンを飾るはずだった小山田圭吾の「辞任劇」だろう。子ども時代のイジメ・「障害者」差別が、90年代に音楽誌に書いた彼自身の言説が明らかになり、叩かれたのだ。森喜朗の女性差別から小山田圭吾の「障害者」差別まで、差別のオンパレードは甚だ見事なものだ。これは個人の問題に留まらず、こうした言説を吐いてきた人達をチェックできない仕組みがあるということだ。建前だけの多様性は、百害あって一理もない。

 結末はまだ不詳。私も迂闊なことを書きたくない。怖すぎるから。ただしこれだけは断言できる。コロナ禍で一歩もかわっていないことは、基地建設であり、軍事力の増強の流れだ。戦争が一大産業となるということだ。米国はこのことを一番遍く知っており、日本もこの76年間、米国との共犯関係を護りながら、じーっと学んできたことだ。

 コロナ禍という混迷の時代の中で、私たちは誤ってはならない。戦争という妖怪が巨大化していることを見つめなければならないのだ。沖縄でもコロナ禍への対処(検査と保障、公開と自治)は甘いし、オリンピック賛美の声はとまっていない。ドサクサの中で進む中央への統合?

 沖縄がオキナワを抜け出し、あらたな琉球をめざし、中央政府に立ち向かうことなしに、何もかも元の木阿弥に陥るだろう。自治とは何か、人権とは何か、民主主義とは何かを考え直し、鍛え直さなければ、この先を見とおすことはできないだろう。

 台風は通過していくが、この政治の暗雲は、簡単に通過していかないようだ。私たちは、新たな覚悟が問われている。これらを解きほぐしていく議論を今から始めよう。



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